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夏野剛「ドコモへの転職はチャンスだった」当時、その背中を送り出した上司の思いは?

夏野剛「ドコモへの転職はチャンスだった」当時、その背中を送り出した上司の思いは?

第一線で活躍する人々の陰に「恩人」の存在あり。彼らは恩人からなにを学び、活かしてきたのでしょうか。本企画は今活躍する起業家や実業家、経営者らが恩人と対談するログミーオリジナル企画です。今回は、慶應義塾大学の夏野剛氏が登場。夏野氏が「恩人」と呼ぶのは、東京ガス時代の上司・志水巨宜氏でした。本パートでは夏野氏が東京ガスを退職し、ドコモへの転職を決意した当時について言及。そのとき、上司である志水氏はどんな思いでその背中を見送ったのでしょうか。

シリーズ
ログミーオリジナル企画 > 慶應義塾大学大学院・夏野剛×志水巨宜
スピーカー
慶應義塾大学 政策・メディア研究科 特別招聘教授 夏野剛 氏
志水巨宜 氏

「納得して自分の時間を使うことは厭いません」でも……?

――(志水氏に向かって)新人のころに比べて変わったと感じるところはありますか? 夏野さんに対して。 志水 はっきり言って、丸くなりましたね。 夏野 (笑)。 志水 丸くなった。なぜかというと、今の夏野さんには成功体験がある。だから、とんがってないんですよ。昔は、「もっともっと」って言い続けていましたからね。 夏野 あー! 確かに、「もっともっと」って思ってました。 「もっと俺できる」「もっと俺にやらせてくれ」と、いつも思っていて。志水さんはもっとやらせてくれるタイプだったからいいんだけど、社内のこととかになると、決裁権限がなくて。だから「俺、判断できるのに!」となることもありましたね。 志水 印象的だったのは、「なんで東京ガスにきたの?」と聞いたときに、先述の答えともう1つ「僕は、商社へ行けば普通なんです。でも、ガス会社だったら目立てるので来ました」と夏野さんが言っていて。 夏野 そんなこと言いましたっけ?(笑)。でも、商社にはたぶん僕みたいな人が山ほどいるだろうなと思ってましたね。東京ガスには、僕みたいなのはいないだろうと思っていて。 志水 あとね、「僕たちはニューハードワーカーだ」って言ってた。 夏野 それも言ってましたか?(笑)。ぜんぜん覚えてない……。 志水 言ってた(笑)。だから、すごく印象深かったんですよ。「納得して自分の時間を使うことはぜんぜん厭いません」「ただし、納得できないことをやらされるのは、17時で終わりです。そんなに私は企業に時間を売っていません」とも言ってたね。 夏野 生意気な……(笑)。でも、当時はめちゃくちゃハードワークしてましたね。本当に、仕事がおもしろくておもしろくて仕方がなかった。 僕、ソフトも作っちゃったんです。いわゆる、BASICで何千万かかけて作った事業シミュレーションソフトがあって、それまではそれを使っていました。でも、新規事業のようなものをやるためには料金を決めなきゃいけない。その料金を決めるためには設備投資がいくらかかって……といった事業性をすべてシミュレーションする。それをすべて作り直したんです。 しかもExcelがまだなかったから、Multiplanで作ったんです。BASICはコストも時間もかかってて……。馬鹿馬鹿しいと思ったんですよね。「これなら作れるな」と思って作っちゃったんです。 ――当時の印象として「ニューハードワーカーだ」といって入社した夏野さんを、どう感じられたんですか? 志水 とにかくおもしろいわけですよ。それに、相手が受け入れてくれる。 提案って、実はこちらから情報を提示すること以上に、相手からの情報をもらうことが重要なんです。情報をもらえると、もっといい提案ができる。あるいは、自分のポジションがわかる。その立ち位置から着地点を考えながら、計画が成り立っていくわけです。 夏野 そうそう、一方通行じゃダメです。 志水 提案はチャンスであり、提案書は相手の情報を聞き出すツールなんです。 夏野 都市開発プロジェクトというのは、ずーっとそうやって、何回も何回もやりとりしながら着地点を見つけていく。そのためのやりとりのなかでシミュレーションをする。そして、相手から内情をいかに引き出すか。 志水 提案していく上で、僕らの方でも「この配管は通せそうかどうか」などのシミュレーションをするわけです。 夏野 そういったものを、丸5年やりましたもんね。 志水 昔から、そういうタイプだったんですよ。

留学前日まで仕事。夏野氏「仕事が好きだったんです」

その後、僕はアメリカへ行くわけです。ご褒美で。 志水 社内で、試験に合格したら留学できる制度があったんですよ。でも、これがちょっとおもしろかった。 夏野くん、最初の社内留学試験で落っこちたの。「俺は試験はトップだった」「なぜ落ちるんだ」って言って調べてみたら、成績とともに、試験を受けた社員が所属する部署がどれだけ推薦したかで合否が左右されることがわかったんですよ。 (夏野氏に向かって)だから僕、同じ部署の理事にも相談したんだよ。「夏野くんは行きたいと言っている。どうしましょう?」と。その気持ちは尊重したいのだけど、部署としては留学させても……。 夏野 メリットがない。 志水 そうそう。ないんですよ。でも、夏野くんの上司にも当たる理事が、人事担当に交渉したんです。そして人事担当が「あなたのプレッシャーに負けたわけじゃないんですが、夏野くんを海外留学させることにしました」と言ってきた。 ――プレッシャー(笑)。 志水 それくらい、本気で推したということです。あとからだけどね(笑)。 夏野 ありがたかったです。でも、当時は聞けませんでしたけど……やっぱり僕を留学に推薦してなかったんですね?(笑) 志水 うん、推してなかった(笑)。 (一同笑) 留学試験が通った途端に、予備校に行ってましたよね。 夏野 予備校というより、語学学校みたいなものですよ。ほかの留学合格者も行ってましたし。でも、予備校に行っても、土日しか使えないから。平日は、やっぱり会社にいましたよ。 志水 いましたね。 夏野 だってアメリカに旅立つ前日まで仕事してましたもん。まぁ、好きだったんです。

夏野氏がドコモへ。上司として「正直、寂しかった」

留学先でインターネットのことを学んで、目の前でやり始めている事業がすでにあって。帰国後は1年、東京ガスにいました。そのあとに退職したんです。 志水 夏野さんが「辞める」って言ったときは、正直寂しかったですよ。今だから言うけど「引き止めるように」って周囲からも言われてたんです。 僕は、なにかわけのわからない困ったことで辞めるんだったら嫌だなぁと思っていたんだけど、ふたを開けてみたら、「本当にやりたいことが見つかった」っていう話だった。もともと引き止めるつもりはなかったんですけど、そういう理由なら、こちらとしてはなにもすることがないよね。だからかな、逆に寂しかったんですね。 要するに「自分の役割は、この場所にはもうない」と考えた結果だと、僕は受け止めたわけですから。 夏野 そうですね。 志水 まぁ、東京ガスは会社として巨大ですからね。誰か1人が動かそうとしても、なかなかそううまくいかない。夏野さんは、早く物事を動かしたいタイプだからね。そういう意味では、IT系は合っていたと思いますよ。 夏野 僕は、東京ガスに対する不満はぜんぜんなかったんですよ。でも、このチャンスで飛びだせなかったら、未来永劫、東京ガスにいることになるなと思ったんです。ファーストチャンスであり、ラストチャンスでした。 志水 迷った? 夏野 迷いましたね、そりゃ。 志水 今ではもう、「夏野剛」というと、東京ガスよりドコモのイメージだよね。 夏野 ドコモでは、「今度は絶対に失敗しないビジネスモデルを作るぞ」となっていて、そこで誕生したのがiモードです。お金だけじゃなくて、僕のキャリアすべてがかかっていましたね。 志水 でも、結果的には成功しましたよね。なにがよかったの? 今になって振り返ってみると。 夏野 運じゃないですかね。上司や社長がすごかったんです。「もう、好きにやってくれ」って言われて。さらにいうと当時の僕は契約社員だったんですけどね(笑)。

iモードのプラットフォームは都市計画の発想で作った

実はiモードのプラットフォームを作る発想は、都市計画の発想で作ったんですよ。 志水 そうなの? 夏野 インターネットの構造と都市計画の構造は、一緒だと思って。 いわゆる都市開発の基盤整備は、インターネットそのもの。そこに建物を建てる=どういうWebサイトを作るかということです。どういったビジネスをするかは、基盤を整理する人によって違うんですけどね。 でも、その場にはビジネスをする人を呼び寄せなきゃいけない。ビジネスができれば、お客さんがきてくれる。 とはいえ、どんなにきれいに基盤を整備してもお客さんは来てくれないじゃないですか。テナントさんとお客さんとの相互作用があると、どんどん街は発展するし、それがないといかに有望な街でも発展しない。 志水 そうね、閑散とするよね。 夏野 それでいうと、僕は恵比寿ガーデンプレイスや天王州を担当していたんですけど、前者に関しては開発のときから「うまくいかないだろうな」と思っていたんです。あそこのエネルギーシステムは、サッポロビールと東京ガスのジョイントベンチャーがやっているんですよ。 志水 渋谷と品川の間だったし、当時の恵比寿は寂れた感じもありましたね。 夏野 そうそう。でも結果的にものすごくうまくいった。一方で、鳴り物入りでやっていた天王洲は、ぜんぜんダメだったんですよね。 志水 なんでだったんだろうね、あれは。 夏野 そうですね、街としてのポリシーがないことですかね。 恵比寿の勝因は、ウェスティンホテル東京を呼んだことが大きかったと思うんです。ウェスティンを呼んだことで街の風格が上がり、三星レストランが来る。さらにモルガン・スタンレーが来て、オフィスが外資系でバンバン埋まっていく。 というように、いいテナントが人を呼び、人が集まるからイベントも行われ、街のイメージが上がって周辺もどんどんおしゃれになっていく。これはインターネットと同じだって思うようになったんですよ。「都市計画とインターネットは同じ構造」。これを世界で最初に成立させたのがiモードなんです。

仕事は人に依存する

――お話をうかがっていると、やはり、好きなようにさせてくれる上司と、そうじゃない上司は、けっこう分かれるんですね。 夏野 「とりあえず俺のほうが上なんだから」と言って、判断しない人や任せてくれない人はいっぱい見てきましたね。 ドコモにいるときは、確かに上司に恵まれていました。でも最後の3年間くらい……僕が役員になったくらいですね。あのときは上と折り合いがつきにくくて、正直きつい時期がありました。やりたいけど、なにもやらせてもらえない。 ある人から「組織というのは、人が変わってもアウトプットがまったく変わらないのがいい組織なんだ」「君ねぇ、仕事をやりすぎちゃいけないんだよ」と言われたことがあります。「そうなんですねぇ」と聞いていましたけど、絶対に違うとずっと思っていて。 いろんな人と仕事をしていると、それぞれ違うことがよくわかるんです。相手の食いつきや信頼。仕事とは、どんな組織であっても、誰がやっているかによってぜんぜん違います。それは、実はすごく見えにくいものなんだなと思いました。 上司からみてもわからないし、本人もほかのやり方が見えないからわからない。だから、仕事は人に依存する。それはもう、強烈に印象づけられましたね。 志水 組織論からすると、言ってることはもっともなんですけどね。そうあってほしいよね。 夏野 そうですね、組織論としては間違いないんですけどね。放っておいても経済が成長していた時はそれでよかった。でも、放っておいても経済、会社が成長しない時にそれを言ったら終わっちゃうんですよ。 僕にとって、今いろんなところで言ってるようなことの基本は、やっぱり東京ガス時代の体験がありますね。 志水 そろそろ、夏野くんも後輩たちを育てていかなきゃいけない立場でしょう? 夏野 ガンガンやってますよ。 今はもうそれがメインみたいなもんですよ。だから今、僕は突出したIT能力を持っている若手を発掘したり育成したりする「未踏プロジェクト」というものも主催していたりします。また、大学で教えているのもそういう気持ちからです。 「下を育てる」「チャンスをあげる」っていうのを一生懸命やろうと思ったのは、やっぱり志水さんとかにチャンスをもらったからですよ、若いうちに。

  
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