2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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横山弘毅氏(以下、横山):ライさん、ありがとうございました。ここからはライさんと先ほどお話しいただいた河南さんと、今日北海道から帰ってきて参加してくださった、元Appleの増田さんの3人にパネルディスカッション的にお話をうかがっていきたいなと思います。ここからモデレーターは佐藤さんにバトンタッチさせていただきます。よろしくお願いします。
佐藤孝治氏(以下、佐藤):河南さん、ライさん、プレゼンテーションありがとうございました。みなさん、どうですかね。(私は)大変感動いたしまして。
私自身、ジョブウェブという会社を経営しているんですけれども、実は2月7日に脳内出血で倒れまして。(脳の)左側から血が出まして、右側半分が右半身不随になり、92日間入院しました。5月10日に退院をしまして、まさに絶体絶命の状況のなかで生きて帰って、今非常に元気に動いているんですけれども。
私は、わりとこういう場でプレゼンテーションやパネルトークをするのが大好きな人間です。本当に入院してた時に「こんなことができたら超幸せ!」と思って、病院のベッドの上でオリンピックを見てたんですけれども、もう今日は超幸せでございます。そんな私がナビゲーションさせていただいてですね。
実は私、大学生の頃にMacが大好きで、LC630にするかPower Macにするかで悩んで、親に「お金をちょっとちょうだい」と言って、Power Mac 7500を買いました。パソコンを買ってもメールを送る先が相手がいないとダメなので、僕のゼミのメンバーに「お前買え」「お前買え」と言って、周囲の全員にMacintoshを買わせて、全部セットアップしてやっておりました。
そして、全員テレホーダイでネットにつないで、「なんで世の中はWindowsなんだろう?」「みんなおかしいんじゃないか」と思ってですね。周りからは、僕らがクレージーと思われていたんですけれども。
ちょうどあの「Think different」のCMを見て、「そうだよ。俺たちクレージーだぜ!」「世界を変えるんだ」と思っていたら、あれよあれよという間にMacintoshが、Macが世界を席巻していって、世の中がようやく(追い)ついてきたなと思いながら、今日に至っていると。
ですから、大学生のみなさんなど、Appleが大変だったなんてぜんぜん知らない世代の方ももいらっしゃるんじゃないかと思うんですけれども。
佐藤:そして、ライさんと実はまだ名刺交換もしてなくて、(今日は)「はじめまして」という感じでみなさんと同じようにライさんのお話をおうかがいしました。なんていうんでしょうかね、幸運を捕まえて生きてこられて、そして恩返しをしたいという思いを持って活動されていらっしゃるという。
本当に(お会いしたのは)初めてなんですけれども、ライさんのこれまでの人生を思って。本当にご苦労もされてきたでしょうし、喜ばれたことも幸せなこともたくさんあったし。そして、日本のソフトバンクで働いていらっしゃるということで、ソフトバンクすごいなと思ったりしておりました。
そして、増田さんは河南さんの元部下ということで、まず最初に自己紹介をしていただければと思います。
増田隆一氏(以下、増田):私は今年49歳で、Appleを辞めて13年ぐらいですかね。Appleには10年ちょっといたんですけれども、最近、今の会社で若手と会話をしてると、AppleといえばiPhoneの会社だといって、当時のピンチだったAppleをまったく知らないし。
仕事をやっていて「増田さん、なんでそんなアイデア出てくるの?」とか「なんでそんな取り組みしたがるの?」と言われると、「うーん、やっぱりAppleで働いていた影響がでかいかな」と思っていました。
「Appleで働いたら、増田さんみたいになれるんですか?」と言われた時に、「ああ、そっか。若い世代の人たちはAppleが逆境だった時代を知らないんだな」ということに気づいてですね。
先ほど「cloudpack.media」という自己紹介のスライドに入ってましたけれども、URLはそのままです。cloudpack.mediaと入れると、私が編集長をやっていたブログサイトが出てきます。
そこで(Apple時代の)元上司の河南さんに登場していただきまして、当時の「Think different」のお話をして記事を出させてもらったところ、けっこう反響が大きくて、今日この場に呼ばれたという経緯でございます。
実は私は今けっこう微妙な立場で、自己紹介がすごく難しいんですよ。ちょっと「Think different」が行き過ぎてしまって、先週の金曜日に会社を辞めてきてしまって(笑)。
(会場笑)
佐藤:おめでとうございます。
増田:ありがとうございます。次の会社は決まってるんですけど、1ヶ月ぐらいの有給消化中なので、一応現職という立場で今日はお話しさせていただければと思います。
現職はAmazonのクラウドを使ったSIerのマーケティングの責任者をしています。1ヶ月後には違う会社でまたマーケティングをやっているはずです(笑)。ということで、すみません。自己紹介が長くなりましたけど、よろしくお願いします。
佐藤:拍手をお願いいたします。
(会場拍手)
佐藤:今日は、本当に「Think different」をはじめとするさまざまなチャレンジをわりと(河南さんと)お二人でやっていらっしゃったということで、両面から見ながらお話をおうかがいしたいなと思います。
最初に、この絶体絶命から突破して「Think different」の不屈のエピソードということで、たぶんいろんなご苦労をされていらっしゃったことがあるんじゃないかなと思います。まずは河南さんから実際に「Think different」のプロジェクトや巨大な屋外広告、山手線ジャックの話もさっきお聞きしたんですけれども、どんなプロジェクトでなにが大変だったのかをお聞きしたいです。
河南順一氏(以下、河南):スティーブ・ジョブズが戻ってきて、やることは今までと180度変わった感じですね。すべて「こんなことできっこないよね」というのをやらなきゃいけないというか。これって広告だけじゃなくて、増田さんがやってきたいろんなことも含めてなんですけど。あと、ビジネスモデルそのものもすごく変わったというかたちですね。
その1つの例がこれです。これはもうない建物ですけど、渋谷の東急文化会館で大きな広告の写真です。東京都の条例では屋外広告で100平米以上のものは出しちゃいけないんですね。(でも)これは優に500平米以上はある。
佐藤:完全に違反な状態ですよね。
河南:ということで、スティーブの考え方というのは、とにかくFocus & Impact。あるところに集中的に集中して、そこでインパクトを最大化するということで。ここに大きな広告スペースがあるので、ここを最大化するのにチャレンジしたものなんですね。
これは東京都条例違反かと社内で議論しまして、「東京都の条例違反の罰金の金額は大きくなくても、さすがに確信犯でやるわけにはいかないよね」という話があったとかなかったとか。
これは、ちゃんとよく目を凝らして見ると、実は筋が入っていまして、ちゃんと条例に合ったものをたまたま並べてみたら、こんな感じになっていたということでですね。
(会場笑)
佐藤:これが広告枠ですか?
河南:その四角いものがそうです。ということで、いろんな制約がある中でもなにかを考えるとその道が開けるというところで、みんなが必死になっていろんなことにチャレンジしたという。
佐藤:これはどういうときにアイデアが出たんですか? 「これでいけるんじゃないか」って。
河南:実際は広告代理店と一緒にやるんですけど、いろんなところで、さっきのあの「赤い星に実験室が見えるか」という(ことを考える)感じですね。
どこかを眺めていて、「ここは広告スペースとして売ってないんですけど、ここに出たらインパクトあるよね」というところで、そこから交渉する。そういう条例がある中で、どうやってそれをクリアするか、実際にそこを使わせてもらえるかというところを開拓していった感じですね。
佐藤:これができたら気持ちいいですよね。
河南:そうですよね。
佐藤:あと、山手線ジャックは相当考え抜いたという。
河南:そうですね。(一つは)インパクトを出すところで、もう一つはやっぱりAppleのイメージを最大化するところで。交通広告はみなさんも普通に目にすると思います。駅に広告が貼ってあったりしますけどね、広告代理店に「ここを交通ジャックしたい」とお題を出すと、提案がくるわけです。
Appleの場合は、普通に広告スペースを出すだけじゃなくて、Appleのおしゃれなイメージを最大化するものにしなくちゃいけないということで、実は、提案としては、例えば全山手線の駅に広告を貼れるように提案がくるわけですね。その1つのパッケージでお金を払うわけです。どこ(の駅)とは言えませんけど、
Apple:「この駅とこの駅ってぜんぜんイメージが違うんだよね。おしゃれなところだけに出したい」
広告代理店:「いやいや、これは全駅でパッケージになってますから、(減らしても)お金は一緒ですから」
Apple:「いやいや、そのAppleのイメージを最大化できるところだけに出したい」
広告代理店:「いやいや、もう全部買ってあるので。パッケージになっているので、ほかの企業に部分的にスペースを渡すわけにもいかなくて」
Apple:「いやいや、Appleはイメージを一番伝えられるところだけに置くんだ」
とかいうやりとりがあって、イメージに合う駅だけに(広告を)出して、あとは白紙の広告を貼ったという感じですね。
佐藤:白紙の広告をお金を払って貼った?
河南:もちろん、お金を払ってですね。その白紙も、これはとにかくイメージが良くなきゃいけないということで、白紙を貼ってある画鋲もそのへんの銀の画鋲じゃダメで、ちゃんと白にマッチしておしゃれな感じの白じゃなくちゃいけない。なんにも広告してる中身はないんですけど。
というところで、これも広告代理店とアップルの担当者が非常に頭を悩ませて、広告を出さないところでそのまま出さないか、広告を出さないところもおしゃれにするけれど、そこにはAppleのクリエイティブはなにも出ない。そういうこだわりがありました。
佐藤:日本に広告(を出)しても、スティーブ・ジョブズからそこまで指示が出てくるわけですね。
河南:細かいところは任されるところもありますが、原則はスティーブの承認が必要でした。ブランドには非常にこだわっていて。ブランドが失墜したので、彼がそれを取り戻したいということで帰ってきましたので。
佐藤:そこまでやったら、仕事人としては鍛えられますね。
河南:まぁ、(そう)ですよね。担当にもスティーブの意志が乗り移ります。
佐藤:増田さんもいろんなことで悩まされて。お聞きするところによると、iMac、物流イノベーションであるとか価格イノベーションなどでご活躍(された)というですね。
増田:それは私がやったわけじゃなくてですね。私はどちらかというと、河南さんの延長でやっている者だったので。さっきスライドで一瞬だけ「Apple Store-in-Store」というちょっとMacworld Expoをそのままお店に持ってきたような写真があったと思うんですけれども、そのビジュアルマーチャンダイジングの担当者でした。
一番やっかいだったのは、発表当日の朝まで、Apple Japanのほとんどの社員が製品発表を知らないんですよ。発表日の早朝に営業が召集されて、初めてその場で製品の情報を手に入れる。そういう機密性の高い仕事をやっていたので、「今日から発売です!」と言われても、販売店の人たちはそのあとに知ることになる。
私は、お店のStore-in-Storeというコーナーの装飾・施工とか配布されるカタログ等の制作担当だったので、一応1週間半ぐらい前に教えてもらっていました。そこから「新しいiMacがこういうの出るよ」「iBookのこういうのが出るよ」というと、場合によってはクパチーノ(当時のApple本社所在地)まで出向いて、そこで日本向けのローカライゼーション作業をしてデータをこっそり持って帰ってくるようなことをやるんですね。
日本で印刷所を3日間とか借り切って、警備員に立ってもらって印刷所を完全封鎖したり、その状態でポスターを刷ったり店頭のカタログを刷ったり。
印刷所のおじさんたちにも、「これが刷りあがるまで帰らないでください」とか「帰っても見たものを一切口にしないでください」って。いわゆるNDA(秘密保持契約)って、どこでもありますけれども、そんな感じなので、英語で「しゃべったらぶっ殺す」というようなことが書いてあるわけですね(笑)。
(会場笑)
NDAにサインしてもらって刷ったあとは、秘密の倉庫にカタログとかポスターとかをこっそり納品して、発表の日を迎えるわけです。
関係者が新製品を知るタイミングで、配送業者が一斉に集合しておいて、遠い店舗から「開店までにこれを届けてくれ」と配達を頼むわけです。「はい、あなたは一番手ね!柏のお店から行きますよ」という感じで出荷して。お店の開店と同時に、発表したばかりのピカピカの新製品のカタログとかポスターが、とにかく目立つ場所にでっかく貼られるわけです。「やれ」と言われたので必死になって考えましたけど、非常に苦労した思い出がありますね(笑)。
増田:物流改革に関しては、僕の上司や別部隊のスペシャリストががんばっていた話なので、僕は受け売りで当時の話をブログに書いたりしてますけれども、iMacって全部空輸で運ばれてきていたって言ったら、みんなたぶんびっくりしますよね。あの大きい箱が船ではなくて、毎日のように飛行機でじゃんじゃん届いて、「入荷したら、その日のうちに売り切る!」というのが命題でした。
要は「在庫を置くとそれだけコストが発生する」と。「低価格で出すからには、もう入ったらその日のうちに全部売れ」というディレクションが営業を中心に落ちてきていたので、本当に(iMacが)入って来たら今日売らなきゃいけなかったという。
幸いにして、おかげさまで飛ぶように売れるという製品だったので、営業を含めみんな首の皮一枚つながったという感じでございます。
佐藤:じゃあ、ほとんど生野菜売ってるみたいな。
増田:そうですね。
(会場笑)
iMacが5色になった時が一番やっかいで。人気のある色と人気のない色がやっぱり差があって、店頭での展示を変えて人気のない色が少しでも売れるようにしたりとか、人気のある色をちょっと後ろに下げてみたりという工夫はやっていましたね。
あと、内照式の展示台を作っていたりもしたのですが、照明が一番あたるところにあまり人気のない色を持ってきたり、逆にちょっと照明が弱いところに人気のある色を置いたり。光の加減で色の見え方がぜんぜん違いますから、あまり人気がない色でも「なんかこの色もいいね」と思わせるような工夫なんかもやったりしていましたね。
佐藤:そこまでもうとことん考え抜いて仕事をしていると……。
増田:まぁ、奇跡が起きるわけですね。
佐藤:奇跡ですよね。
増田:工夫して工夫して工夫したら、いつも店頭在庫がほぼない状況を作ることができて、いつの間にか大ヒットということで、首の皮一枚でつながったと言いながらも、全員がいい経験をしたという感じですかね。
佐藤:非常に生々しいお話をおうかがいできたんですけれども、この結果、河南さんは、本当にAppleが厳しい状況の中で、こういうチャレンジングな要請がアメリカから飛んできて、やっていらっしゃったと思うんですけれども、ここまでAppleが復活することは信じ切っていらっしゃいましたか?
河南:最初は疑心暗鬼というか。基本、会社が危機的状況にあるのは我々も知っていて、それなりにリストラもあってというところで、ここに残るべきかどうかは増田さんも含めて考えていたわけです。実際に、だいたいみんな外からオファーももらってたりしながら、なんでAppleに残ったんだろうなというのは、今でも不思議だったりするんですよね。
ただ、やっぱりAppleが持っている理念やテクノロジーはほかではできないなという思いがあったこと、「なにか変えられるな」という感覚がどこかで湧いてきた。もちろん、スティーブ・ジョブズがいたというのはありますけど。
先は見えないですけれども、私たちがなにを目指すかというところで、さっきの「Think different」は象徴的な例で、とにかく「世の中で最高のものを作ろう」とスティーブ・ジョブズが信じてやっていることは、すごく響いてきました。
ただ、彼がビジネスを采配する能力を持っているかというところでは、NeXTもあんまり成功してなかったりして、「大丈夫かな?」というのはありましたけど、そこに賭けてみようという思いは、残った人たちはたぶんみんな共通してたと思いますけどね。
佐藤:なるほど。ありがとうございます。今のお話を受けて、やっぱり本当に本気で考えてるリーダーが人を動かすということがすごくわかったんですけど、そういう意味ではネパールの教育領域のスティーブ・ジョブズがここにいるということで。
ライ・シャラド氏(以下、ライ):いや、そんなことないです(笑)。
佐藤:しかも今、真っ只中で。過去の話じゃなくて、今まさに進んでいらっしゃるということなので、そういう点から学校建設でいろいろなご苦労があったと思うんですけど、どんなことにご苦労されていらっしゃるんでしょうか?
ライ:学校を作ることを始めたのは、最初は、僕が子どもの頃に勉強した中学校の卒業試験の結果をFacebookで見て。2010年に、その試験を受けた71人全員が失敗したという情報だったんですね。それを僕と……その村の人、1人でいる僕がこんなにいいところで勉強できているんだけど、でも自分の故郷の状況はもう差がありすぎて。
その時までずっと悩んでいたのは、僕は自分の国が大好きなんですね。こういういい学校に国費で通わせてもらって、すべて国が僕を育ててくれたんです。だから、もっともっとそういう国のためにやりたい気持ちがずっとずっと溜まってきていたんですけれども、表現だけできていなかったんですね。
ちょうどそのタイミングで、みんなが(卒業試験に)失敗したというニュースが自分の耳に入った瞬間に「あっ、これだ!」と思ったんですね。それで、そのあと1ヶ月以内に自分で20万円ぐらい集めて、現地で10万円集めて、30万円で1ヶ月以内に現地ではもう動き始め、行動したんですね。
だから、まとめると、「見る前に飛べ」という話がありますけれども、たぶんまったく企画とかなしで「もうやるしかない」と思ってやったんですね。
NPO法人にしたのは、その2年半後です。大学院の時、ちょっと話した先輩に「こんな活動は、実はNPO法人がやることなんだよって知ってる?」と言われて、「あっ、そうなんですか」と調べて。「ああ、そしたらNPO法人にしようかな」とあとで思ったんですね。
だから、先に僕らが学校を終わって、2年半後にNPO法人をつくったんですね。今も同じような気持ちでやっているんですけれども、たぶんそういう、やりたいことをすぐやってしまって、けっこう困ってることとか、逆にそれでけっこうプレッシャーがありますね。
けっこうそういうタイプで、先に言っちゃって……やるしかない、逃げ道を全部閉めてしまって、「じゃあ、やるしかないな」というような生き方、やり方でやってきているので。今回のクラウドファンディングも同じですけどね(笑)。
佐藤:僕とライさんはかなり同じタイプだなと思って。僕も大学生の時「思い立ったが吉日」というのが、僕の色紙に書くものなんですけど、そうですよね。「見る前に飛べ」でしたっけ?
ライ:そうですね。見る前に飛べ。たぶん逆に考えると、もしちゃんとした企画とか立てて、予算の話とか、1年間の予算とかを考えてやっていれば、たぶん始められていなかったと思います。僕のその時の考えは、5年とか10年ぐらい良い会社で働いて、そこで集めたお金で、数百万とか1,000万円ぐらいでちゃんとした建物を作ろうという思いで最初は作っていたわけなんですね。
佐藤:でも、走っちゃったからやらざるをえなくなってという。
ライ:それもありましたけど、楽しかったですね。自分の子どもと同じように、僕の村の学校で勉強していた子どもたちにとって、彼らの未来を美しい未来とつなぐ唯一の人は、僕しかいなかったんですね。
だから、そういう意味でそのぐらいの責任感がありました。みんなのお父さんみたいな感じでもありましたし。だから、プレッシャーがありましたけど、でも同時に楽しさも半端なかったですね。
佐藤:ライさんって今おいくつなんですか?
ライ:僕31歳です。
佐藤:31歳? ちょっとね、「マジか?」って感じですよね。31歳。今、お父さんとしては何人子どもいるんでしたっけ?
ライ:今は360人ぐらいですけど。
佐藤:お父さんがんばりますね。
ライ:(笑)。
佐藤:そして、今、遠隔映像授業プロジェクトのクラウドファンディングを始められていますが、だからこれも飛んじゃったわけですよね?
ライ:そうですね。
佐藤:これはどんなご苦労がありますか?
ライ:ここは、たぶん今までのなかでは、もうちょっとちゃんと企画を立てたプロジェクトだと思いますね。
やっぱりステークホルダーとしても、今回は基本的に1万1,500人の市民とそのすばらしいリーダーであるメジャー市長が先頭に立って、彼らを僕らがサポートするような役割でやっていますので、こうすると、たぶん成功できる率も高いし、継続性も高いですね。
だから、これがありますけれども、やっぱり最初、遠隔(で授業)をするために必要な部品を買ったり、そういうところは踏まえて、先生たちの給料も踏まえて、700万円ぐらいかかりますので。
今苦労しているところはこれですね。これができれば、次はもうぜんぜん。人も現地で雇っていますし、現地では大きいワークも3ヶ月前から始めているので、現地ではけっこう順調に動いているような状況ですね。
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