子供の頃から売春婦に憧れていた

ドリー・パートン氏:わーお! ありがとう、そしてこんにちはUTの皆さん! そしてなにより今日卒業した、この会場の一人ひとりにおめでとうを言いたいと思います。

私はみなさんの名前が呼ばれるのを聞いていました。全員の名前が呼ばれて、私の順番が来るのをあちらの方で長々と待っていましたよ。とにかく、今日という日はあなたにとって本当に特別な日でしょう。

言っておきますが、私は自分が式辞をすることになるなんて、夢にも思っていませんでした。歌を歌うことはもちろん得意です。でもスピーチをするのは緊張します。本当ですよ。

だって、あなた方にとって意義のあることをお話しなくてはならないからです。例えばずっと覚えていてほしい、良いアドバイスとか。通常、私は人にアドバイスはしないことにしています。情報は与えますが、アドバイスは与えません。

私にとって有効だったことが、あなたには有効ではないかもしれません。例えば、私にとって有効だったこと……。

かつら、タイトな服装、プッシュアップブラ、13センチのハイヒール。言うなれば、ここの男の子たちが私のアドバイスに従ったら、計画していたキャリアの方向性が変わってしまうかもしれません。

女の子たちも気をつけなくてはいけませんよ。私のこのルックスはとても厳粛な場所から生まれた、カントリーガールのグラマラスを表現しているんです。

私たちの町、セビアヴィレには、いわゆる売春婦がいて、私は小さいときから彼女は素敵だと思っていました。ですから、街に行くときはいつも彼女に会いに行って、素敵だと伝えました。

みんなは彼女がただ汚らしいと言っていました。でも私は、大きくなったら彼女みたいになるの、と言っていました。時々私がそんなふうに見られてしまうのはわかっていますが、それ以上に何かあるのをわかってほしいと思います。この髪の毛の下にはちゃんと脳みそがあるんですよ。そして心臓はこの(大きな胸の)下に。

真面目な話をしますと、この状況は私が初めて歌を歌うのにステージに立った時の事を思い出させてくれます。私は子供でしたし、緊張していました。観客の期待に応えられるのかわかりませんでした。

しかし私は歌い切り、観客は拍手をしてくれました。アンコールを求められましたが、私はたった1曲しか持ち歌がありませんでした。それで、私はまたステージに立って、同じ歌をまた繰り返し歌いました。

ご心配なく、このスピーチを繰り返したりはしませんから。すごく気に入ってくれたとしても。とにかく、私はあの時の全てを覚えているのです。それは私の始まりとなりましたからね。

今日も特別な日です。今日あなたの親御さんを覚えていてください。なぜならこの瞬間も、ご存知でしょうけど、あなたの親御さんは、今までにないほどあなたを誇りに思っていることでしょうし、今までにないほど、これからもないほどにあなたを愛しているでしょう。

みんな感動していますよ。そちらの方もほら、みんな涙目で。今ならお金も貸してくれるかもしれませんね。こちらにスマートバンクがありますから、それに関しては彼らが何とかしてくれると思います。

自分の心、自分の夢に正直でなければならない

とにかく、何年か前に、私はドリーウッド基金を立ち上げました。子供たちを奮い立たせるために何かをやりたいと思っていましたが、他の良い組織と同じく、私たちもガイドラインとして正しい目的を持つことが必要でした。

結論はいたってシンプルでした。率直で、すべての子供たちに対しての希望です。私たちは子供たちに、更なる夢を持ってもらい、更に学んでもらい、更に気にかけ、更なる存在になってほしいと考えました。

今日私がここで何を言うべきか考えていた時、この4つのシンプルな点が、やはり浮かんできました。ですから、それを使って自分の考えを今日お話ししたいと思います。

私が言いたかったことは、ブレデンソン理事に話されてしまいました。彼が何を話されるのか知りませんでしたが、ともかく私は私のお話をさせていただきます。彼が私についておっしゃったことは本当に的確でしたよ。私は自分の人生には本当に感謝しています。

私が皆さんに1つお願いをするとすれば、「もっと夢を持て」と言いたいです。私が子供だった時、ホウキの柄に缶をかぶせ、古いキャビンのポーチにできた溝の間にそれを突き刺し、自分の想像の中でギターを持ってステージに立ち、マイクに向かって真剣に歌っていました。

庭にいるのは鶏ではなく、彼らは観客でした。想像の中で着ているのは、ぼろのドレスではなく、極上のシルクでできた、ラインストーンのついたきらびやかなドレスでした。あなた方は自分の心、自分の夢に正直でなければなりません。1964年、私がセビアカウンティ高校を卒業したあの日、私たちは皆立ち上がって、残りの人生で何をするつもりなのか話すように言われました。

皆それぞれの話をしましたが、私の番が来たとき、立ち上がり、「私はナッシュヴィルに行ってスターになります」と言うと、その場の全員が笑い、私はすごく恥ずかしく思いました。

私は「なぜおかしい、なぜ笑うんだろう、だって私は本当にそうするんだから」と思ったものです。とてもきまりが悪く恥ずかしくはありましたが、それが自分の夢をあきらめる理由にはなりませんでした。そうでしょう?

あなた方も私と同様のことができるはずです。もちろん気をつけなければなりません。「願い」と「夢」を混同しないこと。これらは違います。「夢」は、あなたにとって成し遂げるべき大事なことの中で、自分が成功している状況を映像化することです。

本を読めば、何についてでも学ぶことができる

「夢」は確固たる信念を築きます。なぜならその実現のために代価を支払うからです。「願い」は良いことが起きるように望むことですが、障害を克服するための火のような熱意はありません。ですから、もっと夢を持ちましょう。そして、それが叶わなくても決して他人のせいにしてはなりません。

それはあなたの責任です。そうでしょう。世に出れば更に私の言う意味が分かりますよ。私には今でも次にやりたい夢があります。もちろんリタイアしたくありませんし、衰えて魅力を失いたくありません。錆びれるよりは、擦り切れる方がいいと思っています。いつかある日、自分がやりたいことをそのままやって、ステージ上で息絶えられたらと思っています。

みんなが倒れた自分の周りを歩いて、「わぁ! 彼女をご覧よ。とても幸せそうに笑っているよ」と言ってほしいです。今日そうなっては困りますけど。あなたの記念日ですからね! もしそうなったら、私は幸せに逝ったということです。私は自分の好きなことをしていたわけですから。

もし私があなたに1つお願いをするならば、「もっと学んでほしい」と思います。私が学生だったときは、平均的な成績でした。たぶん音楽について、そしてスターになることについての夢を描きすぎていたからかもしれません。

または男子に夢中になりすぎていたのかもしれません。または典型的バカだったのかもしれません。私みたいな人がたくさんいるのは知っていますが、いずれにせよ、何かについて学べば学ぶほど、それを行うのが容易になるということを理解するのにしばらく時間がかかりました。ありがたいことに私が小さかった頃、お母さんが聖書を読んでくれました。

それで、小さいときから読むことが好きになりました。なんでも手に入るものを読むようになりました。私の信念ですが、読めれば、教育を受けられなくとも、何についてでも学ぶことができるのです。

私がイマジネーション・ライブラリーというお仕事がしたいと思った理由の1つがそれなのです。ですから、もしあなたが読むことを学ぶなら、ほとんどすべての事に関して学ぶことができるのです。

そして更に学ぶなら、夢の実現のために努力し続けることができると私は信じています。私は本当に祝福されてきました。理事がおっしゃっていましたが、私は自分の夢のために本当に頑張ってきました。誰も頑張りなしにここまで来られません。

頑張ることは苦労することとは違い、学ぶことが必要です。新しいことを試し、チャンスをつかむのです。

試さなければ、勝ち目はない

私がナッシュビルで初めてスタートを切った時、ポーター・ワゴナーという人に付いて仕事をしました。ご存知でしょうが、ポーターは私を良く扱ってくれましたが、対立もしました。彼は最高の、成功した独占テレビ番組を持っていました。私たちはカントリーミュージックのとてもポピュラーなデュエットペアとなりました。

しかし、私は何か新しい違うことがやりたくなったのです。もっと新しい曲を書きたかったですし、違う曲を演奏し歌い、違うことがやりたかったのです。しかしポーターは違いましたし、いわゆる伝統的な知恵も反対のことを言いました。

私はもし、失敗して転落するような羽目になったとしても、少なくとも自分が試してみて、それから学べる、ということだけで満足だったわけです。そしてまたその時、私は起き上がるのにも、大きな胸があるから大変だということも分かっていましたし。

あら、この話は聴衆を選ばねばなりませんね。またあの売春婦の話になってしまいます。

とにかく、私がポップミュージック界に進出したときも同じでした。ダンスミュージックでもそうでした。みんなは文句を言って、私の頭がおかしくなったと思ったのです。24年前私が、ドリーウッドというテーマパークを開きたいと言った時の、私の弁護士の顔を皆さんにも見せたかったですよ。

彼は私が既に頭がイカれてしまったと思いました。しかし、多くの皆さんは私の夢が叶ったのを見てくれましたよね。そしてもしドリーウッドに行かれたことがなかったら、ぜひ行ってみてくださいね。信じられますか? 来年25周年で特別なお祝いをしますので、皆さんも帰郷してそれを見に来てください。

学ぶことは、チャンスを掴むことにかかっています。理事もお話しされてましたが、腕まくりして必死に働くことでもあります。時々うまくいきますが、うまくいかないこともあります。しかし1つ確実なのは、試さなければ、勝ち目はないということです。

私が1つあなたにお願いをするならば、「もっと気にかけるように」と言いたいです。世の中には、日々ただやり過ごすだけの人がたくさんいるということにお気づきでしょうか?

「気にかける」ということは、完璧になるように励むということです。つまり、あなたがどんな見た目で、どんな準備をし、どのように決意に取り組むかということです。

更なる存在になれ

私が初めて出演した映画、『9時から5時まで』という30年前の映画に出演したときの話ですが、初めての映画でしたので、ちゃんと準備をしておきたいと思いました。私はちょっとやりすぎたかもしれません。

なぜなら台本全部を覚えてしまったからです。舞台のように、自分のセリフだけでなく、みんなのも覚えるべきだと思っていたからです。撮影現場に着いたとき、みんなそんな私はおかしいと思い、私は恥ずかしく思いました。

しかしみんながセットでセリフを忘れた時、私は「違うわよ、こう言うのよ」なんて言ってあげる機会がありました。少なくとも自分の役割に関してはちゃんと準備をします。

私は観客の皆さんを愛し、リスペクトしています。いつも私は自分のファンとの関係にプライドを持っています。彼らが私の収入源ですし、どんな理由があれ、がっかりさせることはあってはならないのです。

これらのファンの方々は自分が一生懸命稼いだお金を、私のために使ってくれているんだと、いつも肝に銘じています。中途半端な仕事をすることは、恥ずかしいことですし、心が痛いですから、私はいつも自分のベストを尽くしています。

ですから私はあなた方が「気にかける」がゆえに時間を守り、ベストの出で立ちをし、どんなタスクに対しても、仕事に対しても一生懸命に取り組んでもらえたらと願います。他人を思いやる人は、相手を裁くことはしませんし、それぞれの人の個性を感謝します。

私があなたに1つお願いをするならば、「更なる存在になれ」と言いたいです。みんなはよく私に「100年後あなたは人にどう思われたいの?」と聞いてきます。私はこう答えます。

「年の割にまだ若く見えるね」。それは冗談ですけど、私たちは「どんな人だったか」ということは覚えていてほしいと思います。

レコードをどれだけ売ったとか、どれだけのお金をかせいだとかではありません。私はいつも言うのですが、私はお金よりも、祝福をずっと数えるようにしてきました。私にはたくさんの祝福があります。私には愛する家族、素敵な故郷があります。ご存知の通り、アメリカで一番の州に住んでいます。同意でしょう!?

子供に本を与える機関を設立した理由

それから、ずいぶん前に私は自分は子供を授からないということがわかっていましたので、どんな子供も自分の子供とみなします。それは巨大な家族といえますし、重大な責任が伴います。

それでイマジネーション・ライブラリーが設立しました。子供たちに本を読み学ぶようインスパイアするために、何かしたいという私の希望がそうさせました。ただ思いもしなかったのは、私のような志を持つ、寛大な人が他にもいたということです。

例えばロダリー、ユナイテッド・ウェイズやテネシー州基金などなど、一生懸命働いて得たお金がこの努力に用いられるわけです。そのおかげで、このプログラムが始まってから2000万冊の本に達成しました。素晴らしいことです。

理事にも感謝です。理事と私は素晴らしいチームになりました。私は彼と働くのが大好きです。彼は私の相棒で、いつも彼が来るとわかると私は興奮してしまって、彼のために、良く見せようと15着も試着しました。冗談ではありませんよ、本当です。そしてエルビスのように52の方法で髪をとかしたり。「彼来るの? 彼来るの?」という感じで。

とにかく、私たちはイマジネーション・ライブラリーの成功を本当に誇りに思っています。私はただ自慢したいから言っているのではありませんよ。本当に誇りに思いますし、あなたが失敗をしないようにお話をしているのです。

私みたいにプレイボーイ誌のカバーから司書へ転身したり。なかなかのものですよね、そう思いません? ここにいられて光栄です。愛のある人は気にかける人です。そうなるのは大変なことです。

私がいつも言う、私たち皆が持つスピリチュアルな中心を、私は「神の芯」と呼ぶのですが、そこはいわゆる、天国と地球が交わる場所です。ですから、いつもあなたの「神の芯」の言葉に従ってください。そして他人を思いやり、そうすることにより、特別な存在になれるでしょう。

もし私の夫カール・ディーンがここにいたらこう言うでしょう。「ここにいる人をいたぶるのはもう十分ではないかい?」って。私は言います。「いいえ、十分いたぶってなんかいませんわ。それにあなたの言うことなんか聞くものですか。今まで43年間聞いてこなかったのですから今更聞くものですか」でも、カールはきっと正しいでしょう。

ですからこの辺でおしまいにしましょう。実際私の大事な瞬間はこの後数分後に始まります。ステージから降りて、黒いローブを着なくてはなりません。実際あのローブはテーラーメイドしなくてはならなかったのです。私は小さいですからね。

あれに殺されたくはありません。パット・サミットのように背が高くないですからとにかく、数分後に準備をして、帽子をかぶって、全部できるかわかりませんが、また戻ってきます。

(数分後、ドリー・パートン氏がステージに戻り、ギターの弾き語りが始まる)