PR2025.11.27
数理最適化のエキスパートが断言「AIブームで見落とされがちな重要技術」 1,300社が導入した「演繹的AI」が意思決定を変える
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宮田大介氏(以下、宮田):なるほど。そこでじゃあ「ゲーム業界にいこう」というところで、当時のスクウェアさん、という感じですよね。
倉島一幸氏(以下、倉島):そうですね。そこもだから、スクウェアさんにたどり着く前にいろいろ受けるんですよ。セガ、コナミ、データイースト……。
宮田:当時の有名な会社さんたち。
倉島:あとはテクノスジャパンって、『くにおくん』とか作ってたところ。懐かしい。何社ぐらいだろう、6~7社受けて、全部落ちて(笑)。最終的にスクウェアさんに拾っていただいたって感じですね。
宮田:そうなんですね。「並み居るたくさん受かった中からスクウェアを(選んだ)」って感じよりも。
倉島:とんでもございません。
宮田:(笑)。
倉島:あと僕、わりと今でもカミさんに怒られるんですけど、性格がテキトーだから……面接の時に「作品持ってきてくれ」って言われてたんですけど、ああいうのって「デカい作品持っていくとインパクトがあっていい」とかって言われて。で、友達の描いたすごいデカいポスターを「自分が描いた」って、ウソついて持ってって(笑)。
宮田:ダメじゃないですか(笑)。
倉島:結局、ダメだったんですけどね(笑)。そいつにもなんか悪いことしちゃったなと。
宮田:すごいですね(笑)。完全な、替え玉受験どころの騒ぎじゃない。
倉島:ろくでもないですね。
宮田:そんなことがありつつスクウェアさんに拾っていただいて、みたいな話で。
倉島:拾ってもらったんですよ。
宮田:最初のタイトルが『半熟英雄』。そこから『クロノトリガー』『ライブ・ア・ライブ』みたいな感じの、けっこうスクウェアさんの中でも尖ったタイトルに。『クロノトリガー』はわりと王道ですかね。
倉島:『クロノトリガー』はね、1~2週間でクビになりましたね(笑)。絵がヘタだから。

宮田:(笑)。倉島さんでもそんな時代があるんですね。
倉島:いやいや、もうボロクソですよ私は。
宮田:(笑)。ここに書かせていただいたんですけど、なかなかまだいろいろとトライはしつつも、結果が残せなかった時代というところで。
倉島:そうですね。すごくいろいろ、やっぱり同期のやつはどんどんボス・中ボスの絵とか描いたりして、どんどん出世というか、活躍の場が広がっていくけど……僕はわりと、当時はファミコンカセットはROMカセットで、それのROM焼きとか。本当に焼くんですよ、データを。ずいぶん長い間、それの担当だったりとかして。「チーン!」とかって焼けたのを刺して、プログラマーさんに渡して。
宮田:そんなトースターみたいな音がするんですね(笑)。
倉島:そうなんですよ。東芝のROMを焼いてましたよ。
宮田:なるほど。じゃあ本当もう、雑用みたいなのが多くて。
倉島:スーパー雑用でしたね。あと効果音作ったりとか。効果音を作ってる人はバカにしてないですよ。その当時は手の空いたグラフィックが「ピー」とか「ガー」とか作ってる時代だったんです。
宮田:なるほど。なかなかやっぱりスクウェアさんも、当時すごいやり手のイラストレーターとかデザイナーさんがたくさんいて。
倉島:うん、みんなうまかったですね。
宮田:その中でやっていく中で、なかなか芽が出ない最初の①っていうトピックスのところで。次にさっそく移っていきましょうか。それが②になると、次はいきなりもうヒットタイトルになっていっちゃうんですけれども。『マリオRPG』のチームに入っていくって感じですよね。

倉島:そうですね。
宮田:どういうきっかけで『マリオRPG』のチームに編入されたんですか?
倉島:これは『ライブ・ア・ライブ』のチームが、基本的にはごそっと『マリオRPG』のチームになったような記憶が。
宮田:そのまま「じゃあ次これで」みたいな。会社の中の立ち位置的には『マリオRPG』ってどんな感じだったんですか? 任天堂さんとのコラボというか合作なので、立ち位置的にはすごくチャレンジングなところも。
倉島:イロモノですね。イロモノチーム、という。
宮田:あっ、イロモノなんですね。
倉島:ええ。やっぱり一番は『FF』チームが王道で、飛び道具というか、2軍・3軍の人……そう言うとまた失礼になるな。僕がそうなんですけど。
宮田:(笑)。
倉島:そういう、扱いはそんなに高くなかったですね。確か。
宮田:そうなんですね。じゃあけっこうスクウェアさんの中でも『特攻野郎Aチーム』じゃないですけど……(笑)。
倉島:Aチーム、Bチームでしたね。
宮田:なるほど、そんな感じなんですね。今見るとスタッフ陣はものすごい豪華スタッフですもんね、『マリオRPG』自体は。
倉島:そうですね。皆葉(英夫)くんとか下村(陽子)さんとか、すごい立派な。
宮田:任天堂さん側も、すごい豪華布陣で。
倉島:そうですね、宮本(茂)さんとかも。
宮田:それこそさっき軽く話をお聞きしたんですけど、宮本さんとかもたまに見にきて。
倉島:そうですね。そんなに頻繫には来られなかったんですけど、見て。最初は「なんか剣のキャラクターとかを仲間にして、マリオに鎧を着せて」とかっていうのをやってたんですよ。そしたらその途中まで作ってるのを見て「これはマリオじゃない」みたいなことを言ってて。作り直しました(笑)。
宮田:(笑)。全没みたいな。
倉島:でも要所要所で出てくる弓のキャラとか、ボスキャラとか。そこらへんは敵としての扱いで。なんでしたっけ、クッパ城に刺さる剣とかも最初からいたんですけど。味方のほうに、そういう武器とかのはやめましたね。
宮田:敵キャラのほうに全部なって。逆にじゃあ最初のほうの企画的にはそういった、鎧着たりする予定だったんですね、マリオが。
倉島:そうですね。やっぱり「スクウェアといえばRPG」という感じで。
宮田:そうですね、王道RPGみたいな。なるほど、そういった感じで。
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