KDDでは社長秘書、2度の勘違いを経てベンチャーへ

――本橋さんはベンチャーで、ストレージ製品「CLOUDIAN HYPERSTORE」(以下、HYPERSTORE)を展開されています。でも、もともとのキャリアにはKDDIの前身であるKDD時代に社長秘書も勤めていたとうかがいました。

本橋信也氏(以下、本橋):そうですね。経営計画や戦略、サービス企画といった部門を経て、1996年〜2000年までの4年間、社長秘書をしていました。私が退職したのは2000年8月。会社が合併してKDDIになったのはその数ヶ月後でした。

なぜ退職したかというと、コツコツ築いてたものが大きく崩れる感じがしたのですね。「会社員ってむなしいな」と感じたこともありましたが、一方で「俺、もっとできるんじゃないか」と勘違いしたわけです。

――勘違い?(笑)。

本橋:秘書として、社長のご意向を伝える立場だとみんながすごく言うことを聞いてくれるんです(笑)。そうすると、自分は単なる社員なのに「自分には力があるんじゃないか」と勘違いしてしまうんですよ。そして、「会社の名前に頼らず、自分の力を証明したい」なんて思い始めて……。

――(笑)。

本橋:当時、ちょうどボーダフォンが日本に入ってきたタイミングだったんです。英語は話せたので「俺は外資でも確実に通じる! 自信もあるし!」みたいな感じの転職だったんですよね。

ただ、当時の自分ではぜんぜん通じないことがすぐわかりました。もうね、ぜんぜんダメだった(笑)。

――どのあたりが「ぜんぜんダメ」だったんですか?

本橋:実務から離れている期間が長かったこともありますね。業界全体を俯瞰して見るクセがついたのは良かったのですが、結局、自ら手を動かしていなかったんですよ。パワーポイントは作れないし、グローバルに通じる論理構成や書き方を知らなかったし。あとね、プレゼンの正しいやり方も、コミュニケーションの正しいやり方もわからなかった。そんなこともあって、最初の1年は流されるままでした。

ところが、ボーダフォンは当時最大の外資系企業でもあり、すごくいろんなトレーニングを提供してくれていました。プレゼンもコミュニケーションも、あとコーチングのトレーニングもありました。最も良かったのは、いわゆる一流の戦略コンサルタントたちといつも一緒に仕事ができたことです。そのおかげで、どんどんノウハウが身につきました。

そしてしばらくしたら、また……(笑)。

――まさか……(笑)。

本橋:2年くらいしたら「俺はいけるぞ!」とまた勘違いしたんですよね(笑)。

(一同笑)

当時、ボーダフォンが孫正義さんのソフトバンクに買収されたこともありますが、経営戦略や経営企画という部門が長く、自分が考えた戦略や計画が考えているとおりには実行されないことがだんだんジレンマになってきたんです。自分で最後までやりたい。ベンチャーならそれができると。

今は過去経験してきた点と点がつながった感じがしますが、今度は大きな会社と違い、自分ができることと会社の成果とが相関してしまうという課題はありますね。多くの人がいれば、やはり同時にいろいろなことはできる。

ストレージ領域へのフォーカスは「偶然が重なった結果」

本橋:ボーダフォンにいた当時はみんなまだガラケーで、海外ではBlackBerryなどが出てきたタイミングでした。あの時「今の携帯電話はこんな形になっていくんだろうな」と思ったんです。

今だと当たり前になっていますが、当時は無線の帯域がすごく狭くて、ネットに接続しようとしてもなかなかできなかったんですよね。

――ストレージに関しては、その時点で注目されていたんでしょうか?

本橋:それでいうと、少し偶然みたいなところはありましたね(笑)。

実は、クラウディアンはもともとメールシステムを作っていた会社なんです。それも3,000万人以上に利用されるような大規模なメールシステムでした。ガラケー時代、写メールなどに使われていたMMSというメールでした。

――MMS、なつかしい!(笑)。

本橋:でしょう?(笑)。

でも、スマートフォンに移行し始めた頃に「使われなくなるね」「新しい領域、製品を探さなくちゃいけないね」となりました。

2009年とか2010年くらいに、HadoopやNoSQLのデータベースといった新しい技術が先進的な人たちの間で話題になりました。そこで我々としては、そういった人たちが集まるコミュニティで特に注目されていたAmazon S3というクラウドのインフラを支えるストレージのサービスがあり、それと同等のことができるオブジェクトストレージ製品を開発したんです。

先ほどもお話ししましたが、販売してみると、オープンソースのコミュニティにいた大手インターネットサービスの人たちから「話を聞かせてほしい」と連絡がありました。そしてベータ版を提供し、そのまま本サービスまで採用してくれることになりました。

そこで感じたんですね、「この領域はいける」と。そして、ほかのことをすべてやめて、一気にストレージにフォーカスすることにしたんです。

なので「よく思いつきましたね」と言われるのですが、本当に偶然が重なっていった感じなんですよね。

――手応えのある方へ進んでいった感じなんですね。

本橋:よくアイデアの出し方で「ブレストでたくさん並べて、それぞれ評価してだんだん絞りこんでいく」というものがあるじゃないですか。ぜんぜんそんな感じじゃなかったんですよね。打席に立って、バットにボールが当たったから全力で走り続けている(笑)。

日本のソフトウェアが海外で成功しにくい理由

――HYPERSTOREはリリース後、すぐに国内の大手クラウドサービスに採用されるといった流れは強力な追い風ですよね。結果、HYPERSTOREはどういったかたちで展開することになったのでしょうか?

本橋:やがて販売先がクラウドサービスだけでなく、エンタープライズ市場にも拡大し、大手製造業などにも採用してもらえるようになったんですね。

同時に、海外の事業者からの引き合いも増えました。そこでさらに製品販売を拡大するために、インテルキャピタルや産業革新機構、フィデリティなどからの投資を得ました。中でも産業革新機構の方がね……若い人が聞いておもしろい話かどうかわからないんだけれど、「クラウディアンを野茂にする」と言ってくださったんですよね。

――野茂英雄! その例えは、なんだかうれしいですね。

本橋:そうなんですよね。

要するに、まだ日本のソフトウェアの会社で海外に出て成功しているところはまだほとんどないという問題意識からなんです。車などのハードウェアでは成功している事例は多いですが、ソフトウェアで海外で成功しているところは……ありますかね?

我々は、もともと国籍は一切問わず、日本人だけの会社ではないこともあり、当初は日本のお客さまに全エネルギーをつぎ込みながらも、グローバル展開は常に考えていました。

投資を受けてからは本社をシリコンバレーに移転し、日本流は一切持ち込まずに事業を進めています。現地でストレージ業界のプロを集めて事業運営を進めた結果、日本をはるかに上回る顧客数の獲得に成功しています。

――なぜソフトウェアは海外で成功しにくいのでしょうか?

本橋:日本のソフトウェアは、受託になっちゃっているところがほとんどなんですよ。注文してくれたお客さまのためだけにカスタマイズ開発しているから、ほかに売れない。だから製品じゃないんですよね。そういった下請け構造が、海外に出にくい状態を作ってしまっています。

とにかくうちは、その構造から脱するために日本だけに通じるカスタマイズはやめました。売れるか売れないかわからないけれど、成功を信じて製品を作りました。それがすぐに商用として採用され、「これはいけそうだ!」となって一気に製品を強化していったんです。

「本来、ソフトウェアは絶対にN倍になるものじゃないとダメ」「100倍や1000倍になるビジネススタイルじゃないと生き残れない」という話をずいぶんしていました。それがうまくいって、本当に良かった。正直言って、ホッとしているんです。

あと「グローバルにやる」という判断も良かったと思っています。海外に比べて、日本は新しい技術が広く受け入れられるのに時間がかかるところがあります。ちょうど欧米には我々のような製品が求められるタイミングに進出できたので、優秀な人材も海外で集まりました。日本だけでやろうとしてたら、パッとしなかったかもしれないですね。

ストレージを使いたいけど使えない人がいる

――日本ではまだ認知度が低いとお話しされているストレージですが、今、企業に広めようとしているのはなぜでしょうか?

本橋:確信を持って言えるのは、今、ストレージを使いたいけど使えない人が間違いなくいます。

例えば、最近では製造業の方とAIなどについていろいろお話する機会が増えてきているのですが。そこで気になったのが、「AIを使う人たち、企業の中で使っている人たちや開発している人たちというのはどんな部門にいるのか?」でした。そうすると、今はマーケティングなどが脚光を浴びていますが、実は工場などの製造現場が多いことがわかってきているんです。

製造現場では、工場で使う部品を見分けたり、故障を発見したりするためにAIを導入しているんですね。もちろん、まだ導入していないところもありますが、そういった用途で使いたいというケース自体が非常に増えています。これはもう、AIの主な利用シーンになると思っているんです。

ところが、多くの工場では機密保持のために携帯電話もカメラも持ち込めません。インターネットすら使えないという工場もあります。

研究開発の部門でも、似た環境のところがあります。でも、そういったところでは今、大量のデータを集めたままパソコンに入れっぱなしにしていたり、小型NASにいっぱい積んでいたり、場合によってはメディアに入れっぱなしにしていたりして、統一した管理ができていないケースがほとんどです。

製造現場でも研究開発の部門でも、情報がバラバラな状態だと、使いたいときに簡単に使えなくなってしまうんですよね。なのに、データはこれからも増える一方です。そうなると、クラウドと同じくらい大量のデータを簡単に経済的に使える仕組みが必要になります。

現状として製造現場でも研究開発の部門のニーズが高まってきていますが、企業もどんどん似た状態になってくると予想できます。

――AI技術のように、便利になればなるほどその裏側では膨大なデータが動いていますから……。

本橋:そうですね。というか、ますますそうなっていますよね。

日本の企業は自社の使用データ量を把握できていない

本橋:うちのお客さまには海外が多いです。そこで感じているのは、彼らはCTOやCIOなどがちゃんと管理しています。必要なデータ容量も、まとまった単位でちゃんと把握しているんですね。

でも日本の場合、まとまった単位で把握していない傾向があるんですよね。例えば、情報システムの人に「今どれくらいのデータ量がありますか?」と聞くと「100テラくらいです」と返ってくるんです。

ところが次に「マーケティング部門など、机の下にNASをいっぱい置いていませんか?」と聞くと「はい」「あわせれば500テラくらいになりますかね……」というわけですね。

そもそもなぜマーケティング部門の人たちがNASを置かなきゃいけないかというと、会社で使っていいデータ量を制限されているからなんですね。「あなたは10Gしか使っちゃいけません」と割当されている。それを超えると、使えない。だから、自分のデータは机の下のNASに置いておくといった管理になってしまっている。もしくはディスクなどに焼いたりしている。そうすると、データの所在がバラバラになってしまう。

――先ほどの製造現場や研究部門の状態と同じですね。

本橋:そうです。研究開発になるとデータはさらに増える。その中でちゃんと管理できることが求められています。

アメリカと日本のお客さまが購入するデータ量を比較してみると、日本の方がかなり桁が少ないんです。しかし、経済活動から考えて日本企業のデータ量がそんなに少ないわけないじゃないですか。それはやはり、ちゃんと管理できていないからそうなっているだけという印象が強いですね。

だからこそ、日本でももっとちゃんと統合的にデータ全体を管理する技術や仕組み、製品があれば、保存に悩みませんし、いざという時にパッと活用できるようになりますよね。

――別に紙文化が悪いというわけではありませんが、そのあたりがまだまだ根強い印象はありますね。

本橋:そうですね。紙は悪くありませんが、活用できないデータになってしまう可能性はありますよね。

「特殊な技術」を一般の人に届けたい

――今回の「風林火山ストレージ」のキャンペーンもそうなのですが、ストレージ事業を進めていく先でのゴールとして、なにか目指している世界観のようなものはあるのでしょうか?

本橋:今やっている製品やコア技術をインフラの標準にしたいと、自分の中では思っていますね。

以前の会社はインターネット登場前からデータ通信サービスを提供してましたが、そんな会社でさえ職場に初めて導入されたときは総務部から「仕事中にインターネットはやっちゃダメです」というお触れが出たのを今でも覚えています。「みんなで遊びに使う」みたいなスタートでしたね。

それが今や、企業の中でもインターネットのアーキテクチャが出来上がっています。その進化の1つとして、クラウドの技術も企業に入り込み、ITインフラの基本部分になると思っているんです。

我々の製品がそういったものなんですよね。クラウドにも使えるし、企業の中でも使える。そして、クラウドとオンプレミスをつなぐことができるハイブリッドな製品なんです。

そもそもクラウドは、専門的な技術を持つ人たちが独自な環境の中で開発して提供する「サービス」です。だから、普通の人は買えない。我々はその技術を普通の人でも買えるようにする、使える製品にする、つないでいく。そういった立ち位置を狙いたいですね。

――企業の話もありましたが、クラウドがもっと身近になれば意識が変わりそうですね。

本橋:そんな気がしますよね。AIやIoTの開発を見てみるとわかるのですが、使えるようにするためにはまず大量のデータを学習させなければいけません。そうなるとやはり、インフラも従来の方法じゃダメなんです。