限界集落にITの力を

奥田浩美氏(以下、奥田):鹿児島生まれです。すごい限界集落の小さな町を転々として、3年ごとぐらいに転校して、鹿児島市内の、高校に入るためだよっていう、それだけをひたすら守ってやってきて。

でも22歳で学校の先生になる直前に、その道を外れてインドのムンバイというところのムンバイ大学というところの社会福祉の修士に入りまして、そこから転々と、ずっとずっと、この道の先には、こうじゃないだろうみたいな方向を次々と試してやってきて、そうは言いながらも25年間、ITの世界のプロデューサーをやりつつ。

もともと社会福祉をやっていたのにITの世界に入った理由が、やっぱり世界を早く変えられるっていうことを、その業界の人たちが言っていて、その目で言うんだったら信じてみようという。

私はやっぱり人を信じるっていうことに関しては、その人がどういう肩書きかとか関係なく、多分すごいそこは自分の才能なんだろうなとは思います。

結局25年間、ずっとITの世界で、世界の最先端の技術をみんなに伝えてきたんですけど、二十何年たった後、自分の親がまだ限界集落で老老介護をしてるときに、「あれ、あたしって、そんな先端ばっかり追ってきて、うちの親は変わらず田舎で同じような暮らしをしてるよな」っていうので。

やっぱりどうにか社会を変えたいなっていうので小さな町に、人口7,000人の町に会社をつくって、どんな場所にいても同じような情報が得られるとか、同じような暮らしができるっていうことを目指した会社、たからのやまっていう会社をつくりました。

まずは一番成功しそうな場所を探す

奥田:ただ、「それ、どうして自分の町につくらなかったの?」っていうと、私は日本国中、全部探して、一番スピードが上がって、一番実現しやすい場所を選んで。

実は今日、ここに来る前に世界銀行の会議に出てたんですけれども、そこでもやっぱり貧困を救うっていうときに、一番成功しそうな場所を探して、そこで成功モデルをつくるのがいいっていう話があったんですけど、まさに私にとっては自分の町を変えるために徳島県って、何のゆかりのない場所に会社をつくって。

そこで一番いいあり方、ITの使い方みたいのが示せれば、どんどん飛び火していくだろうっていうところで、今ちょうど、1か所が2か所、3か所になりそうな飛び火する瞬間が、今まさにそうです。というようなバックグラウンドです。

大島永理乃氏(以下、大島):どうもありがとうございます。コンパクトにまとめていただきまして。たからのやまを立ち上げられたのは、ちょうど1年前でしたね。

奥田:そうですね。徳島っていう町に行って、何かプロジェクトをやろうと思ったのは、ちょうど2年前で、それは地方で頑張ってる人たちを日本国中に紹介するメディアをつくって、そのメディアで日本国中飛び回り始めたのが2年前で、おもしろいことを徳島でやってるぞっていうのを紹介して。

何回かって言っても2回なんですけど、2回通ったら、「あ、ここでもしかしたら、自分もプレイヤーになったら速度が上がるだろう」と思って、プレイヤー側になろうと思ってつくった会社がたからのやまで、昨日、まさに決算書類を終わらせて出したとこですね。だから2期目に入りました。

疲れたら疲れたなりの動き方でいい

大島:そうなんですねっていうことを涼しい顔でおっしゃってるんですけど、今週は本当に大変だったんですよね、奥田さん。

奥田:何が大変なのか最近もうよくわからなくって、歩いてて、右足が出た後、左足が出てるうちは、まだましかなとかって(笑)。

大島:どういう……(笑)。

奥田:つまり倒れないというか、動いてて、右足が出て、左足が出て、右足が出て動いてれば、まだやれるんだなっていう。走る必要もないし、ペースはそれぞれ違っていいので、ちょっとずつでも、ずり足でも何でも、動けるうちは動けるだけのことをやろうと思ってるので。

疲れてたら疲れたなりの動き方でいいやって私は思って動いてるので、実はすごい体力ないんですよ。

驚かれるんだけど体力はないし、数日前に50になって、更年期障害はあるしとかって、いろいろマイナス面を話せば話すほど、「えっ、うそでしょ」って言われるんだけれども、じゃあ、そこに合わせてペースを落としながらも、ちょっとだけ動くっていう。ちょっとだけが重なるから、いっぱい動いてるように見える(笑)。

2つの条件がそろったら動きなさい

大島:じゃあちょっと話を戻したいんですけど、ちょっと今日台本をつくってきたんですよ。初めてなんですよね、奥田さん、書店でのトークショーが。

奥田:そうですね。

大島:そうですね。

奥田:書店は初めてです。

大島:そうですよね、イベントのプロとして、たくさんやられてますけど。

奥田:はい。

大島:台本に、いろいろ書いたんですけど、ちょっと予定を変更して、今のお話をどんどん聞いていきたいと。

奥田:いいですよ、何でもどうぞ。

大島:はい。今、たからのやまをおつくりになられたと。しかも、それを2回行っただけで決めたというところに、少なからず衝撃を受けた方っていらっしゃるかなと思うんですけれども。それをどうやって、そのたったの2回で見極められたのかっていうところについて教えてください。

奥田:私、何かをやるときって2つぐらいの条件があって、まず何か困ったことがあるとか、あるいはちょっと何か、何でもいいから、ちょっとうらやましいなと思うことがあるって、この2つが両方全部そろったら動きますね。

どういう意味かっていうと徳島の事業の場合は、自分がやっぱり親を抱えて、実を言うと1年半ぐらい、うちの父、介護認定4で、ずっと毎月、今年に入って2カ月おきぐらいになりましたけど、会社つくる頃は毎月1回、この生活の中で介護に帰っていて、本当に、この生活どうにかしなきゃいけないなって。

でも母親の横にはいられないから、iPadとか渡して連絡取ろうにも全然使ってくれないしみたいな、そういう課題もあったし。

大島:鹿児島ですよね。

奥田:そうです、鹿児島なんです。もう1つが徳島に行ったときに、今徳島ってすごい、いろんなおもしろい人たちがいて、その人たちが次から次に、競争をするかのように、いろんな試みをやってるのを見て、単純に何かうらやましいなっていう。

私は東京でそれなりに、自分で言うのもあれだけど事業をちゃんとやって、それなりに成功もしてるんだけれども、この何か、ただワイワイとやってる、この人たちの生き生きしたものってなんなんだろうっていう。

単純にうらやましいって思ったときに、自分の中にモチベーションがある。それで何か人のことがうらやましいと思うってことは、これ動く以外何でもないよなっていう。

みんな多分嫉妬とか、うらやましい気持ちって、絶対消さなきゃ消さなきゃって思う人が多いと思うし、課題を抱えてても課題は頑張って解決しなきゃって思ってるかもしれないんですけど、その2点そろったら、動きなさいって言われてるっていうふうに思ってますね、私は。

大島:なるほど。

要領のいい人生ではなかった

大島:それが、いくつのときでしたっけ。

奥田:一番最初? 

大島:そうです。

奥田:一番最初は、インドに行くときですね。その前は、実は本当に地味な大学生でした。地味なっていうか暗くはないんですけど、自分が社会を変えられるなんてことを一切思ったことがなくって。

鹿児島の地方の大学にいる人ですから教育学部を出て、先生になって、ある意味ちゃんとした先生にはなれるだろうけれども、まさかそのひとりが日本の何かの節目とか変えられるとか、これっぽっちも思ってなかったですね。

大島:周りも、そういう。

奥田:周りも、みんな、そうですよね。

大島:ちょっと今思うと信じられないですね。

奥田:でも、みんなそうじゃないですか? 大学生の、東京で特別な活動をして、特別に注目されてる人以外は、自分が何か社会に影響を与えられるっていうことを思ってる人のほうが絶対的に少ないし。

多分ここにいらっしゃる方々でも、「いや私、社会変えられるけど」っていう、自信を持って言える人って、何かのきっかけがあった人であって、そんなにたくさんはいないと思います。

私の場合は、逆に自分では、すごく時間がかかった。あんまり、そんなに要領よく、ここに来てないっていう気持ちがあるんですよね。動いてる量を考えると、「誰でも私ぐらい動けば、これぐらい手にしてもいいでしょう」っていうぐらい動いてると思う。

とにかく動く量が半端ない

大島:なるほど。そこでまた次の質問なんですけど、動いてる量が半端ないんですけどね、ちょっと例えば、ここ1週間の動きを教えていただけますか?

奥田:記憶があるかな。1週間?

大島:はい。

奥田:あんまり過去を記憶に入れてなくって(笑)。

大島:気にならないんですね。

奥田:でも誕生祭もやったし。

大島:そうですね、これは月曜日ですね。

奥田:あと、その前の週とかは朝会もやって、でも本が書店に並んだのが23日だったと思うんですけど、23日の日に六本木で出版パーティーっていっても押しつけがましいのやりたくなかったので、awabarっていうスタンディングバーを借り切って店長をやって。

持ってきてくれたらシャンパン1杯無料ってやつで100人ぐらいに集まってもらって、その後は朝会2回やって、あと沖縄料理店の店長をやりました。

大島:やりましたね。

奥田:店長って自分やりたくてやったんじゃなくって、1回六本木のバーで店長やったら、うちの店でも店長やってくれみたいなのが4か所ぐらいからやってきて。

でも1つは六本木の料亭で1人2万みたいなとこだし、もう1つは場所を公開してない、もともとリッツカールトンのシェフだった人のレストランとかだから、「こんなんで2万とか取るんだ。何か押しつけの変なセミナーじゃないんだから」みたいな。

でも沖縄料理店は私のママ友で3、4000円ぐらいでお得な会をつくってくれるからって言われて、やったのが沖縄料理店の出版記念パーティーで、最後、全員で立って踊ってたっていう不思議な会で。

それこれ含めると大阪も行きましたし、大阪も講演2回行って。そうですね、だから1カ月に15本ぐらいやるんじゃないですか。

大島:そうですね、ということになりますよね。実はちょっと私もこういう方が初めてで。

奥田:昨日、何かあれでしょう、出版社のグループの飲み会で、どうやったら著者をそこまで動かせるんだって聞かれたらしい。

大島:(笑)。そうなんですよね。動かせてるっていうよりは、やっぱり奥田さんが日頃から、どんどん発信しておられるから周りから動くっていう感じですね。

奥田:そうですね。ていうか、私ちょっとでも自分がやれそうなことがあったら、やってみようって思ってるので。言ってしまえば私が本を出すっていうのは、私の力だけでできてるものじゃないので、やれるかぎり売ることに集中するというか、売る体験が初めてなの。

本を売るっていう体験が初めてで、自分の中の前例もないし、もっと言うと、言い方が悪いけど出版社がすごく大きくて、「おまえ、こういう方法やんなきゃ」っていう会社じゃないから。逆に「自分たちもあんまり、そんなショーとかやってないんですよね」って言うから、「じゃあ、これやってみよう、あれやってみよう」っていう。

何かが当たればいいなとかって思って、やってみたら結構どんどん当たってるみたいな感じで(笑)。

大島:そうですね、店員もたくさんね。

特技は「他人のチャンスが見えること」

奥田:でも、その代わり努力してますから。努力はしてますよ、やっぱり。何もしなくて皆さんがこの台風の日に、ここに来てくださるとは私は思ってなくって、やっぱりここに来てくださるからには無料の書店のショーだからっていって何も用意せず、ただふらっとやってきて帰るっていう思いはないので。

わざわざ新宿という場所に、勤めてる方も少しいらっしゃるかもしれないけど、おそらく足を運ばれてきている。何らかの誰かのつながりで。私の場合は幸い、そのつながりが見えやすいんですね。ソーシャルすごくやってるので。例えばこの人がこの人に声かけて、断られる姿まで見えたりするわけですよ(笑)。

Twitterで、Facebookとかで「今日、このショーがあるから、すごくいい、おもしろい著者だから行ってみない」って言われたら「その日、仕事あるんだよね」みたいなのが見えると、すごいモチベーションというか、やる気が湧いてくるので、見える社会っていいなって思って。

見える社会をつくってきたのも私たちだし、SNSがどんどん広まるようにとか、ITでコミュニケーションをつくるっていうこと自体を二十何年積み重ねて来てるので、そこの上に自分の本が載ったら、ある意味テストというか、何がどこまでできるんだろうと思って。

大島:そうですね、光栄なテストをされてますけれども。今ちょっとキーワードとして「見える」っていうキーワードが出たんですけれども、奥田さんはあれですよね、他人のチャンスが見える。

奥田:見えますね、見えます。それは見えます。

大島:特技ですよね。どういうことなんでしょう、それは。

奥田:他人のチャンスって、すごい見えやすいじゃないですか。この人は何を努力してるさえわかれば、その努力していることで、私の周りにあって、何ら役に立たない情報をあげればいいので。

チャンスが欲しければ発信すべき

奥田:あと見えてる範囲が、1人で見える範囲は狭いけれども、5人ぐらいが、例えばこの人は何が好きで何になろうとしてると思ったら、そのチャンスの情報をあげればいいよねって。何が好きですか?

大島:何!? イクラが好きです(笑)。

奥田:(笑)。だったら、本当に「イクラが好きです」ってそこで返されると、ポカーンってされるかもしれない。「イクラが好きです」って本当にイクラが好きなんだったら、「厚岸の私の友達のお父さんが町長やってるから、そこ行って」とかって話もできるし。

大島:そうですよね。

奥田:イクラって返されるとは思わなかったんだけど(笑)。私はちょっと音楽をやっていて、どんだけ段取りとってないかだね(笑)。

大島:そうですね。

奥田:みたいなことを言われれば、「私の友達にこういう道の、こういう人がいるから」って。

一番いい例は、私この前誕生会をやってもらったときに、元ジャニーズの、もうジャニーズ卒業して10年で、今はポップアートをコツコツ描いてる男の子がいて、その子のチャンスって何かって言ったら、みんなに見てもらう、買ってもらうことなわけじゃないですか。

大島:そうですね。

奥田:ってことは、人のチャンスが見えるってことは、この人の作品をどういうところにつなげれば、売れるって場所がわかれば、そこに持ってくだけの話だから。その作品見たときに、「ああ何かジャニーズの、この子が書いて、この作品だったら、あのおばちゃんたち喜ぶだろうな」みたいなのが見えるわけですよ(笑)。

つまりジャニーズだからっていう意味じゃないですよ。だから、どういう人が、どういう思いでそういう道をやめて、自分の好きなことを始めて、でもコツコツ10年やって、こんな素晴らしい作品ができてるよっていうのを見せられるっていうのは、すごいチャンスじゃないですか。

大島:そうですよね。

奥田:だからみんなもチャンスが欲しければ発信するっていうか、自分はこれが好きなんですよって言う。

相手が何で喜ぶかを考える

奥田:本当にさっきのイクラじゃないけど、私イケメン好きですっていうのを発信しとけば、周りといい関係だったら次々イケメンがいるところに連れてってあげますよ、私みたいなタイプだったら(笑)。

そうじゃなくても「絵が好きだ」とか、「写真が好きだ」だったら、「写真展、どこどこの市でやってるから、そこに出してみたら」とか、「写真好きです」だったら、ここで例えば「気仙沼のこういう大会があるから、そこ出したら」みたいなのって集まってくるので。

待ってるだけでチャンスは絶対来ないから、私は逆に誰が何の才能を伸ばしたら喜ぶかっていうことを、常に意識的にいつも人に会ったら見てますね。

人に会ったときに、この人って何したら喜ぶんだろうっていうのは、大体考えています。大体で考えて、それをやるかやらないかは、その人の関係性だけなので、でも好きでも嫌いでも一応考えますね、「この人はどういう人で、何をやったら喜ぶんだろう」っていって。

でも喜ぶことをする、しないのキーはこっちが持ってるわけだから、考えるのは別に誰でもいいじゃないっていう。

制作協力:VoXT