「男は強くていいけど、女は弱くてダセえ」

小島慶子氏(以下、小島):星野さんの取り組みおよび問題意識について、パワーポイントをご用意くださったとのことなので、ここから見ていただければと思います。

星野俊樹氏(以下、星野):はい。今、私は2年生の担任をしています。去年は1年生で、持ち上がりなんですね。

(スライドを指して)この「男は強くていいけど、女は弱くてダセえ」というのは、ある女の子が日記帳に……僕はホッシーと呼ばれているんだけど(笑)。「ホッシー、今日は○○くんに『男は強くていいけど、女は弱くてダセえ』と言われました。私は納得がいきません。話し合いをしてほしいです」という、そうした訴えがあったんですよね。

これはすごく大事なことだと思って、1時間を潰して、こうした板書をして、授業をしたんです。やっぱり強さというものは、本来は良くもないし悪くもないし、価値的に中立だと思うんですよね。けれども、やっぱり男性性強めの、男性ジェンダーがバリバリの男の子などは「間違った強さ像」というものを内面化している。

そこをまず解除しないといけないと思ったので「強さというのは良くもないし、悪くもないよね」というようなことを確認した後に、その強さに、優しさであったり意地悪であったりというベクトルの向きですよね。それが加わることで、強さがどういうあり方を呈するのかという話をしたんですよね。

たとえば、強さに優しさが加わると「気は優しくて力持ちな子(男も女も)」みたいになる。逆に意地悪さが加わると「ジャイアンみたいな子(男も女も)」みたいになるというようなことを、2年生にもわかりやすいように説明したんです。

あとは「力が強い女の人もいれば、力が弱い男の人もいるよね」というような話をしました。「力の強い女の人はオリンピックの選手だし、力の弱い男の人はホッシーだし」みたいな(笑)。要は強さに男も女も関係ないという、そうした話をしたんですよね。

また、子どもたちに「こうした発言を耳にしたときにどんな気持ちになる?」と聞いたら、(スライドの)左にある「悲しい、学校を辞めたくなる」「自分は男だけど、聞くと嫌」という2つの意見が男の子から出たんですね。

やっぱり、家で親に「男だから」とか「女だから」という“らしさの強要”というか、押しつけのようなものもあるみたいで。「男なんだから泣くな」「男なんだからご飯残すな」「女なんだから行儀を良くしなさい」「男なんだから……」これ、おもしろいですよ。「きちんとした下着を着ろ」(笑)。

(会場笑)

星野:勝負下着かと。あとは「女だから活発に動くな」というものも、どういうことだろうと思いますが。「どれも変だよね」というような話をすると、やっぱり子どもたちもずっとおかしい、おかしいと思っていたと言うわけです。

親から受ける“らしさ”の強要

星野:この授業をしたあと、低学年の男の子たちが「ホッシー、今、僕が思っていることを書きたいから書いていい? 裏紙ちょうだい」とせきを切ったように言いにきたんですね。

それで、紙を渡したら、こういうことを書き殴ってきました。文章的には少し拙いんですが、ニュアンスは伝わると思います。

「男は強い子がいても弱い子がいる。女の子、弱くても強い子もいる。女の子がご飯こぼしちゃいけないの? 誰が決めた。男が服をきれいとか、自分次第だ。男ならおままごとしちゃだめなの?」ということを書いている。子どもなりの叫びですよね。

小島:これは、この男の子が、自分が今まで耳にしてきたジェンダーの決めつけというようなものを、ハッと(気づいて)一覧にしてみたわけね。

星野:そうです。これでもやっぱり収まらなくって。“あのね帳”という、日記帳があるんだけれども、翌日もその男の子たちがあのね帳にたくさん自分の思いを書いてきたんですね。

小島:へー! その子にとっては、ジェンダーを発見したわけですね。星野先生の授業でね。

星野:そうですね。あと、もう1つ。この子も男の子なんですが、「男だから女だからは余計。こうしたことを書くと気もちがかるくすっきりする。(原文ママ)」と書いているんですよね。

やっぱり、子どもたちのこうした言葉に触れていると、子どもたちは「らしさ」の強要に対して抑圧されていると感じていることがよくわかります。そして、こういう感想を書いたのが男の子だというのが、本当に無視できないことだと思っています。

「男は強くていいけど、女は弱くてダセえ」と言った子に、授業が終わった後、ケアもかねていろいろおしゃべりをしたんですね。するとその子は「僕もね、おうちで男だからとか、周りの人たちに男だからとか言われるんだけど、本当はそういうのうんざりなんだよ」と言ったんですよね。それがすごく心に残っています。

そうした気持ちを持っているはずなのに、そうした「らしさ」の強要によって、いつのまにかそんな気持ちを忘れてしまう。自分で気づかなくなってしまうということがあるんです。

親へのお願い

小島:そうすると例えば保護者の中には「物事には規範というものが必要で、押しつけではなくて規範として”弱音を吐いちゃいけない、粗暴であってはいけない”ということの何がいけないんだ」と。

「とくに女の子が粗暴だと実際に嫁のもらい手がなかったりするし、男が弱いと競争に勝てないという現実があるから、現実の中できちんと生きていけるように、ある程度の規範や生きる知恵というものを示して何が悪いんだ」という反感もあるんじゃないかと思いますが。

星野:やっぱりこうした授業をした後に、親に対する情報発信というものがとても大事で。この授業をどういう文脈の中で行い、どういうメッセージや意図を込めて子どもに(授業)したのかということを伝えないと、だめなわけですよ。

学校でこういうことをやっても、おうちでジェンダーバイアスを強化するような言葉掛けがされていたら、ざるで水をすくう状態なので。

授業をした翌日に、こうしたかたちで私の意図を学級通信にバーッと書いて、各家庭に配りました。

この授業を受けた後で、子どもたちはジェンダーに目覚めるわけですから。おうちでジェンダーバイアスを強化するような言葉に対しては、おそらく子どもは突っ込みを入れるんですよ。

「お父さん、それは違うよ」「お母さん、違うよ」と。そのときに親が子どもに対して、怒りの矛先を向けることも考えられますよね。それはやっぱりまずいわけですよ。だから、こうしたことをやりました。

でもね、これはきちんと聞いてほしい。読みますね。

『親に何かを子どもがもの申すと言うのは、子どもたちにとってはとてもハードルが高いと、改めて思ったわけです。みなさんにお願いがあります。今後、ジェンダーバイアスを強化するような親の発言に、子どもが突っ込みを入れることがあるかもしれません。

そのときは、どうか怒らずに冷静にご自身の言動を振り返っていただきたい。そして、子どものジェンダー平等的な意識の高まりを褒めてあげてほしいのです。このことに対し、もし異論があるならば、子どもを叱らずに私に直接もの申してください。くれぐれも、子どもに怒りの矛先を向けないでくださいね』

そうすると、実際に矛先を向けることはあんまりないかと。

小島:「先生がこんなことをしてくれちゃって!」というようなことはなかったんですか。

星野:なかったです。おそらく、学校にもよると思いますが、うちの学校はある種特殊だと思うんです。なぜなら、私立ですから。私立に集まるご家庭の……社会的階層、ある一部分の階層のご家庭なので。

それもあるし、やっぱり多様性とかジェンダーに関心の高い親御さんも、家では“らしさ”を強要しているが、理屈としては必要だろうと。大事なことだとわかっているご家庭が多いので、わたしのメッセージが届きやすい部分があるように思います。

ただ、やっぱり東京と地方の差もあるし、公立と私立の違いもあると思うので、私のケースを一般化することはできないとは思うんですけど。

小島:やっぱり小学生のうちに、男らしさ・女らしさという押しつけで、息苦しいと思うようなこともあるよね、とか。そうした押しつけをしないほうがいいよねということを、知っておくことが大事なんでしょうか。中学生や高校生でもいいんじゃないか、大人になってからでもいいんじゃないかと思う人もいるんですけど。

やっぱり小学生の頃からやっておくことが大事なんでしょうか。

星野:いや、本当に、小学生ですね。うん。

小島:そうですか。

男の子と女の子の“性”への温度差

星野:『生と性の授業』。バズフィードで紹介された5・6年生の授業をやりましたが、本当にすごく残念だと思ったのは、もちろんあの授業をやって心に届いて、すごく深い気づきを得た子どもたちも、男の子たちの中にも多かった……。多かったというか、いたとは思うんです。

でも女の子たちは、やっぱり自分自身の女性という性が引き受けざるを得ない生きづらさに、ずっと直面してきているわけですよ。5・6年といえども。

ですから、やはり生きづらさをテーマにした授業には食いつきがいい。けれども、男の子は、なんかポカーンみたいな。やっぱり、どこまでいっても他人事というような子どもも多かったんですね。

男の子と女の子の温度差というものがあって……でも低学年でこうした授業をやったときには、男の子たちが逆にすごく食いついてくるわけですよ。

小島:なるほど、その辺がその時期なんですね。自分の子どもを振り返ってみても、保育園のときは女子と一緒におままごとなどもやっているのよ。

だけど、小学校に上がるぐらいから急に、「ママ、赤は女の色だよ」などと言い出して。「そんなことないよ、女の色なんて関係ないよ」と言ったんですけど、私。どこで聞いてくるのか、そういう刷り込みはやっぱり小学校に上がってからなので。

小学校低学年ぐらいの時期というのは、ちょうどジェンダーが固まる時期、固められちゃう時期なのだろうかという気が確かにしますね。

星野:少しいいですか。小学校低学年もそうなんだけど、ジェンダーバイアスを持たないようにフラットに育てるときに、僕が一番大事だと思っている時期は、幼稚園・保育園の時期だと思っています やっぱりその時期に「男の子は青組、ブルー組ね」「女の子はピンク組ね」というようなことを普通にやっていると、もう1年生になった時点でかなりジェンダーバイアスでガチガチなんですよ。

小島:そうなんですね。やっぱり。へー。

星野:低学年ならまだ、がんばれば修正がきくというか……ギリギリですね。でも少し手遅れかという場合もあるのですが。

小島:うちは区立の保育園で子ども2人を育てたのですが、今はもう高2と中2なんですけどね。

おそらく先生の手が回っていなかったせいかもしれませんが、男子女子というように分けるのが逆に手間だったんだと思うんですよね。ですからかなりぐっちゃぐちゃで保育園では育っていました。だから、よかったですね。結果的には。

星野:そうですね。

柔軟性がなくなってからでは遅い

田中俊之氏(以下、田中):せっかくなので、僕の話もしていいですか。

小島:はい。

田中:僕は男性学のゼミを持っています。3年前の定員が14名で、男女比が男0対女14。2年前のゼミは定員14名で、男2対女12。今年の3年生は定員13人で、男1対女12なんですよ。ですから、先生のおっしゃることが、すごくよくわかります。

そもそもジェンダー論の授業をやっていても、200人の教室で、50人の男子に対して、女の子は150人というような状況なんですね。これはうちの大学に限らなくて、僕はいろんな大学で非常勤をやりましたが、男性学と看板を掲げているのに、女の子が来るという状況がすごくあります。

ですから、先生がおっしゃったように、かなり早い段階でアプローチしないと、もう固まってしまう。僕が海外の留学生から質問されたのは「日本の大学は大教室でも固定席なのか」と聞かれたことがあって。

「どうして?」と言ったら「なぜなら、女と男で別れて座っていた」と。

小島:へー。

田中:「ぜんぜん混ざっていませんが、これは席が決まっているんですか?」と聞かれたことがあるんですよね。でも男のグループ、女のグループで座っていても、混ざることもないんですよ。とくに席などが自由席になるやいなや、そうなるという状況がある。

あともう1つ。保育園のことについて言うと、この間、ハロウィンパーティのときにピエロが来て、バルーンアートをくれたんですよ。そしたら、男の子は剣、女の子は犬ということで、もう分けてあげているということですよね。ですからどんどん、どんどんそうなっていく。

うちの子はこのあいだまでは、「男と男もがんばれば結婚できる」と言っていたんですよ。

星野:がんばれば。

小島:うん。がんばればね(笑)。

(会場笑)

田中:僕が聞いたんですよ。「男と男は結婚できるのかね」というように。テレビを見ていて、そんな話題になったので。「ああ、がんばればできるんだよ」と言っていたんですよ。

でも、おそらくそれを保育園で誰かに言ったんですよね。何日かしたら“できない派”になって帰ってくるんですよ。

(会場笑)

小島:「そんなわけないじゃん」と言ったやつがいたのかな? 

田中:先生にはおそらく言わなくて、僕、かなり園児を観察しているのですが、園児がこの社会の普通、いわゆる普通のことを押しつけてくる。

僕が、自分の余っているiPadを「これ、子ども用のiPadだから使っていいよ」と渡したんです。でも保育園で「子ども用のiPadがあるんだよ」と言ったら、周りの誰かに「ねえよ、そんなの!」と言われたらしくて。

小島:(笑)。

田中:「パパ、子ども用のiPadはないらしいよ」と。なんか「頭いいぶるときに、世間の普通を俺は知っている」というパフォーマンスをしているなということが、観察していると出てくる。うん。うん。

小島:そうね。“サンタ殺し”もされました、うち。

田中:ああ、そうかもしれませんね。うん。

小島:そうそう。まあ、いいんだけどね。別にそんなもんは。

田中:ですから、少し話を戻すと、まだ柔軟性があるときにやらないと、いわゆる社会学で言う社会化ですよね。つまりその社会の常識というものを改めて考えておくわけでもなく、できるようになってしまった後では、次の段階はもうお勉強だと思うんですよ。例えば大学生などになってから客観視する。でも関心がない子には教育はできないので。だから先生のおっしゃったことは、非常にそのとおりだと思いましたね。