メガベンチャー4社の共同イベント開催

馮富久氏(以下、馮):BIT VALLEY 2018、オープニングKeynoteを始めたいと思います。ただ今ご紹介いただきました、本日司会を務めます馮と申します。大変すばらしい3名で、このお三方が並ぶのはそうそうないと思いますので、私も楽しみにしているんですが、お時間も限られているので、さっそく始めたいと思います。

このBIT VALLEY 2018は、サイバーエージェント、DeNA、GMOインターネット、ミクシィの4社によって、「渋谷でエンジニアとして働くことは楽しい」を伝えることを目的に開催されているイベントです。今日はそのなかから3名。3社からお越しいただいているということで、さっそく、自己紹介をたぶんされなくてもみなさんご存知だと思うので、テーマに入りたいと思います。

まず最初に、今回、渋谷という場所にまた改めて注目が集まっているなかで、なぜこの渋谷がこのタイミングで注目を集めているのか。そこで、この20年近く、起業された後も拡大を続けているメガベンチャーの各社から、「渋谷、再発見」というテーマでお話いただきます。では、さっそくなんですが、熊谷さんからお話いただいてもよろしいですか?

熊谷正寿氏(以下、熊谷):はい。まず最初にオーディエンスの方がどんな方か、ちょっと分析したいです。(質問を)1、2問だけしていいですか?

:はい、お願いします。

熊谷:みなさん、2、3個教えてください。ビットバレーという言葉をこのイベント以前からご存知だった方、ちょっと手を上げていただいていいですか?

(会場挙手)

なるほど、みなさんけっこうご存知なんですね。エンジニア志望の方、ちょっと挙手してくれる?

(会場挙手)

うん、そうですね。起業家志望の方。

(会場挙手)

うん、なるほど。エンジニアかつ起業家志望の方。

(会場挙手)

うん、なるほど。はい、だいたいわかりました。改めまして、GMOインターネットの熊谷です。今日はどうぞよろしくお願いします。

熊谷社長が語る渋谷の20年

熊谷:「渋谷発、老舗メガベンチャーから出た20年」ということなんですが。いまもそこで記者さんとの撮影と囲みがありましてお話いたしましたが、僕らは23年前の1995年に青山で事業を開始しました。

事業をスタートして、インターネットの波に乗ったら、急に人が増えてきて、渋谷にオフィスを移転しなければいけなかった。その時、青山は家賃も高いし、場所もなかったんですね。結果、渋谷という場所に消去法的に移転してきたんです。

先ほど長谷部区長にも笑い話としてお話したんですが、当時は都落ちだと思って、「いつか青山に戻ってやる」みたいなことを社内で言ってたんですが、結果、23年間振り返ってみると、この渋谷のさまざまなパワーに助けられて、今に至ったなと思います。

渋谷って、区長の言葉にもありましたけど、「多様性」という言葉に集約されると思います。この多様性がグループの成長を支えてくれたと思っています。23年間で、100名に満たなかった仲間たち、うちのグループのパートナー(従業員)は、いまは5,600名まで増えています。1年に新卒のみなさんを含めて、数百名増えている計算なんですけども、それを支えてくれたのは、やっぱりこの渋谷のパワーだと思います。

私が事業を開始してから2、3年経った頃、東急文化村の裏にあったネットエイジさんというインキュベーターの西川さんという方を中心に、ビットバレーができました。

僕もその場に立ち会わせていただいたんですが、BITTER VALLEYという名をもじりました。「もうちょっとカッコよくしよう」というシンプルな考え方で、ビットバレーという名前になりました。15人か20人ぐらいのベンチャーが集まって、当時のウチの会議室で第1回目の会合が行われたと、昨日のことのように覚えています。

その後、僕は1999年の8月27日にジャスダックに上場させていただきまして、上場時の時価総額が1,200億円になりました。それを渋谷の円山町にあるクラブで行われたビットバレーのパーティーで、2、300人の集まったベンチャーのみなさんにご報告して、その場が湧いたことを、また昨日のことのように覚えています。

区長のお言葉にもありましたが、「再興」という文字が今回のイベントで使われているんですが、そのビットバレーはなくなったのか? 僕らはまったく、そんなことを考えることすら時間的な余裕がなくて、毎日毎日走り続けて、23年経っちゃった。いまフッと「再興です」って言われると、「あれ、なくなったのかな? ビットバレーってずっとあったんじゃなかったっけ」というような感覚に襲われています。

すばらしい今回の運動だと思いますので、グループを挙げてこのビットバレーの再興運動に協賛したいと思っております。どうぞみなさま、よろしくお願いいたします。以上です。

(会場拍手)

:どうもありがとうございました。非常に貴重なお話をいただきました。

DeNAにとって「渋谷は本当にホーム」

:それでは、続いて南場さんのほうからお願いいたします。

南場智子氏(以下、南場):はい。私たちは1999年に立ち上がった会社ですから、来年の3月でちょうど20周年になります。(会社の居場所は)ずっと渋谷です。だから、渋谷はどういう場所なのかというと、すべてが渋谷で行われたので、私にとっても、DeNAにとっても、渋谷は本当にホームと言える場所です。

ビットバレーについては実を言うと、「会合があるよ」って言われて、1回出て、気が付いたら、ステージの前に立たされていて、「がんばろう!」みたいなことを言って。私は人がたくさん集まる場所が苦手なので、その1回だけで、あんまり集まりに来たことはないんです。

ですから、ビットバレーとか渋谷とかという意識ではなく、DeNAの歴史がそこで刻まれた感じがします。例えば、最初の私たちのサービスを立ち上げるために借りたのが20平米ぐらいのアパートです。それが渋谷の東急本店通りから歩いて10秒ぐらい入ったところで。そこからちょっと出世して、東急本店通りにもう少し近いところまで出ました。

それから、データベースのデータをパージしてしまうという大事件が起き、朝の5時から3時間ぐらい、うちのエンジニアのトップのアパートの前で私が叫び続けた事件も東急本店通りで起きてます。

:ずっと南場さんがいらっしゃって?

南場:そうですね。サービスのローンチが完了した晩に飲みすぎたエンジニアが自宅で爆睡してしまっていて、叫んでもなかなか起きてこなくて、3時間叫び続けました。

あと、家に帰ってる時間はなかったので、ずーっと会社で寝袋で生息しているメンバーが多く、なかにはアパートの家賃がもったいないので、家の住民票をそのまま事務所に移してしまったとか、そういう仲間がいました。ですから、もうすべてが渋谷で行われているので、あまり意識がないのが正直なところなんです。

ただ、一時確かに騒がれていたビットバレーが、あんまり言われなくなりましたよね。

:そうですね。

南場:それはいろんな要因があると思いますが、ひとつには、私たちテックカンパニーの生業や空間がネットに閉じていた時代は、リアルな空間をワッショイと盛り上げるにはパーティーや、広告の看板ぐらいしかありませんでした。

この数年でテックカンパニーの活躍領域がリアルにもグンと出てきています。そうすると、活躍がもっとリアルな空間で目に見えるようになる。

この時代にもう1回、「ビットバレーを意識してがんばろうよ」ということは、私たちにとって20年という節目だからというだけではなく、物理的な空間にポジティブなインパクトを与えられる仕事に我々も本気で取り組もうとしている時ですので、非常にいいタイミングだと感じています。

:ありがとうございます。

かつてのビットバレーには「パリピ感があった」

:では、最後、藤田さんもお願いします。

藤田晋氏(以下、藤田):サイバーエージェントは1998年3月創業なので、今年の3月にちょうど20周年を迎えています。それで、第1回のビットバレーのブームが、1999年から2000年にかけて起きたので、その真っただ中にいました。

僕が渋谷で会社を創業したのは、自分が青山学院大学卒業でこのあたりに詳しかったことと、あと、若者の優秀な人を採用しようと思うと、大手町や新橋とかで採るよりも、渋谷のほうが採りやすい。ただそれだけの理由だったんですけど。

ビットバレーというブームにはやっぱり乗っとかないといけないので、これは間違いないと思いますけど、とりあえず「ええ、我々はビットバレーです」と取材に答えたりして。おそらく、(ブームが)2000年まで続いた。

僕の考えでは、ビットバレーの時にネットバブルが起きたんですけど、その時に盛り上がりすぎて、マスコミがすごく注目しました。それ以降ほとんど誰もビットバレーという言葉を口にしなくなったのは、一気に株価が急落して、ものすごくネット企業が叩かれた時に、もうビットバレーという言葉を出すのが恥ずかしい、という状態になっちゃったんですね。

そこで残念ながら、その言葉が廃れた。それから何年か経って、いま私、新経済連盟の理事もやってるんですが、そういったところでも新産業を育成するのに、シリコンバレーのような集積効果を狙う必要があるので、「渋谷を拠点にしたい」という話がたびたび出てくる。それはこの社会にとっても意味があることだと思います。

1999年から2000年当時にかけてのビットバレーは、期間が短かったこともありますが、株式市場の熱狂、異様な株高を背景にして、そこに対してVCや証券会社の人がいっぱい集まって、アイデアを持った起業家がいて。

実質はネット株が(ブームの)中心にあったんですが、その時はサイバーエージェントの社員が100人程度だったのですがそこから時を経て、現在サイバーエージェントでは社員や有期雇用を合わせると、8,000人以上がこの渋谷で働いています。GMOもそうだと思うんですけど、非常にたくさんのエンジニア、クリエイターが集まる場所になっていて。

あと、さっき南場さんが「パーティーがあんま好きじゃない」と言いましたけど、第1回の時はかなりパリピ感があったんですね(笑)。ビットバレーの集い、とくに一番有名な集いというのは、クラブで行われたぐらいですから。ですが、今日の会場のみなさん見てわかるとおり、パリピ感はない。

(会場笑)

浮かれた感じというよりは、しっかり地に足がついているというか、技術を背景としたものに変容しつつある。しかも、渋谷という街にこういうふうに相変わらず集まっていて。そこで、同じ名前ではあるんですけど、「BIT VALLEY」という名前を再度やっていこうというのは、絶妙なタイミングだと私は思います。

:ありがとうございました。お三方からこの20年の振り返り、そして、エンジニアに対する期待感というのが少し聞こえてきたんですけれども。

ITに理解のある渋谷区長の存在

:テーマ2では、そのエンジニアも含めて、新しい価値創造・価値提供を出していくことで、人材育成、コミュニティ育成、企業文化の醸成といったあたりを、経営者、起業家目線からどう思っているか。また、エンジニアに対する取り組み方について、うかがいたいなと思っております。では最初に、藤田さんから今度はお願いします。

藤田:ちょっと質問に答えてるかわからないんですが、渋谷発ということで、実は、渋谷はやっぱり若者受けがいいから、渋谷でオフィスを探すことが多いんですけど、オフィスがないんですよ。しかも、たくさんネット企業とか新しい会社が集まってきて、その会社が拡大するとまた1部屋ずつ(探す)というサイクルなので。

昔は坪単価が驚くほど非常に安かったんですね。大手町とかと比べると半額以下じゃないかというぐらい安かったんですけど。それがどんどん雑居ビルでも高騰していって、しかも供給量がない。

それが一気に変わりつつある。なぜなら、渋谷の街を見たとき、東急さんがものすごいたくさんビルを作っています。それができあがると、一気にビジネス都市に変わっていく。

そこに入る会社だけでものすごい総量になってきますので、働く場所としての存在感が今高まってます。13日からオープンする「渋谷ブリッジ」(ホテル、カフェ、オフィスなど多様な用途に使用できる複合施設)を皮切りに、これからどんどん盛り上がっていく。そうしてビジネス環境が整っていく。

しかも、今、エストニアに足を運び、若くてやる気があって、ITに理解が深い渋谷の長谷部区長がいます。これはまたとないタイミングなので、一気に推し進めるチャンスが来ていると思いますよね。

あと、仕事の面じゃないかもしれないですけど、ビットバレーをやっていく上でもう1つ欲しいのは、このいい名前がついているし、この環境面が整っているなかで、やっぱり象徴するような施設なのか、ちょっと言葉が軽いですけど。インスタ映えするような聖地というか、そこで写真が撮られる、取材に来てくれるような場所があると、さらにビットバレーが盛り上がってくるんじゃないかなと思います。

:ありがとうございます。では、南場さんいかがでしょうか?

DeNAに根付く「永久ベンチャー」

南場:DeNAのDNAは「挑戦」なんですよね。挑戦をやめたらDeNAじゃない。DeNAって実はやっている事業がどんどん拡大してきています。創業時はEコマース専業の会社だったのが、次々と新しい事業の柱を追加していってる気分です。

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