世界を見るには田舎に行くこと

辻信一 氏(以下、辻):確かに本当にこの世界の仕組みは、とても複雑だけど、見事に作られていて、僕らもいつの間にかいろんなことを信じ込まされています。そして、地域に行くとそのことに気づかされる。

山崎亮氏(以下、山崎):そうです、確かに。

:だから今までは都会にいたほうが、世界がよく見えて世界とつながっている感じがしたけど、今はまったく逆になっているんじゃないか。本当にスキッと世界が見えている人は、すごい田舎に実はいる。

山崎:(笑)。そうですよね。昨日、僕は秋田県の大潟村というところにいたんです。大潟村にいて、今日帰ってきた。

:干拓の?

山崎:そうです。今Googleマップに切り替えますね。位置わかりますか? ちょっと奇妙な形をしていますけど、もともと八郎潟(はちろうがた)という湖だった所を干拓した、ここが大潟村(おおがたむら)です。

今、八郎潟になっていますが、潟も含めたここが全部、湖だったんです。湖だった所にここの周りにずーっと堤防を作って、中の水を外にポンプでダーッと出して、この水が外に出ていって、ここが湖底になるんです。湖の底が見えてくる。そこをみんな土地にして、ここに入ってきた。だから八郎潟は橋がいくつかあるんです。

橋を渡って中に入ってくると、緩やかに3メートルくらいどこも全部下がっている。あとは湖底だった場所でみんな農作業をやっている。

第1世代が1960年よりちょっと前に入りまして、今第3世代くらいまで、孫の家まである状態になっています。主たる産業は農業なんですが、ここでこれからの町づくりの10年を考えたいと、昨日がそのキックオフ、スタートだったんです。

行ってきて町民に集まっていただいて、いろいろ話を聞いておもしろいなと思う点がありました。さっきもちょっと話させてもらったんですが、僕はもともと農学部で自然環境とか植物とか生態学を学んできた。だから、こうやって水をバンバン抜いちゃうと、自然を破壊しているような感覚になる。

古い事業として、こんなふうに自然を人間が無理矢理に変えて、干拓なんてやって大丈夫か? と思ったんですが、生物の多様度が圧倒的に上がっているんです。従来、湖だったから、いなかったはずの狸も蛇も川を泳いで渡ってきて新しい生態系を作っている。道路が本当に細長い橋しかないので、車が通っているところに動物は通らない。

泳いで渡ってきた動物がここにどんどん入ってきて、干拓当時に見られた生物が20種類くらい。それが今は300種類以上の動植物が入ってきていることがわかっている。

それに水の部分もまだ残っているから、水だったエリアのときに生きていた生物はまだ生きている。なので、湖面だったとき以上に多様度があがっていると、住人と話をしていろいろわかってきた。

同じ村なのに食文化が違う

山崎:計画的に作っている町なので、コンビニも自由に作れないんです。干拓して作った土地という特徴もあるので、農地はもう絶対に農地として残しておかなきゃいけない。なので、住居があるのが、この大潟村役場の周りにだけ白い線が入ってますよね? それ以外ずっと補助整備されているので、ここしか人が住んじゃいけないんです。

そもそもコンパクトタウンというか、すでにコンパクトにできている。ここに第1世代が入り、第2世代が隣に入る。ちょっとずつ入植者たちが農業をやって、農業も生産としてうまくいっているので、子どもたちがUターンして必ず戻ってくる町になっていたんです。

ここで昨日ワークショップをやってみたら、地域の人たちが自分たちの地域の良いところと悪いところをよくわかってくれている。一方で不便な点になると、やっぱりコンビニがない、コーヒーショップが近くにないみたいな話が出てくる。

こういう所って、今のところそういうものが入ってきていないので、かつての干拓の第1世代の人たちがやってくれてたものをうまく引き継ぎながら、ここで自分たちの固有の営みを作っているんです。

いくつかおもしろいな、固有だなと思うことがいっぱいあったんですが、例えば干拓なのでここに入ってきている人は全国各地から来ている。なので、家の料理がぜんぜん違うんです。だからそれを食べ歩くだけでもすごいおもしろい。

それぞれのお国自慢の料理をみんながご馳走できるからおもしろい。そういうのが本人たちが干拓を通じて、否応なく集まってきたけれど、作りだしてきた固有の状況です。

唯一無二のカルチャーをつくる

今回、唯一無二のローカルを、地域をどう作っていけばいいのかというテーマです。ふと思ったのが、唯一無二の地域の文化って、我々みたいな外から行った人間が「これやれ!」って言って作るものではない。その地域にいる人たちが、ムズムズと作り出して、日々の生活を耕している中から生まれてくるのがカルチャーになっているんじゃないかと、僕はとらえていた。

今回のテーマを考えた時に、なんとなくできあがっていくものだから、そんな唯一無二は、僕と辻さんが話をして「これだ!」って言って出せるものじゃないと、昨日のことを思い出していた。

でも僕らが関わらないで、自然とやっていたらこれからこの村はどうなっていくだろう? と、昨日のワークショップを思い出していたらグローバリゼーションの情報が入ってきている。

だから、なにも手を触れず、大潟村に誰も口出さなければ、村の人たちは結局、コンビニを呼んでくるだろうし、コーヒーショップを呼んでくることになる。だから、これから先はこのまま放っておいたら、唯一無二のことができると手放しでは喜んでいられない気がしたんです。

誰かが恣意的に唯一無二を作ることはできないけど、じゃあ放っておいたら唯一無二の地域ができるか? その生態系や文化や方言や、いろんなものが混ざって唯一のものができるかと言うと、放っておけば放っておくほど、どこにでもある一般的なものに近づいていく。それが今の地域がおかれている、ある種の状況かもしれないと。これは答えがないから、辻校長に聞いてみようと思ったんです(笑)。

コミュニティデザインの本当の意味

:僕は逆に聞きたいけど、「コミュニティデザイン」という言葉をずっと使われているじゃないですか? これ反論もくるでしょ?

山崎:きます!

:「コミュニティをデザインするってどういうことだよ?」って。

山崎:はい。

:そこに関わることだと思うんです。

山崎:そうです。

:だからそのデザインをどう考えるのか? なにか唯一無二を作ろうと思ったら、それを思ってデザインして、僕たちが人為的につくれるものなのか? そうすると背景にあるいろんな文化や歴史、あるいはいろんな所から持ち寄られたものにしても、その背景があるわけですから、その辺はどういうふうに答えられているんですか?

山崎:コミュニティデザインは自分が作った言葉ではなく、1960年代くらいにアメリカでよく使われていた言葉だと説明します。その言葉がどう使われていたかと言うと、地域の人たち、コミュニティの方々が集まって、自分たちの地域の未来をデザインしていく。コミュナルなデザインのような感覚でコミュニティデザインという言葉が使われていたようです。

地域に図書館を造ろうとなれば、みんなが集まりコミュニティでどんな図書館ができたらいいか話し合ってデザインを考えていく。美術館を造りたいときもしかり。地域の人たちが話しあって、デザインを決めていく方法。

:それってコミュニティをデザインするんじゃないですよね。

山崎:違いますよね。だからデザインwithコミュニティというか、コミュニティをデザインしちゃうんじゃなく、コミュニティと共にデザインする。そういう作業をしましょうという意味でのコミュニティデザインだった。

それを聞いて、じゃあ日本において、これから建物を建てる時代ではないので、だったら今度は、地域の人たちに集まってもらって、我々の地域はこれからどうしていったらいいだろう? 自分たちでやれることはやろうよという、地域の未来を現実的に自分たちでデザインしちゃう。それをコミュニティデザインと呼ぼうって言って始めたんです。

けど、よく言われるのが、先ほどご指摘の点です。「コミュニティをデザインするなんて、そんなことはできない!」「マッキーバーの昔からコミュニティとアソシエーションがありましてな!」なんてことをよく言われます。なので、「すいません、僕はアメリカの言葉を借りてきただけです」と言うようにしています。

近代派でも保守派でもない第3の波

:ソーシャルエンジニアリングという言葉があるじゃないですか? 要するに社会はエンジニアリングで、人為的にいろいろこしらえたり、動かしたり左右することができる。普通はとても危険な考え方として批判されることが多いけど、コミュニティデザインも下手するとそういうことになりますよね?

山崎:そうですね。

:もう1個とても似た言葉で、すごく好きな言葉なんですが、カルチャークリエイティブという言葉がある。これは1999年くらいにアメリカで高まった運動です。確か2000年に本が出た。タイトルが『Cultural Creatives』。形容詞で難しいので、カルチャークリエイティブと呼びましたが、文化創造者たち。文化を創る人びと。僕ももともとは文化人類学なので、文化を創るってどういうこと? って普通だったら思うわけです。

山崎:たしかに。

:2001年に例の9・11がありました。この本が出た少し後なんです。9・11が起こって、そしてカルチャークリエイティブ的な高まりがシュンとなっちゃったように見えた。

山崎:そうなんですか。

:しばらく地下に潜ったというか、見えなくなっている。最初『Cultural Creatives』の本が出た時はすごい衝撃的だったんです。書いたポール・レイによれば、アメリカの現代史は、だいたい2つの流れに代表される。それはモダンズという、いわゆる近代派と、保守派・伝統派がずっとせめぎあってきた。

でも圧倒的に近代派が強いわけです。でもそこに60年代の終わりから、第3の潮流が出てきた。ヒッピーとか、ああいう感じで出てきたけど、当初は人口で言えばせいぜい2、3パーセント。

その後、ブームが去った感じで誰もそれを忘れていたのに、実は、80年代90年代にどんどん増えてきて、そして現在、つまり2000年には30パーセント以上、3割になっていた。そういう本だったんです。つまりこれはモダンズとも保守派・伝統派ともぜんぜん違う、新しい価値観をもった、新しい文化を作り出すような母体ができている、という研究だった。

本の1番最初に紹介があって、「みなさん想像してみてください。このアメリカにドーンと真ん中に新しい国ができて、その人口がフランスぐらいだったら、どうですか?  でも、それくらいの変化が今起こっているんですよ」と本の最初のページに出てくる。

これがカルチャークリエイティブなんです。ところがその後の世界の情勢が、ご存じのように9・11があって、その後テロにつぐテロで大きく変わってしまった。カルチャークリエイティブたちが、メディアの表面を飾ることがほとんどなくなった。

山崎:うーん。

:じゃあ消えたのかというと、僕はぜんぜんそうじゃないと思っている。やっぱり3割くらいの規模でずーっとある。

その後、他の国でも、日本でも同様の調査があったけど、やっぱり、25パーセントとか30パーセントくらいは明らかに近代派とは違う価値観だという結果です。(山崎さんは)そういうのを代表する人じゃないですかね。

山崎:代表はしていないですよ。

:いやいや、本当に僕はそう思います。文化を創造すると言うと一見すごく……。

山崎:ちょっと傲慢な感じ。

:そう、傲慢な感じがするんだけど、実はそこまで近代派とその経済は、文化を荒廃させてきた。でも人間は文化なしには生きられないわけです。だから文化が荒廃したらどうするかといえば、人々は作っていくんです。

ある意味ではそれはかなり、悲劇的なことです。文化がそこまで荒廃したという意味では。でも逆に考えれば人間の歴史で、初めて文化を作るということを自ら自覚して、それを実際に自分の仕事にしていくなんていうことが、僕らの時代に起こっていると考えればとってもクリエイティブ。とてもおもしろい。

山崎:たしかに。文化というと、なんとなく引き継ぐものとか、あるいは、それになにかちょっと付け加えていくことで、脈々ときたところがある。けど、そうも言っていられないくらい文化がなくなってきちゃうと、誰かが作り出すということになってきている。