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【全文】直木賞受賞に「風が来た! 飛ぶだけだ!」 門井慶喜氏が振り返った、自らの半生

【全文】直木賞受賞に「風が来た! 飛ぶだけだ!」 門井慶喜氏が振り返った、自らの半生

「風が来た! 飛ぶだけだ!」

司会者 では、まず今のお気持ちをお願いいたします。 門井慶喜氏(以下、門井) 今の気持ち……。 司会者 はい。 門井 風が来た! 飛ぶだけだ! そういう気持ちです。 司会者 ありがとうございます。もう質疑に移ってよろしゅうございますか。 門井 以上です(笑)。 (会場笑) 司会者 よろしいですね。では、「風が来た!」とおっしゃる門井さんにご質問のある方、挙手願います。どなたかいらっしゃいますか。 (会場挙手)

物書きというのは一緒に暮らすと厄介

記者1 読売新聞のカワムラと申します。受賞おめでとうございます。 門井 ありがとうございます。 記者1 先ほど選考員の会見の中で、父が賢治を思う気持ちと同様に、作品の中で賢治が父を思う気持ちが非常によく出ていた作品だったという講評がありました。 門井さん自身、賢治に自分を重ねて書いた部分もあるとおっしゃってましたけれども、今その作品で受賞したこと、あるいはその作品に対する思いというのを、お聞きできればと思います。 門井 この小説の主人公が政次郎という宮沢賢治のお父さんなんですね。そのお父さんから見た賢治を最初は書こうと思いまして、そのお父さんの話を書こうと思って始めた話なんですが、書いてくるにしたがって、だんだん賢治のことも、宮沢賢治のことも気になるようになった。 ですから、最初は父親の話を書くつもりだったのが、最終的には父と息子の関係を書いた。あるいはそれにとらわれず、もっと広い意味での親子関係を書いたというふうに、結果としてはなったという感じですね。 僕自身が父親でもありますし、もちろん、亡くなりましたけど父親がいるわけで、そういう意識もあったかもしれません。 記者1 宮沢賢治も、やっぱり作家の大先輩になるわけですけども、あらためて宮沢賢治という作家を、父と子を通して書いてみて、どんな存在だと思われましたか? 伊集院(静か)さんはは先ほど「宮沢賢治を神格化されずに、ある種普通の宮沢賢治というものを描いていることで、むしろ宮沢賢治という文学の読みの可能性が広がるんではないか」というようなおっしゃり方をしていましたけども、門井さんが書くことを通じて発見した宮沢賢治の面白さ、普通さなどを、教えていただければ。 門井 物書きというのは、一緒に暮らすと厄介ですね。それは思います。宮沢賢治という人も、もちろん書くものは天才である。僕も本当にそう思うんですが、一人の生活人として見ると、必ずしも社会的な成功者ではないわけです。 ですので、それは父親から見て、政次郎から見てどうだったかと。まさに政次郎さんというのは、子どもを食べさなきゃいけない。 そして賢治にもゆくゆくは子どもを作って、子どもを食べさせるような、そういう息子になって欲しいと思っているわけで、そういう生活人から見た物書きというのは、非常に厄介だなというふうに今の僕は自分のことは棚に上げて思いました。 (会場笑) 記者1 自分はどう思いますか? 門井 僕自身は……。生活面ですか? 僕自身は厄介な人間だとは全然思ってませんよ。 (会場笑) 門井 全然思ってないんですが、おそらく家族はそうは言わないでしょう。 司会者 ありがとうございました。

今後どういうものを書いていきたいか

記者2 毎日新聞のナイトウです。おめでとうございます。 門井 ありがとうございます。 記者2 2つうかがいたいです。1つは、受賞されて「風が来た! 飛ぶだけだ!」とおっしゃいましたけれども、今後どういうものを書いていきたいか。 具体的な素材とかいうことではなくて、どういう小説を書いていきたいかということが1つと、これつまらないことなんですが、以前生活習慣みたいなものをうかがったときに、朝4時半起床、夜9時就寝。散歩と昼寝を日に2回しているとおっしゃいましたが、それはいまだに変わってませんか。 門井 (笑)。 記者2 ちょっとその確認を……。 門井 1つ目のほうから、お答えします。これからどういうものを書くかということにつきましては、僕は歴史小説を書いております。エッセイも書いていますが、エッセイも歴史に材を取ったものが多いです。 ですので、それは今後も変わらないだろうと思うんですが、歴史を書くという点では変わらないと思うんですが、ただ歴史が面白いからという、そういう目的で書くのではなく、常に読むのは現代の21世紀の読者なわけですから、21世紀の読者にとって価値のあるものを歴史の中に見つけていく。 そして21世紀の文章で届けていくというのが、僕の今までの、そしてこれからの仕事の基本線になると考えています。いいですか1点目は。 2点目につきましては、時間のほうがちょっと変わっておりまして、今はさっき4時半に起きていると以前の取材では申し上げたことがありますが、今は4時に起きております。 (会場笑) 30分繰り上がりまして、朝起きて外に出ると夜空の星座がまだ見えるわけですが、星座は季節の1つ先を行ってるわけですね。今だったら春の星座が見えるんですけれども、何の話でしたっけ、生活習慣……。 記者2 9時に寝るのは変わりませんか? 門井 9時に寝るのは変わりません。 記者2 昼寝と散歩は変わりはありませんか? 門井 昼寝と散歩は、正直に2回って言っちゃうと、僕は怠け者みたいなんですけれども、昼寝は1回ないし2回。2回のことが多いですね。それだけ起きている時は頭を使っていると受け取っていただけると幸いです。 記者2 ありがとうございます。 門井 ありがとうございます。 司会者 他に質問のある方。真ん中の方。

女性を描くときに注意していることは

記者3 朝日新聞のヨシムラと申します。このたびはおめでとうございます。 門井慶喜氏(以下、門井) ありがとうございます。 記者3 今回の『銀河鉄道の父』という作品を読ませていただいて、タイトルは父で父と賢治の関係が中心になっているんですけれども、お母さんとの関係、そして妹たちとの関係というのも非常に心を打たれるものがあって。 とくに女性に対する門井さんの視点というのが温かく、しかも自然な感じを受けたんですけれども、女性を描くときになにか注意されていることとかございますか? 門井 う~ん……歴史上の女性という点では、とくに今回は明治・大正時代ですが、やっぱり今とはちょっと社会的な地位というか位置が違うという点で、その点は意識することはあります。 ただ、その心理を考える、あるいは心理をこちらのほうでいろいろ想像するということにおいては、僕はあんまり意識して男女差をつけるタイプの作家ではないと思っています。 僕はどこかで、人間というのは普遍的なものであって、男性であっても女性であっても、あるいはお年寄りであっても若くても、本質的なものはそう変わらないんだ、というのがどうも僕の考え方の基本にあるみたいで。 それは書き方、それは実際小説を書くときにはやっぱりとくに意識しては変えるということはしない。そういうタイプの作家だと思っています。 記者3 ありがとうございます。

ダメな息子を支える父親の物語

記者4 すいません。朝日新聞のワタリと申します。おめでとうございます。 門井 ありがとうございます。 記者4 2つうかがいたいんですが、よろしいでしょうか。まず1つは、今回、ダメな息子を支える父親というのをお書きになられて、ご自身の父親に対する贖罪になったというふうなことをたぶん話されてたと思うんですけれども。 今回受賞されて、父への思いと、もしお父様へ声をかけられるとしたらなにをかけたいか、ということをまず教えてください。 門井 僕の父親はもう亡くなったんですけれども、家でというか、会社を経営しておりまして、僕はその長男でした。もちろん明治時代ではないので、僕がその会社を継がなければいけないという義務はないですし、別に父親からそれを強要されたということもないんですが。 今考えると、どこかで父親はそれを期待していた部分もあったかもしれないなというふうに、今になって思い返すときがあります。 そうなると、ちょっと僕は結局もう会社に入るどころか、売れない原稿を書き始めて、社会的なことは考えないという人間になってしまった。 その点においてはまさにこの僕の作品における宮沢賢治とある意味似たような人間になってしまったわけで、そのことについては僕は、いまさらもう遅いんですけれども、父親には謝りたいなという気がします。これは書いてみてますますそう思うようになりました。

「慶喜」という名前がかつては嫌だった

記者4 ありがとうございます。もう1つがお名前の「慶喜」というお名前についてなんですけれども。徳川慶喜と同じ名前で、かなり偉大なお名前であるということで葛藤もあったというふうにおっしゃってたと思うんですけれども、この「慶喜」という名前で直木賞を獲れたことについてなにか思いがあれば一言いただければと思います。 門井 「慶喜」というのは僕の父親がつけた名前でして、父親が歴史が好きだったものですから、徳川慶喜の名前を息子につけたということのようなんですが、僕は……最初から申しますと、僕はこの自分の名前がすごく嫌で。 嫌だというのは、う~ん……毀誉褒貶の激しい人なんですね、徳川慶喜というのは。「天才的な政治家だ」と言う人は言うし、鳥羽伏見の戦いで逃げた、大阪から逃げたダメな将軍だという人もいる。 そういうふうに非常に評価の両極端な歴史上の人物なので、僕もそういうどっちのほうの評価に自分を合わせていったらいいのかということが、子どもの頃にはわからなかった。今だったら「そんなの合わせる必要ないじゃん」というふうに、それで終わりなんですけれども、なかなか子どもというのはそう考えないですね。 やっぱり2つの評価軸を与えられると、どっちかにバッて寄っていかなきゃ安心しないというところがあるんじゃないですかね。そういう意味で、僕はそういうふうに、子どもの頃は僕はこの名前はあまり好きではありませんでした。 ただ今になってみると、僕もだいぶまぁ40を過ぎて数年。なんていうかな、そういう点でも多少対象化というかな、自分の名前を客体化して見ることができるようになったと思います。徳川慶喜という人間に対しても、わりと客観的に、昔に比べれば客観的に見られる。自分の名前もわりと普通に意識するようになったと思います。 という点におきまして、今では僕は「門井慶喜」という名前で本を出す、あるいは直木賞を頂戴するということに関しては、わりと冷静に受け止められているなと。こんな日が来るとは子どもの頃は思わなかったなというふうに思っています。

宮沢賢治にちょっと申し訳ない

司会者 では、最後の質問に。 記者5 共同通信のモリハラと申します。このたびはおめでとうございます。 門井 ありがとうございます。 記者5 3回目の候補でのご受賞ということ、さらに振り返ると、文学賞を最初にとった時は推理小説から入って、本になる当てがないままにお仕事もおやめになって、かなり曲折もあったと思うんですが。 ここまでの道のりを振り返って、ようやく今ここに、直木賞までたどり着いたということについて、改めてその感慨、どういうふうに今お感じになってらっしゃるのか。あるいは、生前評価されなかった賢治について書きながら、ここにたどり着いたということについて。お考えをお聞かせください。 門井 宮沢賢治という対象については、「ちょっと申し訳ないな」と。こんな小説の、僕の想像力の、なんというか……材料にしちゃったわけですね。ですからその点については、天上の賢治には申し訳ないなと思っています。もちろん、賢治のお父さんの政次郎さんに対してもそう思っています。 で、僕のこれまでを振り返って、ということなんですが。たぶん僕は、意識しなかったけれども「慶喜」という名前を父親に与えられた時点で、なんていうかな、「歴史」を仕事にするっていうことが運命づけられていた。 僕、「運命」っていう言葉は好きではないんですが。そういうふうにある程度、決まっちゃってたところがあったのかもしれないですね。

僕の人生は「歴史を考える人生」

門井 ですので……「ですので」ってこともないですけれども(笑)。振り返ってみれば、僕の人生というのは要するに、「歴史を考える人生」であると。あるいは「歴史で悩む人生」である、というふうな気がします。 ですので、僕はデビューしたのはミステリーなんですが、ミステリーもけっきょくは、美術ミステリー。あるいは文化財をテーマにしてミステリーを書くっていうことがほとんどでした。 それもやっぱり、広い意味での「歴史」でございますから、そういう意味では僕の書いているものは一貫して変わっていない、と言うこともできるんだろうと思います。「歴史」という点で。 それは今後も変わらないと思いますし、それはそういう運命、というのかな。もうほとんどア・プリオリ(先天的)に、生まれつき与えられた、っていうことについては今は良かったかな、というふうに思いますし。 まぁ、わかんないですよ? これからまた別のことやるかもしれませんから。それはわからないですけども、今この瞬間は、ありがたいことだったな、と思っています。 司会者 では、質問はここまでとさせていただきます。

  
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