2024.12.10
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ペンシルベニア大学 卒業式 2011 デンゼル・ワシントン(全1記事)
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デンゼル・ワシントン:どうもありがとうございます。私は見ての通り、整理整頓が苦手な人間なのですが……他のみなさんは原稿を素敵な箱に入れて持って来ているのに、私ときたら雑誌の中に挟まってるので。ちょっと待って下さいね。順番もぐちゃぐちゃですから、整理しないと。
(会場笑)
総長をはじめ、教員のみなさん、そして学生のみなさん。ご卒業おめでとうございます。今日ここに招いて頂いたことを光栄に思います。ペンシルベニア大学のキャンパスに来られて嬉しく思います。
息子がこの大学のバスケットボールチームでプレイしているので、よくここに来る機会がありました。息子はあまり試合に出させてもらっていないので、コーチにはお話ししたいことがあるのですが、それは後にしましょう。コーチの達成された業績を嬉しく思います。これからも頑張って欲しいと思います。
ここフィラデルフィア、ペンシルベニア大を訪れるたび、私はいつもあたたかく迎えて頂いています。ニューヨーク・ヤンキースの帽子をかぶっていた時は例外ですが。まるで命がけです。こう言われたこともあります。
「デンゼルさん、俺らはあんたのファンだけど、その帽子をかぶってる限り、あんたが誰だろうと関係ないぜ」
(会場笑)
というわけで、今日はヤンキースの帽子をかぶっていません。ヤンキースのソックス、Tシャツ、トランクス、肌着、使い捨てカイロを身につけていますが、帽子だけはかぶらないようにしました。
ただ、正直に申し上げておかなくてはいけません。私は緊張しています。卒業式という、このような大切な場面でスピーチをするということの重大さにドキドキしています。平常心を保つことが難しいです。
映画の中で雑役兵になったり、走る電車の上でアクションをしたり、マルコムXやルービン・カーターの役をやったりしてきました。私はそういうことは問題なくできます。
しかし、卒業式のスピーチはまったく別物です。とても厳粛で重要なものです。文字通り、数千人の人が今日ここにいます。人からは「あなたは映画スターなのだから、たくさんの人に自分のしゃべる姿を観られるのには慣れているでしょう」と言われます。
それは確かにそうなのですが、映画館に私がいるわけではありません。実際に観客を目の前にしているわけではないのです。わかりますか? お客さんが咳払いしたり、そわそわしたり、ポケットからiPhoneを取り出して彼氏にメールしたり、お尻を掻いたりするのを見ているわけではないのです。
でもこの演壇からは、みなさんひとりひとりの姿が見えます。なのでとてもドキドキしています。ですから、どうか私が話し終わるまで、iPhoneを取り出して彼氏にメールしたりしないで下さい。お願いします。お尻を掻きたい人は、ご自由にどうぞ。その必要性はわかります。
(会場笑)
このスピーチで何をお話しすべきか考えていました。みなさんの興味を惹き付けておくためには、ハリウッドのゴシップネタを話すのがいちばんかとも思いました。私とラッセル・クロウが『アメリカン・ギャングスター』のセット裏でケンカした話などですね。
でも「いや、相手は高尚な知性をお持ちの学生さんたちだから、興味ないだろう。やめておこう」と思い直しました。違いますか?(笑)
(会場笑)
私が楽屋で遭遇した、アンジェリーナ・ジョリーのプライベートな話なども考えましたが……。でも「いやいや、相手はアイビーリーグの大学生だ。やめておこう。アンジェリーナ・ジョリーが裸で楽屋にいたからといって、そんな話を聞きたい人なんているわけがない」と思いました。
そんな人、誰もいませんよね。誰ひとり。なにせ天下のペンシルべニア大ですから。ドレクセル大にはいるかもしれませんけど。やばいこと言っちゃったかな……(笑)。ともかく、プレッシャーを感じた私は真面目な話をすることに決めました。
みなさんは「そんなにプレッシャーだったら、そもそもなぜスピーチを引き受けたのだろう」と思われるかもしれませんね。まず第1に、私の息子が通っている大学だからというのがあります。じゅうぶんな理由です。そして、私は払い込んだ学費がどのように遣われているのか常にチェックしています。
(会場笑)
会場にいらっしゃる親御さんは、私の今言ったことに共感してくださるだろうと思います。
また他にも理由があります。確かに私はアカデミー賞を受賞しましたが、この大学で有名な「マジック・ミートボール」という30分待ちの屋台フードを食べたことがありません。
私はオバマ大統領と直接話したことがありますが、スモークというバーで火曜の夜に下手なカバーソングを歌っていることで有名な、クイダーという男に会ったことがありません。
私は悪魔と戦う弁護士を演じたことがありますが、キャンパス内のリスの数がバカみたいに多い大学に行ったことがありません。寮の部屋を飛び出して構内を占拠し、あげく教科書を持って教室に行こうとしているヤツもいるそうですね?
というわけで、私はここに来なくてはいけませんでした。来る必要があったのです。たとえ笑い者になる恐れがあったとしても。いいえ、むしろそれが本当の理由です。私は笑い者にならなくてはいけなかったのです。どういう意味かって? つまりこういうことです。
私は、リスクを取らない人生など何の価値もないと思っています。何の意味もありません。何ひとつ。ネルソン・マンデラはこう言いました。
「小さく生きる人生、自分がやれること以下の生活で満足してしまう人生には、何の情熱もありえない」
今までのみなさんの人生の中で、例えば学校で大学を受験する時や、専攻を決める時、将来設計を考える時などに「失敗に備えておきなさい」とアドバイスされたことがあると思います。「うまく行かなかったらどうするの? ちゃんと考えておきなさいね?」そう言われたことがあるでしょう。
けれども私は「失敗に備えておく」というその言葉の意味を理解することができませんでした。もし私が失敗するとしても、自分の信念を持ち続けること以外、失敗への備えなどしたくないと思っていたのです。
倒れる時は後ろではなく、前のめりに倒れたいと思っていました。それなら少なくとも、何を目指して倒れたのかこの目で見ることができるからです。
前のめりに倒れるとは、こういうことです。レジー・ジャクソンはその野球人生で、2600回もの三振をしました。球史に残る最多記録です。でも、そのことを知っている人はほとんどいません。人は、ホームランの記録しか覚えていないのです。
倒れる時は、前のめり。トーマス・エジソンは実験を1000回失敗しました。知っていましたか? 私は知りませんでした。1001回目に電球を発明したのです。彼は前向きに倒れ続けました。ひとつ失敗するたびに、成功へひとつ近づいたと考えていたのです。
リスクを取ることを恐れてはいけません。これはみなさんもおそらく聞いたことがあるでしょう。でも私は、リスクを取ることがなぜそんなに大切なのかをお話ししたいと思います。理由は3つあります。それが終わったらiPhoneをさわっていいですよ。
1つめ。みなさんは、人生のどこかにおいて、必ず失敗します。その事実を受け入れなくてはいけません。あなたは必ず負けます。苦境に陥り、何かに失望することになります。それは間違いなく起こります。
こんなメッセージは、典型的な卒業式の祝辞にはふさわしくないかもしれませんね。でも、あなたがたにこのことは言っておきます「失敗を受け入れなさい」と。なぜなら、それは避けられないことだからです。
私はよく知っています。俳優業とは失敗の連続だからです。駆け出しの頃、私はとあるブロードウェイ・ミュージカルのオーディションを受けました。自分にぴったりの役だと思ったのです。……歌が下手だという点以外は。
私は劇場の舞台袖にいて、自分のオーディションの順番を待っていました。舞台に出ていこうとすると、私の前に受けた人がパヴァロッティみたいに上手に歌っていて、私はすっかり縮こまってしまいました。演出家は彼に「どうもありがとう、追って連絡するよ」と言っていました。
そして私の番になり、私はテンプテーションズの『ジャスト・マイ・イマジネーション』の楽譜を持って舞台に出ました。なぜかその曲を選んでしまったのです。
(会場笑)
私はそれを伴奏者に手渡しました。彼女はそれを見、私を見、演出家を見て、肩をすくめました。私はともかく歌いました。歌っている間にだんだんのってきたのですが、演出家は「どうもありがとう。お疲れさま」と冷たい反応でした。
でもそのオーディションでは2次審査に残ることができました。2次審査は演技のテストでした。「歌は苦手だけど、演技なら得意だ」と私は意気込みました。演出家は私ともう1人のミュージカル俳優をペアにして演技をさせました。
私はミュージカルのことは何も知りませんでした。ミュージカルでは、劇場で1番後ろの客席まで声が届くように、演技が大げさになります。しかし私は映画メインの俳優だったので、より自然でリアルな演技しか知りませんでした。
私の台詞は「カップを渡してくれ」というものでした。でも私の相手役は「カップだって? どこにあるというんだい!? さっきそこに渡したじゃないか!」という具合に大げさでした。
私はぼそぼそと「えっと……カップを返そうか?」と言いました。彼は「ああもちろんだ! だってそのカップは僕のものだからね!」と格好よく言い放ちました。私は落ちました。
(会場笑)
でも私は諦めませんでした。守りに入ることはしませんでした。私はオーディション会場を出て、次のオーディションに向かいました。そして次のオーディションへ。受かるよう何度も何度も祈りました。しかし私は役に落ち続けました。落ちて、落ちて、落ちまくりました。
でもそれは問題ではありませんでした。どうしてかって? 古い諺にあるように、床屋で辛抱強く待っていれば、いつかは自分の髪を刈ってもらえるからです。運は巡って来ます。そして、私はその運を掴みました。
昨年、私は『Fences』という作品でブロードウェイの舞台に立ちました。その作品でトニー賞を受賞しました。歌は歌っていませんが。ただその劇場は、30年前に私がオーディションを受けたのと同じ劇場でした。
私が言いたいのはこういうことです。今日ここにいる卒業生の方々はみなさん才能があり、成功するための教育を受けています。でもみなさんに、失敗する度胸はありますか?
失敗する理由の2つめ。もしあなたが失敗しなかったら、それはあなたが挑戦すらしていないということです。私の妻がこんなことを言っていました。「自分が今まで手に入れたことのないものを得るためには、今までやったことのないことをしなくてはいけない」と。
講演家のレス・ブラウンも似たようなことを言っています。
「自分が死の床にいるところを想像してみなさい。自分のベッドの周りに、達成されなかった可能性たちの亡霊が立っているところを。思いついたのに実行しなかったアイデアの数々。秘めたまま使われることのなかったさまざまな才能」
「彼らが死にゆくあなたの枕元に立っている。怒り、落胆、失望をあらわにして『私たちにも活躍の場があったかもしれないのに』と彼らはあなたに言います。『でももう遅い。私たちは一緒に墓場に行くのです』と」
私は今日みなさんにお聞きします。自分の命が尽きる時、あなたはいったい何匹の亡霊を連れていくつもりですか?
みなさんは、教育に多大な投資をしました。社会はみなさんに投資しています。世界はみなさんの才能を必要としているのです。
私は2日前にアフリカから帰国しました。まだ少し時差ボケしています。南アフリカ共和国から帰って来ました。とても美しい国ですが、ひどい貧困も抱えており、彼らは助けを必要としています。
アフリカは氷山の一角に過ぎません。中東もみなさんの助けが必要です。日本も、アラバマも、テネシーも、ルイジアナも、ここフィラデルフィアもみなさんの助けを必要としているのです。
世界には助けを必要としている人がたくさんいます。そして、みなさんのような若い人の助けが必要なのです。ですから外の世界へ出て、自分がここで得たものを他の人に与えてください。あなたの時間や、才能や、思いや、財産を。
なぜなら、霊柩車の後ろには荷台がついていないからです。もう一度言います。あの世には持って行けません! 古代エジプト人は死後の世界に財産を持って行こうとして、結局すべて盗まれてしまいました。
では、今あなたが手にしているものをどう使うか? 何をどのくらい持っているかというのは問題ではありません。みなさんの中には、ビジネス専攻の人もいるでしょう。神学者もいるでしょうし、看護士も、社会学者もいるでしょう。
お金を持っている人もいれば、忍耐力に優れている人、優しさにあふれている人もいます。愛することが上手な人や、困難に打ち勝つ能力のある人も。それが何であれ、自分の持っているものをどう使うかを考えてください。
3つめ、リスクを取る最後の理由です。失敗することは時として、自分の進む道を教えてくれる最上の方法だからです。
人生とは、決してまっすぐな道のりではありません。私はかつて、フォーダム大学医学部進学コースの学生でした。「心臓病形態発生」の授業を取るまでは。その授業の名前すら読めませんでしたし、発音できませんでしたし、もちろん単位を取ることもできませんでした。
そこで私は法学部進学コースに行くことに決めました。その後、ジャーナリズム専攻に変えました。専門分野が定まらない中で、私の成績はどんどん下がる一方でした。ある学期のGPAは1.8しかなく、大学は私にしばらく休学するよう親切に勧めてくれました。私は20歳で、人生のどん底を味わいました。
そしてある日、日付をはっきり覚えています。1975年5月27日、マウント・ヴァーノンで母が経営していた美容院を手伝っていた時のことです。母と同じ教会に行っていた、町でいちばんお年寄りの女性が髪の毛をセットしてもらっていました。彼女は鏡ごしに私をじっと見ており、私が彼女のほうを見ると必ず目が合いました。
とうとう彼女は私に近づくと、ヘアドライヤーを外してこう言いました。今でも忘れられません。
「お若い人、私はスピリチュアルな予言ができるの。あなたは世界を旅し、何百万人という人に話しかける人になるわ」
当時20歳の私は、小賢しく「秋学期から学校に戻れと水晶に出てたのかな?」と思いました。
しかし、彼女は正しかったのです。夏の終わりにコネティカットのYMCAキャンプでカウンセラーとして働いていた時に、キャンプ参加者のためにお楽しみ会を開きました。
ショーが終わったあと、カウンセラーの1人が来てこう尋ねました。
「役者になろうと思ったことはある? やってみたらいいよ。向いてると思う」
私は大学に戻り、もう一度専攻を変えました。それが最後の進路変更になりました。
そして時が経つにつれ、あの女性の予言通り、私は映画を通して世界を旅し何百万人という人に話しかける人間になったのです。その人たちを実際に見ることはできませんし、彼らが見ているのは本当の私ではありませんが。
でも今日は、みなさんをこの目で見ることができます。この眺めにとても励まされ、勇気づけられます。ありがたいことです。
あと1ページ。これが終わったら黙ります。昔『フィラデルフィア』という映画に出演しました。いくつかのシーンはこのキャンパスで撮影が行われました。映画が1993年に封切られた時、ほとんどの方はオムツをしていたと思います。
でもいい映画です。Netflixでレンタルして見て下さい。みなさんが1回観るごとに、私に23セント入ります。ご両親もよろしく。
(会場笑)
映画は、トム・ハンクス演じる弁護士が、エイズを理由に法律事務所をクビになってしまう話です。事務所を訴えようとしても誰も弁護を引き受けてくれず、同性愛を嫌う弁護士が引き受けることになります。
この映画を見れば、今日私がお話ししたことの意味がわかると思います。リスクを取ることの意味、そして失敗を恐れない態度の価値です。
リスクを取るということは、仕事に関することに留まりません。自分が何を知っているかを理解し、何を知らないのかに気付くことです。他人に心を開き、新しいアイデアを受け入れることです。
映画の中で私が演じた弁護士は、小さいリスクを取ることから始めました。少しずつ、ごく僅かずつ、彼は自分の中にあった恐れを克服していきました。そして最終的には、心の中に愛のあふれる人間になったのです。
私はみなさんに贈るメッセージとして、これ以上のものを思いつきません。リスクを取るだけでなく、人生に対して前向きであること。新しい価値観を受け入れ、新しい意見に耳を傾けること。
たとえ怖じ気づいてでも、国内有数の大学の卒業式でスピーチをすること。緊張するものですが、同時にとてもやりがいのあることです。なぜなら、あなたが選ぶチャンス、出会う人々、愛する人、信念、そういったものがあなたの人生を形作るのです。
2011年卒業生のみなさんへ。これがあなたがたの使命です。希望を失わないこと。守りに入らないこと。持てるものを惜しみなく与えること。
そして人生で失敗した時は、もしかしたらそれは今夜、シャンパンを飲み過ぎた後にやってくるかもしれませんが、これを覚えていて下さい。
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