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トークシリーズ『0場』第1夜「寛容社会」(全4記事)

2017.12.20

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寛容とは“技術”である 多様性を受け入れるために私たちが考えるべきこと

提供:東京芸術祭

東京の多彩な芸術文化を通して世界とつながることを目指した都市型総合芸術祭「東京芸術祭」。そのなかで、「寛容社会」をテーマとしたトークシリーズが行われ、演出家でありアジア舞台芸術人材育成部門プロデューサー、SPAC(静岡県舞台芸術センター)芸術総監督でもある宮城聰氏、LIFULL HOME'S総研所長の島原万丈氏、フリーアナウンサーの中井美穂氏が登壇しました。ダイバーシティが声高に叫ばれる時代において、寛容とは何か、そして芸術はその流れにどう関わっていくのかについてさまざまな視点から議論が交わされました。

寛容とは技術である

森隆一郎氏(以下、森):次に島原万丈さんに、研究の成果などをお話しいただきたいと思います。実は「寛容社会」というのは島原さんのレポートから、そのままいただいちゃいました。

島原さんは、まさに「寛容社会」というレポートを出していて、宮城さんの話から引っ張ってくると、祭りは分断を縫合する技術の部分がある。「寛容というのは、実は技術なんだ」と島原さんは分析されていらっしゃいますので、そのあたりを含めてお話をいただければと思います。

島原万丈氏(以下、島原):どうも、こんにちは。島原です。私は、いわゆる不動産ポータルサイトのなかにある研究所にいるので、演劇とかそういったところにはまったく縁がないんですけれども、こういった調査研究レポートを作りました。「寛容社会」というタイトルですね。

私自身は、年に1回、とくに住宅や不動産や都市、つまり暮らしに関わる領域についての調査レポートを書いて発表しています。「寛容社会」は今年のはじめに出したんですが、これを作った経緯としては、トランプ大統領の言動が象徴的ですけれども、世界中が排外主義的になっているという危機感がありました。運よくそうはなりませんでしたが、ひょっとすると2017年は、EUが瓦解してもおかしくない状況がありました。

背景としては、やはり移民の問題がすごく大きいわけです。それなら日本は関係ないと思っている方も多いかもしれませんが、日本でも外国人が増えているんです。230万人ぐらいの外国人がすでに日本国内に住んでいます。人口比だと1.8パーセントぐらいなので、ざっくり2パーセントと思ってください。

「2パーセントって、たいしたことないんじゃないか?」と思うかもしれませんね。ヨーロッパだと、直接の移民だけで15パーセントぐらいいて、2世、3世まで入れると3割、4割は当たり前という状況ですから、(日本は)非常にまだ少ないんですけれども。

230万人ってだいたいどれぐらいの規模かというと、名古屋市の人口と同じぐらい。宮城県の人口と同じ。生活保護受給者よりも多い。農業をやっている人よりも、ぜんぜん多いです。これぐらいの規模なんですね。だから、決して230万人って日本において小さい数ではないわけです。

そのうち半分以上は働いている。ということは、もし100万人以上の労働力がボーンといきなり日本からいなくなったら、たぶん東京で生活できないですよ。コンビニが開かない、居酒屋が開かない。工場のラインも止まる。Amazonの仕分けもできない。こうなります。

それぐらい大きなインパクトがあります。彼らは、もう日本の社会、産業に欠かせない人材としているわけですね。単純労働力としてだけではなくて、ITなどの高度人材としても。それなのに住まいの分野で言うと、外国人はいまだに、外国人であるというだけで住宅の確保すら難しくなっている。

外国人であるということだけで断られたり、「日本人の保証人を出せ」と言われてしまうんです。無茶言うなって話ですよね。

自分が海外で暮らすときや自分の子どもが海外に留学するときに「日本人はお断りなんです」と言われたら、「冗談じゃねえよ」と思うじゃないですか。こんなことが堂々とまかり通っているのが、日本です。大都市東京でも、ほとんどの不動産屋は外国人お断り。「うちは対応できません」と。

「外国人が増えると治安が悪くなる」は根拠のない誤解

島原:こういう状況があるなかで、日本人は外国人に対してどう思っているのかを少し調べました。インターネットで調べたので、ざっくりした調査ではあるんですけれども。

「今後外国人ともっと交流していきたいと思いますか?」とアンケートをとると、交流希望は35パーセント。そして33パーセント、同じぐらいの人は「交流したいと思わない」と回答しているんですね。外国人の方は、当然あらゆる場面で日本人を頼って生活をしていくわけですけれども、日本人の中には外国人と交流したくない方が3人に1人ぐらいいるんです。そのなかには言葉の問題もあるんでしょうけど。

職業別に見ていくと、悲しいかな、あまり解釈はしたくないですが、無職の方では、交流希望が顕著に低い。それから、これは「自分が住んでいる地域に住んでいる外国人を、地域の一員としてどの程度認めていますか?」と聞いた質問です。37パーセントの方は「認めている」と言っているんですけど、逆にそれ以外の方はそうでもない。「なんとも言えない」だけでなく、「認めていない」という方もいらっしゃる。

この質問は相手の外国人の国籍別に集計しているんですけど、とても発表できないぐらいひどい結果でした。

これから日本には、外国人が増えていくんですね。これはもう既定路線と言っていいと思います。安倍総理はニューヨークの国連でスピーチをしたときには、「日本はこれから世界最速で永住権を取れる国にします」と言っている。入れる、入れないではなくて、どういう人をどれぐらいの速度で入れていくかというレベルにはなっているんですね。

ただし、「外国人が増えていくことについてどう思いますか?」と聞くと、「とてもよいと思う」という日本人は4、5パーセントぐらいで、「よいと思う」と合わせて肯定的な人が25パーセントぐらい。しかし、「あまりよいと思わない」と「まったくよいと思わない」を合わせると、それよりも多くて31パーセントぐらいは否定的になってしまう。

なぜそんなに否定的になるのか。理由を聞くと、「外国人が増えると治安が悪くなる」「公共マナーが悪化する」と思っていらっしゃる方が、たいへん多いですね。外国人が増えると治安が悪いって、元都知事の、石原(慎太郎)さんが都知事時代にギャーギャー言ったせいもあるかもしれませんけども、多くの人が外国人の増加イコール治安の悪化というイメージを持っている。

本当にそうなのかと見てみると、先ほど外国人は230万人で過去最高だというデータがありましたね。しかし警察の統計を確認すると、外国人犯罪はいま過去最低です。2005年をピークにその後一貫して減っているんです。いまはピーク時の7割減です。

外国人が犯罪を犯す割合は、在留外国人の人口比でいうと、0.2パーセントです。この犯罪率は日本人全体と同じなんです。なので、外国人が増えると治安が悪化するとか、外国人が犯罪を犯しやすいというのは大嘘なんですね。まったく根拠がない。

しかも、この犯罪件数の中には単なるオーバーステイも多く含まれます。つまり外国人の犯罪者の中でも凶悪犯はそんなに多くない。でも多くの日本人は根拠のないイメージで外国人が犯罪を犯しやすいと思っている。

賃貸住宅なんかで、「外国人お断り」となるのもこのパターンです。「外国人はうるさい!」「マナーが悪い!」と思っている人が多いんですね。でも、これも少し誤解がある。国にもよりますけど、外国人の方は、基本的にお家は友達や近くの人を招いてワイワイと楽しく交流する場所でもあるんですね。

だから、週に1回ぐらいはパーティーをやるという方が多い。しかし日本の賃貸住宅は、とにかく静かにしないと近所からどんどんクレームがくる。子どもが騒ぐともう大変、みたいなね。賃貸住宅に住むお母さんはすごく気を遣わなければいけない。

そこにはマナーの違いがあるだけであって、マナーが良い、悪いではないんですよ。そういうことが知られていないのかな、という問題はあります。

外国人との交流が社会全体の寛容度を高める

島原:さらに見ていくと、これはちょっと難しいんですけども。先ほど「近くに住んでいる外国人を地域社会の一員として認めますか?」と質問していましたよね。これを「あなた自身は、自分は地域社会の一員として認められていると思いますか?」という質問の回答と掛け合わせてみました。

「自分自身が地域社会の一員として認められている実感がない」と答えている方は、外国人に対しても否定的なんですね。自分が社会の一員だということが実感できている方は、外国人も地域社会の一員だと答えることができる。

自分が地域社会の一員として認められていると実感できるかどうかは、地域社会における友達の数とものすごく大きな相関を持っている。そして地域社会における友人の数は、賃貸住宅に住んでいる人のほうが少ない。賃貸住宅というのは隣近所とまったく付き合いをしないように作られているんですね。

分譲マンションだとオーナー同士のコミュニティが必要なんですけども、賃貸住宅はオーナーがいて、最大効率で稼ぐために床面積を可能な限り部屋にして、住人同士が触れ合う共用スペースが作られません。住民同士があまり仲良くならないように運営しているふしもある。

仲良くなったらなぜ困るか。みんなで結託して、家賃の交渉をされたら嫌だからなんですね。アパートでは最近は空室が多いですから、家賃を下げて募集したりするんですけど。そういうのがばれると嫌だ。いや、もう「ネットで調べればわかります」という話なんですけども。

そうやって分断されてしまっているんです。そういう暮らし方をしている人が、やはり地域社会で自分は承認されていないと感じる。そういう人が外国人も承認しないと言っている。そして、外国人が増えるのは嫌だと言っているんですね。

外国人と交流したらどうなるのかというデータを見てみます。これは、現在外国人と比較的交流があるという方と、まったくない方を分けて、「外国人が増えたらどうですか?」と聞いてみました。

そうすると、あまり数は多くないんですけれども、交流度が高い方は「外国人が増えることはとてもよいことだ」とポジティブに答える。これは、「そういうふうに外国人がウェルカムな人たちだから付き合ってるんだよ」と思われがちなんですが、実はちゃんと因果関係があります。

外国人との交流はどうやってはじまるかと言うと、自分が外国人と友達になろうと出ていっているような話ではなくて、ほとんどの場合は職場や学校で受動的にはじまるんです。職場にいる。学校にいる、友達にいる。子どものクラスに外国人がいる。そういったところで付き合いができるんです。そして重要なのは、交流をしている人ほど、外国人が増えることに対してポジティブに見ているということなんです。つまり交流のきっかけが必要だ、というデータなんです。

「寛容社会」というタイトルをつけたこの調査レポートでは、外国人との交流が、社会全体の寛容度を高めると提言しています。外国人との共生のことは、多文化共生という言葉で語られます。それをサブタイトルにして、メインタイトルを「寛容社会」にしたのは、外国人の問題というのは、実は寛容の話をする1つの材料であって、ここをきっかけに社会全体の寛容性を議論したいと思ったからなんですね。外国人との共生は、寛容で多様性のある社会のメルクマールなんです。

調査項目にもそれを仕込んでみました。これはどういう質問かと言うと、「あなた自身についてお聞きします。自分とは価値観や判断が異なる人の存在や、意見をなるべく認めようとしていますか? 『はい』か『いいえ』で答えてください」という質問です。単純な質問です。

それを、外国人と交流している人と、していない人で比べました。そうすると、当然ですが交流度が高い方のほうが圧倒的に「違いを認めましょう」という態度が認められました。

ですから、ひょっとすると賃貸住宅の暮らしや地域の社会の暮らしと、社会全体の寛容性はまったくレイヤーの違う話かな、と思われるんだけれども。実際には日々暮らしている家や町のなかでの人との交流というものが他者への承認に繋がっているし、それはとりも直さず、自分自身の承認にも繋がっている。そのことが社会全体の寛容性を高めている可能性が高い、ということでレポートをまとめさせていただきました。

これを拾っていただいて、今日のお題にまでしていただいて、ありがたい話でございます。すみません、私の方からはこんな感じで。

演劇は社会や自分を知る鏡の役割

:ありがとうございました。ということで、今、いろいろなキーワードが出てきました。宮城さんが「分断」というテーマを芸術祭に対して設定した。同じように、外国人をモチーフにしているけれど、実は日本のなかにいろいろな分断があるということが、このレポートで明らかになってきた。そっちじゃない方向にいくには、交流しないといけない。

島原:交流。この結論としては、単純な話なんですけどね。

:さあ。さて、中井さん。

中井美穂氏(以下、中井):ええ?

(一同笑)

:中井さん、ちょっと……。

中井:私、ここで話せるようなことは、なに1つないんですけど。

:いやいや、閑話休題的に聞きますけれども。

中井:はい。

:演劇をよく見に行く方は、けっこうな頻度で中井さんを目撃しているんじゃないかと思うんですよ。舞台ではなく客席のほうで。ものすごい数の演劇を見ていらっしゃいますよね?

中井:そうですね。舞台を作ることもしませんし、出ることもしませんけれども、年間230本ぐらいですかね。演劇を見るのが、私の日常になっていますね。

自分でも、「なんでこんなにお金と時間を使って、シェイクスピアとか、歌舞伎とか、宝塚とか、居もしない世界とか居もしない人たちに、感情を揺らしにわざわざ自分の肉体を使って行くのだろうか?」と、すごく不思議でしょうがないんですけどね。

たぶん、いろいろなことを知りたいんです。私は昭和40年に生まれていて、だいたい80歳か90歳くらいまで生きると考えても、自分の経験できることなんて本当に、すごく少ないですね。

いろいろなことを勉強したとしても、それがリアルに自分のなかに立ち上ってくるほどのイマジネーションもない。となると、誰かが書いたもの、それが2,500年前のギリシャ悲劇か、現代に生きている人が例えば震災をモチーフに書いた新作なのか、それは問わず。

いろいろな人が、いろいろな目で見てきたことを、今生きている人の肉体と声を通して再現してほしいですね。見せてほしいです。だからいろいろな世界に、客席に座った段階であらゆる世界に飛んで行くことができる演劇というのは、私にとっては社会を知るツールなんです。

社会を知って、なおかつ自分を知る鏡の役割を示してるんじゃないかな、と思います。

:子どもの頃からそうだったんですか?

中井:子どもの頃に、美内すずえ先生が描かれた『ガラスの仮面』という、演劇少女「北島マヤ」を主人公にした漫画と出会いまして、「演劇っておもしろい!」と。自分じゃないものになりたいという願望が、たぶんどこかにあるのでしょうね。

だから、そういう自分じゃないもの。自分なんて本当になにも持っていないから、違う人になって違う目で世界を見てみたい。あとは、やはり演劇ってなんでもできますから。宇宙旅行だって行けるし、何千年も前の、あったかないかもわからない世界に簡単に飛んで行くことができるので。

現代では絶対にできないこと。それは犯罪もそうでしょうけれども。それから寛容、不寛容の世界も描けるし、なんだって描くことができる。そのなかから、自分がなにを感じるのかということは自分の問題なので。

あとは、今生きる人が自分の肉体と声を貸し出して、それを再現するというライブの再現性もすごくおもしろいと思うんですね。俳優ってすごく不思議な職業だな、と思っていて。人形みたいじゃないですか。

観客が文字通り“置き去り”になって終わる演劇

:そうですよね。そうやっていろいろな世界を追体験というか、その場で……たぶん、画面やスクリーンで見るよりも、演劇の場合は追体験の度合が違うと思うんですけれども。

先ほどの分断は、結局どんどん閉じていってしまうということですよね。なにも外と交流しない状態が分断ですよね。一方で、舞台経験というのは客席に身を置くだけで、それだけいろいろな世界に、リアルタイムというか、ライブ感たっぷりで体験できるということだと思います。これまでご覧になってきた演目などで「これは!」と思ったことはありますか?

中井:私は、野田秀樹さんの『キル』という作品が印象に残っています。チンギス・ハンとか、文章として読んだことはあるのですが、そういった世界のことが、こんなに日常と地続きでジャンプしながら私の心のなかに入ってくるのか、ということで『キル』という作品がすごく印象深かったですね。

あと、外に連れ出してくれるという意味では、庭劇団ペニノというところの主宰をしているタニノクロウさんが、何年か前に『タニノとドワーフたちによるカントールに捧げるオマージュ』という作品を、東京芸術劇場の地下1階にあるアトリエイーストというところで、真っ暗な中、やったんです。

最終的に真っ暗な中でどう動くのかというのは、おおまかな台本はあるんでしょうけれども、やってみないとわからない。そこにいる観客の参加度合いによって、話がぜんぜん違ってくるということをタニノさんがうまく役者を誘導しながらそこに持っていって。

ドワーフたちと台車型の方舟を運ばされてアトリエから出て、芸術劇場の地下1階のエスカレーターに乗らされて、外に連れ出されるんですね。それで、最終的には役者が全員、そこから散り散りになっていなくなっちゃって、観客が置き去りになって終わる、という演劇だったんです。

「なんだこれ!?」と思って。劇場と思わしきところに入って行って、なにを見せてくれるのかと思ったら、なにも見せてくれない。ただ入りたければ入って行くこともできるし、そこでなにかを勝手にこちら側が見つけて、最終的に外に放っぽり出されるという経験が、すごくおもしろかったんですよね。なんのオチもつかないんです。

島原:あまり詳しくないので、素人丸出しで恐縮なんですけど。演劇と映画の違いって、演劇って観に行っているこっちも作品の一部にされてしまっていることがありますよね。

中井:そうですね。だから行くんでしょうね。

島原:単純にスクリーンのこっちで見てるんだけど、お客さんじゃない感じがしますよね。

中井:はい。最終的には外に放っぽり出されて、そこからどうするのかというのは自分の自由。

:拍手もできず?

中井:拍手もできず。なんだったのかわからなくて、観客みんな「え? え?」となって終わり。

実は観客が演劇の空間を作っている

:(客同士で)話し合ったりしたんですか?

中井:なんとなくそこはお客さんの間で、「このなんだかわけのわからないものを乗り切ろう」という変な一体感みたいな。あと「こんなものを見に来た私たちって変わってるよね」みたいな。演劇は、とくにそういうものがありますよね。宝塚ファンとかは顕著ですね。

(一同笑)

頼まれてもいないのに、とにかく宝塚歌劇のよさを1人でも多くの人に伝えよう、1人でも多くの同志を増やそうと、布教活動に励んでいる(笑)。なんでしょうね。なにか繋がりというか、分断ではなく逆にくっつきたいという気持ちがある。あとは「知ってほしい」というのがあるんでしょうね。

たぶんそれは、作品や劇団を知ってほしい、ということと同時に、自分もわかってほしいという。すり替えなんじゃないかなと思うときがあるんですね。

:タニノクロウさんの芝居を、演劇を見たことがあるという方、どれくらいいらっしゃいますかね?

中井:たぶんいらっしゃると思う。

:世間としては比率おかしいですけども。

(会場笑)

中井:おかしいぐらいです。

:相当変わった作家さんですよね。

宮城聰氏(以下、宮城):うん。そうですね。

中井:演劇祭にも、野外劇などでずいぶん参加していらっしゃいますよね。

宮城:タニノくんが考えることはおもしろいなといつも思っていて。今まさに中井さんがおっしゃっていた通りなんですけど。

演劇って、観客同士が舞台を成立させようと必死になっているんです。これはおかしな話なんだけど、つまりそうなんですよね。劇場というのは、観客1人がこの舞台をぶち壊そうと思えば、1発でぶち壊せるわけじゃないですか。

しかし決してみんなそうはせずに、なんとかこの演劇を成り立たせようとしていますよね。だけど、通常はそのことに無自覚なわけです。観客同士も自分が自分の横の観客と繋がって、スクラムを組んで、なんとかこの90分なり、2時間なりを持ちこたえようとしているということは自覚していないんです。

タニノくんはそういうことを暴き出すんですよね。結局その観客同士が、実は観客が空間を作っていた、空間を持ちこたえさせていたということが露呈するというか。そういう演劇の構造そのものを見せちゃったという。おもしろいこと考えるな、と思いますね。

:分断、交流の話から、演劇にそういうものを繋ぐ力があるということがなんとなく今、出てきたような気がします。別に、既定の方向に持っていこうとしているわけではないですけれども、そういうことがちょっと見えてきました。

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