田舎町のボンボン、15歳で家を追い出される

宇田川奈津紀氏(以下、宇田川):ネオキャリアの沿革を聞いたんですけど、そもそも西澤社長が22歳くらいでこの会社を作られているじゃないですか。世の中でそれを知っている人がけっこう少ないなと思ったんですよね。私もお会いする前は、30歳くらいで起業されたのかと思っていました。

西澤亮一氏(以下、西澤):僕はもともと、親が起業家で……こんなに昔の話からいっちゃっていいですか(笑)。うちは北海道の中標津という、すごく田舎の町だったんです。人口が2万人で、牛が3万5,000頭なので、牛が押し寄せてきたら僕らは負けちゃう。

宇田川:(笑)。

西澤:町の神社には祖父の名前が彫ってあったりしましたし、父は農家の娘だった母と結婚して、飲食店を5店舗くらい経営していました。私は田舎町のボンボンだったんです。

父親は雄一、兄は修一、僕は亮一と、全員名前に一が付いていて、とにかく一番にこだわれという教育を受けていました。兄貴がすごくイケメンで、背もスラッとしていて、ずっと生徒会長をやっているようなタイプでした。僕は背も小さかったので、どちらかというと雰囲気で勝つタイプ(笑)。

兄と一緒に空手もサッカーもやったんですが、兄は空手で北海道で優勝して、僕は2位なんですよ。サッカーもお互い全道大会にいっているんですけれど、兄のほうが1つ上にいっていたりして、常に負けていました。

父の友人が家に来ると「いや~、修一君は本当に優秀だよね!」という話を耳にしながら、めちゃくちゃコンプレックスがあって、すごく苦しかったんですよね。それでグレて。

宇田川:グレたんですか!

西澤:ちょっと割愛しますけど(笑)。中学3年間のうち、半分くらいは家に帰らなくなって、田舎の高校受験をボイコットしたんですよ。そうしたら、初めて父に呼ばれて、怒られて追い出されたんですね。

宇田川:家をですか?

西澤:家を、です。高校の入学金だけ出してもらって、「生活費は自分で稼げ」と言われて、私立の高校に飛ばされて。結局、仕事をしながらじゃないと高校に通えなかったので、運送業やコンビニのアルバイト、夜のすすきのでティッシュ配りをしながら学校に行きました。

宇田川:えー!

高校では学年トップの成績、大学時代は経営の才を発揮

西澤:高校に行っても中身は変わっていなかったんですけど(笑)。でも「ちゃんと勉強しないと、本当に留年するぞ」と学校の先生に言われて、勉強したら360人中で一番になったんですよ。あれ、(自分は)頭がいいんだという(笑)。

結局、大学も推薦で行けてしまいました。大学在学中の4年間は、レンタルビデオ店でがっつり店長代理のような仕事をしていました。

これがめちゃくちゃおもしろくて。自分でポップを書いたり、自分で陳列したり、ビラを撒いたり。レンタルを中古で売ったり、何(の作品)を何本入れるかも自分で決められるんです。自分で勝手に、アカデミー賞とか新人賞とか作品賞とか(笑)、いろいろなコンテンツを作っていったんです。

それで、お店の売上がすごく上がったんですね。(自分も)評価されて、歩合もたっぷり入って。また、延滞も増えたので、家に徴収しに行ったりもしていましたね。

宇田川:債権回収ですよね。

西澤:そう、債権回収みたいなものです。フルで仕事して、経理もやって、採用もして、全部自分でやっていたので、すごくおもしろかったですし、お金もけっこう稼げていたんです。

そんなこんなで就活をしたら、当時は金融ビッグバンで、大手の銀行数十行が3~4行に統合されたり、山一證券が潰れたり。僕はゼミで金融を勉強していたので、銀行や証券会社から内定をもらったんですけど、この人たちと一緒に働くと、う~ん、たぶんきついな……と。

僕は、その環境に入ると、それなりに楽しんでしまうほうなんです。お花見の場所取りや飲み会の準備も、たぶん、ゴマすりながらやれてしまうだろうなというイメージがすごく湧いたので、これは危ないなと思って、ベンチャーキャピタルを受けに行きました。

その中で「新卒から会社を作らせてやるよ」というところがあって、「起業させてもらえるなら入ります」と言って入社したのが、創業のきっかけでした。起業を前提に入社した人間が集まって、そこから9人が抜擢されて、いまのネオキャリアが作られたんですよね。3社から出資を受けて、9人で3,000万円を集めて作りました。

22歳で仲間と起業、24歳で赤字会社の代表に就任

西澤:ただ、スタート当初はまったくうまく行かずでして……(笑)。1年2ヶ月経った2月、給与が振り込まれていないことがありました。けっこう営業をがんばっていたので、「社長、給与が入ってないんですけど?」と聞いたら、「ごめん、もう金ないんだよね」といわれて。「え、けっこう売上は上げてましたよね!?」という(ことがあったんです)。

実はいろいろ使っていたらしくて、4,000万の赤字が出ていて、債務超過になっていることがわかりました。そのとき、(ネオキャリア副社長の)加藤(賢)と(株式会社ギークリー代表の)奥山(貴広)は出向していて、コアメンバーは僕と現執行役員の谷しかいなかったんですよ。

社長が「もう無理だから辞めるわ」と言って白旗をあげたときに、加藤、奥山、谷やみんなが「西澤が代表をやるんだったら、もう1回集まって、ちゃんと責任持ってやるよ」「やらないんだったら解散しようぜ」と(言ってくれました)。

宇田川:(笑)。

西澤:もう株主は僕を捕まえて「お前、ちゃんと責任取って返せよ」という感じになっていたので、結局、僕が泣く泣くやることになりました。「もし会社が潰れたら、僕が全部責任を取ります」と株主に言って、社会人3年目の4月、24歳で代表になったんです。加藤やみんなに戻ってきてもらったときに、新体制で加藤が役員になりました。

その翌日に加藤と金勘定をしたら、月末に入ったお金が5日でなくなることがわかりました(笑)。普通は10日や20日、25日、月末に支払いがあるんですが、もう水道もガスも電気も払えないという状況だったので、全員に「ごめん、給与止めるわ」と伝えました。

一人暮らしの人には10万を出して、実家組は自分でがんばれと。それでもついてくる人間たちでやろうといったら、6人だけ残りました。ここでもう1回、会社を復活させるために、こういうプランでこうやって、1年半で絶対に4,000万円を返そうと決めてリスタートしたら、見事に4,000万円の黒字がスパンッと出ました。

宇田川:お~!

西澤:おっしゃ! という感じで復活しました。ただ、このときは雇われ(社長)だったので、経営陣みんなで、「目標を達成したらストックオプションをちょっとずつください」と株主たちにお願いして進めていったんです。

途中から僕も、自分の会社だなと思うようになっていきました。実は、株主さんにオッケーをもらって、自分で個人保証に入って銀行からお金を借りて、会社を大きくしていきました。

30歳で2億円の借金を背負って、ネオキャリアをリスタート

西澤:2007年~2008年には、株主さんに対して「ネオキャリアを自分の会社にしてもいいですか?」と聞き、「お金を集められるんだったらいいんじゃないの?」という話をもらい、銀行からも「自分の会社にしたほうがいい」という話をもらいました。

なにも保証するものもないですけど、僕の個人保証で大手3行から数億円を貸してもらって(笑)。そのお金で全部グワーッと買い取って、自分たちの会社にしたのが2008年~2009年ごろです。

そのときに、新しい株主さんにもいろいろ協力してもらって、いまの体制になりました。一連の流れの中で精神的にはすごくタフになって、いろいろ鍛えられた部分もあったので、そこはすごくよかったかなと思いますね。

22歳で起業したんですが、僕はもともと「30歳で自立したい」と思って社会に出たんです。自立というのは、例えばお金を死ぬほど持っていて、好きなことができて、人脈もあって、社会的な地位もあって、なんでもできる状態になることです。

ところが、30歳になったら2億円の借金があったという(笑)。そこからまたリスタートしたような感じですね。

宇田川:普通の精神状態だったら、30歳で2億円の借金だと「あぁ~!」って、恐怖で夜中に目を覚まして頭を抱えて震えたりするじゃないですか。私自身も経営者として会社を持っていたときがあったので、翌月の従業員の給料をどうするかで震えることもあったんですよ。

いまは、私の明日、明後日の環境は守ってもらっていて、今月の給料は入ってくる。ただ、私は、経営者の経験と東証1部上場でも一夜にして大暴落した会社にいた経験から、自分が怠けたら足元が崩れることの恐怖があるんです。経営者は、その頂点に立っている長ですよね。一国一城の主は、その重圧と責任と恐怖もあるんじゃないかなと思うんですけど、社長はいまのお気持ちはどうですか?

夢遊病にかかるほどの不安と孤独を克服できた理由

西澤:いまは(不安は)あまりないですね。でも、2007年~2009年のリーマンショックの前後と、株を買った前後は、(2億円あった)資金が残り2,000万円までいったので、そのときは寝られなかったです(笑)。

1時間おきに目が覚める状況が1年半続きました。当時は現在の妻と付き合っていたのですが、僕はずっと夢遊病にかかっていて、いきなりシーチキンの缶を開けて食べはじめたり、お湯なしでカップラーメンをガスコンロにかけて燃やしたり、ぼーっと外を眺めていたらしいんですよ(笑)。

会社にいるときは一生懸命がんばって、元気な顔をして振る舞っていましたが、ずっと不安と戦っていました。

いまは、本当にすごく恵まれているなと思います。孤独じゃないんですよね。当時はすごく孤独だったから、僕は「自分の作りたい会社とは何ぞや」ということを、半年間くらいかけてカチッと作りました。

自分の作りたい会社は何かを落とし込んで、役員に相談して「よし、これでいこう」ということで、自分の一番大切な考え方をきちんと落としたんです。それで、2009年~2010年ごろにリスタートしました。以前は会社に関わることは全部自分でやっていたんですが、いまは自分以外の人がやっています。

オーケストラに例えれば、僕はただの指揮者になって、演奏者がどんどん増えている状況です。それこそ、宇田川さんのように強烈な音を奏でる人間もいれば、加藤みたいに「そんな音出るの!?」といった人もいます(笑)。いろいろな人たちがいるので、やっぱり孤独じゃないですよね。

それはなぜかというと、たぶん僕という経営者のキャラクターではなく、経営理念や文化に引き寄せられてきたメンバーが、それぞれの曲を弾いているということだと思います。それは見ていて楽しいですし、やりがいを感じています。

当然、責任はすごく感じていますけれども、経営者が戦わなきゃいけない孤独というものは、加藤をはじめ、たくさんのメンバーのおかげで軽減されていると思います。それは、僕がすごく恵まれているところじゃないかなと思います。

スーパーワーカホリックから子煩悩な父へ

西澤:あとは、子どもの影響がけっこう大きいです。昔はスーパーワーカホリックで、24時間365日、仕事のことしか考えていなかった人間だったので、それが明らかに全身から出ちゃっていたと思うんですよ(笑)。

でも、いまは子どもができたことで、自分をリセットしたり、ちょっと気晴らしになる時間ができました。前と比べて人間臭くなったとよくいわれますが、その影響がすごく大きいと思うんです。

宇田川:社長、お子様と鬼ごっこして全力で走って足を折っちゃったんですよね(笑)。ちょっと言い方が変ですけど、そのときに、「あ、社長も人間でお父さんなんだ」と思って(笑)。

西澤:あの足を折った出来事も、実は神様がくれたプレゼントなんですよ。子どもの受験の模擬面接が4回あって、1回目は、先生に「お父さん、落ちるとしたらお父さんですよ」といわれて(笑)。2回目はすごくがんばって、自分なりに100点満点のプレーをしたんですけど、「お父さん、ちょっと自信が出ちゃってますね」と。

宇田川:社長がダメ出しをされてしまったんですね(笑)。

西澤:先生が「もっと謙虚にいってもらわないと」と苦笑いしていて(笑)。これ以上、どうすればいいかわからなくなって、もう嫌だし、当日の面接にも影響がありそうだったので、3回目と4回目の模擬面接はボイコットしたんですよ。

宇田川:もう嫌だったんですね(笑)。

西澤:帰り際に、うちの嫁に「ごめん、もう行きたくない」って。

宇田川:かわいいです(笑)。

西澤:「当日がんばるから、ちょっと許して」と言っていたんですけど、「本当にどうしよう、困ったなぁ」と思っていたときに、子どもと鬼ごっこをしていて足を折ったんですよ。

宇田川:はい(笑)。

西澤:本番の面接に松葉杖をついていったら、めちゃくちゃ印象が良くて。「大丈夫ですか、お父さん。どうされたんですか?」と聞かれるじゃないですか。「いや、実は子どもと全力で鬼ごっこしてたら、骨折しちゃって(笑)」と言うと「それはすごいですね!」となりました。

親子遊びのときも椅子が用意されていて、「お父さん、どうぞ座ってください」と言われても、「いやいや、一緒に遊びます!」と言って、一緒に遊んで(笑)。そのときの雰囲気から、明らかに受かったって思ったんですよね。骨折は、僕の足りないところを補うために、神様がくれたものなんだなと(笑)。

宇田川:すごく前向きですよね(笑)。

西澤:本気でそう思っています。うちの嫁には、本当にバカだねって言われましたが、それくらい、起こっている事象に対しては「このために起こってるんだ」と思うので、失敗したとか、うまくいかなかったという思考がないんだと思うんです。

成功者がかかる最大の病気は「傲慢と怠慢」

宇田川:私は、面接はエンターテインメントだと思っています。西澤社長にはじめて面接でお会いして、パートナーの大切さについて聞かせてもらったりして、経営者はここまで人生に踏み込んで、自分をさらけ出して話をするものなのかとびっくりしたんです。ネオキャリアに来て、私の面接のスタイルが変わりましたね。

西澤:お~。

宇田川:ネオキャリアの人事というよりも、まずは自分を信頼してくれないと相手も心を開いてくれないんですよね。経営者というよりも人間を見せてもらったので、面接官の肩書に捕らわれずに、私もこうしなくちゃと思ったんです。人事としての感覚がすごく変わりました。

西澤:宇田川さんのような方々は、ビジネスパーソンとして社会のどこでも活躍できる人なわけです。そういう人にとって大事なことは、その人が社会でやりたいこと、成し遂げたいこと、自分の力を使って貢献したいことが、この会社でできるかどうかだと思っているんです。

こちらが何かをしてほしいというよりも、宇田川さんがやりたいこと、成し遂げたいことをどう提供できるかだと思っていて。相手に選んでもらえるかどうかが、すごく大事だと思っています。まだまだなところはありますが、経営者をはじめ、採用に関わる人間がそういうスタンスを持てるかどうかも重視していますね。

宇田川:私は、社長が崇め奉られるような会社にいたことがあるので、すごくびっくりしました。だから、会社として健全な体質がここから始まっているんだと思いましたね。

西澤:成功者がかかりやすい最大の病気は、傲慢と怠慢。なので、偉くならないこと、怠けないことだけを守っていれば、経営者としてはダメにならない。そこだけはすごく意識してやっていると思います。

宇田川:ネオキャリアでは謙虚さをもらいました。それは、みなさんがすごく素直だからだと思います。正直言って、社長がそこまで腰が低かったら、私たち人事は、あぐらをかいてはいけない。決して上から目線になってはいけないと思いました。

西澤:(笑)。

1人のスーパースターになるよりも、たくさんのスターを育てる

宇田川:私はメスライオンと言われていたので、ちょっと鼻っ柱が強いところもあったんです(笑)。でも、この会社に入ってきて、メスライオンのメの字も通用しないことがわかりましたし、辞めたくもなりました。めちゃくちゃ悔しかったです。大手競合と10回戦って1回しか勝てないんですよ。「悔しい!」と思って独りで泣いたこともありました。

勝てない理由は、私の至らなさと会社規模もあると思います。しかし、ネオキャリアが競合を超える規模、もしくはナンバー1シェアになれば、みなさんの力を借りて勝てると思ったんです。いまも「社長はこういう人です。こういう想いで、こういうメンバーがいます。同じ船に乗ってください」という熱量をぶつけることで、10回のうち1回は勝ったわけです。それで、次に何回勝てるか。

西澤:大事ですよね。僕らが次の時代のHRカンパニーになるには、いまの足元の採用で勝てないと、結局、大手競合には絶対に勝てないと思います。プロダクトも採用も人材開発もセールスも、全メンバーが、自分たちがここで勝つことが、将来の自分たちの世界観の実現につながると思うようになったら、会社の未来を変えていくと思うんです。

宇田川:すごい(笑)。たぶん、そういうふうにおっしゃられる方だから、私も入ったと思うんです。入社当時は、成果を出さなければというプレッシャーもあったんですけど、私がクリスティアーノ・ロナウドになっても、たぶん西澤社長はうれしくない。そうではなく、日本代表チームでいいから、スター選手を産み出してくれという感じだと思うんですね。

西澤:そうですね、おっしゃるとおりです。

宇田川:焦りもありましたけど……。

西澤:もともと、面接のときにも言っていたじゃないですか。宇田川さんが欲しいというよりは、宇田川さんのような方を何人も作ってほしいって。

宇田川:私のチームの話になるのですが、去年の年末に、とりあえず新規の面接を全部止めて、「年内で選考中の案件を全部決めきる! 承諾まで持っていく!」という感じで、ホワイトボードに数字を書き出したんです。営業部みたいですよね(笑)。

そのとき、みんなが「できるかな?」と震えながらも、「毎日クタクタになるけど、前に進んでいることが分かるのが楽しい」って言って、燃えたんですよ。

チームワークならではの楽しさとエネルギー

宇田川:がんばってやってみたら、1人採用が成功した、まだ行ける、まだまだと挑戦し続けていたら、年末前の1週間で20名以上の採用が成功したんですよね。それが忘れられなくて、いまは月末近くになるとメンバーが自ら「ホワイトボード書き出しますよ!」って言ってくるんです(笑)。営業部の熱狂ですね(笑)。

西澤:僕もスポーツにハマっていたので、よくわかります。みんなで四六時中練習してなにかを乗り越えたいと思って、本当に熱量を込めて目の前のことに取り組んでいるとき、すごく成長するじゃないですか。

いまのネオキャリアは、拠点や事業所がたくさんあるので、そういう火がつくと、どんどん文化が生まれると思います。僕はやっぱり、そういう文化がすごく好きで大事にしているので、どんどん広めていけるといいなと思います。

宇田川:私は、そもそも人事としても15年くらいやってきて、すごくプロ意識もありますし、正直言って、若手の人たちが苦しんでいることを「秒」で片付けられたりもします。そんな自分が40歳になって、ネオキャリアに入ってきて、心が折れそうになったこともありましたが、もっと楽しいことも見つけました。

私はずっと、2~3人しかいない少数精鋭の人事(チーム)でやってきたんですけど、いまはメンバーが8人になって、みんなで「くそー! 負けたー!」とか悔し泣きしたり、「やったー! 承諾もらった!」と言ってうれし泣きしたり(笑)。

西澤:チームは楽しいですよね。

宇田川:自分を奮い立たせるのは自分だと思っていながらも、私を信じてくれる人がいることが、明日の力になるんですよね。私が「できるかどうかわからない」なんて口に出したら、たぶん、みんなができなくなっちゃう。

「できる! 大丈夫なんだ! 私は信じてる!」ということがみんなの元気になって、本当に奇跡を起こしてしまう。それに感動している自分がいるから、明日からもがんばろうと思えるんです。

いい会社とは、成長機会を提供し続けられる会社

西澤:自分で意思決定ができて、自分で考えて、自分で正しく結果も目標も立てられるのは、すごく楽しいじゃないですか。

宇田川:はい、楽しいです。

西澤:人に言われたことをやらなければいけない人にとっては厳しいかもしれないですけれど、自分でクリエイティブなことができる人たちには、最高の環境だと思っています。むしろ、そういう人たちが楽しいと思えなければ、絶対に会社の成長は止まりますよね。

僕は、社員は家族という言葉では表せないと思っているんです。一番好きな表現は戦友です。『ワンピース』や『キングダム』みたいに、なにかを成し遂げたいという想いのもとに集って、どうなるかわからないものに対して、夢中になって向かっていくという、奇妙な存在だと思うので(笑)。

だから、「いい会社」というのはシンプルで、僕は社員に成長機会を提供し続けられるかどうかに尽きると思っています。この会社に入って、「こういうキャリアが積めた」「こんな給料がもらえた」「こういう経験、気づきが得られた」という成長機会があることですね。

年齢、性別、国境を問わず、テレワークなど、どんな雇用形態でも、会社が成長機会を提供できるかどうかが本質だと思っています。経営者がそこにこだわりを持って取り組んでいて、その成長機会を取りに来ようとする人にとっては、いい会社だと思っています。

宇田川:そうですね。ネオキャリアは変化を求め続けるし、それを望む社員がいるんじゃないかなと思いました。私も変化したいですし。

西澤:外から入ってきた人たちは、「仕事に誇りを持って、オーナーシップを持って働いている人たちが多い会社だ」と言ってくれたりします。僕は、全員にとっていい会社なんて存在しないと思っているので、成長し続けることで、自分自身の価値を高めたいと思っている人にとっての“いい会社”を作り続けたいと思います。

宇田川:ありがとうございました。