挫折と失敗を繰り返してきたビジネスマン

樋口龍氏:GAテクノロジーズの代表をやっている、樋口と申します。広報より、「若手のビジネスマンの方に対する講演なので、気合を入れてあげてください」ということで今日来たんですけど、まったくもって私より年齢が上の方が、非常に多いなと!

(会場笑)

ということで、何を話そうかなと思っている次第ではあります(笑)。ちょっと、「若手のビジネスマンの方向けだ」ということをご理解いただきながら、お話を聞いていただきたいなと。こんなに年齢が上の方が多いと思っていなかったので、それはご容赦いただきたいと思っております。

今回お話しさせていただきたいのが、私自身起業して5年になるんですけれども、ここ(スライド)に書いてあるとおり「挫折と失敗を繰り返してきたビジネスマン」かなと。本当に、僕自身人生で勉強したこともなければ、なにかを成し遂げてきたわけでもありません。なので、そういった失敗をしてきた中で今がある、という話をさせていただければと思っております。

私は今、35歳になります。小学1年生からずっとプロのサッカー選手を目指して、サッカーしかしてこなかった人生であります。中学校のときは、FC東京という(現在)J1のチームでサッカーをやり、高校は今はそんなに強くないんですけど、当時強豪だった高校でサッカーをやりました。

本当は高校を卒業したときに、プロのサッカー選手としてデビューしたかったんです。一応高校時代・中学時代は、関東選抜くらいには入っている選手でした。しかし、高校を卒業するときにプロのサッカーチームからオファーがありませんでした。唯一現在のJ2のジェフ・ユナイテッド市原(のアマチュアチーム)からオファーがありました。

でも、そのオファーは、プロの練習には参加できるけれども、お給料はもらえない……というもので、18歳から24歳までやりました。でも、5年ちょっとやったにも関わらず、結果プロのオファーはなく、夢破れてきたと。

とにかく18年間、もうサッカーしかしてきませんでした。それで、24歳のときに「これではもうプロになれないな」と思って諦めたわけですね。じゃあ次、仕事をしなければいけないという局面になったんですけれども、自分自身、サッカーでプロ選手になるとしか思っていませんでした。

夢破れた青年を一念発起させた、孫正義氏の野望

これからどうしようかなと思っていたときに、親から言われたことがありました。「次の人生、どうしたらいいか」と、夢破れたときに親に相談したわけですね。それで積極的に勧められたのが、自衛隊と消防隊。

(会場笑)

なぜならば、「お前は体力がある」と。だから、この2つであればいけるんではないかということでした。そして、とくに自衛隊に対して、すごく興味づけをされました。例えば、「自衛隊に入れば無料でトラックの免許が取れる」と。

(会場笑)

「なるほど!」と。僕はトラックの免許を取りたいと思ったことは一度もないんですけれども、親からは「とにかく自衛隊に入れば、無料で資格がたくさん取れるから行ってくれ」と言われていたわけですね。しかし、どうもモチベーションが沸かずに、親の「自衛隊に入ってくれ」という言葉は聞かずに、どうしようかなと思っていたわけです。

ちょうどそのときなんですけれども……ちょっと前後して申し訳ないんですが、これ(スライド)がサッカーをやっていた頃の写真です。18年間、プロになれなかった。そして何を隠そう僕は、勉強はしたことなかったんですけど、本だけはめちゃくちゃ読んでいました。

24歳のとき、路頭に迷うくらい(の状態で)、1週間泣いていたわけです。そのときたまたま本屋に入ったら、ちょうどソフトバンクの孫さんの『志高く』という本に出会いました。僕はサッカーしかしてこなかった中で、「世界的なサッカー選手になりたい」と思っていました。ビジネスで世界的なことをしている方、しようと思っている方なんかいないと思ってたわけです。

志高く 孫正義正伝

でも、その孫さんの本を読んで、世界的なビジネスマンになるとか、会社を作るとか、世界的なサービスを作ることを目指してる人がいるんだ、と初めて気付きました。

単純なので、24歳のときに……僕はエンジニアでもなければ、プログラミングもしたことはなかったのですが、「自分は情報革命の世界で生きていく」。そして、「世界的なビジネスマンになりたい」と。たまたま恵まれて、この2つの目的を見つけられたのが、24歳のときだったわけです。

ビジネスの世界に立ちふさがった学歴の壁

そのときに、「世界的なビジネスマンになりたい、それもテクノロジーをやりたい」と決めました。しかし、これでまた問題が起こったのが、なぜサッカー選手になれなかったかといったら、単純に実力がなかったからなれなかった。

だから、ビジネスマンの世界では、とにかく実力を付けたい。それで、「厳しい会社に入りたいな」と思って、知識がないながらも調べていくと、当時であれば外銀であったりコンサルに行けば、めちゃくちゃ厳しい仕事ができると。

そういった会社に行きたいなと思って、当時たぶん40社か50社くらい、履歴書を出したわけですね。サッカーをがんばってきたので、面接を受けさせていただければ受かる自信はありました。しかしびっくりしたのが、40社、50社に履歴書を送っても、1社も面接すらさせてくれなかったんです。

それはなぜかと思ったら、僕は初めてそこで「高卒だ」ということに気付きました。要はサッカーをやってるときは、高卒からプロになることのほうがカッコよくて、大学に行ってからプロになるのは遅い。だから、大学のことなんてまったく考えてなかったんです。就職活動をして、高卒だとそういった一流企業に入れないことを初めて知りました。

そこでいきなり、18年間サッカーをやってきて、次の夢がやっと見つかったにも関わらず、履歴書を送ったら面接すらもしてくれません……という状況になってしまったわけですね。じゃあ、どこに就職をしなければいけないかといったときに、先ほど言った外銀やコンサルは、高卒だから入れない。

その中で、きれいごと抜きで、高卒でも入れる業界を調べてみると……これもちょっと語弊がないようにお伝えさせていただきたいんですが、飲食、アパレル、建設、不動産。この4つだったわけです。その中で、僕が少なからず興味を示すことができたのが不動産でした。

不動産業界に入社したきっかけ

今我々がやっているビジネスは、「Renosy」という中古不動産流通プラットフォームの運営です。要は「不動産の業界をテクノロジーで変える」ということでビジネスをやっています。

なぜ不動産に興味を持てたかというと、少なからず高額な商品があったので、大変なんじゃないかと思って、その不動産業界を選んだわけですね。2013年に会社を作ったときに、我々は上場前に5億円くらいの資金調達をしてきましたので、よく投資家の方に「なぜ不動産を選んだんですか?」と聞かれました。

だいたい答えてきたことは、「私自身、就職をして5年間不動産業界に勤めてきたので、この業界はテクノロジーで非常に遅れている」と。「実際に業務をやっているからこそ、不動産業界のテクノロジーが遅れていることがわかってきた。なので今回独立をして、テクノロジーで業界を変えていきたい」というプレゼンをして資金調達をしました。

実際は、先ほどもお伝えしたように不動産がやりたかったわけではなく、単純にそこしか入れなかった。そして資金調達したときも、働いていた5年間はまったくもってITリテラシーが高くないので、「アナログだなぁ」と気付いたことは、1回もないんです。それすら違和感に思ったことがなかったので。

目の前の仕事を5年間、ひたすら一生懸命にやっていて、アナログだということを1回も感じたことがない。でも、資金調達するときは「アナログだというのを感じて僕がこの業界に入って来た」と言ったら、うまく調達ができたんです。正直、まったくもって5年間働いている中で(ITの)知識がなかったと。

じゃあ働いて何を失敗してきたかというと、2007年に初めて会社に就職しまして……今でも覚えてるんですけれども、先ほどお伝えしたように「1回も勉強をしたことがない」わけですね。高校時代はスポーツのクラスなので、国語のテストで何が出るかといったら「遠足」「公園」……これにふりがな振りましたからね。

(会場笑)

これは僕でもわかる! そんな問題がテストに出るくらいの環境で3年間過ごしてきたので(笑)、頭はまったく使ってこなかったわけです。なので、2007年に初めて入った会社は、失礼なんですけど、別にまわりに優秀な方がいる会社ではないんです。入社して3ヶ月目に会社に行ったら、当時8人のチームだったんですけれど、僕のテーブルに「会議室に来てくれ」というメモ書きがありました。

会議室に行ったときに何の会議をしていたかといったら、黒板に……今でも鮮明に覚えてるんですけど、「樋口は大丈夫か」という会議をしてたわけですね。「大丈夫か」ってどういうことかというと、「1回教えたことをすぐ忘れる」「教えたことがまったくできない」。

「大丈夫か」というのは、優しい意味での「大丈夫か」ではなくて、今だったらコンプラ上パワハラになるんじゃないかという出来事ですけど、本当に「頭が大丈夫か」という会議をしていたわけです。

(会場笑)

厳しい職場環境から学んだこと

今でも忘れないんですけど、僕は24歳のときに就職しまして、22歳の女の子に「樋口さん、なんで覚えられないんですか?」と。それは僕だって覚えたい! そうは言われても、僕はなにもできない。今でもその女の子の言葉は鮮明に覚えてるんですけど、そんな状態だったわけです。

まったく覚えられない、まったく仕事ができない。でも、サッカー選手になれなかったというトラウマがありましたので、ビジネスマンでもうまく仕事ができなければ「もう生きてる意味ないな」というくらいの危機感はありました。

どういう仕事の仕方をしていったかといいますと、当時の上司が……今では本当にドラマに出られそうなくらいの、非常に厳しい方でした。初めて一緒に仕事したときに、(手を広げながら)僕がここからこの距離のコピー機まで、歩いて用紙を取りに行ったんです。

そしたら、戻ってきた瞬間に「なんでお前は歩いてるんだ」「歩いているくらい余裕があるのか」と。このコピー機までの距離を「走れ」と言われたわけです。「なるほど」と。

でも、僕は素直なので、そのとき「確かに仕事で結果を出してないのに、コピー機へ歩いて取りに行くくらい僕はレベルが高くないな」と思いました。そこからもう、本当に冗談じゃなく、1年間この距離のコピー機へ走って取りに行ってたんです。

先輩から「お弁当を買いに行け」と言われる出来事があります。これも200メートルくらいの距離を、本当に走ってコンビニ弁当を買いに行ってたわけです。それくらいのことを2年間続けると、びっくりするくらい、仕事が本当にできるようになっているわけですね。

今でも忘れない。先ほどお伝えしたその先輩も、本当に信じられないくらい細かい方なんです。例えば提出物を「12時に出せ」という出来事があったとして、仮に12時を5秒過ぎて出したら、もう昔あったように紙をビリビリに破られて、「お前は約束も守れないのに、お客様に約束守れって言うのか」というようなことを言われるわけです。

そういった環境で鍛えられた結果、徐々に仕事ができるようになってきたわけです。何が言いたいかというと、僕自身まったくもって才能もスキルも頭もない中でも、そういった上司に恵まれることで、こちらのやる気があれば仕事ができるようになるんだな、ということを学びました。

そうなったときに、やっぱりマネジメントというのは非常に大事です。いくらダメな人材でも、上司がしっかりとマネジメントすれば育つんだな、ということを学びました。

新規事業に3回挑戦するも失敗

ちょっと話は前後してしまうんですけれども、そんな中で5年間働いて、会社を2013年に作ろうと。じゃあどこでテックが出てくるんだという話なんですけれども、一応2007年に「世界的なビジネスマンに」「テックカンパニーを作る」という目標で仕事をしたんですけど、5年間はアナログな仕事しかしていませんでした。

いざ会社を作るときには、さすがにもともとのビジョンであった「テックカンパニーを作りたい」と思って、会社を作るわけです。でも、当然僕自身が技術者じゃないので、エンジニアの採用ができるかと。新規事業もやりながらわかるかといったら、まったくわからないわけですね。

うちの会社は作ったときは10名で、ほぼ全員営業マンという会社でした。営業が8人、バックオフィスが2名の状態で会社をスタートしてます。でも、エンジニアを採用していかないと、会社がうまく回らない。

(「消えていく新規事業」というスライドを映しながら)会社を作って1年間、まず新規事業を3回やっています。どういう新規事業をやったかというと、2013年にちょうどAirbnbが流行っていたときだったので……Airbnbは、人が家にいないときに部屋を貸します。僕らは、ホームステイ版の簡易バージョンでやったらうまくいくんじゃないかと思って、会社を作って最初のビジネスで立ち上げたんです。

でも、僕はITリテラシーもなければマーケティングという言葉も知らなかったわけです。チームは4人いたんですけど、そのチームに「じゃあホームステイビジネスやろう」「そのためには外国人を集めなきゃいけない」。どうやって外国人を集めるかと言ったら、僕がマーケティングというものを知らなかったので、チームのメンバーに「どうやって集めるんですか」と言われて、「そりゃあな、渋谷に行って外国人をつかまえてくるんだよ」と。

(会場笑)

そう言ってまず、部下を渋谷に行かせたわけです。外国人一人ひとりにずっと、「うちの部屋に泊まらないか」と声をかけたんです。でも、当然渋谷に行ってる外国人は、もう部屋が決まってるわけです。

(会場笑)

だからもう、「泊まれません」「なるほど」と。部下から連絡があって、「すいません、みんな宿決まってます」「なるほど」と。「だったら羽田空港に行ってこい」と言って、羽田空港まで行かせたわけですね。羽田空港ですごい声をかけた。でも、当然羽田空港に来てる時点で、宿は決まってるわけです。

(会場笑)

2,000万円のサイトが完成したその日に廃業

結果、「それもダメです」「なるほどな」と。「じゃあ、今度は外国人が集まるHUBのバーに行け」と言いました。やっと夜中の11時に1人外国人がつかまって、うちの部屋に泊まってくれました。ということでビジネスをスタートしたわけです。何をお伝えしたいかというと、2010年時点でインターネット広告を出すことすらも知らない人がいました。

(会場笑)

僕自身びっくりするわけですよ! 今どき「人力で人を連れてくる」ってなんだと!

(会場笑)

そんな状況でスタートするわけです。この新規事業は、当然うまくいきません。

2つ目の新規事業が、オフィスの保証金って入るのに10ヶ月かかるので、すごく高いんです。これも半年やってみたんですけど、当然ビル側はその保証金を下げたくない。つまり、ニーズがなかったのでうまくいきませんでした。

3つ目の事業が、投資用マンションの比較サイト。これをITベンダーさんに2,000万円で作っていただいたわけです。それで、できあがりましたと。これまたびっくり。2,000万をかけて「完成しました」と言われて、またここで問題なんですね。「集客をどうやってするか」「メンテナンスをどうやってするんだ」という問題があったんです。エンジニアは誰もいない。

そう先方に言ったら、「それはもう勝手にやってくれ」と言われました。またしてもマーケティングで人を呼べない。なおかつエンジニアも1人もいなかったので、メンテナンスもできない。なので、できあがって渡された初日に、本当にその事業を廃止すると。

(会場笑)

そんなことあるのかと!(笑)。そう思うくらいのことを3回もやってるわけです。「こんなとんでもない失敗をした人間がいるのか!」というくらいの状況で、これはまずいなと思って、「エンジニアを採用しなければいけないな」と思ったわけですね。

エンジニア採用でも3回失敗

今度は、エンジニア採用でまた3回失敗するわけです。これはなぜかというと……まずエンジニアを採用します。そして、エンジニアが入ってきたので、僕は「アプリを作ってくれ」と依頼するわけです。そうすると、そのエンジニアが、「アプリは作れません。僕はバックサイドのエンジニアだから」と。「ああ、なるほどな」と。

またエンジニアを採用します。「Webサイト作ってくれ」と依頼しました。「いや、僕はアプリのエンジニアなので作れません」。「お前何だ!? エンジニアなのに作れないのか!?」と言ったら、「社長、エンジニアにもいっぱい種類があるんです」と。「なるほど!」と。

これをまた3回繰り返して、エンジニアが辞めてしまうわけです。1年間で3回エンジニアが変わって、これはまずいなと。新規事業の進捗と、この3回のエンジニア採用の失敗は同時に起こった出来事なので、初めてここで気付くわけです。これじゃまずいと。

なので、グリーの初期メンバーだった方にITのイロハを、週1で聞くようになりました。ITがどうなんだとかバックエンドとか、いろんな開発があるんだというのをずーっと聞いたりしました。あとは2ヶ月プログラミングの学校に通って、言語を最低限理解しました。

そうすると、だんだん知識がついてくるわけですね。小さいことですけど、今までスーツできっちりとネクタイ締めて、ということをやっていたんですけど、私服になりました。なおかつ、声のボリュームを下げました。

(会場笑)

だいたい言われるのが、「社長、声が大きい」と。今日はだいぶ抑えてるんですけど、だいぶ大きいんじゃないかなと(笑)。その声を下げたりしました。あとは小さい話なんですが、コーポレートブランドを一新させて、エンジニアが入りやすいような会社を作りました。

その結果、今は社員が200名くらいいるんですけど、エンジニアの比率が約38パーセント。約80名くらいのエンジニアを採用して、今活躍できるくらいまでになってきたかなと。

アイデアベースから課題解決ができるサービスへ

何をお伝えさせていただきたいかというと、「もうとにかく新規事業のやり方もわからない」「エンジニア採用のやり方もわからない」と。でもそれも、わかってる方に教えていただいたり、自分からプログラミングを勉強することで、そういったエンジニアの方もどんどん採用できていくんだなと。

そして新規事業もなぜうまくいったかというと、先ほどもちょっとお話しさせてもらったと思うんですけど……今まで僕が新規事業をやっていたときは、「とにかくいいアイデアを思いつこう」と、つまりアイデアベースで考えてたわけですね。

そのときにまた、僕は勉強してなかったんですけど、本を読んでいてよかったなと思ったのが、Y Combinatorというシリコンバレーのアクセラレータープログラムのポール・グレアムさんという方がいらっしゃるんですけど、その方が「新規事業をうまくいかせるための3ヶ条」ということをおっしゃっているんです。

当然、「プロダクトを自分たちで作れる」。2つ目が、「新サービスはプロダクトアウトじゃなくて、マーケットインで考えろ」。3つ目は、「市場は小さくてもいいから独占しろ」ということをおっしゃっていて、この2番目が1番響きました。

要は新規サービスはプロダクトアウトじゃなくて、マーケットインで考えろと。そこで僕は、自分がやっている売買のプロセスが非常にアナログで、非常に不便だなということに、1年半後に初めて気付いたんです。

冒頭でお伝えさせていただいたように、不動産会社に勤めた5年間、自分がやっている業務ってすごくおかしいな、と思ったことはありませんでした。でも、自分がやっている業務こそ、1番課題があるんだという言葉を聞いて、そのときに初めて自分の業務の課題に気づいて、今のモデルにたどり着いたわけです。

「いいアイデアを出そう、いいアイデアを出そう……」というものは、やっぱりうまくいかないんだと。目の前の課題に対して、いかにテクノロジーを入れてソリューションを提供するのかということが、いいサービスを作れるんだな、ということにたどり着きました。

「不動産会社のAmazon」を目指す

最後、簡単になんですけれども、今僕らが何をやっているかといいますと、中古流通プラットフォーム「Renosy」というものを運営しております。不動産というのは、基本的には分業制になっていることが多々あるんですね。

分業制というのはどういうことかというと、SUUMOさんみたいなプラットフォーマーと、町の売買・仲介。野村や住友の売買・仲介さんは、基本的には分業制になっているわけです。

でも、我々は、自社でSUUMOさんのようなRenosyというプラットフォームを運営しながら、我々が実際にエージェントを抱えて、販売のお手伝いまでしています。要は一気通貫で全部やっているのが、Renosyモデルの特徴です。

そうなると、ラストワンマイルの顧客データが採れるわけです。お客様を我々が囲うことができる。つまり、お客様に対して囲うことができるので、プロダクトサービスに瞬時に活かすことができます。

そしてさらに特徴的なのは、不動産というのはここ(スライド)に書いてある「買う」とか「売る」とか「リノベーションする」とか「投資する」とか「クラウドファンディングする」とか、あと「特集・メディア(情報を得る・学ぶ)」とか「管理する」とか。こういうものも分業制だったわけです。

リノベーションするならリノベーション事務所。投資物件の場合は投資会社。単純に住む家を買うなら、住宅会社。我々は、建設業の免許も持っておりますので、リノベーションもできます。不特法(不動産特定共同事業法)の免許も持っていますので、クラウドファンディングも僕らでできる。

要は、僕らは「不動産会社のAmazon」を目指しています。Amazonではなんでも買えます。でも、なぜ不動産だけは売っていないかというと、宅建業法上の問題と、高額な商品なので必ずリアルが介在する。そこはカットできないだろうと。

でも、僕らの特徴は、自分たちで宅建や建設の免許を持っていること。つまり「不動産に関わることはすべてRenosyが解決しよう」ということを創業から一貫してやってきました。

アナログな不動産業務をテクノロジーで効率化

これも先ほどお伝えさせていただいたように、僕自身が不動産を販売しているときに、お客様から相談されるわけです。「リノベーションをやってほしい」と。でも、前の会社はリノベーションをやっていなかったので、「できません」ということが何回かあったわけですね。そこがヒントになっております。

最後になりますけれども、お伝えさせていただいたこの「不動産×テック」という領域は、20年間プラットフォームを運営している会社さんがあることによって、町の仲介会社さんは集客は楽になっていたわけですね。プラットフォームがあることで、ネットでお客様を囲い込みできますと。

でも、不動産業というのは、先ほどお伝えさせていただいた宅建業法上の問題で、必ずリアルが介在するんです。仕入や契約書を作るとか、物件を管理するとかサポートするというのは、必ず人が介在しなければいけないんです。ここが20年間、アナログだったわけです。

そこを我々は、自社にプラットフォームもありますし、業務プロセスも自社のエンジニアが内製化しておりますし、不動産を買っていただいたあともアプリでサポートする。要は、不動産全体の業務をテクノロジーで効率化する、ということを創業からやってきております。

僕が言うのもあれですけど、こういった不動産全体をテクノロジーで効率化することができているのは、我々くらいかなと思っております。

そして今後は、不動産というのは僕らがリノベーションをやっているように、「建設」。あとは、住宅ローンを借りますので、「金融」。ならびに不動産を借りるときに火災保険などが入りますので、「保険」。

そういうものが非常に親和性が高いので、我々の会社は不動産を軸に、建設、アメリカで言ったらConTech(注:コンテック。建設のConstructionと技術のTechnologyの略称)だったりとか、保険×テクノロジーのInsurTech(インシュアテック)。

そして金融、物販、住宅ローン保険ですね。FinTech(フィンテック)。それらに進出をしていきたいな、と思っている会社になります。

なので、すみません、今回はちょっと若手のビジネスマン向けということで、ちょっとこういった話し方になってしまったんですけれども。ぜひまた何かの機会で……不動産を購入されない方は誰もいらっしゃらないと思うので! ……ぜひ!

(会場笑)

うちの会社で(笑)、賃貸を借りるとき、投資をするとき、リノベーションするとき、自分のご自宅を買われるときは、ぜひRenosyを使っていただき、購入をしていただきたいなと思っております。簡単ではありますが、ご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)