昭和天皇の姿を正しく描きたかった

司会者:まずは、それぞれお一人ずつご挨拶をお願いいたします。

役所広司氏(以下、役所):こんにちは、役所です。戦後70年を記念して作られた原田監督の作品に出ることができて幸せな思いです。8月15日に終戦の特集がいろいろ組まれておりますけど、この映画をたくさんの人に観ていただきたいと思います。本日はどうぞよろしくお願いします。

本木雅弘氏(以下、本木):昭和天皇をやらせていただいた本木雅弘です。撮影の最初から最後まで、恐れ多と、こんな未熟な自分がこれを背負えるのかという気持ちが消えないままに撮影が終わってしまったんですけれども、深い知識と懐をもつ原田監督にすべてを預ける気持ちで、カメラの前に立ちました。昭和天皇のことは強い印象をもっている方がたくさんおられると思いますし、そのような方々に映画を観ていただけるとありがたいと思いつつ「本木のあそこが違うぞ」といろいろ言われるんではないかと思うと、唇がふるえてしまいます。

個人的にはですね、この原田組に参加してよかったと思います。実は昭和天皇の役はもともと私にオファーされたものではなくて、別の方にきた仕事だったんですけど、その方のスケジュールが合わず急遽私に矢が飛んできましたので、アクシデントだったんですけど、そのアクシデントを受け入れて私は得をしたと思っております。よろしくお願いします。

松坂桃李氏(以下、松坂):畑中健二陸軍少佐役をやらせいただいた松坂桃李です。僕は戦争を経験していない人間ですが、この作品を通して、その当時のことを思い、考えるきっかけを与えてくれた作品だと思います。なので、この作品で(観客に)何かきっかけというものを与えることができたらなと思います。本日はよろしくお願いします。

堤真一氏 (以下、堤):えーどうも、堤です。僕は原田監督の作品に何本か出させていただいたんですけど、この映画に出させていただいたことを誇りに思っております。この映画は良いとか悪いとかいうよりも、観ていただいてどう思ったか、戦争に対して自分がどういう思いで観たのかということを聞かせていただきたい映画だと思います。よろしくお願いします。

司会者:最後に本作のメガホンを取られた、原田眞人監督からご挨拶をお願いいたします。

原田眞人氏(以下、原田):原田です。阿南陸相を扱った映画は今まで2本ありましたけど、最初54年に作られた作品で、そのあとが岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」で、これは(阿南陸相を)三船敏郎さんがやってますけど、やはり2本ともに天皇陛下を描くことができなかったんですね。最初の作品のときは天皇が姿を現さずに、次のときは松本幸四郎さんがやりましたけど、ロングショットか背中だけ。さきほど(本木さんから)ピンチヒッターだという話がありましたが、最初に本木さんに昭和天皇をやってもらいたいということがあったんですけど、あまりにも恐れ多くてオファーできなくて、回り回って、すごく理想の天皇陛下になったと思います。

半藤一利さんの原作を読んでもそうですが「日本のいちばん長い日」にいたる4ヵ月の話なので、やはり昭和天皇が全面に出てこないと作品として成立しません。その中で昭和天皇と阿南陸相、鈴木貫太郎首相、こういう3人のドラマを華族のドラマとして描くという狙いでみなさんに出演していただきました。

本当に素晴らしいキャスト・スタッフに恵まれて、素晴らしい作品になったと思います。自分の中では本当にひとつの記念碑的な作品になりました。いろいろ話したいことがあるんですけど、時間がなくなってしまうので、このぐらいで挨拶に代えさせていただきます。よろしくお願いします。

司会者:まず、私から質問させていただきます。原田監督、今年は戦後70年という節目の年なんですけど、半藤一利さんの原作を改めて映画化しようと思ったのはどうしてなんでしょうか? その経緯を教えていただけますか?

原田:これは長くなるんですけど、短く言うとですね、僕自身は今言ったようなことで原作を読んだときに、1967年の「日本のいちばん長い日」っていうのはやはり昭和天皇を描けなかったんだなということがずっと心の中にありまして、いつか正しい形で映画化したいなという思いが、ひょっとしたら今できるかなと思ったのが2006年ですね。それでこの年にアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」がやりまして、イッセー尾形さんが昭和天皇やってます。

この映画は日本で公開されるかどうかがちょっと危ぶまれてたんですけど、初日か2日目だかに銀座に行って列に並んでみたんですね。このときにすごき知的なお客さんたちが、緊張した面持ちで列に並んでいたんですね。まだ、昭和天皇が出る映画というのが日本で許されるのかどうか、という意見がものすごくあったんですね。それで何も事件が起こらなかったんですね。その頃から、いつか機会があったら「日本のいちばん長い日」を昭和天皇を全面に出して描きたいという思いが募ってました。

今回2013年の秋ですね、プロデューサー2人と別の企画の話をしておりまして、再来年は戦後70年になるけど「日本のいちばん長い日」の企画ってどこかで進めているのかしらという話になって、そこで即座にプロデューサーが文藝春秋さんに電話してくれて、権利があいているという話で、そこから話が進み始めて、2ヵ月後に脚本を書き始めて、1ヵ月で第1稿を書いたんですね。これが2014年の1月末に第1稿があがりまして、すぐに2月の中旬から「駆込み女と駆出し男」の撮影に入って、その間にプロデューサーを中心にキャスティングを進めて「駆込み女と駆出し男」の撮影が4月の上旬に終わったんですけど、最後のほうは「日本のいちばん長い日」の第2稿を、改定稿を書きながらの撮影で、そこからあとは順当にこの作品の準備が始まったわけですね。

司会者:2006年から10年近くかけて構想はあったということなんですね。

原田:そうですね。今だったらできるかなというのが、徐々に高まってきた時期です。

三船敏郎と同じ役がプレッシャーだった

司会者:わかりました。ありがとうございます。ではキャストの方に聞きますけども、役をいただいたときの心境はいかがだったんでしょうか? 脚本をお読みになってどのように思われたのか、うかがいたいと思います。まずは役所さん、お願いします。

役所:はい。えーまあ、前回の「日本のいちばん長い日では」阿南陸相を三船敏郎さんが演じられていて、いやだなぁ〜って思いましたね(笑)。プレッシャーもありますし、まあ原田監督だったら新しい阿南陸相を作ってくれるんじゃないかと期待をしていました。前も山本一六というのも三船さんがやってらっしゃったので、また三船さんの役かとプレッシャーを感じましたけど、原田監督から言われると断れないので(笑)。喜んでやりました。

司会者:わかりました。ありがとうございます。本木さんはさきほどもお話にありましたように昭和天皇役ということで、告げられたときはどんな心境だったのか、また脚本を読んでからそのお気持ちが変わったのか、おうかがいできますか?

本木:えーお話をいただいたときには、逃げ出したいような気持ちと、逃したくないという2つの気持ちでゆれた感じでしたね。自分自身はすごく歴史にうといので、脚本は半分くらいしか登場人物の立ち位置がわからない状態で読むような感じでした。その後いろいろ資料とかをあたって理解できるようになったんですけど、いろいろ(オファーを)受けるかどうか躊躇していたときに、義母の樹木(希林)さんから「私なりにオファーがきた意味合いがわかるような気がする」と「原田監督はとても力がある監督だし、昭和天皇を演じる機会もなかなかないと思うから、受けるのがいいんじゃないかしら」というような、背中を押していただいて、こういうことになりました。

司会者:そうだったんですね。ありがとうございます。そして松坂さんは若手少佐の畑中役ということで、脚本を読んでどうでしたか?

松坂:そうですね。本当に純粋で、日本が勝つことを疑わず、生き抜いた方なのかなと思いましたね。本を読んで、僕は戦争映画にはじめて参加したんですけど、今まで戦争映画に緊張感が強く、激しいイメージをもっていたんですが、今回もちろん緊張感もあるんですけど、その時代の中での日常がしっかりと描かれていて、僕の中では新鮮な感じでしたね。

司会者:畑中少佐役だよと言われたときには、どんな心境だったんでしょうか?

松坂:緊張というか、不安でしかなかったんですけど、そこはもう監督を信じて最後まで走り続けました。

司会者:ありがとうございます。そして堤さん、迫水久常内閣書記官長とうことで…いかがでしょうか?

:いかがでしょうかね?(笑)

(会場笑)

:あのー、僕は脚本読んだ時点で、最初どの役をやるかわからず、おそらく体育会系かと思ったらこんな知的な方の役を与えられて、正直戸惑ったんですけど、鈴木貫太郎役の山崎努さんの補佐的な形なので、山崎さんとお芝居したことが何回かあるので、楽しみというか実はちょっと気楽な気持ちで参加したんですけど、こんなに緊迫感がある現場はもういやです(笑)。

(会場笑)

:本当にすごくてですね、今年でもう51になるんですけど、山崎努さんとの内閣のシーンが多いんですけど、僕が常に一番年下という状態もなかなかないので、途中でもどしそうなくらい緊張して、そこにいるのもいやっていう緊迫感の中でやっていたんで、それが作品に反映できてればいいなというふうに思います。

司会者:大変な緊張感の中の撮影だったんですね。ありがとうございます。それでは会場のみなさんからご質問をうかがいます。

ポイントは坊主になるかどうか

質問者:映画ドットコムのオザキと申します。原田監督におうかがいします。冒頭にお話いただいたんですけど、それぞれのキャストを起用した理由をおうかがいできますか?

原田:えーと、まずここに来られなかった山崎努さんから言いますと、山崎さんはもう鈴木貫太郎のイメージはこの人しかいないなと。「駆込み女と駆出し男」のときには滝沢馬琴役で出てもらってるんですけど、衣装合わせをしながら「山崎さん、次鈴木貫太郎なんですけどどうですか?」っていう話から入りまして、でもう阿南陸相に関しては「日本のいちばん長い日の」企画があいてるかプロデューサーにチェックしてもらっているときから、役所さんで決めてたので。

これは今までの阿南陸相と違う、家庭的な人なんですね。役所さんのスケール感のある、家庭的な部分が一番キーになるなと思っていて、これは鈴木貫太郎を家長とする、長男が阿南陸相の役所さんで、次男が昭和天皇、これは本木さんなんですね。まあスケジュール的に難しいとう話が出てたんですけど、最終的には本木さんでということで、僕としては申し分の無い話で、(キャストを)組めました。

(松坂)桃李くんは坊主になるかどうかっていうのが、ひとつのポイントだったんですけど、全然大丈夫だったんだよね(笑)?

松坂:問題ないです(笑)。

原田:要するに、畑中少佐っていうのは、明るいんですよね。純粋なんですよ。ですから過去の2本の作品で(描き方が)どちらも違っている。僕自身の中で反戦思考というのが強いんですけど、ですから今回の畑中少佐たちは自分にとっては敵だったんですけど、やはり純粋な畑中少佐を描きたいという気持ちが一番強かったですね。そうでなければ他の参謀たちがついていかなかったと思うんですよね。

堤さんはいつもどんな役をやってもらおうかなということで、探していたときに、ちょっと坊主になりそうもなかったので、軍人はやめて一般人にしようということで、迫水久常というのは「宮城事件」を扱う作品の中でクローズアップされてませんでしたけど、本当に重要なキーマンで、そこんところを「クライマーズハイ」の悠木チーフと同じように、迫水さんをやってほしいということで堤さんにお願いしました。

司会者:ありがとうございました。