先生一人ひとりが持っている一番の価値
井本陽久氏(以下、井本):これ(質問)は別にゆっくり選んでもいいですよね? 何かあったら言ってくださいね。
「生徒とどのように信頼関係を築いているか知りたいです。『生徒と友達のような関係になってはいけない』と大学の先生から言われているのですが」。
これは、(質問者の方は)学生さんですね。僕は「先生はこうじゃなきゃいけない」ということをぜんぜん考えていない。どこに線を引くかをぜんぜん考えていないんですね。
だから、別に友達のような先生でもいいと思うし、距離をおく先生でもいいと思うんです。僕は前に「将来、先生になりたい」と思っている若者たちと話す機会があったんです。胸の中にしっかり持っている信念、「こういうことをやりたい」「子どもたちを助けたい」という思い。一人ひとりがみんな、すばらしいものを持っているんですね。
僕は本当に「この若者たちが学校の先生になって、何度も失敗しながら、信念のまま自分の思うようにやって、彼らにとって学校が『子どもたちの力になりたい』と存分に試行錯誤ができる場になったら、もう『学校改革』なんかいらないな」と思ったんですよ。
でもおそらく、そうやって理想を持って「こういうふうにやりたい」と思って(教師として学校に)入ったら、それをくじかれると思うんです。学校が悪いわけじゃないけど、やっぱり「学校の常識」というのもある。「学校はこうです」というものがあるし、そこに入って「そんなの知らないよ」って、何にもそんなことを気にせずやれる人って、変なやつしかいないんですよ。僕はその「変なやつ」だったんですけどね。
でも、こういう普通の子たちが、自分の思うようにやってみる。たくさん失敗してもいいんです。やれればいいなと思います。そうしたら学校って、本当におもしろくなるなと思ったんですよね。
だから「どういう関係がいいか」については、「自分の思うようにやればいい」と思います。そんなのは、最初からうまくいくわけがないんです。僕なんか、いまだにうまくいかない。自分の思うようにやってみればいいんですね。
先生一人ひとりの持っている一番の価値は、その先生のキャラクターです。その先生がどういう人かということです。それが、その先生が生きてきた人生とも言えます。その生徒との縁とも言えます。そのキャラクターというのが一番ですね。
例えば僕が、別のすごくおっかない、叱るのがうまい人を真似したって、うまくいくわけがないんですよ。逆に、別の人が「井本先生みたいにちょっとふざけてみよう」と言ったって、うまくいくわけがないんですよ。
自分のキャラクターがそれぞれにあって、それが一番の価値だと思うんです。なので、どうすればいいかというのは、「自分の思うようにやればいい」ということだと思うんですよね。
相手をジャッジする前に、ありのままを認める
ああ、なるほど。これはおもしろいですね。「1年間、授業を聞かずにマンガを描き続ける子がいたとして、先生はそれでもOKという立場ですか?」。
僕のことを書いてくださった本でも、「ありのままを認める」ということを言っていますし、実際「いもいも」では、「ありのままを認める」というのがド真ん中にあります。
「ありのままを認めます」というのは、「何でもいいよ。何でもしていいよ」ということとはちょっと違うんですよね。「ありのままを認める」ということは、ずーっとマンガを描く子がいたときに、「おまえ、授業中に何やっているんだ!」ということでなくて、「マンガを描いているんだなあ」と思うということです。
そのままを見るということですね。もしその子がいたら、「お、マンガ好きなの?」とか、あるいは「授業、おもしろくないか?」ということで、そこで会話できるじゃないですか。つまり何かと言ったら、そのマンガを描いている子にとって、最初の一歩は「ジャッジ」じゃなくて、「自分のことを聞いてくれる」ということなんです。
自分のことをまずわかった上で、話してくれるということですね。それが「認める」ということだと思うんです。
前にこういう子がいました。今年、中学1年生に教えたんです。クラスにずーっと寝ている子がいるんですよ。あるとき、眠っているから肩を揉んで、「眠い? 寝られない? 家であんまり寝てないの?」と言ったら、「自分は黒板を見ていると、目がチカチカしちゃうんだ」って。たぶん、知覚過敏だと思うんですけど、チカチカしちゃって痛いから目をつぶっている。そうしているうちに寝ちゃうんだって(笑)。
これ、(眠かったり、寝られていなかったりという事情とは)ぜんぜん違ったの。それで何かが起こるということじゃないんですよ。でも、その子を怒っていたら、たぶんそんなことを知ることもできなかった。結果、その子と心を通わすことはできなかったんですね。
なので、ずっとマンガを描いていることがいいかどうかについて、「何でもいいよ」ということとは違うんです。それは「叱りなさい」ということではないんですよ。それよりも、その子が「マンガを描きたい」と思っていることを、こっちがちゃんと受け止めるということですね。そこから始まるということですね。