善と悪と両方書けば毒消しになるか

徳力基彦氏(以下、徳力):どうしようかな……この話をしたいんですけど、質疑応答をしないとちょっと暴動が起きそうな気がするので、質疑応答で。せっかくなので、このお2人に聞いてみたい話がある方は手を挙げていただければ。

質問者1:◯◯と申します。お話をありがとうございます。お2人におうかがいしたいのが、メディアの信頼性ってところの話になるんですけど。両論併記みたいな話というのが最近増えてきてるかなと思っていて。

ヨッピー氏(以下、ヨッピー):なにの併記ですか?

質問者1:両論。2つの話。1つの事柄に対して2つの側面を話して、善と悪と両方書けば、要は毒消しになるみたいな。

直近のバニラエアの話とかって、搭乗者も問題なんだけど、航空会社も悪いよねというのを両方書いておけば安全だよねというのを、昨日、津田大介さんと東京新聞の望月さんがJ-WAVEで話していたのを聞いて、確かにそういう流れで世の中来てるなと思うんですけど。

そういったときに、ヨッピーさんのように「これは悪いでしょ」って断言するようなケースもあると思うんですけれども、そのあたりで、今のそういう両論併記って話に対してお2人はどう思うか、というところを。

ヨッピー:両論併記したほうがいいんじゃないですか。僕も「これは悪いことだ」って書くでしょうけど、「でも、こういう意見もあるよ」みたいのも追記して書いてるから、別にいいんじゃないですかって感じで。

徳力:片方だけだと、そっちの肩を持ってるみたいになりがちな話ですね。さっきのPCデポも、ちゃんと両方聞いてるしっていう、その……。両方悪いって書くかどうかは別として、両方の話を聞いてバランスを取るのが、逆に報道においては基本という話なのかなと。

ヨッピー:それはそうだと思いますよ。

両論併記すべきものとそうでないもの

古田大輔氏(以下、古田):僕はものによると思います。両論併記にすべきときもあれば、そうではないときもあると思うんですね。

「アベノミクスはどうでしょう?」みたいな記事を書くとしますね。

アベノミクスによる効用ってあるわけです。でも、のマイナス点もあるんですよね。こういう場合は、アベノミクスの良い点・悪い点を両方書く記事というのが正しいと思います。

アベノミクスが絶対悪い、100パーセント悪いっていうわけでもない。でも、アベノミクスによって借金ががんがん増える。改革が進まないから、結局借金を返せないぞっていう話になる。「というのはどうなの?」という見方もできるので。

でも一方で、アベノミクスでお金がじゃぶじゃぶになったことで、円安になって、一時期の苦しかった経済が持ち直したことがあるよね。株も持ち直したね。というような、功の部分もあるんですね。それは功・罪で書くのはいいと思うんです。

でも一方で、例えば性的暴行の話があったときに、「女性側のほうも、もっと一生懸命抵抗すればよかったんじゃないか?」みたいなものを、両論併記とかありえないと思うんです。絶対にダメですよね。

ヨッピー:それは確かに。

古田:「これ、こいつが悪いじゃん」「襲うほうが悪いに決まってるじゃん」っていうふうに、「100パーセントこっちが悪」って設定していいときってあると思うんです。

論理にもとづき、倫理にもとづき

Buzzfeedの編集倫理綱領の中にあるのが、我々は政治的に中立ですというメッセージです。これは僕もそうだし、アメリカの全体の編集長にベン・スミスっているんですけど、僕とほとんど年齢が変わらなくて。この間も、ウィーンで一緒にビール飲んでたんですけれども。

「ちゃんとファクトにもとづいて、論理にもとづいて、倫理にもとづいて書かないといけないよね」っていう考え方なんです。だから「どこかの党の味方しろ」みたいな書き方はしない。

けど一方で、例えば差別とか、「絶対ダメだろう。そんなの」と。例えば、僕らがはっきりと書くのは「同性婚とか認めて当然だろ」ということ。「同性婚は認めてはいけないかもしれない」みたいな書き方をする気はまったくない。

そういうことに関しては、明らかにこれはクリアに「これはこっちが正しい」と、「それはちゃんと言わなきゃダメなんじゃない?」って思います。

質問者2:ありがとうございました。徳力さんのメディアミートアップを見てからずっと、「メディアってなんだろう?」って考えていて。

私自身は最近、ニュースソースはすべてFacebookで、Facebookの友達の投稿でヨッピーさんの記事を知るみたいな、そんな感じなんですけど。

メディアでの棲み分け

Facebookの中ってもっとすごく混沌としていて、さっきの著作権の話でいえば、もう完全にアウトの記事もたくさんあるんですね。だから、今、個人がどんどんFacebookという、僕らにとってもメディアになっていると思っていて。

私自身も信頼する記事って、やっぱり友達の記事なんですよね。友達の記事をそのまま信じているので、そういう意味では、個人が情報発信をしてメディアになる時代が来てると思うんですけれども。

こういうオープンのメディアというのと、それに対してSNSのクローズ。「友達が5,000人いたら、それはクローズなのか?」というのはあるんですけど、クローズの世代のメディアというのは、これからどういうふうに棲み分けしていくのか、どういうふうな展開になっていくと思われるというのを、ちょっと聞きたいです。

ヨッピー:僕なんか、そもそも棲み分けなんて今でもないんじゃないかな。

(会場笑)

どうなんでしょう。別に個人のブログでもすごく影響力があるものもあれば、オフィシャルのものでもぜんぜん読まれていないものもあるし。棲み分けとかは別に考えなくていいんじゃないですかね。

SNSは敵なのか味方なのか

徳力:どうなんでしょうね。僕が今みたいな質問を聞いて思うのは、商業メディアとしてやっている人にとって、SNSは敵なのか味方なのかみたいな話は、棲み分けというよりは組み合わせという議論としてはあるんじゃないかなと。

さっきの「Twitterを使わないなんてもったいない」みたいな話。どうしてもメディア的発想でいくと、第1報を自社で出したいんだけれども、ユーザーに先にTwitterで出されちゃったみたいのを、ライバル視するのか、ここのTwitterの出てるやつは別にニュースソースとして使って、新たにそれを記事にするところに自社らしさを出すのか。

BuzzFeedがうまくやっているのは、僕、そこだと思うんですよね。「ユナイテッド航空の中国人のお医者さんが、お腹丸出しで引きずられてるです」とか。別にあのTwitterの中継だけ、Facebookの中継だけでめちゃめちゃ見られてるんだけど、ちゃんとBuzzFeedが記事にして、前後関係とかいろいろ取材したものを入れていくと、それを飛び飛びで見るよりは、僕らはめちゃめちゃよくわかるんですね。そこの組み合わせはありますよね。

古田:今、話がいくつかわかれたと思うんですけど、「そもそもメディアとはなにか?」問題から、メディアと個人の立ち位置の話から、どうソーシャルメディアを考えるべきかみたいな話がいくつかあったと思うんですけど、実は、ものすごい絡んでいると思うんですよね。

お答えしたいんですけれども、メディアと個人というのを切り分けることができなくなった時代だと思うんですよ。だから、ヨッピーさんのPCデポ。

メディアや個人を切り分ける時代は終わった

あれ、もしどこかの新聞社がPCデポの問題の記事を書いたとしても、PCデポはあそこまで対応を変えなかったと思います。PCデポがあんなに対応を変えざるを得なかったのは、あれだけ詳細が、もう鬼のように長い記事を書いてつまびらかにされて、しかもそれがめちゃくちゃバズったというパワーですよね。

それは新聞の、例えば紙に載ってたとして、そんなにたぶんバズんなかったんですよね。そんなに詳細を書けないから。何百万部ある大新聞より、一個人のほうが影響力があったりするわけですよ。なおかつ、それを後押ししてるのが「Yahoo!ニュース個人」でしたよね。

ヨッピー:そうです。

古田:「Yahoo!ニュース個人」という媒体があって、そこでドーンと読者数が増えるわけですよね。さらに、それがTwitterやFacebookでシェアされていくということによって、個人が何百万部あるような新聞社より、影響力を持ちうる時代になったわけです。

そう考えると、じゃあ読者から見たときに、これが朝日新聞の書いた、読売新聞が書いた、ヨッピーさんが書いたって区別してるかって言ったら、してないはずなんですよね。

なので、もうそういうふうにメディアや個人を切り分ける時代は終わった。よく「新聞・テレビ対ネット」とか言ったりしますけど、そんなレベルの話じゃないと。もう新聞もテレビも個人も、全部一緒でネット上で共存してるメディアになってると思うんですよね。そういう時代じゃないのかなと思います。

こう考えたときに、じゃあソーシャルメディアは敵なのか味方なのかといったら、敵でもないし味方でもないと思うんです。もうそこにあるもので、そこが読者につながるための流通経路であるというのは避けがたいし。

FacebookやTwitterは、もしかしたら10年後になくなってるかもしれないです。わからないですけど、そのFacebookやTwitterが今果たしているような役割を持っているものは、もう未来永劫なくならないんですよね。

だとしたら、それは普通に付き合っていくしかないものだと思うし、僕らBuzzFeedとしては、さっきのスライドで見させていただいたように、そこに読者がいるから。僕らはそこに、積極的に出ていく場所だと認識しています。

徳力:この手のメディアの話は、どこに議論の軸を置くかでぜんぜん変わってきますもんね。