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How to Differentiate Yourself as an Entrepreneur(全4記事)

10億ドル企業の“原点”は、顧客からかかってきた1本の電話 最初の起業で失敗した後に、気づきを与えた顧客の声

世界的なイノベーション&クリエイティブの祭典として知られる「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)」。2024年も各界のクリエイターやリーダー、専門家らが多数登壇し、最先端のテクノロジーやプロダクト、トレンドについて講演を行いました。本記事では、ジュエリーブランド「Kendra Scott」の創業者・ケンドラ・スコットの登壇セッションの模様をお届けします。大学を中退して挑んだ最初の起業の挫折や、そこから学んだ2つの教訓などを語りました。

起業家として差別化する方法

ジェニファー・リュー氏(以下、ジェニファー):「起業家として差別化する方法」についてのパネルディスカッションにようこそ。成人の約55パーセントが人生のある時点で起業しており、小規模ビジネスが米国の全ビジネスの99パーセントを占めています。

起業家であることは難しいことです。では、どうすれば他の多くの善意ある、素晴らしいアイデアと差別化できるのでしょうか? このセッションでは、過去の失敗から学び、自分らしさを見つけることで、起業家として成功する方法を明らかにします。

CNBC Make Itのシニアリポーター、ジェニファー・リューです。今回はケンドラ・スコット氏をお迎えします。ケンドラ・スコット氏は、ジュエリー&アクセサリーブランドの創設者、会長、チーフ・クリエイティブ・オフィサーです。

ケンドラ・スコット氏(以下、ケンドラ):よろしくお願いします。

ジェニファー:では、タイムマシンで90年代に戻るところから始めましょう。あなたはこの22年間でケンドラ・スコットを10億ドルのブランドに育て上げましたが、起業の道に入ったのはそれが最初ではありませんでした。まずは、最初のビジネスと、その経営から学んだことについて教えていただけますか?

ケンドラ: そうですね、私は小さい頃から、ものを作りたい、ものを売りたいという気持ちがあり、それは常に私の一部でした。自分の中で小さな火が燃えていたんです。

そして、何をしたいかを考えていた中で、ウィスコンシン州ミルウォーキーにあるギンバルスという小さなデパートでファッション・ディレクターをしていた叔母に惹かれました。当時、デパートで婦人服のファッション・ディレクターを務める女性はほとんどおらず、多くが男性でした。

しかし、行動力のある叔母は、フロアで販売員として働き始め、ディレクターにまで上り詰めました。彼女が私にファッションの魅力を教えてくれたんです。彼女のクローゼットに入って、彼女の服を着て、ミラノやパリのスライドを見せられると、私はウィスコンシン州ケノーシャの少女ではなくなっていたんです。

ファッションは私にとって魔法のようなものでした。彼女と一緒にいる時に感じるこの感覚を、みんなに届けたい。それが私の子どもの頃の夢でした。大人になって、子どもの頃の夢を生きていると言える人が、世の中にどれだけいるのかわかりません。でも私はその1人です。

最初の起業のきっかけ

ケンドラ:高校生の時、義父が脳腫瘍と診断されました。義父は2度のベトナム遠征を経験した退役軍人で、5ヶ国語を流暢に話す素晴らしい人でしたが、その瞬間、私の世界は一変しました。私が大切だと思っていたことが、突然、完全に別の方向に行ってしまったのです。家族として、私たちが愛するこの人をどうやって救おうかということでした。

でも、それが私のファッションへの情熱をかき立てたんです。「脳腫瘍がファッションとどう関係するんだ」と思うでしょ? 彼と癌センターに行った時に、化学療法を受けている男性や女性に会い、快適なヘッドウェアの必要性を感じたんです。

そこで私は、家にあった帽子の内側に綿の裏地を縫い付けて、それを癌センターに持って行って、出会った男性や女性にプレゼントしました。そして思ったんです。「どうしてもっと帽子店がないんだろう」って。

それで、私は19歳で大学を中退してビジネスを始めようと、帽子の会社を始めようと考えました。自分よりも大きなことをしたかったんです。小さい頃から大好きだったファッションを使って、良いことをしたかった。それで、ここテキサス州オースティンにHat Boxという帽子店を開きました。今もHat Boxはこの街にありますが、私の店ではありません。(現オーナーの)彼女が(私の店の)名前を引き継いだんです。

Hat Boxを始めた私は、100店舗以上、10億ドル規模のブランドになることを夢見ていました。1940年代のように、人々が再び帽子をかぶるようになると思ったんです。それを復活させるつもりでした。

今日、この中に帽子をかぶっている人は何人いますか? 3人。みなさんの大半は手を挙げませんでした。これが、私が最初の起業で失敗した理由、ビジネスが軌道に乗らなかった理由につながります。1940年代のように、人々が再び帽子をかぶり始めることはなかったのです。

でも、私はその小さな帽子店を5年間経営しました。大学を中退した私にとって、小売店経営は願ってもいない最高の教育でした。苦学の修士号でした。次のビジネスを始めるために学ぶべきことを教えてくれたのです。

一生忘れない「店を閉めた日」

ジェニファー: 5年でHat Boxを閉めたとおっしゃっていましたね。ビジネスやアイデアを手放す時って、どのように判断するんですか?

ケンドラ: ラーメンを食べる余裕がなくなったら、たいていの場合、物事が悪くなっている兆候です。四角いパッケージの35セントくらいのアレです。匂いを嗅ぐとじんましんが出そうになるんです。ああ、こればかり食べているなって。私はまさにそうでした。

毎日毎日、この仕事を成功させるために必死だった。ただビジネスをしようと思ってやっていたわけではなく、義父のためにやっていたんです。これが私が彼のためにできることだと思ったんです。そして、がん研究にお金を還元したかった。この恐ろしい病気と闘っている人たちを笑顔にしたかったんです。

このままではいけないと思ったのを覚えています。どうすればうまくいくかを考えないといけない。私はショッピングモールで店を始めましたが、余裕がなくなって食料品店の隣にある小さなショッピング街に移りました。立地が重要だと言われます。でも、当時の私はそのメモを持っていませんでした。

週7日働きました。人を雇う余裕もなく、時々母が手伝いに来てくれました。でも、ついにこのまま店を続けられない、やめようと思いました。店を閉めた日のことは一生忘れないでしょう。「閉店しました」と書いてある、ホームセンターで買うような安っぽい看板を置きました。そして、その日のうちにすべての什器を運び出しました。

私の心はボロボロでした。すでに義父は亡くなっていました。大学を中退し、学位も持っていなかった。友達はみんな卒業していた。そして多額の借金が残った。泣きながら外を歩いたのを覚えています。周りには「営業中」のサインを出す店がたくさんあった。私はスーパーの横の縁石に座って、カートを転がす人たちを見ていました。

義父が亡くなる前に言っていました。「失敗することもあるだろうけど、それも人生の一部だ。でも、その反対側には、素晴らしいことが待っている。恐怖の扉を突き破って、人生で次に起こることに心を開くんだ」って。

その言葉を思い出して、周りの「営業中」の看板を見て、「よし、挑戦を続けよう」と思いました。そして数年後、私はケンドラ・スコットを始めました。Hat Boxで学んだ数々の教訓は、私がビジネスを成功させるための土台となったのです。

閉店後に顧客から受けた電話で気づいたこと

ジェニファー: 数年後にジュエリー・ラインを立ち上げることになるわけですが、どうやって自信を取り戻したのですか?

ケンドラ: とてもいい質問ですね。私がケンドラ・スコット・ジュエリーを始めた理由の1つは、帽子店のお客さんが私に電話をかけてきたからなんです。帽子のことではなく、ジュエリーのことでした。

私は小さな帽子店のカウンターで自作のジュエリーも売っていて、並べるとその日のうちに完売するものもありました。でも、私は帽子を売らないといけないという意識が強すぎて、ジュエリーの人気に気づいていませんでした。この電話で、ジュエリーを試せるかもしれないと考えました。

私の親友たち、そのうちの何人かは今夜この会場にいて、このことを覚えてくれていると思います。私は自宅でジュエリーを作っていました。彼らが私の最初の顧客でした。ありがとう、みんな、感謝しています。

友人や家族は私のことをとても誇りに思っていました。「これを売り出せばいいのに」と言われましたが、私は自信を失っていました。笑われると思ったから、新しいビジネスを始めることを誰にも知られたくなかった。「Hat Boxで失敗したのに」「負け犬がまた新しいことを始めた」と思われると思って。だから、最初はほとんど何も言いませんでした。他の人が私を信じているのを見るまでは。

私の本『Born to Shine』にも書きましたが、私たちは自分の中に光を持っています。時にはその光が弱まることもあります。時には何かが起こり、自信を失ったり、輝きを失ったりします。でも、自分の中の光を見ることができる人が周りにいて、彼らの目にその光を見ることができれば、挑戦し続ける自信が湧いてきます。

私の家族や友人、そして人生で出会った人々が私をそこから引き上げてくれました。もう一度自信を持つのを助けてくれました。これはどんなことをしている人にとっても重要な教訓だと思います。ビジネスであれ何であれ、自分の人生で何をするにしても、 自分の中の光を見てくれる人たちに囲まれることです。

最初の起業失敗で学んだ2つの教訓

ジェニファー:小売業はとても競争の激しい分野ですが、あなたがジュエリー・ラインを始めるにあたって、ビジネスチャンスがあり、あなた自身がそのビジネスに適していると、どう判断したのですか?

ケンドラ: それはいくつかあると思います。1つは、Hat Boxの時に小売業者として他のデザイナーから帽子を買っていたことです。デザイナーは小売業者に買ってもらい、お金を得られれば、店で売れなくてもいいんです。誰も気にしない。

だから、自分のジュエリー・ラインを始めた時は、ある店で売れないものがあったら別のものに置き換えるようにしていました。ダメなら別のものを入れて、再トライする。小売店が売るためのお手伝いをしました。

「お客さまに直接お会いしたいです。関係を築きたいんです。トランクショー(上客だけに行う展示販売会)にお邪魔してもいいですか?」と声をかけました。魔法で売ることなんてできない。動き回るしかないんです。努力をすれば、努力した分だけ成果が出ます。

そんなジュエリーデザイナーは他にいなかったんです。私が店舗に提供したカスタマーサービスは、他に類を見ないものでした。

そして、私のデザインも他とは違うものでした。私はきれいな色の半貴石をユニークな形やデザインにしたかった。他のデザイナーはみんなと同じようなジュエリーを作ろうとした。ウッドビーズが流行った時のことを覚えていますか? あの時はみんながウッドビーズをやっていましたよね。

私は自分独自のやり方で、このカテゴリーのジュエリーを破壊するようなことをしたかったんです。もしあなたが自分のビジネスで、競合他社がやっているようなことをやっているとしたら......。私は多くのデザイナーが失敗したのを見てきた。彼らはただ、他の人がやったことをやろうとしただけなのです。

「あの人がやったんだから、私もやらなきゃ」ではダメ。私は100万倍上手くやります。しかも最初だけじゃなく、毎日それをしなければなりません。顧客サービスでは絶対に彼らを打ち負かさなければならないのです。

競合の状況を知らなければなりません。彼らが何をしているのかを理解しなければなりません。毎朝起きて、決して満足してはいけません。今日はどうやってお客さまを驚かせ、喜ばせるか。

オフィスを出て、店舗に行かなければなりません。カスタマーサービスの電話に出ることもあります。それが私たちが学ぶ方法であり、すべての起業家にとってとても重要なことだと思います。

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