ガールズカルチャーをテクノロジーの視点から解き明かす

司会:久保さん、よろしくお願いします。

久保友香氏(以下、久保):「シンデレラテクノロジー」という、私が研究で掲げているテーマについてお話しさせていただきます。今日はこの場所(open cu)ということもあって、男性が多めかなという意識で用意してしまったんですが……。

結構女性が多くて「こんなことわかってるよ、おばさんに言われなくても」ということがありそうで心配なんですが(笑)。一緒に確認させていただけたらと思います。

比較的男性の方が疑問に思っていそうなガールズカルチャーのことを、テクノロジーの視点から解いていこうと思います。(スライドに)出してしまいましたが、3つくらいの問題を考えていきたいと思います。

1つは、日本の女の子はなぜ「デカ目」を目指すのか? それから女の子は「盛る」という言葉を使うんですけども、女の子が言う「盛る」とは何か? それから「ガールズカルチャーのこれから」ということを考えていこうと思います。

まず1つ目。女の子はなぜ「デカ目」を目指すのかなんですが、突然ですが、日本の美人顔の歴史を見てみます。小さくてわかりづらいかもしれないんですけども、美人画に描かれている美人顔というのはすごく変化しています。

「ガールズカルチャーなのになぜ美人顔なのか」というのがあるんですが、日本の美人画ってすごく不思議で、完全に美人というかガールズ、女の子の顔の歴史になるんですよね。

日本の美人画の歴史と変化

ずっと歴史を見ていくと、日本最古の美人画は高松塚古墳の壁画に描かれたものだと言われているんですけども。(西暦)700年くらいの話ですね。それから1300年くらいの間ずっと美人画は描かれています。

平安時代に描かれていたお姫様、貴族の娘さんみたいな方々はたいてい13〜14歳とかで結婚するので、そのために12〜13歳で大人になる儀式があって。白塗りをして髪を垂らしてとお化粧もして、また服装も決まっていたみたいで、そういう状態になったお姫様が描かれています。たいていは結婚する前の女性が美人として描かれています。

その後の江戸時代では遊女、特に上流、高い位の遊女が描かれているんですけども、そういう方々も19歳くらいで卒業というか引退するみたいですので、やっぱり若い。それから最近の美少女(キャラクター)も美人画の歴史かなと思うんですけども、やっぱり若い女の子です。

世界においては特殊な話なんですけども、日本の美人画というのはずっと女の子の顔が描かれている。今日のテーマ、ガールズカルチャーの「歴史」を見るときにはこれが最適な材料になるので、持ってきました。なんで日本は特殊なのかという話はちょっと後にしようと思いますが、とにかくかなり変化しているということです。

もうちょっとシンプルにしてみたんですけども、ざっくりと見てみると私は大きく四期に分かれると考えています。

特徴点を打って統計的に見ると、こんなふうに変化があります。同じ時代にはわりと似たような顔が描かれていて、(時代ごとに)大きく変化しているということです。

今日はこの辺(のスライド)は抜いちゃおうと思うんですが、大学の授業では美人画の変化を(問題形式で出している)。理系の研究者から見ると「この変化に法則があるんじゃないか」というのをどうしても見出したくて、こんなことを研究でやっています。例えば「今の私の顔を、美人画の特徴を持つような顔に変化させるにはどうするか」みたいなことをやってまして。

今は画像処理でいくらでも美人画風なものを作ることはできるんですが、そうじゃなくてもっとシンプルに、プロセスを少なくすることで変化が見えるんじゃないかということで法則を見出して、実は紙を折ったら作れるという。それで簡単に変身するソフトを作ったり。

ずっとこういうのを見ていくと、「つり目・たれ目」とか「目の大きさ」とか「顔の太さ・細さ」みたいなことで、特徴点が変化していることがわかります。美人画とか美人顔とかカワイイ顔とか、そういうのは曖昧な、情緒的なものだったりするんですけど、実はそこには数量的な法則があるんじゃないかということが美人画からわかってくる。そんな研究をやったりしています。

簡単な説明でわかりづらかったかもしれないんですが、いずれにせよ変化しているということで。では、なぜ変化するのかというところを今日はお話ししたいと思います。

美人顔がなぜ変化するのかには、いろんな要因が複合的に関わっているのが確かなことです。実際に人間の顔も変わっているみたいで多少骨格も変わっているし、それから江戸時代なんかは長州顔(目が細くて面長の人)と、薩摩顔(目が大きくてつぶれたような顔の人)と分かれていて、貴族の顔と大衆の顔が分かれていて交わらなかったけれども、明治以降の人は混ざった顔になってるとか。

そのような顔の変化もあるんですが、それは結構微々たるものであって、大きな変化を与えるのは技術の影響じゃないかということを私は考えています。

女性の外見を形作る、シンデレラテクノロジー

そういう視点から見ていきたいんですが、最初に申し上げました「シンデレラテクノロジー」というものがここで大事になってきます。

女性の外見に関わるようなテクノロジーをシンデレラテクノロジーと呼ぶことにしたんですが、大きく分けて「加工する技術」と「公開する技術」で成り立つと考えています。

普通に考えたらお化粧のような加工する技術だけを思い付くかもしれないんですが、シンデレラもそうですけど、変身するだけではきっと意味がなくて、舞踏会に行って人に見られて初めて「美人」という立場に立ったわけです。

やっぱり、変身して人に見られて初めてそのアイデンティティが決められるというところから、加工する技術と公開する技術の両方を合わせて、「外見を作る技術」なんじゃないかと考えています。このことも、もう一度後でゆっくり話させていただきます。

先ほど(スライドで)見ていただいたように、美人画の顔は大きく四期に分かれます。今のテーマである「なぜデカ目になったのか」ということを見ると、明治・大正時代、1900年代くらいで大きな境目があるんですね。

昔の絵巻や浮世絵に描かれている美人画って「目が細くてちょっと下膨れ」というイメージがありますけども、明治・大正時代の美人画からは(目が)大きくて。(竹久)夢二の絵なんかは結構見てらっしゃるかもしれないんですが、ちょっと大きくなっていくという変化があります。

今もどちらかというと大きい目が美人という感じがありますが、これはやはり技術の影響が大きいと考えています。「絵の上だけでそうだったのかな」と思うかもしれないんですがそうじゃなくて、江戸時代は本当に細い目が美人だったらしいんです。

江戸時代に出された化粧書、これは日本で一番古い化粧書といわれてますが『都風俗化粧伝』というものがあります。なかなか分厚い本なんですけども、その中で「目を細くする方法」という項目があるくらいなんですね。

どうやって目を細くするかというと、当時はやっぱり白粉が中心だったのでそれをまぶたの上にのせて、うまくぼかしていくことによって目を細く、腫れぼったく見せるということになると思うんですけども。

そういう方法だとか、くだらないのだと、前斜め何十度だかを見ながら歩くと目が細くなるとか、そんなことも書かれているくらい「どうにかして目を細くしよう」という感覚があったみたいです。

おもしろいのが、今のメイクブックとかを見ると必ず「before」と「after」の顔が載っていますけども、それがこのとき(江戸時代)からあって、beforeが二重の目でafterが一重の目になってたりするんです。そのくらい、今とは反対のところがあります。

それがなぜ明治・大正から変わったのかというと、ここがお化粧の変化だと思います。江戸時代までは「白粉と紅」が化粧品だったわけです。特に白粉を上手く使いこなせる人が美人で、さっきの『都風俗化粧伝』にも「上手くぼかすといい」と書いてあるくらいです。白粉を使って細い目にするのが美人だったのではないかと考えられます。

明治・大正時代に登場した「黒い化粧品」の影響

明治・大正になると、日本で初めてアイシャドウなどの「黒い化粧品」が出てきます。最初に入ってきたのがいつかはわからないんですけど、鹿鳴館があって洋装が入ってきた頃だと思うので……1870年代くらいですかね。資生堂が作った、日本で初めての国産のアイシャドウができたのが、1923〜24年頃だったと思います。

黒い目の化粧品が日本に入ってくるようになると、それを使いこなす人が美人とされることになります。それによって、目が大きい人が美人ということになっていった。それが大きな理由ではないかと考えています。

新しいテクノロジーをうまく使いこなした顔が「美人顔」というところがある。反論があるかもしれないんですけども(笑)、もうちょっと進ませていただきます。

これはすごく正しい話で……すいません、(スライドに)字が集まっていて読みづらいかもしれないんですけど、フロイトがアインシュタインに書いた手紙というのがあって。「人はなぜ戦争をするのか」というテーマの手紙で、そこに書かれていた内容です。

従来、衝突=戦うということは「腕力」によって行われていた。もともと人が持っていた力によって行われていたんですけども、その腕力が「武器」を使うことに代わった。それで武器を持つことができる人や、上手に使いこなすことができる人が勝利を収めるようになっているということが書かれています。

これは、美人顔にもそっくりそのまま同じことが言えるんじゃないかと思って、変えてみたんですけども(腕力→元の顔、武器→テクノロジー)。美人というのは「元の顔」で決まっていたけれども、お化粧をはじめとした「テクノロジー」ができることによって、それを持っていたり、使いこなす人が美人とされるようになっていくと。

男性の武器の話に対して、女性は化粧などのテクノロジーの話。武器はよく知られていますけど、こっちはあまり知られていない気がするんですが、実はとても理にかなった話だといえるんじゃないかと思います。

男性にはわからない?「モテ」と「盛り」の違い

今日は女性の方々が多いので、ここまでのところは納得していただけたんじゃないかと思うんですが、やっぱり男性の方は不思議に思われるんじゃないかと思います。

「化粧をうまく使いこなしてる人って、本当に美人なの?」というのがあると思うんですけど、これは先に言ってしまうと「モテ」と「盛り」の違いみたいなものがあるんじゃないかなと思います。

女性の間ですごく大事な評価指標がありまして、それは「盛る」とか「盛れてる」というものがあります。これについて話をさせていただきます。

「盛る」とか「盛れてる」、「盛れる」という言葉を聞いたことはありますでしょうか? 私世代もそんなにアレ(使わない)かもしれないんですけど、若い女性達は結構使う言葉で。

例えばプリクラとか化粧品とか見ても、「これは盛れる商品だ」ということをアピールしていたりします。女の子同士でも、上手くお化粧ができたりとか上手いプリクラの画像が手に入ったりすると、その顔を見て「あ、盛れてる」とか。

先ほど女性の外見をつくる技術をシンデレラテクノロジーと言いましたが、シンデレラテクノロジーにおいてすごく重要なのは「盛れるかどうか」「盛れる商品を作れるかどうか」です。それが(商品を開発する)企業の成功に関わってくる、すごく重要な言葉になっています。

意味を紹介しますと、だいたい次のようなことになると思います。「盛る」というのは「加工する」というような行動を表す言葉。「盛れてる」というのは「理想的に加工できている」という状態を指す。「盛れる」というのは「理想的に加工できる」道具を指す、という感じかと思います。

使っていても、そこまで考えることはないんですが……合ってますかね? (鎌田安里紗さんに確認)合ってますか、よかった(笑)。大丈夫かなと思いながらだったのでよかったです。ありがとうございます。男性にはなかなかわかりづらい言葉かもしれないんですが、そういうところかと思います。

この「盛る」、理想的に加工するということが先ほどのフロイトの言葉にもすごくつながっていて、テクノロジーをより上手に使ってキレイになる、美人になる。それが「盛る」という言葉に表されていると言えると思います。

それでも、男性の方々は「それが美人なのか?」と思うかもしれないんですが……昔の話に戻ってしまうんですけども、江戸時代から明治・大正になるときに美人顔の目が大きくなっていくんですが、これも「化粧品が入ってきたから簡単にそうなった」わけではないみたいです。

黒目のお化粧は、和装から洋装に変わっていくとき、西洋の文明が入ってくるとともにそういうものが入ってきて、大きい目になっていきます。

先ほど申し上げた、鹿鳴館ができた頃の1870〜80年とかそれくらいから洋装が始まるんですが、実際に日本に完全に洋装が広まったのは戦後だと言えます。1920年くらいに銀座を歩いている女性の服装の調査があったんですが、そこには8〜9割が和装だったということが書いてありました。

それくらい、日本の女性はなかなか洋装になっていない。今はもうみんな洋装なので信じられない感じがするんですけれども、すごく時間がかかっていて。それがなぜかということを考える必要があります。

メディアの影響と洋装化する女性達

1920年代、アイシャドウが入ってきたくらいは、銀座もほとんどが和装で、洋装で断髪してアイシャドウを付けて歩いている人たちは「モガ」(モダンガール)と言われて嫌われていたと言います。

(現代の)「ギャル」みたいな感じかもしれないんですけども。男性からは批判される対象だったらしいんですが、今はみんな洋装なのでそっちが勝ったわけになります。

そのときにすごく重要だったのが、「メディアの影響」じゃないかと思います。先ほど話した「技術の影響・変化がある」ということの1つなんですけども、ちょうどこの頃、明治時代に雑誌というものが出てきました。しかも女性向けのものです。1923年に初めてできたんですが、写真がいっぱい出ているようなグラフ誌『婦人グラフ』というものでした。

これができた頃はまだまだみんなが和装をしていて、『婦人グラフ』の表紙も「当然和装の女性を描くでしょう」という感じだったようです。美人画を描く方がたくさんいて、その方々が表紙を描いていて。

これ(スライド)は伊東深水さん……朝丘雪路さんのお父さんですね、その方の絵なんですけども。伊東深水さんの言葉が残されていて、「洋装の女性なんて大嫌いだ」みたいなことが書いてあったりするくらい、どうも男性は嫌っていたらしいです。

女性向けのメディア、雑誌であるにもかかわらず和装の女性が描かれていました。右に竹久夢二さんの絵の表紙があるんですけども、竹久夢二さんは美人画家というよりグラフィックデザイナーのような感じで、商用のものを作っていた方です。どうも竹久夢二さんも和装の女性がすごく好きだったらしいんですけども、途中からあえて洋装の女性を描きはじめます。

それがなかなか広がるということもなかったんですが、『婦人グラフ』で竹久夢二さんが洋装、しかもアイシャドウを塗っているような一番嫌われる(タイプの)女性の絵を描いたら、ものすごい反響があって『婦人グラフ』もよく売れたといいます。

それまではアイシャドウをしている人が街を歩いていたら批判されるけれども、メディアができて一気に女性が……本当は女性は新しい技術を取り入れたかったんですが、その気持ちが(メディアにより)一気に集まることによってパワーを持って、美人顔の価値観が変わっていったんじゃないかと考えられます。そういったところからだんだん洋装化が進んで、今の私たちは全員洋装という形になっています。

男性と女性が求める理想の「美人顔」

今のところからもわかるように、男性は基本的に美人顔が変化をすることを嫌う。それに対して女性は変化を求めているということがわかります。

代表的なのは、私は能面のことを調べてたんですけども、女性のお面というのは結構種類が多いです。今の能面師さんも、室町時代にできた「本面」のレプリカをずっと作ってるんですよね。

特に熟練された方は女性のお面を何度も何度も作るんですが、そのお面はどういうものか。能面師さんにお話を聞いたんですが、「平安時代の顔だろう」とおっしゃってました。能楽はずっと武士に守られてきたもの(文化)で排他的になってたんですけども、本当に男性のみに守られてきたので、いまだに平安美人の顔を作ってるというのがすごく象徴的で。

それに対して、女性はもっと新しい技術を取り入れて、それを使いこなす人が美人だという感覚を持っている。だからどんどん変化していった。今もそうだと思いますが、女性同士ではわりと流行を追っている。

例えば、つけまつ毛が流行ってるならつけまつ毛を付けるとか、カラコンが流行ってるならカラコンを付けるとか、そういう女性が評価される。

けれども男性が好きなアイドルなんかを見ると、そういう流行とは関係なく、黒髪だしすっぴんっぽいしっていうのがあったりとか。私はそこが「モテ」と「盛り」の違いだと思ってるんですけれども。

なかなか相容れないかもしれないんですが、ただ今は昔よりも美人の変化が大きくなっていて、女性の革新によって作られる盛り顔が変化しているということは、そちらのパワーがどんどん大きくなっているんじゃないかと思います。そこはメディアの影響などがやはりあると思います。

シンデレラテクノロジーというのは、新しいものをどんどん取り入れたいという女性の好奇心によって発展する技術です。

私はずっと技術の分野にいるんですけれども、ほとんどの技術は男性の夢に向かっていくものばかりです。それに対してこの分野(シンデレラテクノロジー)というのは、男性はとにかく革新をしないように抑えていて、女性はどんどん革新しようと作られている、すごくめずらしい技術の分野です。だからこそまだまだ開拓の余地が残っていて、やりがいのあるすごくおもしろい分野だなと思ってやっています。

ネット上の加工写真、プリクラに見る「美人顔」の変化

ちょっと時間が押してるんですけども、この話をさせていただきます。技術がどんどん発展して美人顔が変化していってるわけですけども、今は特に変化が起きてると思っています。

大きく3つあって、1つは「セルフィーマシン」と名前をつけたものです。お化粧だけではなく画像処理で変身するということが盛んになって、それだけ考えるとおもちゃ、遊びのような感じがするんですけど。

そういった画像処理で作った顔がネット上のプロフィール写真になって、リアルのアイデンティティよりも重要になっちゃうようなことも起きている。そういう意味ではソーシャルネットワーク、「ソーシャルのステージに上がれる」ということも合わせて重要になっています。

ネット上のプロフィール写真・ハンドルネームが実際の顔や名前より重要になる時代。そうなると、画像処理で作った顔に実際になりたくなってきます。バーチャルがリアルに影響を与えるようになっていくと、画像処理のような顔を実際に作ることができる化粧品もどんどん進んでいきます。

今までは粉や液体の化粧品が普通だったんですけど、つけまつ毛やカラーコンタクトレンズとか、二重まぶた用のりとか、涙袋のりとか、劇的に変身できるようなプラスチック製の化粧品も増えてきて、すごく発展しています。そういうものを私は「プラスチックコスメ」と名づけているんですが、そういう技術の発展とともに「どんな顔が良いか」という感覚も変わってきていると思います。

あとはプリクラの変遷を調べてみたりだとか、つけまつ毛の変遷などを調べたりしているんですけども、1個1個お話ししているとものすごく長くなってしまうので、ざっと言います。プリクラというと、皆さん「超デカ目になるやつでしょ?」と言ったりするんですけど、それは2009年くらいまでの話で、今はもうちょっとナチュラル方向にいっています。

そんなに目の大きさが変わってるわけじゃないんですけど、目の大きさを抑えたり、彫りを深くしたり、小顔にしたりという、バランスを取って自然に……まるでプロのカメラマンさんが撮った奇跡の1枚のような変身ができる技術になっています。

つけまつ毛とかもそうで、日本では1946年、戦後直後からありました。最初はやっぱり「付ける感」があるようなものばっかりだったんですけど、どんどん変化していって、まるで人間のまつ毛のようなものが作られるようになっていった。

これは世界のつけまつ毛を集めて調べてみたんですけども。ドイツだったりとか。

これは日本のつけまつ毛のバリエーションですが、(外国には)先細りのものはなかなかないし、ほとんどどこの国も規則的な毛の生え方なんですよね。日本のものは部分部分でバラバラな不規則なつくりになっていて、そういうものは(外国には)本当になくって。

しかも、どこの国を見ても(値段が高い)。イギリスには1つ安いメーカーがあるんですが、それでも1ペアで500円くらい。日本だと5ペアで1000円だったりとかでぜんぜん値段が違って、とにかく日本は低価格で高精細なものを作っています。

とにかく日本はナチュラル志向になっています。「これはすっぴんでしょうか?」というスライドも用意したんですけど、時間がないので進めてしまうと……先ほども「男性はすっぴんが良い」という話をしたんですけど、男性の方はたぶん「すっぴんかどうか」がわからないくらい技術が進んでいます。一見すっぴんに見える顔でもそれはナチュラルメイクであって、なかなかわかってない。

女性、私も車の種類がぜんぜん見分けられないんですけど、それと同じように男性はお化粧してるかどうかが見分けられないようになってると思います。それくらい、車と同じように技術が進んでいって、すごく深く関わっていない人には差が見えないようになっている。

ナチュラルメイク、ナチュラルな画像処理に見えるほど加工のプロセスはすごく多くて、技術力を要します。先ほどの話にもつながるんですが、技術的に大変なところ、勝負の見せ所が「自然かどうか」ということになっていて、人工的に自然な顔が作れるかどうかが(重要)。超デカ目を目指すわけでもなくて、そこが女の子たちの間でも物差しになってきているという傾向が見えています。

先ほど「盛れるとは何か」という話をしましたが、私はそれを数量的に考えようということをプリクラメーカーのフリューさんと研究しています。

女の子たちにちょっとずつ変えた顔を見せながら「盛れてる」「盛れてない」を振り分けたんですけども、少しわかってきたのは、女性だと当たり前かもしれないんですが「加工すれば加工するほど盛れるわけではない」ということです。

「盛りすぎ」は「盛れてない」ことと同じになります。そのちょうどいいくらいを目指しているということなので、メーカーさんもそこを突かなきゃいけないという状態です。

先ほど「自然らしくすることを目指す」というのがありましたが、もう1つすごく大事なのが……皆さん、お化粧とかプリクラとか使ったりするとぜんぜん変身しないのももちろん嫌なんですけど、変身していくと急に別人になっちゃうようなところがあるんです。それよりも前の状態を一番望んでると思います。

お化粧したりプリクラを使うと、どうしても自分らしくなくなるところがある。そうじゃなくて、その中に個性を求めているんです。技術的にはすごく難しいことなので、今はそれが勝負になっているところかなと思います。

シンデレラテクノロジー、技術で作った顔は当たり前ですけど、すっぴんに比べてナチュラルではない。アーティフィシャルだし、自分らしさが欠けた別人っぽい顔になりがちなんですけども、今はその先をいっています。

加工しているんですけれども、ナチュラルで自分らしい技術を求めるようになっていて、女の子たちの中でもそういう方向に進んでいます。その方向はさらに進んでいくんじゃないかなと考えています。

日本のガールズカルチャーの行方

長くなりましたが、日本のガールズカルチャーの行方について。普通に考えられてるのは、人工的で別人っぽくなるのが日本の女の子たちのカルチャー、作ろうとしている顔というイメージがあるんですが、今はもっと「自分らしく」「自然に」というのが進んでいます。

今は「世界に日本のカルチャーを発信していこう」「クールジャパン」という話もあったりしますが、そういう意味では「カワイイ・カルチャー」というものを言っていて。

人工的で不自然な別人っぽい顔を作るようなものを言ってますけれども、それはどうしても特殊で、子供っぽい顔になってますね。デカ目だとか。それは外国の方はあんまり受け入れてはいなくて。

私もフランスのジャパンエキスポに行ったりしたんですが、そこでは真似してつけまつ毛を付けたりとか、コスプレとか、(女の子の)ペアルックが日本で流行っているのでそれを真似したりとかするんですが、多くの人は「ちょっと不思議」というところがあるみたいです。どうしても「カワイイ=子供っぽく見せる」ということに関しては、特殊なものということで終わってしまう。

日本のガールズカルチャーで大事なのは、そこで培われたテクノロジーの部分じゃないかと私は考えています。なので、カワイイ・カルチャーだけを推すんじゃなくて、そこの技術の部分を世界に供給するということに私も貢献できたらなと思っています。

長くなりましたが、こういったところで発表を終わらせていただきます。

(会場拍手)