スマホ世代が抱える「寂しさ」と横並びの意識

塚田有那氏(以下、塚田):まだまだこの会はディスカッションが続くんですけれども、すでにいろいろな話がありますので、このタイミングで1回、会場の方から「ここは聞いてみたい」とか「もうちょっとこう感じた」ということがあれば、お聞きできればなと思います。いかがでしょうか?

質問者1:本日はありがとうございます。質問なんですが、今のスマホやネット世代は寂しさという悩みを抱えていると思うんですけど、これについてどう思われているでしょうか? また、フィジカルに一緒にいる重要性について、もうちょっとお話をお聞きしたいなと思っています。

もう一つは、日本はかなり独特なところがあると思っていて。私もそうだったんですけれども、みんなが同じチャンネルのテレビで、バラエティー番組やちびまる子ちゃんやサザエさんとかを見て育ってきたと思います。

それをすごく息苦しいなと思う方もけっこういると思うんですけれども、一方で、それによってけっこう日本の社会が成り立ってきたと思うんですね。アメリカが崩壊していくのを見ていると、天才や個人をすごく尊重していくようになったときに失われていくものについてどう考えているのか、ちょっとお話を聞きたいなと思います。よろしくお願いします。

塚田:はい、ありがとうございます。(ご質問は)2つありますけれど、まず1つ目は寂しさということですと。これはドミニクさんに。

ドミニク・チェン氏(以下、ドミニク):(スライドを指して)ちょっと一瞬映してもらっていいですか。ご存知かもしれないんですけど、シェリー・タークル(Sherry Turkle)というアメリカで非常に有名な学者がいます。彼女は社会学で学位を取ったあとに、臨床心理と社会学のダブルメジャーで博士号を取った人です。

この本の前に『Alone Together』という本を書いていて、一緒にいるけど寂しいという。この邦訳がちょっとおもしろくて、『一緒にいてもスマホ』という、そのままのタイトルなんですけど(笑)。これの英題が現代文で『Reclaiming conversation』、会話を取り戻すということですね。

一緒にいてもスマホ ―SNSとFTF―

それで、SNSとface to faceのコミュニケーションというものが、現代ではどうなっているか。彼女自身が大学で授業をやっているときに、みんながスマホをいじって、メールを書いたりしているとか、マルチタスキングをやっているとか。それが一体どういうことなのか、ということを真っ正面から取り扱っています。

悪影響があるのに、なぜSNSから離れられないのか

ドミニク:ちょっとスライドでは用意していないんですが、先ほども少し言いましたけども、そういうものがティーンの精神衛生状態に悪影響を及ぼしているということが、エビデンスを基にもうわかってきている。

ご存知かもしれないんですけど、そのときよく使われる言葉がフォモという英語です。FOMOといって、「Fear of missing out(取り残されることへの恐れ)」。

つまり、スマホの通知が鳴ると気になって、目の前で人と会話をしていてもすぐにこっちを見てしまうとか、仕事をしていても、Facebookやメッセンジャーの通知がピコンと鳴ると、ついつい見てしまうとか。それを、大事なことを見逃している症候群という感じでFOMOと言うんですけど。

一体なぜこうなってしまったのかは、結局、先ほども言ったように、いかにユーザーの注意を奪うかに企業が専心してきたからなんですね。それが僕たちのまわりに普通に存在していることは、もっともっと広く知られるべきです。

そういうことがわかってきた中、だからといってそういったものに永遠に従い続けるべきでもぜんぜんなくて。Facebookにしても、いつ自分たちが見放されるかという危機感と戦いながら経営を続けています。去年も「#deletefacebook」というハッシュタグがあって、すごくたくさんのセレブリティーがFacebookをやめるとか、Twitterをやめるとか。

最近だと、Instagramをやめるという人たちもたくさん出てきているから、そういう反動や揺り戻しみたいなものもちゃんと科学的な議論と突き合わせて、僕たちが本当により良いと言えるものを作っていく。そういう意味でいうと、チャンスの時期でもあるのかなと思っています。

塚田:上木原さんは?

学校が嫌いなはずの子どもたちが「N高だったら通いたい」

上木原孝伸氏(以下、上木原):はい。実は、N高等学校は2016年にできて、ネットでコミュニケーションを取って、どんどんネットでの友達ができてきたんですよね。そうすると生徒の方から「N高だったら通いたい」という声がたくさん出てきたんです。

つまり、「学校なんて嫌いだ」と言っていた子どもたちから、「やっぱり通いたいです」と言う声が出てきたのは、すごく本質的だなと思っていて。ただし、我々も十分葛藤しました。ネットの高校が(リアルで)通学する場所を作るというのは矛盾じゃないですか。

だから悩んだんですが、ただやっぱり、この子たちが卒業するまでにそういう場所を作ろうということで、通学する場所を代々木と心斎橋に作ったんです。それで実は来年には13ヶ所も、これから増えていきます。

要はそれは、せっかく設計するなら高等学校をもう1回再設計しようということです。通わなくてもいいのに学校に通わせるんだから、通わないとできないことをやろう。そういうことで、座学の時間をなくして、いわゆるプロジェクト・ベース・ワークをやろうと。

ちょうど9月に新学期が始まって、今はスクラップさんというリアル脱出ゲームを作っている会社と共同して、生徒たちにチームでリアル脱出ゲームを作らせるということをやっています。

その中では、特別講師で『「学力」の経済学』の中室先生にお願いして、「教育的観点を持つにはどのようなエビデンスが必要かということを脱出ゲームに盛り込みなさい」ということを一つのキーワードにして、1ヶ月かけてみんなでリアル脱出ゲームを作っています。

「学力」の経済学

10年後にしたいことを聞きながら、明日やることを決めていく高校

上木原:今のが1つ目で、もう1つのコンセプトは、先生と生徒が必ず月に1回、リアルで面談をするということです。それで10年後したいことを問うて、逆算して、じゃあ明日は何しようということを毎月毎月やっていく。

そして、1週間に1回はグループ面談でしっかり話をしていく。私もそうでしたけれども、子どもたちとリアルで話をする時間を持った方がいいのにと思いながら、授業が忙しくて、それまではなかなかそういう時間を持てませんでした。そういう部分をネットに変えることで、我々は一人ずつとコミュニケーションを取る時間を作っていこうと考えています。

ドミニク:ハイブリッドという感じですよね。

上木原:そうですね。

ドミニク:だから、原理主義じゃないという感じがしますよね(笑)。ネットが正義だとか、リアルが正義というんじゃなくて。

上木原:そうです。

ドミニク:本当にそういう経験の中で、よりよい高校を作るという発想ですね。

上木原:そうですね。生徒が主体になったときに、生徒にとって何が一番いいのかということに立ち返って、ユーザーの声を聴きながら高校を作っていくような感じですね。

塚田:いいですね。自分もやってみたいし、ちょっと考えてみたいですね。プロジェクト・ベースド学習(笑)。

情報量が多すぎる場所では、人々は自分の感覚を眠らせている

内野加奈子氏(以下、内野):ちょっと直接的なお答えになるかはわからないんですけれども、例えば海を渡ったりするときに、空や海だけから情報を取ろうとすると、視覚だけだとどうしても足りないんですね。目の力だけだと、どうしても(情報が)足りない。

そうすると、例えば皮膚感覚とか、耳で聞こえる音とか、匂いとか。そういったもの全部ですね。人間の持っている体とか、カヌーの動きとか全部を使わないと、その情報を得ることはできなくて。

でも、私たちみんな一人ひとりがその力をすごく持っていて、それがすごく活性化していくんですね。ふだんは感じないような風を感じたり、ふだん聞き分けられないような音の違いが聞こえてくるようになったりするんですよ。

それは、ここにいる私たち全員がなくしているわけじゃなく、ただ眠らせているだけだと思っていて。というのは、沖縄の糸満港に着いたときのことなんですけど。そこに着いて、糸満港はまだ大丈夫だったんですが、そこからちょっと街へ入っていって、自分の全感覚が完全に開いて鋭くなった状態で街を歩いたら、入ってくる情報がありすぎて。

何もないところから(情報を)取ろうとしていたその感覚知で、看板や信号や道路など(を見ると)、すべてのものの情報がありすぎて、頭がクラクラするような感じになったんです。たぶん私たちは人間として、サバイバルスキルではないですけれど、これだけ人が密集している都会や都市生活の中で、自分が本来人間として持っている感覚を意識的に閉じていかないと、真っ当には生きていけないと思うんですよね。

ただ、それを極端にやりすぎたときに人間がどうなるのか。たぶん、まだ歴史上その時代は浅いのかなと思っていて。とくにSNSなどは、目から見える視覚的な情報にすごく特化していますよね。

でも、人間のコミュニケーションはたぶん目だけからじゃないし、体の全部を使ってやっている。それは本来、私たちが生命として持っている機能で、その一部だけを特化するときに出てくるいろいろなことの一つに、もしかしたら感情的な寂しさというものがあるのかな、とか。

本気で映画や漫画の中に入り込むような感情移入

内野:そうかといって、私は常に感覚をばーんと開いて森の中で生きていきたいかというとそうじゃなくて。やっぱり、自分がその感覚を閉じる能力を持っているということもすごく素晴らしい力の一つだと思うんですよ。そういった、(自分の感覚を)閉じたり開いたりできることが大事なのかなと思っています。

塚田:本当におっしゃるとおりで。閉じたり開いたりすることって、体が直接的に森の中や海の中にいなくても、たぶん可能なことってあると思うんですね。それはもちろん、VRやテクノロジーが発達すればということもあるかもしれないですけれども、本気で映画の中に自分が入るような感情移入をしたりだとか。

私は、漫画とか文学とかそういったものに(対して)、たぶんこういう仮想のバーチャル体験をしていたと思うんです。バーチャル体験というのはおかしいですけれど、バーチャルの中に入り込む。それまでそこに自分がいたかのように感じるということで行き来することもあったんじゃないのかなと、個人的には思うんですね。

とりあえず、『風の谷のナウシカ』を観たら、その日は飛べる自信はあるんですけど、たぶんみなさんの中でもそういうことが絶対あると思うんですよ。

それで、全部を2つ目の質問に繋げると、みんなが同じものを見ていることに安心するのは、もしかしたら意識を閉じる方のスキルが働いているところもあるのかもしれない。また、単純にそれが中毒的におもしろいという。中毒的というか、本当にみんながおもしろいと(思っていると)いうことも絶対あると思うんですけども。

そのあとの、N高の設立の話にも繋がるかなと思いますけれど、みんなが同じものを見ていないといけない。小学生とかみんなとりあえずYouTube、YouTuberが好きだというのは間違っていないんだけれども、もう一歩何かを、ということは思いますね。これは私の意見ですけど。

みんなが同じ方向を目指す日本の美学と同調圧力

上木原:私は、日本の良さはけっこうそこにあると思っていて。それのおかげで新幹線がちゃんと来るとか。そういうことって、すごく日本の美学だし、私は大事にしたほうがいいと思っています。ただ、全員がそこに向かう必要はないだろうなと思っている。

だから、N高みたいな学校があってもよくないですかという、まあ提案ですね。だから、全員がN高かというとそうじゃないかなと。ただ、N高に来ている子たちを見ていると、同調圧力に苦しめられた子がやっぱりたくさんいるんですね。

塚田:へえー。じゃあN小学校もあっていいと思っていて。

上木原:(笑)。

塚田:最近、小学生の子どもを持つ親と、友人を含めて話をするんですけれど、やっぱりなんだかんだ保育園ぐらいまでとかは、例えばそういうプロジェクト学習だなんだって言って、すごくいろいろなところに連れて行くんです。

だけど、さすがに小学校に入ったら拘束時間も長いし、「あとは学校に行ってきてね」と任せるじゃないですか。そうすると、これは私の友人の話ですけれど、どんどん無個性になって帰って来るということをすごく口々に言っていて。

この子は絵が好きかなとか、虫が好きかなとか、みんながすごくいろいろ思ったのに、小学校2年生ぐらいになると、YouTuberの話しかしないという。それで、みんな隣の子がなにかやっていると、隣の子がやっているから、っていう。

隣の子がゲームをやっているからやらせてというようなことは、今に限らずずっとあったのかもしれないけれど、そういう話を聞くんですね。実は小学校ぐらいからどんどん何か失われていることが大きいんじゃないかなとは思ってしまうんですけど。

上木原:そうですね。本当に小学校もちょっとずつですけれど、授業の手段を変えてきているなとは感じています。とくに小中学校はわりと公立ががんばって変わってきているなということを感じています。

ただ、高校はどちらかというと、教科の先生がアイデンティティを持っているので、数学や国語ということがやっぱり強くて。なかなか文科省がやろうとしているアクティブ・ラーニングのようなかたちに変わっていかないという現実があるようなんです。たしかに小学校にも苦しめられている子がいるので、本当は通信制小学校があってもいいのかもしれないんですけど、実は今法的にはないんです。

塚田:そうですよね。

上木原:はい。そのあたりはこう未来が変わってくると、ひょっとすると我々がN高の中学校、小学校というのをやるようになっていくのかもしれないです。