PR2025.11.27
数理最適化のエキスパートが断言「AIブームで見落とされがちな重要技術」 1,300社が導入した「演繹的AI」が意思決定を変える
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宮田大介氏(以下、宮田):ここの『マリオRPG』のチームはけっこう、このあとにつながっていく。ラブデリックさんのメンバーとかとの出会いでもあるんですよね。
倉島一幸氏(以下、倉島):はい。そこで『moon』とか『UFO』とかで一緒にやってく工藤太郎さんと一緒に、初めてがっつり仕事をすることになって。そこで切磋琢磨していくうちに、わりと周りも「おもしろいやんけ」みたいな感じでノリを作っていけたかな、みたいな。工藤さんと会ったことによって。
宮田:なるほどですね。工藤さんとの年齢差といいますか、どんな関係値から?
倉島:ほぼほぼ1個上とかだから、わりとお友達みたいな感じで。
宮田:先輩というかは、同期みたいな感じに近い。
倉島:そうですね。でも入ったのは僕のほうが早かったんですよ。だから、最初はほかのチームだったからわりと「いけ好かないやつだな」と思ってて。
宮田:(笑)。
倉島:社員に社員名簿みたいな『スクウェアタイムズ』っていうのが配られるんですけど、それを1回盗んだことあります(笑)。
宮田:(笑)。
倉島:今でも言われますけどね。
宮田:そんなことがあったんですね(笑)。
倉島:はい、意地悪してました。
宮田:なるほど(笑)。工藤さんが後々『moon』とか、このあとの作品で中心になってくる。
倉島:キーマンですね。
宮田:実際の外側に出てくる“工藤さん像”は『moon』やられたりとか、記事などで目にした方もいると思うんですけど。近い仲間としての工藤さんって、どんなイメージだったんですか?
倉島:最初はわりと……海のものとも山のものともわからなかったんですけど。(『マリオRPG』に)アクションイベントがいっぱい入ってるんですけど、そのリズムと合わせたイベントを、なんかくちばしのでっかい黒い鳥が突っついてくるミニゲームを一緒に作ったんですよ。そこでもうなんか「ちょっと、ズバ抜けたセンスがございますね」という印象で。そのあとからはわりと意地悪しなくなりましたね、私は(笑)。敬意を表して。
宮田:(笑)。そこからけっこう長い関係で、2人。
倉島:そうですね、今でもLINEのやり取りとかしてますよ。「『マンダロリアン』見たか?」とか「『エヴァ』見に行ったか?」とか。
宮田:(笑)。なるほどですね。そういった出会いってやっぱり大きいですよね、クリエイターとしてのモノづくりで。
倉島:そうですね。一緒に仕事して、本当にわかり合ってくっていうか。実力とかどれぐらい……だんだん信頼関係ができていくから、やっぱり働いてみて。今でもやっぱりつながりがありますからね。
宮田:そこの出会いがこの『マリオRPG』。「そもそもめちゃくちゃ『マリオ』作品が好きっていうところで、結果が出た」みたいなこともおっしゃっていたんですけど。そういった出会いもやっぱり、すごく大きいのかもしれないですね。
倉島:そうですね。今でもスクウェアさんの時に仕事した仲間とは、一緒に飲みに……今はあんまり行けないですけど、飲みに行ったりとか。あとお仕事を振っていただいたりとかっていうのは、今でもありますね。
宮田:なるほどですね。そうやって『マリオRPG』が結果として出て、高い評価を得るというところで。トラックレコードにも書いたんですけれども、モンスターデザインを統括っていうところで。ご自身としてもクリエイターとしても、大きな手応えを感じて。
倉島:そうですね。スクウェアに行ってほぼ雑務が多かったんですけど、僕は『マリオ』がずっと好きだったんで、愛情がたっぷりあったから。そんなに愛情ないスタッフの人に対して「マリオはもっとこうなんだ!」って言って。で、工藤と一緒に肉付けしていって「もっとこうじゃない?」って。これは一番がっつりやりましたね。

宮田:クリエイターとしてなにかモノを作る時にやっぱり、愛じゃないですけど(笑)、そういったものはすごく大事な要素ではあるんですね。
倉島:うん、うん。大事だと思います。さっき言いましたけど、中学の時に『スーパーマリオ』から目覚めてゲームにはまっていったっていう、『マリオ』に対する恩義もあったから。作るとしたら中途半端なもの作ったらあかん、というのは。結局、愛ですよね。
宮田:そこの愛があふれた作品というところでの、『マリオRPG』。当時はそんな気づかなかったですけど、改めて見てみるとけっこう敵キャラクターのやつとか、かなり尖ったというか。『マリオ』のほかのタイトルと比べて、すごく独創的なキャラクターがものすごく多いので、それは逆にすごいなって話で。
宮田:どういうふうにああいうのになったんですか、ってさっきもお話聞かせていただいたんですけど。いろんなそういったところも、宮本(茂)さんのチェックとかもありつつ、許された時代でもあったっていうところですよね。
倉島:そうですね、そんなに厳しいチェックは。やっぱり「クリボー」とか、もともといるやつはすごくラインとか、あと「靴の裏の色が違う」とか「そこまで細かく言うか」みたいなチェックはありましたけど。オリジナルで突っ込んでくるものに関しては、そんなにお咎めなかったですね。
あと任天堂キャラとかも、その当時は『スターフォックス』の「アーウィン」を道具屋のカウンターに置いたりとか、『メトロイド』の「サムス」をベッドに寝かせたりとかっていうのも、怒られるかな? と思ったけど意外とスルーでした。
宮田:はい、はい。そこも愛があったからこそ、っていうのもあるのかもしれないですね。
倉島:もちろん! リスペクトしてたし、『スターフォックス』好きだったし『メトロイド』も死ぬほどやったから。ちょっとでも、ドアの隙間にでも置けないかしら? と思って、いろいろ仕込んどいたんですよね。
宮田:(笑)。けっこうそこは、言ってしまえば絶対に必要なものでもなかったりするじゃないですか。でもそこにあることで、作品としての愛が出てくるじゃないですけど、細部に要素が出てくるのがすごくいい作品になった秘訣っていうか。そこはかなり楽しんで作られたみたいな感じですよね。
倉島:もちろんですね。ちっちゃい頃に遊んでたゲームのキャラを自分で絵描いて出せるなんて、そんな幸せなことはないから(笑)。とても幸せな毎日でしたね。ほとんどずっとゲーム作ってましたけど、幸せでしたね。
宮田:なにか新しいオリジナルキャラクターを出す時に、どういうふうに考えて……『マリオ』だからっていうところプラス、新しい要素との兼ね合いじゃないですか。
倉島:敵キャラに関しては、ある程度『マリオ』寄りにし過ぎてもいけないというか。せっかくスクウェアさんとタッグでやるから、微妙に間を取ったラインを。デザイナーの統括の皆葉(英夫)くんと、かなりやりとりというか「こうでしょ」「こうでしょ」みたいな感じで、キャッチボールして作ってましたね。
で、統一感を出すために、当時は『ドンキーコング』とかが流行りかけてたので、Strataっていう3Dソフトを使ってみんなモデリングして。それをレンダリングかけたものをドット絵に落として、それをさらにまたドットで修正して。で、バラバラにしてちょっとずつアニメとかさせていって。で、さっきも言いましたけど僕は、その3Dソフトが使えなかったので……(笑)。
宮田:(笑)。
倉島:3D風にドット絵を描いて、まだできてない人にダメ出ししたりとかしていましたね、できないくせに。
宮田:それは逆に超技術ですよね(笑)。『ドンキーコング』的な、『マリオRPG』的なCGっぽいやつをドットで表現するみたいな、最初から。
倉島:「目スリ(目で3D)」をやってました。
宮田:(笑)。それは逆にすごいですね。そういったコンピューターCGの3Dとかは、若干「やっぱり自分の得意分野とは違った」みたいなところもありつつ……っていう時代でもあるのかもしれないですね。
倉島:そうかもしれないですね。結局「2Dの人間だったんだな」という。焦りというよりかは、『マリオ』愛と自分のできなさで、あと「ちょっとごまかせばなんとかなるかな」みたいな(笑)。そんな葛藤の日々でした。
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