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ビジネスパーソン必見!教育と探求社創業20周年記念!春の連続対談3回シリーズ(全3記事)

国や企業を背負う人たちの思考のベースを作る、フランスのエリート教育 日本の学校教育に足りない「哲学」を学ぶ機会

株式会社教育と探求社の創業20周年を記念して開催された本イベント。代表の宮地勘司氏と、株式会社ブレインパッド常務執行役員、CHROの西田政之氏との対談の模様をお届けします。本記事では、学校教育で「哲学」を扱うことの重要性について語られました。

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経営者はリベラルアーツを学んでいないと尊敬されず、判断もできない

宮地勘司氏(以下、宮地)今の例で言うと、「ソフトパワー」という言葉が一時流行ってましたね。「軍事や経済力で圧倒するんじゃなくて、 自国の価値観や文化の魅力で惹きつけたらいいじゃないか」って。

「良いことを言うな」と思ったけど、いまやそんなことはなくなって、圧倒的にハードパワーになってきたなと。僕がよく聞いたのは、経営者になったらリベラルアーツがないと尊敬されないし、判断ができないと。

欧米の方々って、やはりあるクラス以上の人にはみんな基礎的教養がきちんとある。そのことが実は、いろんな判断をしたり未来を見据えていく基盤に、すごくなっている。

日本人も昔は武士道とかいろいろあったんだけど、(その概念が)破壊されたのはなんででしょうね。「そんなことより目先の金が儲かってりゃいいじゃん」というほうにどんどん移っていって、大事なものをなくしちゃっているんじゃないのかなと。感覚的にそんなふうに思うんですけど、いかがでしょうか。

西田政之氏(以下、西田):私もすごく同感ですね。ただ、ヨーロッパ、特にフランスはグランゼコール(教員や研究者、政治家、官僚などに必要な専門知識を学ぶフランス独自の教育機関)という教育のシステムがあって、いわゆる教育自体に哲学を採り入れているじゃないですか。

テーゼとアンチテーゼの観点で物事を考え抜くことをエリート教育としていて、将来、国や企業を背負う人たちの、思考のベースを作るような教育体系をしているわけです。

やはり僕が1つ問題だなと思うのは、昔は寺子屋とか、あるいは自主的に大学生が四畳半(のアパート)に集まって話すみたいな、哲学論争をする場があったと思うんですけど、今はそれがなかなかなくて。そういう環境じゃなくなったというのもあるのかもしれないけれど、やはり日本の学校教育の中で、哲学をまともに学ぶ機会がないというか、それをわかりやすく教えている先生が少ない。

哲学自体がちょっと理屈っぽくて難解なものなので扱いにくいにしても、そういったカリキュラム、あるいは文部科学省の教育制度の方針の転換が、今の現状をもたらしている気もしないでもないなと思います。

日本の学校教育に足りないもの

宮地:本当ですね。(世の中が)「宗教はやめようよ」となっている。多くの学問や学校の授業で、けっこう宗教を真ん中に置いてきた時代もあったけど、完全に神がいなくなった時に、その支えがなくなってしまったわけですよね。

だから、別に僕は「宗教を復活せい」とか思わないんですが、宗教に代わるものじゃないけど、やはり哲学。「神が偉い」というところから、「自分の中に神がいるんだ」と考えるようになると、宗教の目的は達成されると思うんですね。

その時に、感覚じゃなくて、自分の中の哲学がやはりすごく大事。さっきの話でいくと、例えば「ノブレス・オブリージュ」(財産・権力・地位を持つ者は、それ相応の社会的責任や義務を負うという道徳観)という言葉があるけど、これもやはり哲学の1つの表れだと思っています。

日本はそれがないから、ある種の国のトップに立った人たちによって、本当にノブレス・オブリージュなんて程遠いことが行われているわけです。どういうかたちかは別として、やはりそのことに私たちも自覚的になる必要がある。

もちろん倫理や社会で思想史を学ぶこともあるんですけど、知識として学ぶんじゃなくて、物事の是非を問うみたいな。みんなで議論し合う中で生まれてくる生成的な学びがあること。哲学って自分の中に芽生えていくものだと思うので、そういう機会が学校の中にあるといいなって、すごく思いますね。

確固たる哲学を持っている、大谷翔平選手

西田:希望の光として、哲学をシンプルに、でもものすごくうまく表現しているのが、やはり大谷翔平選手なんじゃないかなと思っています。彼はマンダラチャートを書いて自分の目標としてゴミ拾いを実践していて、本当に確固たる哲学を持って野球人をやっている。

あれが哲学的に生きることの1つの模範じゃないかなと思っています。若くして彼みたいな存在が出てくるのは、日本にとっての希望の星のような気がすごくしています。

宮地:本当ですね。やはり企業理念も、壁に張ったものじゃなくて、生きているかどうかが大事。哲学も知識の量や書物の量をひけらかすんじゃなくて、それが生きているかが大事です。現代人は、それを「知っている」ことと、「生かせる」ことの距離が、けっこうあるなと思うんですね。

西田:実際に経営学はやはり(哲学が)大事ですよね。

宮地:そうですね。だから、大谷翔平さんの例は本当にそのとおりだなと思いました。あと哲学で言うと、内田樹さんが書籍の中でおっしゃっていた、孔子の六芸(りくげい: 古代中国において士分以上の人に必要とされた教養のこと)に馬の乗り方や音楽の楽しみ方、弓の射方、読み書き・算盤とかがあると。

最初に礼儀の「礼」があって、(内田さんは)「礼とは死者に対する思いだ」と解釈されていました。だから「死者は何をしても答えてはくれないけど、本当はこう生きたかったんじゃないの?」「墓参りに行ってお花を供えるの? あるいはワンカップを置いといたらいいの?」とか。生きている人はいくらでも思いを語るけど、死んだ人は決して答えることはできない。

でも、そのことに対して最大の思いと配慮を届けることが礼だと。目に見えないものに対する畏怖の念や、あるいはそこに対して心を通わせようとする思いがリベラルアーツの1つの要素である。こんなフレーズがたぶんあったと思うんですけど、それは本当にそうだなと思いました。

「全部を知ることができる」と思っているのが現代人の傲慢だと思うんですね。だから知らないこと、見えないものは存在しないことにしているけど、実はそこにたくさんの広がりがある。そこに思いを馳せることは、すごく大事な要素じゃないかなと思いました。

データで何でも割り切れる時代ではなくなっている

西田:デジタルの時代だからこそ、宮地さんがおっしゃるとおり、目に見えないものを大切にする時代になったんだなと、つくづく感じますよね。

宮地:そうなんですよね。デジタルって、目に見えないんですよね。デジタルが作ったものやモニターは見えるけど。デジタル自体が見えないというのが、僕もすごく関心があって。じゃあないのかと言ったら、「いや、電気信号があるじゃん」みたいな。だから魂とかは見えないよねって言うんですけど、でも何かの機能や作用を起こしている。

仮に魂というものがあって、そこに僕の知識や体験が刻まれているとしたら、別に目に見えないからと言って、なきものにしなくてもいい。本当にソフトウェアと同じような構造で機能しているんだと思うんですね。

西田:今、私が勤めているブレインパッドって、特に新入社員は学卒が少なくて、修士と博士が多いんですね。いわゆる大学院とかで物理や数学などを専攻していた人がたくさんいて、その中でデータサイエンティストの組織を束ねてきた紺谷(幸弘)というのがいるんですけど。彼は最近、組織論にもすごく興味を示していて、二人でよくディスカッションをするんです。

「西田さん、データで何でも割り切れる、明確にできると考えられていた時代から、最近の物理学ってどんどん多元宇宙論とかにいっている。サムシング・グレートというか、何か得も言われぬエネルギーのネットワークが宇宙にあって、それと僕らが粒子レベルでつながっているというのが、だんだん科学的に明らかになっている」と(言っていました)。

やはり哲学と宗教みたいなのが、だんだん融合するような流れが今あるのは間違いないので。宮地さんがおっしゃったことが、科学的にも証明されつつあるという感じかなと思います。

宮地:ありがとうございます。その領域はめちゃめちゃおもしろいですね。前回、BossBさんという天文物理学者の方とお話ししたら、めちゃめちゃパワフルでぶっ飛んでいて。「宇宙には正解はないから、自分で決めるしかないんだ」みたいな。

宇宙って一部の関心がある人だけの領域でした。でも「我々は宇宙の一滴に過ぎないじゃん」みたいに考えると、本当に素粒子レベルで「人間の思考って何なの」とか「波動で何が伝わっているのか」とか。新しい領域が垣間見えそうで、非常におもしろいなと思っているところです。

善いことを重ねていくことが、自分自身の人格を作る

宮地:最後のほうにちょっと聞きたいんですけど、西田さんって本当に魅力的なたくさんのお知恵と経験をお持ちの方だなと思いました。

冒頭に紹介していただいたように、いろんなキャリアがあって、その都度いろんなことを学んでこられたと思います。ご自身も最初に「その時に一生懸命生きただけだし、そこから判断しただけなんですよ」とおっしゃっていたんですけど。

もちろん人間はいろいろですけど、西田さんみたいに学んだり考えたりしていく人が増えていったらいいなと、勝手に思ったんです。なので、どうしたら西田政之さんという人は生まれるのか、何がそうさせているのかに興味があるんです(笑)。

西田:いや、本当にみなさんの買いかぶりです。ただ、僕は何に気をつけて生きてきたかと言うと、これを言っちゃ元も子もないんですけども、やはり1つがインテグリティなんですね。日本語で訳した「誠実」という意味よりも、お天道様の下で恥ずかしくない行動をする。

すなわち、やはり徳を積むことを意識的に心がけていると、流れに任せている中で、神様がご褒美で何かきっかけになるものをくれる。それを掴んで今があるという感じです。大谷翔平選手がゴミ拾いをするのも、徳を積むところの1つかなと思うんですけども。

さっき、「目に見えないもの」とおっしゃいましたけど、たとえ人が見ていなくても、そういった善いことを重ねていくことが、やはり自分自身の人格を作ることにもなるでしょうし。天からのご褒美を得られる権利を得る、その確率を上げるところにつながっていく。

そこから降ってきたものをたどっていくと、自然と今のような感じになっているというのが本音です。お答えになってないんですけども、単純にそういうことなんです。

徳を積むことは人生を好転させる力がある

宮地:すばらしくど真ん中のお答えだと思います。本当に説明は難しいし、因果律を見つけたり証明したりすることはできないんですけど、たぶん徳を積んでいる自分に、自己肯定感が上がったりとか。やはり心が清々しくなるから、今まで見えなかったものが見えるようになったり、「ありがたいな」って思えるようになったり。

そういうのは人生を好転させる力があるんだろうなと思います。その考えもなかなか、聞けば「そうだ」と言う人は多いと思うんですけど。「自分から徳を積むのが大事だ」という思想・価値観は、どこで芽生えたんですか? いつ頃どんな体験で、そのような考えが西田さんの中に生まれたのかと。

西田:なるほど。いくつか段階があるんですけども、もともと僕はおばあちゃん子で。そのおばあちゃんが真言宗の檀家だったので、般若心経を子守唄にして僕は育ちました。

ただ、大人になってから禅を学ぶ機会がありました。2年間『言志四録』(学問、思想、人生観など、修養処世の心得が書かれた随想録)や碧巌録(へきがんろく:中国の仏教書であり禅宗の語録)を精読する機会があって、そこでその類いのものを学んだということと。

あとは、ライフネット生命に入るきっかけになった出口(治朗)さんと、『貞観政要』という唐の太宗・李世民と取り巻きの言行録をまとめたものの精読会を3年間やりました。漢文で400ページ以上、上下巻あるもので辛かったんですけど、すごく学びになった経験ですね。

宮地:子どもの頃、おばあちゃんとは仲良しだったんですか?

西田:おばあちゃんと布団を並べて一緒に寝ていましたね。

宮地:そうなんですか。おばあちゃんは神様・仏様のお話とかはするんですか?

西田:そうですね、そういう話をしますね。

宮地:それは西田さんは何歳ぐらいの頃だったんですか? 

西田:小学校へ入る前ですね。

宮地:じゃあその時は、理解はできてないけど、感覚的にそういうものが毛穴から浸透していったみたいな。

西田:そうだと思います。子守唄じゃなく、般若心経で寝るわけですからね。

宮地:なるほどね(笑)。いや、それは大きいですね。ということで、けっこういい時間になってまいりました。ありがとうございました。

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