2024.12.10
“放置系”なのにサイバー攻撃を監視・検知、「統合ログ管理ツール」とは 最先端のログ管理体制を実現する方法
提供:東京芸術祭
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森隆一郎氏(以下、森):みなさん、今日はお忙しいなかお集まりくださいましてありがとうございます。今日は、「東京芸術祭2017 トークシリーズ『0場』第1夜」という会でございます。
これは芸術祭、フェスティバルなんですが、いわゆる舞台の演目、作品を見るだけではなくて、いろいろそこにまつわる街のことや演劇のこと、あるいはもう少し広めの文化のことをいろいろと話し合って、演劇のなか、芸術のなかに閉じない場作りをしていこうということで企画しております。
「0場」(ゼロバ)という言葉を知っている方はどれぐらいいらっしゃいますか? ゼロですか? 別にそこは揃えなくてもいいんですけど(笑)。じゃあ知らないという方は? はじめて聞いたという方。
(会場挙手)
ありがとうございます。舞台芸術では、第1幕とか1場、2場、3場とあります。ところが、幕が開く前から芝居をやっているもの、最近はよくありますよね。客席に入ってくると、なんかもう役者さんが舞台にいるぞ、みたいな。
そういったものを0場と言います。それをメタファーにして、「この場が芸術祭の0場だよ」という意味合いも込めております。
ということで、私の話が長くなりましたが今日のご登壇の方、みなさんを紹介したいと思います。まずは宮城聰さん。
宮城聰氏(以下、宮城):宮城です。よろしくお願いします。
(会場拍手)
森:肩書が長くて、どうしようかなと思って。東京芸術祭の2018から2020までの総合ディレクター。もちろん静岡の「SPAC」(静岡県舞台芸術センター)の芸術総監督でもあります。
次に、アナウンサーの……。
中井美穂氏(以下、中井):中井です。よろしくお願いします。
(会場拍手)
森:中井さんがいるところで司会をするプレッシャーが(笑)。
(一同笑)
中井:いえいえ(笑)。
森:最後に島原万丈さんです。
島原万丈氏(以下、島原):島原です。お願いいたします。
(会場拍手)
森:「HOME'S」という不動産サイトをご存知ですか? 島原万丈さんは不動産を探すときに見るサイト「HOME’S」のを運営するLIFULLという会社のシンクタンク、LIFULL HOME’S総研の所長さんです。いろいろな都市の住環境と、それにまつわる文化のことなども含めてリサーチをして、レポートを出されています。そのあたりのことは詳しく、あとでおうかがいしたいと思います。
申し遅れました。私、司会進行をします、アーツカウンシル東京の広報の森と申します。よろしくお願いいたします。
(会場拍手)
森:みなさんは、あまり肩ひじ張らずに楽しく、お話を聞いていただければと思います。
森:ということで、0場をはじめていきたいと思います。最初、一人ひとり少しずつお話をうかがいながら、進めていこうかと思っています。まずは宮城さん、総合ディレクターということで、お話をうかがいたいと思います。
ここには書いていないんですが、今日は「寛容社会」というテーマを設定しました。ちょっとかたいタイトルで「なんだろう?」と思っている方も多いかな、と思うんですけれども。なぜ寛容社会にしたかというと、宮城さんにこの総合ディレクターに就いていただくときの記者懇談会でコメントを出していただいたんです。そのコメントが、寛容という言葉に対して少しアプローチできるかな、と思っていて。今日はそのテーマにしてみました。
ということで、宮城さん。このステートメントについてお話をいただきたいと思います。
宮城:僕が喋りながら、一応(スライドを)読んでいただければいいのかな。
森:そうですね。
宮城:じゃあこのまま、まずは大学の授業みたいな感じに(笑)。
(会場笑)
「ここ2、3年の世界の状況が1930年代に似ていると思わざるを得なくなってきた。いわゆる分断。社会の裂け目が露呈するようになり、世の中の過半の人が、なにか割を食っているという疎外感を覚えているように思う。そして同時に、どこかに得をしている連中がいるはずだ、と憎悪の対称を探している」。
「これは1930年代のドイツの状況に似ている。そして当時のドイツでは意外にも、公立劇場が得をしている連中、既得権の側にいると見なされていたのだが、現在の東京の演劇界もそれと同じような状況なのではないか、と危惧している」。
「分断の中身は、しばらく前までは豊かな国と貧しい国、搾取している国とされている国。経済植民地にしている国とされている国、という南北問題に帰趨される対立であったが、最近では1つの国のなか、比較的先進国と言われていた国のなかに分断がある」。
ここまでの話について、少し補足します。僕が最初に1930年代のドイツの公立劇場に関心を持ったのは、数年前から日本で、いわゆるファシズムのようなものが仮に席巻したら、そういう暴風が、風が吹いたら、果たして……。僕は今、静岡県の舞台芸術センターという公立劇場の芸術の監督をしているんですけども。僕らのような公立劇場は、どういう立場に立つべきなんだろう? あるいは、どういうことができて、どういうことができなくなるんだろう?
例えば昔のイメージだと、権力側と民衆という二項対立でものが考えられて、権力側にはだいたい金持ちとかがくっついていて。民衆のほうは、人数は多いんだけど力がない。そうすると、アーティストは民衆の側に立つ。例えば公立劇場も国が作っていた劇場だけど、アーティストは民衆の側に立ったんだ、という話が、60年代末まではあったわけですね。
でも、日本でもそうだったんですけども、ファシズムというのはむしろ民衆の側にあるんですね。つまり過半の人が排外的になるわけです。その状況においては、公立劇場のアーティストは、あるいは公立劇場で働いている人たちは、どこに立てばいいのか。どういうことをすればいいのか。ということを考えちゃったわけですね。
「このあと、この日本はこういうふうになっていくかもしれない」「じゃあ我々公立劇場の人間はどうしたらいいんだ?」と。過去の日本のファシズムのことを考えても、そのときに公立劇場は日本にできていない。どこかにあったのかと考えたら、ドイツにはあった。ドイツは1930年代のファシズムの時代に、公立劇場という制度がすでにある程度整っていたから。
「じゃあドイツだけは参考になるかもしれない」と思って興味を持ったんですね。1つわかったことは、30年代のドイツにおいては、過半数の人、つまりは庶民は、劇場というのはエスタブリッシュメント、既得権層の巣窟だと考えていた。
でもそのことに、劇場のなかにいる人間はまったく気付いていなかった。だから、これは日本でも大差ないなと思ったんです。つまり、演劇なんかやっていると「自分以上の庶民はいない」とどうしても思っちゃうんですよね。演劇をやっている人間は、なんて言うんでしょう、無一物というのか。我々ほどの無産階級はいないって思っちゃうわけですよ(笑)。
演劇を作っている側、あるいは演劇の制作をしていると、まさか自分が既得権層の側に属しているなんて思いもよらないわけですね。しかし過半の人から見れば、あんなに余裕のある連中はいない、と。あんなに高い入場料を払って、教養がないと楽しめないらしきことをおもしろがっている。
経済的にも教育的にも、本当に上澄みの連中の娯楽だと思われている。この、アーティストや制作あるいはテクニカルの劇場をやっている側と、外から見られているポジションというかイメージは、ものすごく解離している。これはもう今の日本でもそうなっちゃっているんじゃないかな。
そのことに対して、フェスティバル、芸術祭というものはなにがしかのインパクト……撹拌と言うのかな。アゲインストなことができるんじゃないかなと考えたんですね。劇場というよりも、フェスティバルが発する役割として、今申し上げたような、世の中で「演劇はこういう連中がやっているもの」とイメージが固まってきてしまったものを、なにか撹拌することができるんじゃないかなと1つ考えたんです。
宮城:そのとき、僕としては第3世界の演劇祭が参考になったわけなんです。具体的に言うと、僕はコロンビアのボゴタというところの演劇祭に2回参加したんです。コロンビアは地下資源が豊富で、実はけっこう面積も大きい国です。そのぶん、利権を持っている人たちとそうじゃない人たちの格差が非常にある国ですね。
実は日本ではあまり知られていませんけれども、その利権を持っている人たちは私兵、プライベートな軍隊を持っているんですよ。その私兵を持っていて、戦争みたいなことがけっこう今の国内で起こっているわけなんです。
でも、演劇祭の間だけはその内戦が止むと言われているんですね。だいたいボゴタの演劇祭は、イースターの1週間~10日前なんです。毎年それは決まっているんだけれども、その間だけは内戦が止まると言われている。
「そういう演劇祭ってなんなんだろう?」と。日本ではあまり想像がつかないじゃないですか。どの芸術祭をとっても、仮に日本で「そういうものがあるからその間は内戦が止まる」という機能を持つとはあまり思えないですよね。
僕がボゴタの演劇祭をなぜ前から知っていたかというと、それはヨーロッパで超有名なアーティストが次々と招へいされていたんです。ピナ・バウシュとかね。そういう人たちが参加している演劇祭って、それこそエスタブリッシュメントと言うのかな。「そういう人たちが見る、上流階級のための演劇祭なのかな」みたいに外側は思っている。ただ、行ってみたらそうではなかったんですね。
そういうプログラムは旧植民地時代に建てられた立派なオペラハウスみたいなところで、バリッと服装も整えた、お金も教養もあるような人たちで客席が埋められている。そういう場所で、確かにヨーロッパで一流とされているものが上演されているんですけれども、その演劇祭の全体のなかではごくわずか、一部分でした。もっと開かれた、と言うとちょっと単純だけれども、いろいろな人が見られるプログラムがたくさんあるんですね。
例えばサーカスのようなものも入っているし、いろいろなレイヤーがあって、数千人、1万人レベルの、公園全体がお客さんで埋まっちゃうような、無料でやっている出し物。あと道でやっているような出し物。
こういうものが、全部ボゴタの演劇祭の要素になっています。だから、何十万という人が観客になっているわけですね。それを見るとやっと、この期間内戦が止むというのは理解できなくはないな、と思ったんです。
こういう第3世界のというか、ボゴタの演劇祭のようなことを考えてみると、やはり僕らが思う演劇祭は、非常に狭い観客層を対象にしていたんじゃないかと思わざるを得ないですよね。僕たちが演劇祭や芸術祭をイメージするときには、わかる人だけを観客として想定していたんじゃないかって。
「わかる人だけがわかればいいなんて、誰も思ってませんよ」とか言いつつも、大前提としてわかる人のことしか思い浮かべていなかったんじゃないか、なんて思ったわけですね。だから、そうじゃないプログラムを組んでみたいなと思っているところです。
森:ありがとうございます。(スライドを指して)この次が……これですね。「そんな現代の東京で、どのような芸術祭が成り立つのか。どういう役割を果たせるのか。これまでと違うアプローチが必要だろう。そのためには国内、国際、地域の面から考え、光を当てていきたい」。
宮城:1個目は、囲いがなく外からも覗くことができるところで、超一流のクオリティを持った作品を上演し、人が集まる場を作ることですね。2つ目は「結局、東京ってなんだかんだ言ってもおもしろいんじゃない?」というイメージを作る。
3つ目は、2020年に向かって東京一極集中がいっそう加速してしまうのを日本中が危惧しているわけですね。首都圏以外はみんなそう危惧しているんですけど、そうならないような、東京と地域の連携もこの演劇祭のなかに入れていけないかな、ということを3つ目の柱として、最初に言ってみたということですね。
森:はい。「こういう方針ですので、これに則ってプログラミングしていきますよ」という宣言のようなものでもあるということですね。囲いがなく外から覗くことができるところで、超一流というのが気になりますね。祇園祭みたいな感じですか?
宮城:そう、祭りってそもそも演劇そのものというか、おおもとは演劇が祭りだったというか。
森:はい。
宮城:結局は、共同体のなかに必ず生じてくる亀裂、分断。人が集まって一緒に暮らしているうちに、もう原始共産制以外は必ずなんらかの分断は生まれるわけですよ。
ちょっと話が逸れちゃうんだけど、僕、1999年にチベットで公演したんです。チベットで外国の劇団が公演したのは僕らが最初だった。僕はその頃はまだ、SPACに来る前で、プライベートな「ク・ナウカ」という劇団をやっていたんです。
チベットの首都は、ラサ。このラサは、99年の時点ですでに、漢民族の人口がおよそ半分くらいになっていました。つまり、金融や観光客用の観光産業といったたくさんの中国本土の資本が入っていたんですね。
でもそこからバスで、チベットのなかの地方都市に公演に行ってみたら、そこにはまだまだ……循環型の社会というか。日本で言えば江戸時代みたいな、そういうものがあったんですね。いや、もっと単純に言ってしまうと、お金というものをほとんど使わなくていい社会があったんですよ。
着ている服はみんな古着です。全員使い回しの古着を着ているんですよ。古着を重ね着しているんです。ところが、これがべらぼうに美しい。自分のセンスと言うのかな、全員が重ね着がめちゃくちゃ上手なんです。本当に全員違うんですよ。
その村の人たち、村というか小都市の人たち。老いも若きもみんな、誰1人似ていないファッションをしている。素晴らしいんですよ。全部着回しだからお金っていらないですね。まだそういう社会があったんです。
しかしそういうところでも、遊牧民が移住しながら貧富の差ができない昔ながらの社会で遊牧しながらやっていく、ということが終わりはじめていました。
チベットというのは、首都ラサは標高が3,600とか3,700メートルのところで、富士山の頂上と同じくらいです。もうほとんど別世界ですね。天上にもう1つの地面があると言っていいぐらいです。
そういうところなんですけれども、ちょっと小高いところで見渡すと、突然、つい最近できた畑があったりするんですよ。つまり、そこで農耕を始めているわけですね。
遊牧的な生活だと、家畜がその場所に生えているものを食べてなくなると、移動して、そこで食べて。何年かして戻ってくると、また生えているという。だからチベットって、演劇が実は盛んなんです。それぐらいしか娯楽がないから。民間の劇団は、実はけっこうあるんですよ。ただずっとまわっているわけです。だからそれこそ、1年にいっぺんぐらいやって来るような感じ。昔のお能とかと同じで、もう1度来ると3日ぐらいやっているんです(笑)。三日三晩、芝居を見るみたいな感じ。
そのときにつくづく思ったんだけど、それまでの彼らの生活では蓄積するものはほとんどないんです。つまり、ヤクのミルクにしてもバターにしても、そんなに貯蔵できないじゃないですか。
例えば塩漬けにした肉とかもあるけれども、それだってそんなにもつわけじゃないですよね。塩漬けにした肉を銀行に預けるのは不可能ですよね。ところが、お米や麦を作りはじめたら、これは何年でも貯蔵できるじゃないですか。
そうすると、貯蔵ができることによって貧富の差が生まれてくるわけですね。
宮城:こういう貯蔵というものが生まれてくると、これはいったん生まれたらもう元に戻らない。1度、金を貯める。金と言うか、財産というのかな。貯めることを覚えた人は、決して元に戻らないわけです。それを本当に、ありありと目の当たりにして「ああ、この人たちはもう戻らないんだ」「あと何年かしたらこういう風景はなくなっていくんだ」と、実に切ない気持ちがしましたけど。本当にフラットな、貧富のない世界というのはもうなくなっちゃうんだな、と思いました。
そのように、蓄えるということをいったん覚えた人たちのなかには、必ず裂け目ができてきますよね? あまり蓄えていない人と、けっこう蓄えている人。こういう裂け目ができたときに祭りが必要になる。
祭りは言ってみれば、分断を縫合する機能がある。もちろん革命とは違うので、その祭りが終わってみればやはり裂け目はあるんです。でもその社会が、その共同体が崩壊してしまうことを祭りによってなんとか食いとめていくわけですね。
例えば天地が逆になると言うか。その祭りの間だけは、一番偉い人が一番下っ端になり、一番下っ端の人が一番偉くなったりするわけですよね。あるいは祭りの間は、失うもののある人が一番ビクビクしている。そして失うものがない人が、一番威張っているわけですね。
祭りとは、そういう場ですよね。失うものがなければ一番のびのびできる。これはもちろん革命が最高だと考える人にとっては、祭りはごまかしだということになるかもしれない。しかし、祭りは人間が考え出した分断を縫合する知恵ですね。
でも、例えば2,500年前のギリシャのような場所でもディオニソスの祭りというかたちで演劇が上演されて、その市民、社会がそこで縫合されていた。一体感というものを確保する役に立っていた。
この一体感を確保するのは実は、「違いがない」と思い込むことではないんですね。「あいつも俺も違いがないよ」と思うことが縫合じゃないんです。そうではなくて、「違いがあるっておもしれえなあ」って、違いを楽しむ技術なんですね。これが演劇の、例えば2,500年前のギリシャの演劇のおもしろいところなんですね。
確かに、けっこう違うわけです。でもその違う連中が一緒のお盆に乗っかっていると、けっこうおもしろい。それが、テクニックとして洗練されていく。これが演劇なんですよね。
だから、演劇というのは都市で生まれたものなんですね。つまり都市とは、違いがある、違いが露呈している場所。だから演劇は都市で生まれたと言えるし、都市で洗練されていたという。
さらに言ってしまえば、古代ギリシャのアテネのような場所でも、人口の半分はギリシャ語を喋れなかったと言われています。
つまり、異なる文化を持った連中と、案外肌を触れ合わせて生活していた。違う人間がすぐそばにいるという実感がある。そういうときに、「じゃあどうやって違う人間と一緒に暮らしていくんだろう」という知恵が必要になる。そのときに演劇が発展していく。だから都市で演劇で洗練される。
さらに、国際都市でこそ演劇は洗練されるということが言える。ここが、いわゆる芸能と演劇のちょっと違うところ。いわゆる芸能、従来の芸能というのは、観客にとって、共有している価値観を確認するもの。
つまり「ああ、自分たちは同じだ」と思って安心するのが、いわゆる芸能です。古代ギリシャで生まれたような演劇は、そうじゃない。「違うってけっこうおもしろいよね」ということを楽しむ技術。
僕らは演劇祭、演劇の祭りと言っている。その機能の本質は、今申し上げたように、違うということをどうやって楽しむのか。その知恵の蓄積が演劇にはあるはずだ、と。それを復権させよう、蘇らせようということを考えています。
東京芸術祭
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