誰かの理想に共感して動く、生命体のような「ティール」組織

野水克也氏:この先は? という話になるわけですね。この先はというところになると、理想かどうかわからないですけど、新しい組織経済として言われているのが「ティール」という組織です。

ティールになると、「生命体」と言われます。一番わかりやすいのは森です。例えば、森の一番上に一番でかい木があって、例えばライオンが「おーい、嵐が来るぞ。身構えろ」と言ったら、みんながこうやって身構える。そんなことはないですよね。みんなが自分の勝手で「俺はここでのびのびやる」とか言いながら、一定の調和が保たれている世界です。

スペシャリストである自分がチームを作るとしたら、お金で(人が動くので)はない組織、(スライドの森と動物の絵を指して)、実はこっちの組織形態のほうが自然じゃないかというふうになってくるわけです。

新しいチームは、お金と権限がそもそもないか、もしくはお金と権限が連動していない世界。指示で動くんじゃなくて、自分が何をすべきか考えながら動いていく世界。それから、情報を囲ったりするんじゃなくて、みんなで共有して、共有した情報で考えて、それぞれが自分のやりたいことをやるという組織ですね。

こういう組織がティール組織です。例えば、「自分が中心になって社会を巻き込んでチームを作ろう」「地域を巻き込んでチームを作ろう」「○○を巻き込んでチームを作ろう」という場合って、(スライドを指して)こっちの組織になるんですよ。

じゃあ、この組織は何で動くかということになるわけです。それは「理想」です。

誰かが言い出した理想に共感してみんなが動いていくんですね。ボランティアとかまさにそうじゃないですか。誰かが理想を言って、その理想に対して「俺も賛同するから何かできることないですか?」とか、政治もそうですね。政治は若干微妙ですけど。半分くらい、お金で釣っているところありますけど(笑)。

スペシャリストでも個人事業主でも、理想を持てばチームは作れる

とにかく理想で結ばれたチームというところがあります。要するに、スペシャリストの方だろうが、ラインから外れている方だろうが、個人事業主の方だろうが、理想を持っていればチームは作れるんです。当たり前ですけど。

逆に理想を持っていない人は、どこかのチームにぶら下がる。ぶら下がることすらできないかもしれない。これは、所属する意義となるお金の代わりとなる価値観に変換することになるんですね。

理想をいっぱい作っていくことで、自分の周りにチームがいっぱいできていく。そういう生き方をしていかなきゃいけない。これが40歳過ぎのスペシャリストの生き方の基本になるんじゃないかなと思います。

そのチームはどういうチームかと言うと、すごくいろいろなパターンがあって、自営業になる方もいれば、サラリーマンをしながらという方もいれば、会社の中でいろんなチームに属するやり方もある。すごくいろんなチームがあるとは思うんです。基本的には、こういうチームに自分が身を置いて、ひっぱっていかなきゃいけないところになってきます。

我々は会社で、自立……自立と言うと、普通は「独房に何週間耐えられるか」というようなことが自立と言われがちです。けれど、自立というのはそうじゃなくて、「たくさんの人や環境に支えられている状態」という定義が、今では一般的な考え方になりつつあります。

人は社会的動物ですから、森の中に木があったとしても、その木がもし森の生物もいなくなって、下の草もなくなって、隣の木もなくなったらその木は生きられるかといったら、なかなか難しいわけです。

人は一人では生きられないので、周りに関係性のあるもの、人たちがいて初めて成り立ちますから、自立という考え方も最初から他人との関係性の中で生きていくことを前提にしなくてはなりません。

自分の森は自分で作る

だから、「自分の周囲に多様性あふれる環境を自分で作り出す」。自分の森は自分で作るということです。自由になったら。今まではどこかの森、もしくはどこかのテント、どこかの家の中に自分はいたわけですよ。でも、そうじゃなくて、自分で森を作りましょうと。

これについては、ティール組織の本の中に書いてあるんですけど、「進化を『適者生存』ととらえれば」(ティール組織 p328 マーガレット・ウィートリー&マイロン・ケルナー=ロジャースからの引用文)、要するに進化というのは、優れたものだけが勝ち残ると捉えたら、「相互進化」という側面が見えにくい。

今、価値観の軸がこっちにあるからといって、必ずしもこの軸が正しいとは限らない。こっちの軸になった瞬間に、まさに災害対応とかそうですよね。

5年ほど前まで「ダムいらねぇ、ダムいらねぇ」とみんなが言っていて、「ダムなんかみんな壊せ」とまでは言っていないけれども「作るな」と言っていた。先日の台風から「ダムいるぞ、ダムいるぞ」。どんだけ価値観変わってんねん、というような変わり方をしているわけですけれども、そういうことです。

ちゃんと多様性を獲得しておかないと、ちゃんと生きられませんよ。その中でマイナーとメジャーが入れ替わりながら、価値感はどんどん変わっていくんだよと。それが本当の進化なんだよと語っているわけです。

同じ人、同じ環境、同じ価値観の軸で生きているということは、次第に単一の価値観しかなくなりますから、その状態はけっこうリスクが大きいことになるわけです。

実際に会社から飛び出してみて、初めて見えてくること

実際に自分が会社の枠から飛び出してみたら、本当にいろんなことが見えます。会社を辞めて飛び出すことは、みなさんなかなかできないかもしれないですけど、一番わかりやすいのは、在宅勤務をすること。もし(会社から)許されている方がいらっしゃいましたら、1日在宅勤務をしてみてください。

だいたい40歳から50歳の男の人で、在宅勤務をやりたい人はほぼいないと思うんですよ(笑)。家で仕事とかテレビ会議とかやっていると、だいたいカミさんが隣の部屋から掃除機のホースを持ちながら「かけていいの? ダメなの?」みたいな目で見たりとか(笑)。

近所を散歩しているときに、隣の家の奥さんとかジーッと見てきて、いつもだったら挨拶してくれるのに「あれ、ひょっとして俺、クビになったと思われてる?」みたいなことを感じたり、すごく居心地が悪いんです。

ただ、駅前の商店街に行ったら、以前とは品揃えが変わっていたり、学校に行く子どもの数よりも、団地の中に入ってくる介護の車のほうが多いとか、本当にいろんな社会の変化に気づくことができます。本当に時代は変わったなということを体感できたりするんですよ。

見渡してみると、昭和モンスターがいっぱいいることに気付きます。今まで当たり前だと思っていたことが、実はぜんぜん当たり前じゃなかったことに気付きはじめるわけです。

例えば、満員電車。「なんで俺、何十年も満員電車に揺られているの? おかしくないか」とか。「持ち家って本当にいる? 今から価格が下がっていくばっかりで、賃貸のほうが楽じゃね?」とか。あとは年功序列。「言われてみれば、70までずっと給料上がり続けるような話ないよね」とか。

あと「仕事で飲んで、午前様で」と言うんだけど、これってよく考えたら「どう考えても親不幸の上に子不幸だよね」という話とか。「そもそも、なんで会社にスーツを着ていかなあかんの?」というところに始まって、いろんな疑問が湧いてくると思います。

そこで初めて、「価値観の軸をずらせるようになるんじゃないか」と思うわけですね。自分の価値感を変えるときに、一番わかりやすい考え方があります。楠木建さんの『すべては「好き嫌い」からはじまる』という本に出ているんですが、すごく感動しました。

“良し悪し”は勝負になる、“好き嫌い”は平等になれる

まず、今までは、旧来の組織ですね。だいたい「良し悪し」なんですよ。良し悪しで世の中を見ると、「いいほうがいい」で「悪いものはどう見たって悪」です。その基準はだいたい「儲かるか、どうか」です。

これに対して「好き嫌い」の世界はそうじゃないんです。「好き嫌い族」は世の中を横に見るんですね。「自分は好きだ」「自分はこれが嫌いだ」と。

例えばラーメンとカレーライスがあったら、「僕は絶対ラーメン派だ」。でも、一緒にご飯を食べているもう1人が、「いやぁ、飯はカレーだよ。カレー最高」と言った場合に、これはどっちが良い悪いじゃないですよね。

僕はアレルギーでカレーは食えないんですけれど、カレー好きの心は認めます。「相手の価値観はあるし、こっちの価値観もある」という状態には優劣がつかないけれど、良し悪しで見ている限りは、永遠に勝ちと負けができるんですよ。

良し悪しで見ている間は、名刺交換しても「勝った」「負けた」。喫茶店に行っても、「あいつハムサンドだけど、俺、たまごサンドだ」みたいな、どちらが勝ちがわからないですけど(笑)。

「僕はメロンソーダだけど、あいつはクリームソーダだ」みたいな、くだらない争いを延々続けなきゃいけなくなってしまうところがあるんですが、好き嫌い族はそうじゃない。

「俺はシンプルイズベストなんだ。メロンソーダ」というようなことがちゃんと成り立つ社会になります。こうなってきて初めて、平等なチームができるんですね。

そうなってくると、良し悪しの世界だったら「商店街で一番流行っている店のものを取り寄せよう」とか、「隣町がやったからうちも○○にしよう」とか言って、すぐに飛びついてみんな同じような感じになるんですけど、好き嫌いだったら、ぜんぜんバラエティに富んでいて、多様性が担保されるわけです。

そうすると、商店街でも、商店街のせいじゃなくて自分の売っているものがつまらないからお客さんが来ないんだと気づく、おもしろくできるかもしれないという可能性に気づくわけですね。まず、抑圧されていた感情をちゃんと元に戻すことが必要。「好き嫌いを思い出せ」ということです。

この時代のスペシャリストは「好き」の延長線上

とくに重要なのは「好き」です。サラリーマンになると「嫌い」が増えていくんですよね。就職してからは「上司嫌い」とか「取引先嫌い」「あれ嫌い」というふうに、嫌いがいっぱい増えてくるという状況があるんですが。

とくに「好き」というところにこだわる。こだわるとなにができるかというと、「好き」の先にスペシャリストがあります。スペシャリストって、「好き」の延長線上なんですね。

昔は、「その人しか知らない知識を持っているから」という、スペシャリストがいらっしゃったんですけど、今や検索すればインターネットから何でも取れる時代になってきました。

こういう時代のスペシャリストの価値は、「オタクに(なって)どこまでとことん突き詰められるか」ですね。自分の専門分野に対して、どこまでオタクになれるかというところで、スペシャリストとしてのスキルが担保される時代になってくるわけです。

そうすると、「理想で語れる人」。理想をちゃんと語る人の周りに人が集まるという組織の話に戻りますけれども、こうなってくると「スキル✕理想の強さ」。自分に「特化したスペシャルスキルがあります」というところと、「自分が思っていることはこうで、こういう世界を実現したいんです」というところ。この2つが揃っている人のところに人が集まるという事態になります。 

得意なことが起点になり、相乗効果で多様なチームが生まれる

例えば僕の場合だったら、カメラが得意なので、休日も夜も一生懸命練習して、いろんなところに映像を出していったり、それを外に出しながら、自分が上手いということを(アピールする)。自分の中で思っていてもしょうがない。

外に出さないと誰にも認められないので、がんばってインスタをやったり、TwitterとかFacebookで発信したり、いろいろやっているわけです。スキルだけでは人は寄ってこないので、ちゃんと理想も言わなきゃいけないよね。地方創生ってこうだよね、というところでさらに自分で語っていくわけです。

そうすると、次はどこかのチームに呼ばれます。呼ばれていくうちに自分のチームを作れるようになります。自分の中で理想を語れる人、自分のスキルがちゃんと外に認知されていること。この2つの条件を満たしていけば、そのうち自分でチームを作れるようになる。そのチームは横の価値観で動く、そういう話になるわけですね。

僕の場合、地方でサイボウズのエバンジェリストとしてプレゼンをしていたら、地方創生で呼ばれて仕事をするようになりました。そうなると地方のキーマンと知り合うようになって、地方の名所を撮影して出したら、その地方のレストランで「流してあげるよ」という話になって、「そうですか、では」と流してもらったら評判になって。

それをSNSでつぶやいたら、「この人は写真を撮るのが上手い人」と周りで認知されましたと。写真教室を開いてくれという依頼が来て、そのうちちょっとだけ有名になってくると、自治体から観光PRの仕事が来て、自治体から個人が(仕事を)受けられるのかとびっくりしましたけど、僕、その仕事を受けたんですよね。

あとは、本業のパートナー企業さんから「うちの宣伝ビデオも作って。PR動画も作って」という依頼が来たりして、今度は逆に動画の仕事で知り合った会社からkintone構築の相談が来たり、「あれ?」という感じで相乗効果で回っていきます。

この効果を回せば、自分の周りの動画チーム、地方創生チーム、kintoneチームなどいろんなチームがあるんですけど、そういうチームが自分の周りにできてくる。もしくはその一員になってる、そういう状態でいい循環が回っていきます。

「心理的安全性」「相互信頼」が生まれるチームには“理想”がある

次、組織運営のところは、Googleさんに聞くとよくわかりますね。「『効果的なチーム運営とは何か』を知る」というページに書いてあります。Googleさんはフラットな組織で、各個人のやりたいことをやるところがけっこう強みになっています。

そのページに書いてあるのが「心理的安全性」。なんでも言える。「相互信頼」、お互いにやることを信頼している。それから、「構造が明確」ということですね。すごくシンプルでみんなが構造を理解している。

「仕事の意味」、この仕事がどんな意味があるんだろうということをみんなが理解している。あとはちゃんと「インパクト」がある。チームの成果が組織の達成目標にどうつながっていくか。私がこれをやることで、組織がどう変わるか、社会がどう変わるかを理解していることが、大事だと言っています。

この辺のことはみんな無意識にやっているんですけれども、とくに上の「心理的安全性」と「相互信頼」。この2つが今までの組織だとおざなりになってます。「信頼している」と言っても実は服従だったりするわけで、そういうものではなく、お互いに対等に認め合う、横の価値観で認め合うことが大事だなと。

私の場合はこんなチームで活動しています。例えば、珠洲というチームで活動していたり。ここは市役所、里山マイスターという起業家ですね。地元企業とうちと国連大学で混成チームを作って、SDGsの2030ビジョン達成をミッションにして活動しています。

これはほぼ全員ボランティアです。サイボウズもほぼ持ち出しですけど、でも理想があります。(人口)1万人の本州で一番小さい市がどうやったら再生できるか。どうやったら未来も住み続けられる街になるのかというところで、みんながつながっているという状態があります。

それから、地域クラウド交流会、これは僕が担当じゃないんですけどね。5年間でサイボウズの担当はたった1人なんです。たった1人なのに、5年間で19,569人を動員するイベントをやり続ける。ちいクラチーム、1人なのにすごくでかいチームです。しかも、開催費用ほぼゼロですね。何のお金ももらわないでやっている、言い換えると「みんなお金をもらってないけどやってる」というところです。

それからわかりやすいところでいうと、災害対応ボランティアですね。うちの社員がメンバーとして加わっていますけれども、これもボランティアの組織。ぜんぜんお金をもらっていないのに、全員が(チームとして)固まって何千人という人をちゃんと動かしているという、こういうものがあったりします。

好奇心をもって多様なチームに属することで、中年という“モンスター”を退治しよう

まとめです。ちょっと時間オーバーしましたので簡単にいきます。中年というモンスターがいました。モンスターの特徴はこういう感じです。「好奇心がなくなって同じことをする」とか、「理想ではなくてルールで他人を縛る」ですね。これはこうだから、「会社の物差しで人を測る」。

それから、「情報を発信せずただ取って独占する」、それから「相手との間に上下関係を必ず作ってしまう」。縦の価値観でものを見る。こういう病に冒されている人たちは新しいチームを作ることができません。

「人生で初めて自由を手に入れて戸惑ってしまうのがオーバー40代」です。私たちには理想が必要です。「新しいチームを支えているのは共通の理想」そして「チームは似た理想を持つ異なるスキルの人たちで構成されていく」。

「理想とスキルというのは『好き』なことを追求して『言い続ける』こと」が大事です。スキルを高めるのはもちろんですが、発信し続けることによって周りに認知されるというところです。

好奇心は制約が減ると増大しやすいというところで、自分でちゃんと制約を減らしてエキスパンドしましょう。

たくさんのチームに属しているということは、それだけでリスクヘッジになり、自分の中の制約が減るので、すごく好奇心を伸ばす余地が大きくなります。

最後に言いたいのは、結局は「モンスターは自分の中だ」ということです。中年になってくると、固まった価値観というモンスターが自分の中でどんどん湧き上がってきて、そのモンスターが自分の手足を縛ります。

なんとかしてそれを脱して、横の価値観で、生まれたときのままでとは言いませんけども、子どものときの純粋な心を思い出して、好奇心むき出して興味のあることに没頭し、いろんなチームを作っていけばいいんじゃないかなと思っております。以上になります。どうもご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)