Amazon、Google、ヤフーCEOの元右腕が登壇

アン・ハイアット氏(以下、アン):こんにちは。このセッションに参加できて、本当にうれしく思っています。まず、このセッションを選んでいただいたことに感謝します。サウス・バイ・サウスウエストのすばらしいところは、すばらしいプレゼンテーションや、学ぶべき人々に事欠かないということです。

実は数ヶ月前から、みなさんとお会いするこの瞬間のことを考えていました。私たちはこの700人を収容できる大きな部屋にいますが、ここでの私の目標は、みなさんがこの回をとても個人的なものに感じられるようにすることです。あなたが大きな目標を達成するためのスタート地点にいるのか、中間地点にいるのか、あるいはゴールに近づいているのかにかかわらず、それぞれの旅の助けになるように、この場を企画しました。

ここでの私のゴールは、私のキャリアを通して学んだ教訓のいくつかを通して、あなたの意思決定を加速させ、最大のゴールに到達する手助けをすることです。この講演の説明にもあったように、私が一番やりたいことの1つは、雑誌の表紙を飾ったり、食卓で議論されるような、今や有名人となった大物CEOにまつわる神話の多くを払拭することです。

私はこのような人たちの下で直接、あるいは一緒に働く機会に恵まれたので、彼らの習慣、性格、最良のやり方、最悪の欠点をとてもよく知っています。そして今日私がしたいことは、あなたが彼らのプレイブックを理解する手助けをし、また、最大の可能性からあなたを遠ざけているかもしれないこれらの神話を、あなたの頭から取り除くことです。

大学卒業間近でITバブルが崩壊したことで、得られたもの

アン:私は、まったく意図せずに技術者としてのキャリアをスタートさせました。私は家系史上初の非農家出身者です。両親ともアイダホ州のジャガイモ農場で生まれ育ちましたが、父はそんな生活は自分には合わないと考えました。それで空軍に入隊し、F-4ファントムIIを操縦する戦闘機パイロットに選ばれて、私は子ども時代の最初の10年間を過ごしました。

(父が)軍から引退したあと、1985年に家族でワシントン州レドモンドに引っ越しました。このたった1つの決断が、私の人生の進路を、両親が予想もしなかったようなかたちで変えたのです。私はレドモンドで、パーソナルコンピューティング革命の原動力となった家族や初期の技術者たちに囲まれて育ちました。

16歳の時に初めて就職したのは、ハーバード・ビジネス・スクールを卒業したばかりの2人の兄弟が設立した5人組の新興企業でした。私はシアトルのワシントン大学で国際学を学びました。

卒業したのは2002年で、ちょうど2つの重要な出来事の直後でした。1つはユーロが発足したことで、私は初めて新興のグローバル経済に目覚めました。それまで私は、言語や文化、旅行、そして自分とはまったく異なる生活や経験を持つ人々に興味を持っていました。でも、2002年にユーロが導入されたので、ビジネスチャンスや経済、それまであまり興味がなかったようなことについて研究するようになりました。

そのおかげで、「私たちは新しい方法で世界とつながれる」と気づかされたのです。そして、学部を卒業する直前に起こった2つ目の本当に重要な出来事は、インターネットバブルの崩壊でした。当時のシアトルはハイテクが盛んな街で、一夜にしてすべての仕事がなくなってしまいました。しかしその結果、他の方法では得られなかったような機会を得られたので、私にとって最高の出来事の1つとなりました。

創業期のAmazonでジェフ・ベゾスの下で働き、のちにGoogleへ

アン:私は少なくとも100社に履歴書を送りましたが、コールバックは一度もなく、面接も無料のインターンシップもなく、文字どおり沈黙の状況でした。大学在学中は、アルバイトを2つしました。スザロ図書館で本を並べ替える仕事と、キャンパス内のEUセンターで働きました。

そして、EUセンターの私のプログラムのディレクターは、私が卒業後に仕事を見つけるのに本当に苦労していることを知っていました。彼は、私のプランAが博士号を取って学者になることだと知っていました。(私は)本を読んで書くことを生業にするのが世界で一番すばらしい仕事だと思っていたのですが、博士課程に進む前に、実社会での経験が欲しかったんです。

そこで彼は、Amazonに応募することを勧めてくれました。彼の奥さんがAmazonで採用担当をしていて、Amazonが唯一の求人をしていることを知っていたからです。私がAmazonに応募しようと思ったのは、文字どおりそれだけが理由でした。その仕事に就くまでに9ヶ月かかりましたが、学部卒業後の最初の仕事は、Amazonの創業期にジェフ・ベゾスの下で働くことでした。

私は、会社全体の中で物理的に彼に一番近いデスクを与えられました。実際、それは彼が自分の手で作った有名なドアデスク(ホームセンターで購入したドアに脚をつけて作ったもの)の1つで、いつか博物館に展示されるかもしれません。でも、それが私のビジネススクールの始まりでした。

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