荒れている学校の生徒との、ロケット作り体験

坂本建一郎氏(以下、坂本):植松社長、今の工藤校長のお話を伺っていかがですか?

植松努氏(以下、植松):以前にすごく荒れている中学校に呼ばれたことがありまして。本当にものすごい荒れていまして、今時『ビー・バップ・ハイスクール』かなという感じの子もいたりして。

坂本:懐かしい(笑)。

植松:お話する間も、指笛を吹かれるわ足踏み鳴らされるわだったんですけど、その後にロケットを作ることになりまして。そうしたら荒れている子たちが何も作らないんです。「どうしたの?」と聞いたら、「俺、バカだから作れない」と言うんです。

「そうかい?」と言って、「でも、この説明書を一生懸命書いたからさ、絵いっぱい使っているから、この絵のこの部品を探してみな」と言って、そうこうしているうちに「できたでしょう?」と言ったら、「おっ、できた」とか言っていて。「あっちの彼を見てごらん。彼はまだできていないよ。困っているよ。教えてあげたら?」と言ったら、その子が「わからないやつ、俺に聞きに来い」とか言い出して、結局全員作ったわけです。

それからふだん突っぱって周りの子たちをやっつけている子たちが、ロケットを飛ばす時には飛ばせないんです。最後の最後まで飛ばさないんです。最後に他の子たちを「お前ら、帰れ」と全員帰しちゃうわけです。そうやっておいてから、自分たちだけでロケットを飛ばすんです。ものすごい不安だったんだと思います。

ロケットが飛んだらびっくりしていて、その後僕が片付けとかしていたら、気がついたらもういないんです。「何も言わないで帰っちゃったな」と思っていたら、体育館に出しっぱなしになった僕の荷物を全部片付けてくれていて、車まで全部運んでくれていたんです。「自分はけっこうできることがあるとわかった」とか言ってくれて、彼らはすごくうれしかったと思ったんですけれども。

「全員一斉に」という方針は、みんながつらくなってしまう

植松:その学校の先生からは、最初に「すごく荒れているから、失礼なことがあると思う」とさんざん言われたんだけれども、結局彼らはとても親切ですごく優しい子だったんです。その子たちを、そうやって追い込んでいる大人がいるんだという気がしていて、どうしてこうなっちゃったのかなというのはすごく感じます。

僕の会社もいろんな人がいて、デコボコというか、レーダーチャートでグラフにして示したら真ん丸にならない人ばかりなんです。トゲトゲだらけなんです。得意なことと不得意なことがみんなあって、それが組み合わさって、うちの会社は回っているんです。それを全部同じに揃えようとするのは、ちょっと変かなと。

登山の時によく経験したんですけれども、元気な子たちは先に上がっていく。先生に怒られて、「待て」と言われる。嫌々待たされた頃に先生方が到着して、その後、すごく足が遅い子たちがやっと上がってくる。やっと上がってきて、その遅い子たちが腰を下ろした瞬間に「はい、出発するよ」と言われて、その足の遅い子たちは休む暇もないんです。

「全員一斉にゴールしましょう」というようなことをやっていると、おそらく伸びる子は伸びなくなるし、遅れてくる子は余計つらくなるしで、みんながつらかろうなという気がしていて。僕自身がすごく感じたことですけれども、学校の全員を型を整えるようにきちっとさせていく姿は、僕にとってはとても気持ち悪いというか、すごく人の能力を削いでいる感じがします。

数学のおもしろさを、先生が教える必要はない

坂本:工藤校長、今の植松社長の話はいかがですか? 確かに先ほど先生も少しおっしゃっていましたが、麹町中学校では、数学でこれまでの教え方や学び方を変えて、より学習者主体に変えていったことで、実際にかなり成果は上がったわけですよね。そのあたりについて、もう少し先ほどのお話の続きをお聞かせいただければ。

工藤勇一氏(以下、工藤):数学という教科はすごく特殊なんです。他の科目と違って、300年も昔の古典数学を教えているだけなので、ものすごく整理されて体系化されているんです。小学校1年生から高校1年、大学1年の教養くらいまでの数学は古い数学だから、易しいところから順番に学んでいけばいいわけです。

だからもともと先生は教える必要がないんです。確かに「数学的なおもしろさを教えよう」といったら、工夫した授業はいくらでもできます。僕も数学の教員だったので、そういう授業を常に試みたわけですけど、少なくとも「数学が楽しく解けるようになって」ということだけを考えたら、わざわざ誰かが数学のおもしろさを教えてくれなくても、子どもたちは1人で学んでいけるんです。

わからなかったら、友だちに聞いたり調べたりすることができるようになる。特に重要なことは、「世の中に出た時に再現できるような経験」を通して獲得できる力が、この学ぶスタイルにあるんです。わからないことがあった時に、自分の力で隣の友だちに声をかけられたかとか、友だちには声をかけられないけど、先生には声をかけられた、とかです。

子どもが失った主体性・自律性を取り戻すのは大変

工藤:学校では、これまで多くの場合、「先生に声をかけられない子どもがいると知っていますか?」みたいなことを専門家に言われるわけです。「そういう子どもにこっちから声をかけてあげなかったら、たぶん気づかないでしょう?」みたいなこと。これ、さも本当っぽく思えるでしょう? 確かに当たっている部分がないわけじゃないですよ。

1回主体性を失った、自律性を失った子どもたちの姿にアクションをかけるんだから。さっきの植松さんのように、やる気を失った子どもたちは放っておいたらずっとロケットを作らなかったかもしれないけど、それを植松さんがちゃんと悟って声をかけて、何らかのアクションをするから、この子たちは微妙なところにいてその繊細な部分に植松さんは寄り添ってあげるから、それがきっかけになって動き出すことができることだってあるわけです。

その後の人生に大きく変わる瞬間になるかもしれないし、ならないかもしれないけど、でも、彼らにとってすごく重要なできごとだったと思うんです。

でも本当は、もっと小さい頃の就学前からずっとそういう教育をしていたら、動けないような子どもは生まれなかったわけです。いったんそうなってしまった子どもをもう1回復活させるのはけっこうな大変な作業で、僕らはその教育方法を知らなかったので、だから難しかったんです。

麹町中で僕らは「リハビリ」と呼んでいたんですけど、主体性を取り戻すリハビリ作業をする。これがなかなかうまくいかないんです。なぜかと言ったら、まずリハビリをしようにも、学校教育って手をかける仕組みだらけなんです。

先生たちがよかれと思ってやっている、勉強が嫌いになる仕組み

工藤:例えばできない子には宿題を出そうとか、宿題を出して、宿題が出ていなかったら残してまでやらせるとかです。夏休み後の9月1日に登校することが本当に困難な子どもがいっぱいいますよね。宿題だらけで、宿題ができていなくて、2学期が始まって学校行きたくないと思っている子どもたち。そうすると、わざわざ、宿題ができていない子を1週間くらい残して、宿題をやらせる時間を取ったりするんです。

みんな苦痛ですよね。でも学校の先生たちは、それをよかれと思ってやっているんです。こうしてますます主体性を失っていく仕組みになったわけです。ますます勉強が嫌いになるし、ますます先生たちが嫌いになることを、どんどん促進する仕組みです。

麹町中ではまずその仕組みを全部取っ払う必要があったので、まず教員は3年間「勉強しろ」と言うのをやめよう。宿題もゼロにしよう。定期テストはやめたけど、単元テストはやる。ただし、子どもが希望したら再テストを受けられるようにしようと仕組みを変えていきました。

例えば0点の子が「再テストを受けない」と言ったら0点でいいということだから、それでよしにしよう。子どもがもう1回自律を取り戻すまで待とうということを、まずやるわけです。でもそれだけでもだめで、結局「3つの言葉」が大事だったんです。主体性を取り戻すためには、自己決定しかないんです。

主体性を取り戻すための「自己決定」をさせる3つの言葉

工藤:子どもが小さな自己決定を積み重ねることが重要で、以下が自己決定をさせるための「3つの言葉」です。まず1つ目は「どうしたの?」「何か困っていることがあるの?」と現状を聞いて、2つ目は「ああ、そういうことか」「じゃあ、君はこれからどうしたいの?」と子どもの意思を確認する。3つ目が、「何か僕に支援できることはある?」「手伝うことはあるかい?」という、君を見放さないというメッセージです。

この3つを繰り返すと、子どもたちは「そうか、僕がどれだけ失敗しても、先生たちは見捨てない」とか、「僕に決定をさせてくれるんだ」と感じる。その小さな自己決定を積み重ねていくと、リハビリが進むんです。

まずはリハビリを妨げる環境を取り去ってあげる作業が必要だったし、その仕組みが必要だったし、それに教員の支援のしかた、自律を促すための支援の方法が必要だった。その2本柱がないと、元に戻っていかないし、仮に放任にしたとしてもぜんぜんうまくいかないんです。放任していてよかったのは、もっと主体性を失っていない時代です。

坂本:当事者性のある時代ですね。

工藤:その時代は放任でもぜんぜん構わないんだけど、いったん失ってしまった子どもの主体性を取り戻す作業はけっこう大変。植松さんの会社でどんな方を採用するかといったら、結果として高校卒業の文科系の方が多いって、僕も驚いたんですけど、おそらく判断基準として「この子が主体的かどうか」を判断して採用しているのではないかと思うんです。

植松電機の採用基準は「雑談が弾む人」

工藤:だから、主体性を失っていて成績のいい子を採用したいと、まったく思っていないと思うんです。そういう子を雇っちゃったら、学校の先生もそうだけど……。

坂本:指示待ちになっちゃいますよね。

工藤:指示待ちの先生の主体性を取り戻すためには、子どもと同じようにすごく時間がかかるんです。

坂本:そうですよね。

植松:僕の会社って、世の中にないことばかりやっているんです。だから「今度これをやることになった」と言われたら、僕もわからないんです。「やって」とはお願いするけど、「どうやればいいんですか?」と聞かれたら「わからないよ」と言うしかない。そこを乗り越えられるのは、やっぱり主体性がある人なんですよね。

うちの会社の採用基準で一番重要だと僕が思っているのは、雑談が弾むことです。雑談が弾む人、いい文章が書ける人は、たいがい大丈夫です。その基準を乗り越えた人たちは、放ったらかしてもずいぶん一生懸命、自分から学んで仕事をしてくれるんです。

さっき僕らがロケットを作ってもらう話をしましたけど、僕たちがロケットを作ってもらう時って、「作り方は教えないからね」からスタートするんです。

坂本:「こうやりなさい」ではなくてですね。

植松:「『こうしなさい』とか『ああしなさい』とか一切言わないから、好きに作っていいよ」「時間は自由です。トイレに行っても、水を飲んでも構いません」「わからないことがあると思うよ。それは当たり前だから。世界はわからないことに満ちあふれているからね」と。

子ども同士の助け合いが生まれる「放任」のすすめ

植松:「わからなかったら調べればいいよ」「まずは説明書を見てね」「がんばって書いたよ」「それでもわからなかったら、周りを見てね」「同じことをやっているからね」「それでもわからなかったら、周りに聞いていいからね」「一番大事なことは、見て、聞いて、わかったことを、『教える』ではなくて『しゃべる』だよ」と。

「僕はこうやってみたよ、私はこうやってみたよと見せあいっこをしたら、この世からわからないことはなくなるでしょう」「一人ぼっちにならないでいいよ」「テストじゃないんだからね」「好きにやっていいよ」と言ったら、猛烈な勢いで進んでいきます。

これを、「1の部品を見つけなさい」「右手にこれを持ちなさい」「左手にこれを持ちなさい」「勝手に動かない!」「全員が揃うまで待ちなさい」とか言ったら、2日くらいかかります。それが45分でできちゃう。それを見ていた学校の先生がびっくりして、「教え方を変えるわ」と言っていた人がいました。「すごくよくなった」と言っていましたけど。

その中で助け合いが生まれたりするし、「わからなかったら聞けばいいんだよ」と言ったら聞けるようにもなっていく感じがするし、放ったらかすって意外といいかなというか。放ったらかすと言っても、ちゃんと見ているんですよ。

坂本:そうですよね。まったくの放任ではないですよね。

子どもの心に残るのは、「失敗してもなんとかなる」という体験

植松:困ったら助ける。僕はロケット作りの最後は、外で装備一式を持って待っているの。子どもたちのロケットをどんなことが起きても、絶対に直してもう一回飛ばしてやると言って待っていて、必ず全部回収して。パラシュートがちぎれて飛んでいくこともあるんですよ。それを自転車で何百メートルも先に拾いに行くわけです。

持って帰ってきて組み立てて、「こういう理由で壊れたよ」と言って、「これは失敗を乗り越えたロケットだから、もう一回飛ばして」と言うんです。そうしたら、うれしそうに飛ばしますから。

「自分で考えていいんだ」「失敗してもなんとかなるんだ」というか、「直し方も目の前で見せてくれているから、自分でも直せるかもしれない」と感じてくれる。だからきっと、すごくいっぱい感想文を書いてくれるんだろうと思います。

坂本:ありがとうございます。ちょうど今、第1セッションの時間が切れるところになってきました。学校は何をすべきなのかが、おぼろげに見えてきたような気がします。

もっとお話を伺いたいんですが、いったん10分ほどの休憩を挟みたいと思います。次の第2セッションでは、じゃあどうすればいいのか、何を具体的に進められるのかというところまで深めていきたいと思います。