もうこんな生活はうんざりだ

私はほとんど死にそうでした。何か私を救ってくれるものが必要だった。当時私は27歳で、体はぼろぼろ、心は「誰か助けてくれ!」と叫んでいました。私は不動産ローン担当でした。誰もが欲しがるものはすべて持っていましたが、最低に惨めな気分を味わっていました。

スーツをオーダーメイドで仕立て、美しいネクタイの数々をコレクションし、パーソナルショッパーもいましたし、更にお抱え運転手までもいたのです。億ションで朝、目を覚まし、フェラガモのローファーに足を通してから運転手に電話します。「トニー。いいんだよ、別に数分遅れたって」運転手のトニーが遅れることで、オフィスに行く時間を数分だけでも遅らせることが出来るのですから。

正真正銘大箱に入った生活です。窓のない複雑なガラスの迷路のような大箱に。毎日この大箱の中で11時間を過ごします。適格投資家に対し、ローンを売るセールスの電話をかける。そして投資家との良好な人間関係を築くために私の時間と情熱をすべて捧げました。しかしこの人間関係とは保つことすらできない儚いものです。この投資家達にローンが下りれば後は銀行本体とのやり取りとなり、私は必要なくなります。

そして、私はまた次の投資家と人間関係を築くのです。シーシュポスになったような気分でした。シーシュポスとはギリシャ神話の王で、大きな岩を山頂まで押していく、そしてその岩を山頂まで押し上げるとすぐにそれは転げ落ち、再度下から山頂まで押していく、そしてまた岩は山頂にたどり着いた瞬間に落下する、これを永遠に続けるという罰を受けた男です。あの仕事は、どうせなくなる人間関係を築く為に必死になるゼロサムゲームでした。お金を得る為に時間を費やしていました。

自分の好きな時間を取り戻したい

私は仕事を辞めることにします。私の自宅バルコニーから従兄のブランドンとサンフランシスコの街を眺めている時に、彼に生涯忘れられない一言を言われたのです。「おい、これって本当に百万ドルの価値がある景色なのか?」

そして彼は続けました「俺は危険なエリアにある小さなアパートで、好きなように時間を過ごしていたほうが幸せだった気がする。自分の時間を、サックスを演奏したりして過ごすことができた。」その時「本当にその通りだ!」と思いました。自分の好きなように過ごす時間を取り戻したいと。

皆さんの中に、時間を取り戻したい、自分の好きなように過ごすことが出来る時間が欲しいと思っている人はどれくらいいるでしょうか? 会場のほとんどの皆さんの手が挙がっているようです。それが、私がその時感じたことです。

翌日オフィスへ行き、荷物をすべて整理していたところに、私のボスのマイキーが三つの有力投資家案件を持ってやってきました。「君にこの案件を担当してほしいんだ」と。マイキーは私が知る中でも最も理解があり、興味深く、素晴らしい人間の一人です。しかし、その三つの案件を見て私は思いました「この三つの案件とはつまり、更に新たな三人といずれ消滅する人間関係を築くことなんだ」私はボスのマイキーをハグし、荷物を持って複雑なガラスの迷路の大箱を後にしたのです。

時間はお金では買えない

その時、とてもワクワクしていました。なぜなら、その時私は人生でものすごく価値あることを学んだからです。

それは「お金を稼ぐ為に時間を過ごすことは出来るが、お金を使って時間をつくることは出来ない」お金を得るか、時間を得るか、二つに一つです。つまり私が人間関係を築くことに費やした時間のほうが、私がその見返りにもらっていたものよりも価値があったということです。なので、私は仕事を辞めました。

しかし、なんだかどうしたらいいのかわからなくなってしまいました。私が生きていた人生は、一日の大半が窓のない大箱の中にありました。その収入で買っていたもの、億ションの月々の支払いなどが、私が本当にやりたいことの邪魔をしていたのです。「この状況を打破する為の方法があるはずだ」と考えた時、私は自分の所有するモノに所有されていたことに気がつきました。

私は従兄のブランドンと億ションに住んでおり、彼はナイトクラブを経営していました。彼は本当に素晴らしい髪の毛を持っていました。本当に素晴らしいんです。「ブラッド。俺の秘密を教えてやろう。もしもクラブ経営に失敗したら、ヘアモデルになろうと思っているんだ」

(会場笑)

でも彼は真剣でした。私はそれをおかしく思っていました。外から見ると彼もまた皆が羨む人生を送っていました。しかし、彼もまた私と同様に惨めな人生を送っていたのです。彼はほとんどの時間をクラブの中で過ごし、自分がやりたいことの為の時間などなかったからです。

それがもうひとりの従兄のマシューは全く逆でした。彼は地元のオーガニックフードストアのバイヤーでした。服は古着か自分でつくり、自分の時間を全く好きなように過ごしていたのです。自転車に乗ったり、友達と遊んだり。ラグジュアリーなマンションに住む私が持っていないものを彼は持っていました。

マシューは彼の時間を自分のものとして使っていました。彼は自分の人生を所有していました。自主性を持ち、自分で自分の時間を選ぶことが出来るということ、これは私達が所有出来るものの中で最高に価値があるものです。

思いました。もしも自分の時間を買い戻したいのであれば、自らのイメージを売らねばならないと。冬服をかき集めて、袋に詰め、空港に向かう前に寄付しました。

エコビレッジ設立を夢見てジャングルへ

パナマのジャングルのど真ん中に行きました。メキシコから南へ、熱帯雨林をかき分けて大冒険です。

私達が探していたのは、失われてしまった楽しい思い出です。ワシントン州に家族が持っている牧場がありました。昔は夏になるとそこを訪ね、従兄たちと遊び、彼らの庭仕事を手伝い、森の中の沼地のそばに秘密の隠れ家をつくることができる完璧な木がないか探したものです。しかし土地開発業者がやってきました。彼らは森を壊し、沼地を埋め、私の父が自分で建てた家を壊したのです。

私達は誰にも壊すことの出来ない心の中に生き続ける思い出を再現しようとしました。自然の青写真から成るそれを。コミュニティ、そして持続可能性があるそれを。家族として辛い時を一緒に乗り越える団結力を。

食べ物は自家栽培で、都市に住む人々を招き、自然の中でツリーハウスに住みシンプルに生きる喜びや、エコビレッジで皆と一緒に共同生活をする楽しみを味わってもらえるようなことがしたいと思っていたのです。

中央アメリカのすべての国を九ヶ月かけて周った後、探していたものにたどり着きました。パナマのコーヒー農場です。そこは生態学的パラダイスでした。彼らのオペレーションシステムは、生物の生態と同じように出来ていました。森がコーヒーを育てる農場であり、コーヒーの苗は何ひとつムダになることなく森のエコシステムに還元されるのです。

大人として、この遠い遠い森にやってきて、私達はまた子供の心を取り戻し、探していたものをとうとう見つけることが出来ました。しかしそれも長くは続きませんでした。パナマの森もまた危機に直面していたからです。外から人を招いて、自然の素晴らしさを味わってもらうことは簡単ですが、なにせ彼らがもといた街に戻ろうとしないのです。

(会場笑)

家族で立ち上げたコーヒービジネス

百人ほどの人が外から移り住み、土地を買い、引退後の家をそこに建てています。ある夜パナマの地元のバーで、私達は計画を立てました。この楽園から街に素晴らしいものを持ち帰ろうじゃないかと。その夜「Bicycle Coffee」は誕生しました。

家族で立ち上げた会社です。寒く、冷たい風が吹くサンフランシスコに戻ります。バイシクルコーヒーのアイディア、そしてこれからのことを考えてワクワクしていたものの、「セーターをひとつくらい残しておけばよかった」と後悔しました。サンフランシスコは中央アメリカの何倍も寒いですから。

従兄たちは彼らの友人宅で寝泊まりし、中華鍋とスプーンでコーヒーを焙煎しました。焙煎といいながら、実際私達はコーヒーを燃やしていました(笑)。コーヒーを燃やしてしまいましたが、回を重ねるごとに何かを学びました。間違えてしまっても、コーヒー豆がいくつか燃えてしまうだけの話です。

過去を振り返ると、私がゴールに向けて何かを始めることが出来なかったのは、達成したいことが「無謀すぎる、遠すぎる、そんなことは無理だ」と思って、それに向かって行動を起こすことが出来ませんでした。

しかし、絆の深い仲間と一緒だと、成功までの全力疾走のレースだ、マラソンだ、と見るよりも一歩ずつ一歩ずつと捉えることが出来ました。

私達はそれを楽しみ、少しずつ物事を改善していくことに集中しました。そして、それを地元の人達と共有しました。中華鍋とスプーンから大きくアップグレードし、焙煎器材も手に入れました。私達は手でコーヒー豆を挽き、最初のカフェの準備を進めました。

カートと自転車をくっ付けて、移動式コーヒーショップを作りました。近所をその自転車で走り、地元の人に無料でコーヒーを配ります。ひとつ配るごとに私達がどのように始めたか話をしました。

皆さんに喜んでもらいました。多くの人が私達の話に耳を傾け、是非協力したいと言ってくれました。皆に私達のビジネスを知ってもらう必要がありましたが、資金が全くありませんでした。

そこで私達は「0ドルマーケティングプラン」を練りました。カートと連動させた自転車を、大好きなファーマーズマーケットの向かい側に止め、看板を出して、人がこちらに来てくれるのを待ちました。うれしいことに、多くの人が興味を持ってやってきてくれました。

そして、その次の週のファーマーズマーケットにも私達は顔を出し、看板を出すと列ができました。友人に言われたことがあります、「ネットワークづくりは大変だぞ。でもやるんだ。するとネットワークが必ず君を助けてくれるようになるだろう。」

列に並ぶ人が毎週増えるごとに、もう一台の自転車では事足りなくなったので、自転車を三台追加しました。焙煎器も大きなものに変えました。従兄たちと夜中交代しながら、焙煎しているコーヒーの様子をチェックしたことを覚えています。

仕事の価値は内容ではなく情熱

何か壁にぶつかる度に、私達は考え、デザインし、それをつくってきました。私達のコーヒーは、私達が一緒に訪れたパナマの森農場で育った豆を使っています。私達でつくった20ポンドのコーヒー豆を焙煎することができる器材で少しずつ生産しています。

コーヒー農家の人が言っていました、「自分の仕事が何かよりも、それに対して自分が持っている情熱が大切なのだ」と。自転車に乗って、コーヒーを配達することが私達のセールスポイントです。自転車で周ることで、地元のコミュニティとより繋がることができるからです。

皆が自分の仕事にワクワクする世界、少し怖気づくくらいの大きなゴールを設定するような世界、そして大きなゴールを達成する為に必要なステップを踏む、自分がどんなものを所有しているか、いくら持っているかなど気にせずに挑戦し、それを常にコミュニティと共有する、そんな世界が来ることを願っています。「そんな世界になるはずがない」という人もいますが。

時にはコーヒーはまだほかほかしていることもあるんです。

クライアントに「ビジネスが大きくなってきたから自転車以外でデリバリーする必要が出てきたんじゃない?」と聞かれることがあります。私の答えはいつも同じです「私達のコーヒーを自転車で配達することをやめたら、私達の会社はBicycle Coffeeではなくなってしまうじゃないですか!」

(会場笑)

今日この会場の上のほうにひとつ空席を取ってあります。これは私の従兄のブランドンです。

今日のこのスピーチ、私の仕事、そしてBicycle Coffeeを彼に捧げます。ありがとうございました。