ウケてるのかどうか、ユーザーの反応がわからなかった

宮田大介氏(以下、宮田):予定の時間をかなりオーバーしちゃったんですけど、そういったかたちで。

倉島一幸氏(以下、倉島):ごめんなさい(笑)。

宮田:いや、めちゃくちゃおもしろいんで、もっと話としては聞きたいんですけど(笑)。いったん前半戦、こんな感じで。『moon』でピークラインにバーン! といった、というところで。今はそれこそ「伝説のRPG」みたいなかたちで「ラブデリック系」みたいなかたちで評価されていることが多いんですけど。当時としては、お話聞いた時はそんなに実感がないというか。

倉島:今ほどネットがそれほど。Twitterとか、反応がダイレクトにピッとくる時代ではなかったので。ISDNで「ビー……」とかっていう時代だったから、ぜんぜん。

宮田:懐かしい(笑)。

倉島:たまにお便りいただいて「おもしろかった」とかいうのはありましたけど、わかんないんですよね。そんなに売れたワケでもないですし。

宮田:本数的には。

倉島:本数的にはそんなに大したことなかったんですよ。だから「あれ、あんまりダメだったかしら?」みたいな。『マリオRPG』は、マリオっていうビッグネームもあってドガーンといったんですけど。「ダメだったか、おもしろかったんだけどなぁ」みたいな感じで。

ネットが発達して、その当時に遊んでた子どもさんたちが大きくなって、それで「名作だ」とかなんとかって言ってもらって。「え、もっと早く言ってよ」みたいな(笑)。

宮田:(笑)。もっと早く言ってくれたらぜんぜん違う道もあった、みたいな(笑)。

倉島:そうですよ(笑)。

宮田:確かになかなか。さっきバンドみたいって話をしたんですけど、バンドと違ってライブとかもないですし。熱狂が伝わりにくい。

倉島:そうなんですよ。お客さんの反応がわかんなかったから、ウケてるのかどうかが。

宮田:そこはなかなか難しいところですね。

倉島:だから今はオニオンゲームスっていうところにいて、今はちょっとイベントごといろいろ中止になってますけど、京都でやってる「ビットサミット」とか、東京でもインディーゲームのフェスティバルとかで出展して。ようやくそこで、ファンの方とのコミュニケーションがとれるようになったんですけど。

それまではずっと部屋にこもりっきりで、みんな作ってたから。とにかくチームの中で、工藤(太郎)さんをちょっと笑わせたりとかウケるために、内部で盛り上げてはいましたけど。「果たしてこれ、お客さん喜んでるのかしら?」っていうのがわかんなかったんですよ。

宮田:なるほど、すごく尖ったタイトルですから余計に。なので、もし好きな作品とかがあったら、ぜひ直接声をかけてほしいですね、みなさんも。

倉島:そうですね。お仕事お待ちしております。

宮田:(笑)。大事ですよね、クリエイターとしてはやっぱり。なかなか反応がないと次につながっていかないので。

倉島:今はいい時代……まぁでも誹謗中傷もダイレクトにくるから怖くもありますけど(笑)。いい時代ですよね。

一息つきつつ、怒涛の後半戦へ

宮田:というかたちで、ヒストリーポイント③までが前半戦になっております。ちょっとひと休憩といいますか。もしなにか質問とかがあったら、ガンガンメッセージのほうにいただければ、リアルタイムで返答もしていこうと思いますので。軽く今……まだ質問はそんなにないかな。

倉島:だいたいこの昼間、いい天気で、見てらっしゃるんですかね。

宮田:やっぱり今回、土曜日で昼間なので。特にコロナ上がりのみんなが遊びたい時間なので、若干いつもと違って人数はそんなに多くはないんですけれども。逆にアーカイブとしていろいろと、みんながゆっくりしている時に見れるような状態にはするので(笑)。

倉島:ごめんなさい、ちょっと平日はゲーム作ってるもんで。

宮田:(笑)。今はもうクラブとかに遊びに行かない。

倉島:クラブには絶対に行かないですね。うるさいし。

宮田:若い時はぜんぜん、尖りまくってたんですね(笑)。

倉島:眠くてしょうがないですよ。10時過ぎると眠くてしょうがなくなる。

宮田:(笑)。というところで一息つきつつ、怒涛の後半戦にいきますか。

倉島:質問ないワケですね(笑)。

宮田:熱いコメントだけ(笑)。「熱い思い、素敵」っていうコメントはありつつ、質問はまだきてないので。バシバシなにか書いてください。

「猫も杓子も3D」みたいな、ハイエンドな時代

宮田:で、じゃあ後半戦のほうにいこうと思うんですけれども。ヒストリーポイント④に入っていくんですけどここから、山からまた厳しい局面じゃないですけど。作品的には今も評価されてる作品もありますけれども、なかなか時代との兼ね合いが難しかった時代といいますか。

倉島:そうですね。3D、ハイエンドな時代になっていくので。わりとドット絵とかそういうのは、もう下火というか。

宮田:そうですよね。当時、トラックレコードにも書かせていただいてるんですけど「時代はハイエンド一直線」というところで。

倉島:PS2に移行する流れで。

宮田:それこそPlayStationとかセガサターン、最初のころは3Dといってもガクガクのポリゴンで。「楽しいのは楽しいけれども、演出としてはまだまだ荒いよね」みたいなところから、PlayStation2に近づくにつれて、3D表現がすごく洗練されてきて。

倉島:きれいになっていきましたよね。

宮田:それで「3D? 当たり前だよね」みたいな時代に入ってくる感じですよね。当時はけっこう、ドットだったり2Dだったりするだけで「未だにスーパーファミコンのゲームは、PlayStationでできません」みたいな感じで。今またぜんぜん、インディーも含めて普通にドット絵が求められることも多いんですけど、当時は逆にすごく厳しかったというか。

倉島:(NINTENDO)64もPS2も、テクスチャーがそんなに使えなくて、それであんまり2Dの絵は。やっぱり3D向けに作られてんだな、じゃあダメかなぁ、って感じですよね。

宮田:けっこう「猫も杓子も3D」みたいな時代でしたよね、ちょうど。

倉島:で、3Dアレルギーだったから……いや、遊ぶのは遊んでましたけど。『バーチャ(ファイター)』とかも俺、最初のやつが一番好きですから。だけど作るのはやっぱ、できなかったんですよ(笑)。何回もトライはしてたんですけど。

「ほかがやってるから、うちは違うことを」という考え

宮田:チーム的にも「いや、3Dは……」みたいな感じだったんですか? それともけっこう、そこは。

倉島:「クラちゃんダメだからなぁ」っていうので、足引っ張ってたかもしれないですね。背景の人とかは3Dで作ったのにレンダリングして、レタッチとかしてましたから、ぜんぜんできてたんですけど。僕が……ネックでしたわな(笑)。

宮田:でも3Dってなると、チームの規模もまたぜんぜん変わってくるじゃないですか。

倉島:そうですね、ちょっと人手が必要になってきますからね。

宮田:たぶん当時のラブデリックさんだったりバンプールさんとかの規模だと、またけっこう尖った少人数でやられてたと思うので。

倉島:そうなんですよ。少なかったんで、あんまり増やすイメージもなかったんで。少ない人数で完結するものとなったら、やっぱり『UFO-A day in the life-』とか。『エンドネシア』はちょっと手伝ってもらったんで、地形とかも3Dで作ってるので、人は増えましたけど。『UFO』までは少人数ですね。

宮田:そもそもそういった、じゃあゴリゴリの3Dでリッチな表現で、よくあるものを作りたかったワケでもないんですもんね。スタジオ的に。

倉島:そうですね……隙間産業じゃないですけど「ほかがやってるからうちは違うことを」っていう考えではありました。

今では「ラブデリック系」といわれる作品だが、当時は……

宮田:なので作品的には、トラックレコードに書かせていただいてるとおり「ラブデリック系」みたいなかたちでいわれて、挑戦的な内容でファンが多いタイトルとかもありつつ。

倉島:今では「ラブデリック系」とか言ってもらってますけど。

宮田:当時はぜんぜんって感じで?

倉島:当時は「別に何系でもねぇよ」みたいな。特に注目もされてないし(笑)、やっぱりそんなに売れなかったですしね。『コロボール』なんか死ぬほど売れなかったんで。

宮田:(笑)。

倉島:どうやってバンプールを維持していこうかって、日々大変でしたね。

宮田:そんなたくさん受託みたいなところでやられてるワケじゃなくて、オリジナルタイトルメインでやられてると思うので。なおかつビジネス的には大変だった時期ですよね。

倉島:売れなかったですよ、はい。

宮田:チームもやっぱり、全体的に大変だったって感じですかね。ほかのメンバーも。

倉島:ほかのメンバーは、でもフットサルとかやってましたね。

宮田:(笑)。

倉島:僕も大型のバイクの免許取って、佐渡ヶ島にツーリングとか行きましたね。……本当に大変だったのかな? っていう(笑)。

宮田:徹頭徹尾してますね(笑)。

倉島:現実逃避ですかね。

宮田:現実逃避(笑)。

「サッカーが流行ってるから、サッカーゲームを作る」ではない

倉島:でも、そういう現実逃避というかしつつも「マジック:ザ・ギャザリング」とか「ポケモンカード」とかすごい社内で流行って。それの流れで『コロボール』とか、わりとカードゲームのノリで作ってたりとかして。けっこうみんなのノリが反映されてるんですよね、あのゲームの中に。サッカーがはやってたから、サッカーボールに「マジック:ザ・ギャザリング」足しちゃえ、みたいな。そしたら死ぬほど売れなかったんです(笑)。

宮田:(笑)。「サッカーが流行ってるから、サッカーゲームを作る」っていうのが普通だけども「そのまま作ってもつまんないよね」っていう。

倉島:意外な使い方をしましたね。

宮田:尖ってますよねぇ。

倉島:尖ってはいますね、確かに。

宮田:それこそバンドとかだったらまだいろんな、そんなに維持費もかからないので道はあると思うんですけど。ゲーム会社となるとなかなか、お金もかかるし人もいるしっていうところで、苦戦していた時期で。

倉島:その当時は原宿から千駄ヶ谷に引っ越して、将棋会館っていう羽生(善治)名人とかがいる、あそこの裏の一軒家を借りて、そこでゲーム作ってたんですよ。だからたまに羽生名人とか通るんですね(笑)。

宮田:芸能人とよく会う場所が多いですね(笑)。

倉島:そうですね、羽生名人、(ゲームに)出しとけばよかったです。

宮田:確かに(笑)。