元Jリーガー・石塚啓次のキャリア

玉乃淳氏(以下、玉乃):ようやくです、石塚くん。これまで何度、対談のオファーを出したことか(笑)。

石塚啓次氏(以下、石塚):しゃーないやろ、まだなんにも進路が決まってなかったんやから。(これまでの連載ページを眺めながら)しかし、この対談企画で完全な“ド無職”が登場するのは、俺が初めてやな。素晴らしき「ド無職」(笑)。それにしても、こういう対談って緊張すんな〜。

玉乃:意外なのですが、実は人見知りで小心者だって、以前にご自身が言ってましたよね。ビールでも持ってきましょうか?

石塚:ええわ、いらんよ(笑)。

玉乃:ちなみにこの連載は、元Jリーガーの現役時代の苦労話や引退を決意した経緯、そして引退後にどういう道を歩んでいるかを探る企画です。

石塚:引退したときのことなんて、もうとっくの昔に忘れたわ(笑)。何年前やっけ?

玉乃:2003年ですから、もう9年前になりますね。

石塚:うーん。まあ、現役生活最後の3年間くらいは、ほとんどプレーしてないからな。なにしろ02年のヴェルディ、翌年に移籍したフロンターレも、1年契約やのに3ヶ月でクビになったし……。

玉乃:なにがあったんですか?

石塚:知らんわ(笑)。ヴェルディを退団した後、友人を訪ねて家族でシンガポールに旅行したとき、あるクラブの練習に参加したんよ。そしたら、1日やっただけで合格って言われて、月給30万円、マンション付きで、子供もアメリカンスクールに入れてくれるっていうから、一瞬「ええなぁ、これ」って思ったんやけど(笑)、やっぱりなんか違うかな〜と思って断ってん。

玉乃:それは02年のいつ頃ですか?

石塚:ヴェルディを3ヶ月でクビになって、たしか5月ぐらいかな。シンガポールの後は、アルゼンチンのクラブでもテストを受けたんやけど、アカンかったわ。

そんで、しばらく向こうで家族と一緒に遊んで暮らしていたら、突然フロンターレから電話がかかってきて、年明けに帰国して、03年の2月にフロンターレに入ってん。やのに、また3ヶ月でクビになってもうたわ(笑)。

玉乃:なんですか、それ? 理由を知りたいですね。

石塚:知るか!!(笑)。それでまたダラダラと過ごしていたら、Jリーグデビュー当時の恩師だったネルシーニョに呼ばれて、最後にグランパスでプレーしたんよ。まあ、それで自分の中で区切りがついて、サッカー辞めてん。

アパレルブランド「WACKO MARIA(ワコマリア)」で大成功

玉乃:今となっては笑い話かもしれませんが、当時は大変だったんじゃないですか?

石塚:ま〜、しゃ〜ないやろ。そんな大変って思ってもなかったし。

玉乃:性格が誤解されていたのでは? 一見、ブス〜っとしていて愛嬌ないですよね(笑)。僕もこうして仲良くなって初めて、本当は最高に優しくておもしろいお兄さんだってわかりましたからね(笑)。

石塚:なんやお兄さんって。

玉乃:そう考えると、ヴェルディ以外で一番“在籍“”が長かったのは、引退後のアパレル関係の仕事じゃないですか?

石塚:そやね。7、8年やっていたからな。

玉乃:もともとファッション関係の仕事に興味があったのですか?

石塚:洋服は好きやったけど、仕事ってまではなぁ。まあ、周りにファッション関係の人が多くて影響されていた部分もあったんやろな。楽しそうでかっこええ職業にも見えたし。

でも、実際にやってみると、確かにそういう部分もあったけど、地味で大変な仕事やったわ。最初の3年は出費ばかりで1円も利益が出えへんで貯金もなくなってきてな。そろそろ潮時やな、と思い始めたぐらいから、少しずつ利益が出るようになってきて、ギリギリ続けれてん。

玉乃:なにかきっかけが?

石塚:石の上にも三年ちゃうけど、アホみたいにやり方変えずに粘っていたからやろ。緩やかに伸びてきて、2、3年前あたりから急にグンって伸びたわ。

ファッション業界から身を引く決断

玉乃:でも、そんな絶頂期に会社を辞める決断をしたわけですよね。しかも石塚君は代表なのに……。以前、その理由を聞いたときには、「いろいろあるから……」としか言ってくれませんでしたけれど。

石塚:あんときはまだ話されへん時期やったからな。あんまりないやろ、代表だけが辞める会社って(笑)。おもろいやろ?

まあ、一番の理由は、周りと自分の一番大事なところの考え方が、根本的に違うことに気づいてもうて、そのまま続けてられないって思うてもうたからなんや。

そんな状態で自分を誤魔化して、嘘ついて生きていって、息子や娘たちが大きくなったときに、「親父、お前のやってることウソやん。ダサイな〜」って言われたら、親としても人間としても終わりやろ。

コソコソと人の目を気にしながら生きるんじゃなく、俺は家族、友達、誰の前でも堂々と、胸張って生きたいもん。俺は大家族のドンやしね。あとは、1回きりの人生を楽しむためやな。

玉乃:ファッション業界にいたら、人生を楽しめないと?

石塚:そういう意味ちゃうで。自分の責任もあるけど、前の会社のやり方が悪かって、朝10時に会社に行って、夜に一度、晩飯を食べに帰って、また会社に戻って夜中まで仕事っていう繰り返しやってん。

子供の顔を見るのも寝顔だけって感じで。俺にとっての仕事って、家族とともに人生を楽しく過ごすためのものって思っていたしな。今、子供が4人いるんやけど、15歳ぐらいになったら親元を離れて行くやん?

年取って余裕ができて、「さぁ!」ってときにはもう子供が離れておらんって、そんな悲しいことになって後悔すんの、嫌やもん。そういうことも踏まえて、もう一度、自分の時間をもっと取れるような環境を作りたいと思ってんねん。

家族でスペイン・バルセロナに移住

  玉乃:なんのために働くか……。それで、家族揃ってバルセロナに移住するんですよね? 向こうではどんな生活を送るんですか?

石塚:のんびり、自分のペースで考えてるわ。ただ、いろんなアイデアがある中のひとつは、サッカー関係の仕事に戻ることなんや。

玉乃:へえ〜、そうなんですか。具体的には?

石塚:日本とスペインのサッカーの橋渡しができたらええな。それから、来年カタルーニャリーグ4部のチームを持ちたいって思っていて、そこで自分もプレーしよっかな〜、なんてね(笑)。

玉乃:石塚君がコーディネーター業に興味があるなんて、ちょっと意外です。でも、今もサッカーが大好きだってことは、Facebookを見ていてもわかりますけど。

石塚:時間ができたら服作りもやれたらと思っている。日本にいたらいろいろなしがらみがあるし、それは考えてへんかったけど、せっかく7年も携わってたわけやし、なにかできないかなとは思ってる。

例えば日本で作ったものをあっちで売ったり、あっちで作ったやつを日本で売ったり、とかはありかなと。まあ、3つか4つぐらいの仕事を考えてるから、どれか当たるやろ(笑)。

ホンマはラーメン屋とか飲食店もやりたかったんやけど、初期投資があるからコケたら終わりやし、難しいな(笑)。

玉乃:スペインへの移住は、いつ頃から考えていたのですか?

石塚:去年の暮れぐらいから、ぼんやりとかな。

玉乃:でも、これからサッカー界に戻ってくるって、けっこう勇気がいりません?

石塚:俺、京都出身やろ? 京都って家が自営業の人が多くて、家業を継ぐ前に一度、違う世界を見て人間力をアップしてくるもんなんよ。俺もそんな感じなんかなって。一度、サッカー以外の世界を見てきて、また戻る。

あと、自分で一から始めるわけやし、ややこしいしがらみもないからな。今の日本サッカー界の話を聞いていたら、なかなか大変なことが多そうやけど、ただ、どこの世界も似たようなもんやね。

玉乃:そういうことも考えて、まずは海外へ?

石塚:そういうわけでもないんよ。妻に「次、なにすんの?」って聞かれても、「やりたいことないねん、仕事したないねん」って感じやったし(笑)。

じゃあ、まずはどこに住みたいか考えてみようってなったわけ。それで、やっぱりサッカーは今でも大好きやし、スペインかなって思った。家族もいるし、生活を考えたら南米はなあ……(笑)。

「なんとかなる=なんとかする」

玉乃:じゃあ、向こうでまた一からなにかを作り上げるつもりなんですね。まさか、スペインの企業に就職して、サラリーマンになるとは思えないし。

石塚:いや、あるかもよ。だから言うたやん。この企画、「セカンドキャリアに幸あれ!!」ってタイトルやけど、今のところ俺、無職やって(笑)。

玉乃:輝かしい無職ですよ。もうすでに一度、セカンドキャリアで大成功を収めているわけですから。「サードキャリアに幸あれ!!」に、タイトルを変更しないと(笑)。

石塚:まあ、そやね。短い人生で3回もおもしろいことに挑戦できるやから、ラッキーと思わなね。

玉乃:今、おいくつでしたっけ?

石塚:8月で38歳。でも、おっさんやけど、スペインで現役復帰も狙ったろかなと。ただ妻は、「そんなんせんで、仕事とか家の手伝いしろ」って(笑)。そこさえ切り抜けられたら、本気でやろうかなって思ったりもしている(笑)。

玉乃:また3ヶ月で辞めたり?

石塚:いや、続けるよ。自分でチーム作るんやから、それなら辞めさせられへんやろ(笑)。スペインのどっかの地域で、地元のスターになったろかと密かに狙ってるわ(笑)。

玉乃:でも、移住って半端な気持ちではできないですよね。

石塚:半端でも誰でもできるよ。問題はやるかやらへんかだけやろ。まあ、2年後とか、日本でフラフラしていたりしてな(笑)。

玉乃:一度ビジネスも極めたわけだから、怖いものなしでしょ?

石塚:ビジネスは成功したって言えるけど、会社としては失敗しているしな。それは極めたって言わへんやろ。

玉乃:いやいや。年商だってすごかったって聞いていますよ。会社経営も楽ではなかったのですか?

石塚:会社がデカくなるにつれて、扱う額もデカくなって、ビビっていたよ。怖くて借金なしでやっていたから回すの大変やって、楽しんでいる余裕もなかったわ。

玉乃:軌道に乗るまで、不安な日々を送っていたのですね。

石塚:いや、不安は不思議となかったな。なんとかなるやろって。

玉乃:アパレルビジネスがおもしろかったから?

石塚:そういうわけでもないんよ。「なんとかなるやろ」って、俺の口癖でね。実はこれ、妻が一番嫌いな言葉(笑)。

ただ、「なんとかなるやろ」って、言葉の響きは悪いけど、俺の中では「なんとかする」って意味やねん。これまでもそうやって生きてきたし、スペインでも「なんとかなるやろ」でやっていくつもりや。

サッカーダイジェスト2012年9月4日号にて掲載)

玉乃:なお、現在、石塚氏は移住先のバルセロナで、うどん屋「宵宵祇園京都」をオープンさせ、インタビュー中、本人が敬遠していた飲食店を経営していらっしゃいます。バルセロナを訪れる日本人の憩いの場として、観戦客たちがそれぞれの戦評を語り合う場として、人間交差点を提供し、自らがこねる、うどんを振る舞っているのです。