経営者の父から学んだ「自分の意思で物事を決める」姿勢

アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):それでは、まず井上さんの生い立ちについてうかがえますか? 今の仕事に繋がる原体験などがあればお聞かせいただければと思います。

井上真大氏(以下、井上):人と違うことをすることに恐れを持たない、今までされたことがないことに挑戦することが好きという私の気質は経営者である父から受け継いだものかも知れません。

父の会社は大きな会社ではありませんが、昔から続いている会社です。大橋などに使われる大型のボルトナットというねじや、免震用ベースプレートなどを作っています。まさに「町工場」といった感じの会社で、代々長男が継いでおり、父が3代目です。

藤岡:そういった環境の中で、井上さんに対する教育方針などで何かご記憶に残っていることはありますか?

井上:父が口を酸っぱくして言っていたのは「人との縁を大切にしなさい」ということで、私も大切にしています。父の会社が地場企業なこともあり、人との縁で成り立っている側面があるのだと思います。

また、言われたことではありませんが、自分の考えをもって自分で物事を決める父の姿勢には大変影響を受けました。「私も自分自身の意思で物事を決めて行きたい」「誰にも文句を言われずにやれる会社を起業しよう」というところに繋がったのかと思います。

多くの学びを得た大学時代のインターン経験

藤岡:京都大学ではどのような学生生活でしたか?

井上:大学時代は真面目な学生でした。毎年自分で目標を決めて、1年ごとに自分がどれだけ成長したかを確認するような、今思えば真面目な学生でした。大学3年生ではベンチャーでアルバイトもしました。

藤岡:ベンチャーでのアルバイトも当時珍しかったのではないですか?

井上:そもそもITベンチャー自体が少なかったです。京大工学部出身の方が立ち上げた「Lang-8」という語学学習SNSをやっているベンチャーだったのですが、実際に自分でもサービス作りをしてみたい、その上でRuby on Railsを勉強したいと思い、アルバイトとして入りました。10年経った今でもお付き合いは続いています。

藤岡:ベンチャーでのアルバイトでは何が印象に残っていますか?

井上:本当に学ぶことが多かったです。仕事をしている以上、そこには締め切りや給料をもらう責任が発生します。やる気も起きましたし、勉強も凄くしました。CTOもいらっしゃったので、知識や技術なども直接学ぶことができました。

そこで学んだからこそ、Googleでのインターンもできたし、入社もできたのだと思い、大変感謝しています。

官僚志望から一転、アメリカGoogle本社に就職

藤岡:もともと、新卒で外資系に入社し、エンジニアとしてキャリアを歩むお考えだったのですか?

井上:そんなことは全くなくて、むしろ自分が育ってきた日本のために官僚になりたいと思っていました。ただ、官僚、とくに国家公務員第1種の世界はすごい学歴主義だと知るにつれ、「ちょっと考えていたのと違うな」という思いに至り、断念しました。

民間で働くにしても、自分の時間を大切にしたいという希望と、きちんとお給料をもらえるところという条件を満たせるのは外資系しかほぼ選択肢はありませんでした。今でこそITベンチャーなどがありますが、当時はまずなかったです。

藤岡:実力主義で評価される会社が良かったのですね。その中でもGoogle本社を選ばれた理由は何だったのでしょうか。

井上:実は、最初に日本のGoogleから内定をいただいていました。

もともと、大学院1年目の夏にGoogle Japanのインターンに参加し、秋に内定をいただいていたのです。しかし、その後人事から「海外で働くことに興味はありませんか」とメールが来たので、「非常に強く興味を持っております」と返信したところ、しばらくしたある日に突然Google本社から電話が来て英語の面接が始まり、結果本社からもオファーをいただいたのです。

人事からは「好きな方を選んで良い」と言われ、アメリカで働くことにしました。

藤岡:「エンジニアとして働きたい」という志向はいつ頃からお持ちだったのですか?

井上:もともとものづくりが好きだというのがベースにあります。コンピュータも昔から好きで、中学でも物理部という名のコンピュータ部に所属し、N88ベーシックでゲームを作ったりしていました。

ソフトウェアエンジニアと言ってもさまざまな分野があり、基盤ソフトウェアを作るようなエンジニアからWebサービスを作るようなエンジニアまで幅広くいますが、私は後者寄りです。一般のユーザー向けにものを作ること、そして彼らが使って楽しむところを見るのが好きなのだと思います。ご存じのとおりGoogleも一般向けのサービスがほとんどです。

英語もできず、苦労の連続だった渡米後半年間

藤岡:新卒でGoogle本社に飛び込まれたわけですが、どんなご苦労があり、どのように乗り越えられたかお聞かせ下さい。

井上:立ち上がったばかりのチームに配属されたのですが、さすがに心細かったです。英語の読み書き以外は全然ダメだったのでまともに意思疎通もできず、ただでさえみんな自分の仕事で精一杯だったので基本置いてきぼり。何もすることがなかったです。

とは言え給料だけは一人前にもらっていたので、「何の貢献もしなければ、絶対に首になる」と思い、一日も早く会社のために自分にできることをしようと思いました。

幸い社内には教材は豊富にあったので、まずはそれらを読んで勉強しました。Googleでは例えばGoogle MapやYouTube等ほとんど全てのコードがオープンだったので、先輩の書いたコードを見たり、社内のドキュメントを読んだりする生活が半年近く続きました。

藤岡:長かったですね。日本人コミュニティのようなものはなかったのですか?

井上:そもそもGoogle本社で働いている日本人が少なかったですし、私が所属していた事業部には皆無でした。

でも、家族や友人の期待を背負って来たわけですから、「英語ができなくて首になった」と日本に帰るわけには行かない。「とにかく成し遂げなければ」という責任やプレッシャーがあり、これまでの人生の中でも一番頑張った半年間かも知れません。

社内営業をきっかけに評価が180度好転

藤岡:言葉が通じない環境で結果を出すというのは大変なことだったと思うのですが、そんな中で井上さんの評価が変わり、仕事をもらえるようになったきっかけは何だったのですか?

井上:きっかけは社内営業です。本当に仕事がなかったので、よそのチームまで出掛けていって「何か仕事はないですか」と転々と回っていたのですが、そんな中でようやくもらった仕事を一気に片付けると、また新たな仕事をもらえるようになりました。

そのうちに、徐々に「マサは意外と仕事ができる」と評価が変わってきました。与えられた仕事できちんと結果を出すことで、周りの私を見る目が180度変わった気がします。

藤岡:その後、エンジニアとして高い評価を受けていくわけですが、エンジニアスキルを高めるにはどうされたのですか?

井上:教育カリキュラムなどはあまりなかったので、ほとんど自学自習です。

自分が今いるプロジェクトに必要なスキルが何かもあまりわからない状態だったため、非常に広範囲を勉強していたのですが、これが後になってすごく活きました。

とくに、今までにないプロジェクト等では過去の知識だけでは太刀打ちできず、その周辺やボトムの知識・技術が必要になったりするのですが、そういう場面で役に立てることが増えて来ました。

それからはちょっと複雑な、今までとは違った新たな知識や技術が必要なプロジェクトを任されることが多くなり、きちんと達成することで評価もされるようになりました。背水の陣でがむしゃらに勉強した経験が、最後まで私のアドバンテージとなりました。