私は「半分日本人」ではなく「半分外国人」とみなされる
日米ハーフが訴えた日本人という定義の狭さ

Explorations into being Hafu: Megumi Nishikura at TEDxKyoto 2013

映画監督の西倉めぐみ氏は日本人とアメリカ人の「ハーフ」です。幼い頃からどちらの国にいても疎外感を覚えたという彼女は、アイデンティティと向き合い続ける人生を歩みます。日本における「日本人」の定義の狭さを指摘し、偏見のない社会の実現を訴えました。(TEDxKyoto2013より)

日本における「ハーフ」という扱い

西倉めぐみ氏:私はどこから来たと思われますか? インドですか? メキシコでしょうか? イタリアか、キルギスタンだと思われますか? 私はこの外見から、これらの国々の出身ではないか? と思われるようです。実は私は、半分が日本人でもう半分がアイルランド系アメリカ人です。私のような人は「ハーフ」と呼ばれています。

日本で暮らしていて、私がハーフだと知って驚かれます。見知らぬ人が近づいてきて「お国はどこですか?」と尋ねます。そして、私の姓名が「西倉」だと知ると、次の質問は大抵「日本人と結婚されていますか?」です。私はそれに、こう答えます。

「いいえ。私の父が日本人なんです」

でも、本当はこう答えたい。「いいえ。私が日本人だからです」と。

2つの国のどちらにも、自分の居場所がないような気がした

私は、運良く愛情に溢れた家庭で育ちました。また、夏休みをアメリカで過ごすこともできましたので、ふたつの国で育ったようなものです。日本では、地元のお祭りに行き金魚すくいに挑戦しましたが、紙が破れていつも失敗していました。

アメリカでは、地元のモールへ行ったのを覚えています。お店がどこまでも続いて、女の子にとってはパラダイスのようでした。

(会場笑)

どちらの国にいても、居心地のいい自宅や家族から離れると、なんとなく自分がよそ者のような気がしてしまいます。どこかに属していたいと思うのは、自然なことでしょう。

日本の小学校で、私が英語を話せるからといって、先生にのけ者にされなかったらどんなによかったでしょう。

アメリカでは、祖母の近所の女の子たちのように「金髪のおさげがあったらいいな」と思いました。

周囲の人に合わせようとしたことも…

幸い、私は学校でいじめにあうことはありませんでしたが、ハーフの中にはいじめられた人たちがいることを知っています。悪意なく、何気なく投げかけられた質問や視線で、「ここは自分の居場所ではない」「私たちハーフは、周りの人たちとは違う」「ここの人ではない」と思い知らされます。

ときどき、自分が今いるその場所に属していたい、という気持ちを強烈に感じて、周囲の人と違うところを隠したり、変えたりしたくなります。でもそれは、服を着替えてクールな人たちの仲間入りができるほど簡単ではありません。自分が自分であることを、それがたとえ一部分であろうと否定すると、息が詰まりそうになります。

「自分には欠けているものがある」

今でも、親戚と一緒に食事をしているレストランで、鏡に映った自分をちらっと見たとき、「わー。すごく違う」と驚いてしまいます。「ほんとうに親戚同士!?」「私はここの人なの!?」と。

言葉では表現しきれない、日本人であることの定義

でも、次の瞬間、両親は文化と人種の違いを超えて愛し合ったという事実に心を動かされます。ふたりの国の違いはとても大きく、祖父母の世代には敵対国として戦争をしていたのです。2つの文化圏の価値観を知り、敬意を持ち、両親は私が日本人でもありアメリカ人でもあるという信念のもとに育ててくれました。

ところが、日本では特に、両親の信念を私を通して見出してもらうのが難しいと感じます。私は、「半分日本人」ではなく、「半分外国人」だと認識されます。

人口のわずか2%が非日本人であること、少数民族がほとんどいないという日本の状況で、それは理解し難いことではないかもしれません。でも日本で育ち、生まれながらに日本人である人を、日本人として認識するのが、なぜそれほど難しいのでしょうか?

それでは、「日本人である」とはどういうことでしょう? 言葉で表現されない定義があるようです。「見た目が日本人で日本語を話し、日本文化と伝統に忠実な人」でしょうか? そしてその条件を100%満たせなければ、日本人として認識されないのです。

ところが今日、私のようなハーフは増えてきているのです。18件に1件は国際結婚です。その結果、赤ちゃんの49人にひとりは国際結婚の両親から生まれていますから、年間2万人以上のハーフが生まれているのです。

人口構成が変化しているので、日本人であることの条件も変えなければならないのではないでしょうか? 日本人の定義を拡大して、ハーフも日本人とするべきではないでしょうか?

(日本語で)こんな顔でも日本人でありえる社会になってほしい。

ハーフの気持ちを代弁した映像制作

私はこのような外見、話し方をしますが、日本人です。映画制作に携わる者として、この問いをレンズを通して探求することにしました。まず学生時代に、自分のアイデンティティと家族に関する短編映画を制作しました。

卒業後、人種差別と闘い、文化の多様性理解を育成する団体のために、映画を作り始めました。それがこの瞬間へと導いてくれました。

ハーフプロジェクトを通して、2人の若いハーフの女性たちと出会い、長編映画を制作しました。5つのストーリーを1年かけて追いかける映画作りで、ハーフであること、日本人であることは何なのかの問いかけをしました。

(映像が流れる)

ナレーション:日本人じゃない、英語人というあだ名で呼ばれるところから始まりましたね

少年:毎日喧嘩を売られていました。

男性:どこにいても目立つし、みんな不自然に見るから、もっと自然に扱ってくれよって。すぐそこのとなりの奴に話しかけているみたいに、俺にも話しかけてくれよと思うわけ。

女性:自分が日本人って信じきっていたから、居場所がなくなった感じ。

ナレーション:若いときは、みんなと同じでいたいですよね。

男性:日本自体にあまり繋がってる気がしていなかった。

ナレーション:日本は変わってきています。今ではハーフの子どもたちがその辺を走りまわっていますから。

自分と同じような背景の人が、実はいっぱいいるんだってことに気づいて、出会いたいなと思った。

誰かに言われた通りの自分になる必要なんてないんだと彼は気が付いた。

どこにいても、偏見や差別もあるし、人間としてちゃんと人を見られる人間と繋がっていけばいいんだと思った。

違うことを嫌うのではなくって、受け入れて学んでいくことによって、日本の未来がすごい明るくなるんじゃないかな、と思います。

(動画のキャプション) ソフィア「オーストラリアx日本」

(動画のキャプション) エドワード「ベネズエラx日本」

(動画のキャプション) フサエ「韓国x日本」

(動画のキャプション) オーイ家「メキシコx日本」

(動画のキャプション) デビッド「ガーナx日本」

(映像が終了)

映画を撮り始めて、とても大きな反響をいただきました。世界中のハーフの人たちやその家族の方々がサポートし、励ましてくれました。これは私たちハーフが、社会に容認されないと感じ、耳を傾けてほしいと思い続けていたことの証です。映画は4月に完成し、現在世界中で公開されています。

自分がどんな人間かを決めるのは自分自身

ハーフは、ハーフとして生まれることを選択したわけではありません。しかし、2つの異なる文化圏と人種の両親を持ち、他とは違った容姿に生まれついたことで、社会が私たちに貼ったレッテルについて語る機会がありました。このレッテルというものは、疎外、差別、衝突、戦争にすら繋がるのではないかと思っています。

突き詰めて言うと、私たちは日本の一部であると認めてもらうだけではなく、日本人であるところも日本人でない部分も含めた、人間として受け止めてもらいたいのだと思います。

私が出した結論は、自分がどんな人間かを決めるのは私たち自身であり、ハーフを偏見で決めつけたり、疎外したりする境界の中に閉じこもってはいけないということです。自分を知って受け入れることで、他人にもあるがままの自分で構わないのだと主張することができます。

私の名前は西倉めぐみです。この名前で、この顔。日本人であり、アメリカ人であり、ハーフです。ありがとうございます。

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