「自分ならできる」という自己効力感の低い日本人

加藤想氏:今日は「自分の可能性」をテーマにお話をしていきます。2019年に日本財団が出したレポートで、日本、アメリカ、イギリス、中国といった主要な9ヶ国の18歳の意識調査結果があります。

その中で「自分は責任がある社会の一員だと思う」「自分の国に解決したい社会課題がある」という問いに対して、「はい」と答えた人の割合が、9ヶ国中で日本はすべて最下位でした。

中でも「自分で国や社会を変えられると思う」と答えた人は全体の18パーセントのみで、他の国では40パーセント以上の回答者がいる中で、大きな差が出ています。つまり世界的に見て、日本人は自分の可能性を信じていない人が多い国になります。

これは18歳を対象に行われた調査ですが、聞いているあなたはどうでしょうか? 「社会に対して何かインパクトを残せる」、このように感じているでしょうか。もしかすると、我々、ビジネスパーソンのほうがそのように考える人は少ないかもしれません。

謙虚な姿勢は日本人の美徳や価値観として根付いているのだと思います。ただ、人生100年時代に自分の可能性を閉ざした状態で、長い長いビジネスパーソンとしてのキャリアを過ごすのはしんどいと思います。

キャリア形成では選択肢が多いほど良いと言われています。可能性を狭めた状態で考えるキャリアよりも、自分の可能性を信じた上で考えるキャリアのほうが広がりがありますし、何より考える時にわくわくすると思います。

「大いなる勘違い」で挑戦することの価値

ここで、私自身が高校時代にラグビー部に所属していた時のエピソードを紹介させていただきます。当時私たちのラグビー部は、目標として「全国大会出場」を目指していました。

ただ、決して強豪校というわけではなく普通の公立高校でした。それでも本気で全国大会に出られると思っていましたし、周りにもそれを公言して、目標を達成するために日々必死で練習をしていました。しかし結局、県大会の準々決勝で負けてしまいました。

本当に悔しい経験ですし、「口先だけになってしまった」と悲しい気持ちにもなりました。ただ、今になって思うと、この経験が今の自分にとって大きな糧になっています。

これは「無茶な目標を立てればいい」という意味ではなく、高い目標であったとしても、事前に「それを成し遂げる」という強い意志を持つことで、自分を奮い立たせることができるということを意味しています。

おそらく「全国」という目標を掲げていなければ個人としてがんばりきれなかったと思いますし、もしかするとチームとしても準々決勝までたどり着かなかったかもしれません。

グロービス経営大学院を作った堀(義人)学長も、「大いなる勘違いをして、目いっぱいチャレンジすることが、これからの時代には重要」と言っています。

ただ、そんなに急に「自分の可能性を信じろ」と言われても、難しいのではないでしょうか。私も正直、高校1年生の時は「本当に全国に行けるのかな?」と半信半疑に思いながら練習をしていました。

ただ、日々練習を重ねて少しずつ結果が出るようになって、徐々に本気で「全国に行くんだ」という強い思いが湧いてきました。自分の可能性を信じるというのは、小さな行動を積み上げながら、しがらみを取り除くことで志を醸成する営みなんだなと思います。

さまざまな「制約」で進路に迷う時の整理の仕方

グロービス経営大学院の中では、自分の志を考えるクラスがあります。私も実際にこのクラスを受講し、「自分が何かを成し遂げたいけど、どうしても動けない」と感じた時の制約を「しがらみ」と「こだわり」の2つに分けて考えるワークをしました。

「年収はいくら欲しい」「住む場所は◯◯でないといけない」「今の会社を辞めるわけにはいかない」とか、いろんな制約がそれぞれにあると思います。

このような制約の一つひとつと向き合って、「これはしがらみだから取り除いてもいいかな」「ここは大事にしたい考えだから残したい」と整理していくと、「意外と自分には制約がそんなになくて身軽な状態である」と気づくことがあります。

私はこの営みを通して、もともとは「東京で働く必要がある」と思っていましたが、リモートワークが当たり前になったので、場所にこだわる必要はないと気づきました。そして、家族という基盤が重要であることを再認識して、上司に相談をし、妻のサポートがしやすい地元・関西に異動をしました。

今日は「自分の可能性」をテーマにお話をしてみました。意外と自分でも気づかない間に、しがらみにがんじがらめになっていることがあります。まずは自分の制約条件と向き合った上で、可能性を考えてみてください。わくわくする一歩を踏み出せることを願っています。