メディアが戦争を悪化させる場合もある

小谷真生子氏(以下、小谷):(司会者に向かって)素晴らしいご紹介をありがとうございました。私はこの業界に身を置いて25年目になります。最初の8年間は、ビジネスではなく一般ニュースと取り組んできました。

ビジネスもありましたが、一般ニュースが主体でしたので、政治、国際情勢、国内事件、ありとあらゆることを扱っていました。8年経った頃、「この仕事は私には向いていないのかもしれない」と思うようになりました。理由は、安藤さんも戦争など厳しい経験をされたと思いますが、私も同じ気持ちでした。

一般ニュースだと、涙がこぼれるような、大勢の人々の苦しみや死に触れるようなあらゆる出来事を経験します。例えば、4年目に私はボスニアに1か月滞在しました。当時ボスニアは戦争の真っ最中でした。ベオグレードに直接行くことはできませんでしたので、まずハンガリーに行き、そこからベオグレードに行き、アポイントを取りました。

そして、パレに行き、当時のセルビア大統領、ラドヴァン・カラジッチ氏に会いました。サラエボにはまだ狙撃兵がいて銃撃戦を行っており、まさに戦場の境界線でした。サラエボから離れたパレにカラジッチ氏がいたので、会いに行きました。どうしてもインタビューしたかったので、私は待ち続け、セキュリティチェックを受けました。

とてもショックを受けたのは、彼が観ていたのは……。まずちょっと、ご説明させてください。セルビア側はロシアが支援していました。相手側のクロアチアとムスリム人側にはアメリカとドイツが支援していました。彼の部屋に行くと、カラジッチ氏は敵側のアメリカのCNNニュースを見ていて、戦場に命令を下していました。私は非常にショックを受けました。

メディアが戦争を悪化させる可能性があることがわかったのです。「メディアがこの世界でものすごく大きな役割を果たしているんだ」と実感しました。当時インターネットはありませんでしたので、日本に戻ってから『文藝春秋』という月刊政治雑誌の記事を書くために、あらゆる情報を集めるのは大変でした。

セルビア側から相手側に行くために、わざわざウィーンに行って、そこで身を清めなければなりませんでした。そうしないと暗殺されると言われたからです。国連に行って、そうしました。

クロアチアで見た民族浄化の実態

小谷:それからクロアチアに行き、ある女性にインタビューしました。彼女は敵であるセルビア側に捕らわれていました。彼女は腕に小さな赤ちゃんを抱えていました。私はその姿を見て、女性が結婚していることに感動して嬉しく思いました。

彼女が戦場を避けて、結婚して今は幸福に暮らしているように見えたのですが、実は違ったのです。実際は、他の5人の女性と共にセルビア側に捕らえられて、妊娠した途端に、解放されたのです。それが「民族浄化」の実態でした。

「今はもう結婚されて赤ちゃんも産まれて、嬉しいでしょう?」と聞くと、彼女は「いいえ、これはあの時の子どもです」と答えたのです。「非常に大変な経験をされたのでしょうね」と言う私に、彼女は「ええ」と答えました。彼女は子どもを産もうか産むまいか、非常に悩んだそうです。でも産まれた赤ちゃんはかわいいと。

彼女はこれからどれほど苦労しようとも、気にしないと、赤ちゃんと共に乗り越えると言うのです。私は胸が張り裂けるような思いでしたが、同時に本当に感動しました。同時に私はメディアの役割が非常に大切であると思いました。でも、私にとって非常にストレスでした。

それはたった1つの出来事にすぎません。ジャーナリストであるということは、ありとあらゆることで自分と葛藤しなければならないのです。

カメラの前で涙を見せるわけにはいかない

小谷:戦争だけではありません。鹿児島県の土石流の取材で、ある男性に出会いました。家族5人を失い、自宅は土砂に埋もれてしまい、中に入ることができないという状態でした。番組のスタッフは村長に、「その男性にインタビューできるまで1週間は滞在するから」とお伝えしました。

それからずっと待ち続け、最終日、いよいよ帰るという時になって、その男性がインタビューに応じてくださるというのです。私は、政府に対して、ダムを改善して崩壊しないようにして欲しい、などという彼の発言を半ば期待していました。

でも、実際に彼の口から出てきた言葉は違いました。私たちは彼の家を訪れました。白布で覆われたテーブルの上に女の子の赤いランドセルが置いてあり、中に1枚の紙が入っていました。タイトルには「お母さん」とあり、彼の娘さんが書いたものでした。

彼のインタビューを撮影する前にその文章を読まなければなりませんでしたが、読みながら涙が止まらず、続けられなくなってしまいました。カメラの前で涙を見せるわけにはいきませんから、カメラを私の真後ろに立たせて、声を絞り出すようにして、男性に質問をしました。スタッフには質問の部分は後で必ずカットするように指示しました。

手紙のコピーを取らせてもらって、私たちは東京に戻りました。私はナレーションを吹き込みましたが、感情を込めないように務めました。この出来事に感情的になり過ぎてしまうと、視聴者は番組を見るのをためらうだろうということがわかっていたからです。非常にストレスのたまることでした。また、阪神淡路大震災もありました。

95年でしたか、もっと前ですね。タンスの下敷きになって、何とか呼吸しようともがいている人がいるとわかっていても、何もしてあげられない。つらい経験でした。また、地下鉄サリン事件があり、とても多くの人が犠牲になりました。

独立した存在として受け入れてくれたWBS

小谷:これが95年ですね。こういった事件に疲れ切ってしまって、キャスターになって8年経ち、もう辞めようと思っていたちょうどその頃、ワールドビジネスサテライト(WBS)からオファーがありました。オファーをもらって嬉しかったのですが、何とメインキャスターになることを提案されたのです。メインキャスターの経験はありませんでした。

でも番組では、私が女性としてではなく扱ってくれ、そのことに非常に励まされました。この16年間を通じて、何かをやり遂げたという満足感を感じています。ビジネスニュースは注目を浴び、一般ニュースでなく独立した存在として受け入れられるようになりました。それは私が望んでいたことでもありました。

しかも悲しい出来事やニュースを伝える必要がなく、私にとってはとてもありがたいことでした。人を幸せにするような情報を、例えば投資方法や、キャッシュフローを円滑にするにはどうすれば良いかとか、こういったむしろ喜ばしい情報を伝えることができて、このオファーを受け入れて本当に嬉しかったです。

さて、テレビ業界の現在の傾向ですが、最近残念に思っていることがあるのですが……。これってオンレコですよね? 相当気を付けなければいけませんね。

(会場笑)

娯楽化するニュース番組

小谷:視聴者からの評価にもっと焦点を合わせる必要があるのですが、そのためには視聴者を喜ばせる必要がありますよね。でもニュース番組は必ずしも視聴者を喜ばせる必要がありません。事実を伝えるものですから。でも、どのテレビ局でも、ニュース番組が娯楽番組化するというトレンドが見受けられます。私にはそれが気に入りませんでした。

おわかりでしょうか。私にとって、娯楽とは人々を笑わせ、楽しませるものです。でも、ニュース番組は人々の死や悲しみといった事実と向き合い、真剣に取り組む必要があります。日本だけでなく、外国でもそのような傾向があるとは聞きましたが、娯楽とニュースとのちょうど中間のような番組が生まれました。

その結果、娯楽畑の人がニュース番組に行ったり戻ったり、ニュース畑の人もその中間の番組と行き来しても良い、と考えるようになったわけです。16年間ビジネスニュース番組に関わった後、その中間番組か娯楽番組を担当するよう言われましたが、私はどちらも気が進みませんでした。一旦どちらかに行ってしまったら、ニュースに戻ることができないと思ったのです。

テレビ業界では「もちろん、いいんじゃない」と許されるかもしれません。でも、視聴者の側は「娯楽畑にいた人が、ニュースに戻ることができるわけがないじゃないか」と思うでしょう。私はそのことを長い間疑問に思っておりました。テレビ局側もいつかそのことに気が付いて、正しい方向に向かって欲しいと思います。

ジェンダーについては、ラッキーなことに、私はとてもニュートラルだからでしょうか、男性らしく振る舞わなければ、とか男性の行動様式や男性像に合わせる必要もありませんでした。私にとっては、ニュートラルであることが自然なことだったのです。

そうすれば、同僚も周りの人も自然でニュートラルでいられると思います。安藤さんはパイオニアだと思います。安藤さんが道を切り開いて下さったおかげで、私たち後輩は非常に楽でした。心から尊敬しています。

安藤さん、国谷(裕子)さん、櫻井(よしこ)さんのお三方はパイオニアであられ、尊敬する存在です。しかも、安藤さんはニュース業界にこんなに長くいらっしゃるのですから。

私も偉大な先輩方と肩を並べることができるかどうかはわかりませんが、私も自分なりに名を残したいと努力しています。そんなところでしょうか。ありがとうございました。笑いを取ることが出来ませんでした。ごめんなさい。

ルーシー・バーミンガム(以下、バーミンガム):どうもありがとうございました。

(会場拍手)

クォータ制を導入すべきか

バーミンガム:それでは皆さんから質問を受けたいと思います。メディア関係者の方を優先させていただきます。所属先を述べてください。どうぞ。

質問者1:ドイツから来ましたフリーランスのジャーナリストです。小谷さんの「私はボスニアでの仕事で感情的ストレスを感じた」とのお話に非常に強い印象を受けました。男性ならば、そのようには言わないと思います。そこが男性と女性の違うところだと思います。女性と男性のトークは違います。男性なら決して自分の感情的ストレスについて語らないでしょう。

小谷:本当ですか?

質問者1:そう思います。メディアではもっとこの手のトークが必要だと思います。そこで、お二人への質問ですが……。

安藤優子(以下、安藤):どうして男性はそのように言わないのでしょうか?

質問者:男性は強くあるべきだと思うからです。感情を露わにするなんて、男性にはできません。

(会場内から反論の声が上がり、笑いが起こる)

バーミンガム:どうやら、フランス人男性は違うご意見のようです。ドイツ人男性とフランス人男性とは違うんですね。わかりました。

質問者:恐らく日本人男性もそうだと思いますよ。そこで、私のお二人への質問なのですが、ヨーロッパでは公的機関、例えばテレビや、NHKに相当するドイツの公共放送やドイツの大学には、クォータ制(政策決定の場の男女の比率に偏りが無いようにする仕組み)があって、メディアや大学の所有者は約30~40%を女性に割り当てるように義務づけられています。そこで、クォータ制のようなものを導入することについて……。

安藤:メディアにおいてですか?

質問者1:メディアにおいて、またはその他の日本の公的機関において、導入することについてはどう思われますか。

安藤:今、クォータ制の話があったんですけれども、私はさっきも申し上げたように、なぜ日本の国会議員はこんなに女性国会議員が少ないのか、というPh.D.の論文を書いていまして、その中で一番問題になるのは、やはりクォータ制です。

国会にクォータ制を導入するかどうかについては、私はぜひとも導入するべきだ、というふうに思っているんですけれども、メディアの中にもそれを導入するべきじゃないか、というご意見については、非常に新鮮な驚きを覚えました。

ただ、そのクォータ制自体に、いつもこれ議論になるところなんですけど、逆差別というふうな側面もあると思うんですね。優秀で、その人がメディアの仕事に向いていれば、それは男性だろうが女性だろうが、その人がそこにいる意味が、存在する意味がある。

というふうに思うので、女性を何割というふうにクォータ制をメディアに導入する、ということについては、うーん、どうなんでしょうかね。私はまだまだ、議論の余地があるんじゃないかな、というふうに思います。

成績の順番で社員を採用すると女性が9割になる

安藤:ただ、現状を申し上げますと……これってオンレコでしたよね?(笑) フジテレビに限らず多分、どこのテレビ局も、成績の順番で社員を採用すると、多分女性が9割になると思います。

(会場笑)

ですから、多分、採用の現場では既に逆差別というか、ある程度男性も登用しなくちゃならない、ということも行われてると思うので、多分、クォータ制を導入するまでもないのがテレビの現状なんだと思います。

特に、私が今一緒に仕事をしているフジテレビの報道では、本当に優秀なのは、はっきり言って女性記者です。ありがとうございます。

小谷:今ずっと考えていたんですけれども、こないだある方とお話をしていて、女性の場合は、例えばプロモーション(昇進)を打診しても、一度断るんですって。一度断って、それをその男性の上司がもう一度背中を押してあげると「やろうかしら」っていうふうになるそうなんです。

だから「私なんか」っていう内なる壁というのが女性にはあって、だから女性をただ増やしても、難しいんではないかなと。だから増やした上で、男性が女性の背中を押して「大丈夫だよ」ということを言わないと、今の日本の女性の社会進出っていうのは、まだ男社会がメインになってますから、やっぱり、そういう意味ではクォータ・システム、そういうものにさらにプラスアルファでそういう機能も加えれば、オッケーかなと思います。

バーミンガム:ありがとうございます。他にご質問はありますか。どうぞ。

罪の意識を感じていないメディア

質問者:イギリスから来ました。フリーランスです。メディア内の男女の分断の促進に、メディア自身がどれほど責任があると思われますか。メディアが若い女性に対し、あまり高い期待を抱かないように促しているのが日本の現状ですよね。残念ながら。メディアに女性の社会進出を妨げている責任があると思いますか。

小谷:それはメディアの責任だと思われますか。

質問者2:そういう部分もあると思います。

安藤:さっきのスピーチでも言ったんですけれども、メディア自身が女性はかわいくて、若いほうがビューアーズ(視聴者)に受ける、というふうに思っているのは、これは事実だと思います。それに対して、罪の意識を感じているとか、責任を感じているとかっていうことについては、私はあまりないと思います。そこが問題だと思います、メディアがそこを感じていないのが。

小谷:私は罪悪感を感じませんが、メディアとしては罪の意識を感じるべきだと思います。例えば私、多分、安藤さんもそうですけれど、個人の意識としては、要するにキャリアを積んでいくことによって、それを見たいと。

要するにキャリアを積んでスタジオを采配するテクニックですとか、あるいは経験であるとか、あるいは、やっぱりいらっしゃるゲストの方だとかと目線を、年がいってる分だけ同じにしたりして、お話を引き出すことが。これがお伺いを立てるっていう形になると、やはり引き出せる話も引き出せなくなるっていうことがあったりして。

だからそういう意味で、年を重ねるっていうのは実はポジティブに考えないといけないものなんですけど。それをわかっている方は実は大勢いて、それはサイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)だと思ってます。

サイレント・マジョリティっていう方は、インターネットで書き込みもしないし、ツィッターもしないし、フェイスブックもしない、だけどわかってる方々。

そういう方々、いわゆるサイレント・マジョリティのそういう方々に向けて、私は仕事をしているつもりなんですね。で、当然メディアが罪の意識を感じるべきだ、というふうに申し上げたのは、やはり「アピールするのはやっぱり若さでしょう」っていう、そういう男性が番組を作っているというこの事実ですね。

だから、それは私なんかも中にいててジレンマはもちろんありますけれども、彼らはやっぱり若さで売っていくと視聴率が取れる、っていうそういうところで勝負をしてるので、多分もう一皮むけると、もっと違う世界があると思うんですね。

昔のアメリカの、例えば『マクニール/レーラー ニュースアワー』とか、渋くてサイレント・マジョリティが本当に支持するっていうような、そういうものが日本もできてこないといけない、というふうに思ってます。

バーミンガム:ありがとうございます。