雨乞いに使われたマヤブルーとは?

20世紀初頭、アメリカのエドワード・トンプソンという探検家が、メキシコのユカタン半島の北部の近くで、セノーテと呼ばれる聖なる泉を発掘しました(チチェン・イッツァ遺跡)。

そこで、彼は、器、文物やの127個もの骸骨からなる、14フィート(約4.27メートル)に及ぶ青い沈殿物を発見しました。なかなかクールでしょう?

しかし、どうしてこれらの器物と人体が泉にあり、14フィートもの青い顔料が作られ、今まで何世紀の間も青いまま残っていたのでしょうか?

この活力に満ちた青い色は、マヤブルーとして知られています。これは紀元800年頃から作られていたことがわかり、16世紀まで使用されていたという記録があります。しかし、この技術や生産方法は長いこと失われていました。

この色彩は、何世紀も前の陶芸や、手稿、宮殿壁画など、マヤの人々によって作られたほかの文物にも発見されています。農業に従事する人々にとっては、非常に強い意味があり、チャークと呼ばれる、雨の神と人間の生贄の神の色でした。

気候は乾燥し空は曇天のとき、ちょうどマヤブルーのように、人間の生贄はこの色彩で描かれ、雨への願いが神聖化されたのです。しかしながら、人間の生贄よりも多く、文物や陶芸品には、この色彩が同じ目的で着色されました。ですから、泉の中身はこれで説明できるでしょう。

なぜマヤブルーだけが鮮やかに残り続けた?

ただ、非常にユニークなことに、この顔料は尋常でないほど持続しました。ほかの色彩が色褪せてしまってからも、厳しい気候のなか、長い間鮮やかに残り続けたのです。

長いこと化学的な安定性を保っていたのは非常に不思議なことです。時間の経過や、酸や天候や、近代の化学溶剤にすら耐え、いかにして残ることができたのでしょうか?

1960年代になって初めて、科学者はその成分を解析するのに成功しました。インディゴという植物基盤の染料と、パリゴルスカイトという粘土のミネラル、この2つが熱で溶けて混ざり合い、顔料を形成したのです。

研究者はインディゴを熱する過程の中で酸化され生成される、デヒドロインジゴが顔料のサンプルに含まれていることを発見します。そして青いインディゴは、黄色いデヒドロインジゴと混ざったときに、より緑色を帯びた特長的な鮮やかな色合いになります。

2008年には、この顔料はインディゴを燃やすという儀式の間、パリゴルスカイトという粘土、そしてコパルという香の火と一緒になって残され、この3つは、水の癒しの力の象徴であったと推測されました。

言うまでもなく14フィートの顔料は聖なる泉の底に敷くものとして、非常に重要だったのです。一方で、人間の生贄の色という評判は、やや違うように受け取られ、映画や漫画でドラマ化されました。しかし、数百年の間も残ることがなかったら、我々はこの色彩の重要性を知ることができただろうかと考えるのは興味深いことです。

顔料が残っていないほかの文明では、どんな色彩が彼らにとって重要だったのでしょうか? そして、彼らの壁画や彫刻は制作されたときどのように見えたのでしょうか?

これらは決して知ることはできませんが、また、なにかしら新しいことがわかるといいと思います。