赤ちゃんだけは思いどおりにならない

大島永理乃氏(以下、大島):そんな奥田さんでもリーマンショックのときは結構大変なことがあったんですよね。

奥田浩美氏(以下、奥田):やっぱり思いどおりにならないときって、やっぱり人生に絶対何回も来ると思うんですね。私、リーマンショックのときもそうだったし、子どもが生まれて子育てっていうところにシフトする間の半年ぐらいは、もうダメダメでしたね、自分の……。

大島:どう?

奥田:今日も、ちょっと取材で言ってたんですけど、私ずっと管理職をやっていて、大体の人間って権威か、お金か、言葉で動くんですよ。でも赤ちゃん、動かないじゃないですか(笑)。

大島:動かないですね。日本語わからないですもんね。

奥田:そうそう、でも本当に思いどおりにならない人とか、思いどおりにならないことがあるっていうこと自体を、まざまざと見せられるのと、あとやっぱり、私それなりに計画性を持って、いろんなことを進めていたのに、その計画を必ず破るんですよ、子どもが。突然熱を出すとか。

大島:なるほど。

奥田:だから思いどおりにならないことの積み重ねが子育てなので、私は今は、それって素晴らしいことだと思っている。

会社がいろんな会社に社員研修とかリーダーシップ研修みたいなのに、数十万、数百万払って、ブートキャンプみたいなことをやるんだったら、子育てしてるほうがまだ絶対、会社のためにもなるよっていうふうに上がマインドを変えれば、本当は子育てっていうのは、それぐらい人を育てるものなんだよっていうことを思うぐらい。

リーマンショックの影響で1年間仕事が全くなかった

奥田:なので話を戻すと、子育てのときも大変だったし、あと一番最初のリーマンショックも、自分がいくら頑張っていても、世界のお金が凍結するっていうことがあることを初めて知りましたね。

実はバブルの頃に就職しているせいもあって、バブルも経験はしてるんですけど、バブルの時代って私は何らまだ富を持ってない頃なので、学生から就職っていうときに失うものはゼロだったわけですよね。

でもリーマンのときは会社がすごくいい状態まで来ていて、前もちょっと言いましたけど、90年代に奥田さんの歩いた後は草1本生えないって言われた時代があって。

それぐらい仕事をして右肩上がりみたいにやってた後で、仕事が1年間全くなくなって。うちほとんどが外資の仕事で、本にも書いてあったと思うんですけど、Googleさんとか、マイクロソフトさんみたいなところの仕事がほとんどだったので、それがパタッと止まった。

大島:ちょっと補足してもいいですか? 

奥田:うん。

大島:イベントの、お仕事ですよね。

奥田:そうですね、イベントって言っても、世界の最先端の技術が日本に入ってくるときに、ディベロッパーっていう技術者向けのイベントをやったりとか、イメージとしては幕張メッセとかで行われる、幕張の4、5、6、7、8ホールみたいなところで展示会をやって、カンファレンスをメッセのホールでやるみたいな。

一緒に会議やられた方もいますけど(笑)。

大島:奥田さんは、そこのボスとしていらっしゃるということですよね。

奥田:統括をしてました。

リーマンショック後に始めたひとつの活動

奥田:全体の統括はアメリカの、例えば企業だったり、団体だったりするんですけど、そこの間に立って私はカンファレンスと呼ばれる、会議側の事務局ですね。今も、今月末にやるGoogleさんの3,000人ぐらいの会議の事務局をうちの会社でやっています。今、私担当を外れてますけど、もう下が頑張ってくれているので。

大島:だから当時の海外の企業が、もう出展をやめるって言って、イベントの計画とかも立ち消えになったということですよね。

奥田:そうです。出展というか、開催をやめるっていう。

大島:開催自体をっていうことですね。

奥田:うん。ここは放映も何もないので言っちゃいますけど。

大島:一応、この後YouTubeの放映が……。

奥田:あるんだ。ある会議があって(笑)。Web何.ゼロみたいなやつなんですけど(笑)。それが本当になくなって、そこで次々と会議がなくなって。私たちの会議って半年ぐらい準備しなきゃいけないので、ある時期に1つ開催延期ってなったら、半年、1年ないわけなので、1年仕事がないと。

つまり何千万みたいのがポンッって途切れて、次の波が来るまで1年半ぐらい待たなきゃいけないっていう、そういう感じでしたね。

大島:というところですよね。

奥田:うん。

大島:普通だったら、もう途方も暮れそうなところを、そうじゃないっていうことがこの本に書いてある。

奥田:そうですね。多分、その経験がなければ今の私はないと思っていて、例えば1億の仕事を2億にしましたみたいな人は、そんな小っちゃいレベルじゃなく、いっぱい経営者っていると思うんですけど。

すごい時代がよかったなって思うのが、今プロボノっていう言葉があるんですけど、プロボノって自分が持ってる専門性を何パーセントぐらいは社会のために無償で還元しましょうっていうような動きなんですけど、それが私まだ言葉が社会に浸透してなかった時期にリーマンショックがあって、一歩も家からっていうか会社から出る案件がない。

でも会議がなくなったことによって、でも専門家たちは、やっぱり交流はしたいわけですよ、技術の交換はしたいし、「何かアメリカのほうでは、あの技術、何かやってるよね」みたいなのとかあって。

じゃあ、どうして何万円ももらった会議じゃなきゃ集まれないんだっけとか。私がやってた会議って大体、1人、4万から10万。

大島:1人。

奥田:1人、4万から10万円みたいなので、何日か出るような会議が主だったので。もちろん一流のホテルだったり、メッセの大きなとこだったりするから、それぐらい実際かかるんですけど。

でも社会的には、そういう情報って必要だから、だったらどうせ頑張って営業しても1円も取れないんだったら、自分が持ち出しがない範囲だったら、手弁当で何かそういうことを支えてみようじゃないかっていう活動を始めたのがリーマンの後。

大島:後ですね。

奥田:それも自分が先頭切って始めたんじゃなくって、私の周りの人も、やっぱりつらい思いをしていた人がいて、まさにリーマンに勤めてた人がいて(笑)。

大島:そうなんですね。

奥田:そう、だからつらいのって、私の会社もつらかったけれども、あんな高収入得てた人が突然リーマンで終わりってなってるような人が周りにいて、じゃあ何しましょうねっていうときに、とりあえず社会のためになるようなことをコツコツやりながら、立て直していきましょうっていうことが、今の。

だからそういうのって見切り発車どころか、何が何だかわからないけど、少なくとも他人から必要とされることを1つずつやっていきましょうっていう感じでしたね。

インドでの挫折体験

大島:でも、わりと奥田さんが生まれてから今までの50年を振り返って、常に、私一部しかまだわかんないですけど、キーワードとして「人のことを考える」っていうのがある。

奥田:必要とされるっていうのは、ちょっと、かなり考えますよね。それはやっぱり私、22歳から25歳までの、すごい挫折っていうのがあって、22から25に、私ムンバイでマザーテレサの施設研究をしていて。

あとはインドの社会の幼い子たちで、売春で売られてくるような子たちの更正プログラムとか、やっても、やっても、結局私には何もできないみたいな。何もできない2年間を過ごして、学業も、卒業はギリギリしたんですけど、ビリから2番目で。

大島:そうだったんですか?

奥田:ビリから2番目で、そのビリは誰かっていうと、インドのカーストの中での一番下の層、つまり位も外されてる層の人で、いわゆるインドの中では、このパーセンテージは、そこの層から、不可触賤民の層から入れましょうっていうふうに決めて入れられてる人なので。

つまりもともと試験のレベルには達してないような人が入れられて、その子が私の、一番ビリの子だったっていうぐらい、勉強もできないし、社会に出ても、社会福祉って社会がわかってるから福祉ができるわけで、社会がわからない私がいくらもがいても、もがいても、何ら役に立たないという。

親がよかれと思って伝えた価値観も30年前のもの

奥田:この話は、ちょっとやっぱりしたほうがいいかなと思うんですけど、ネパールとか北のほうから売られてくる8歳、10歳みたいな子が体を売って商売をしてる子たちを集めて更生施設に入れますと。

入れて2年間ぐらいタイプを教えたり、刺しゅうを教えたり、文字を教えたり。2年間やって。あと、そもそもそういう商売をすることはいけないことだって、罪悪感を教えるわけですよね。

でも2年して14歳ぐらいになりました。14だからもう社会に戻しましょうっていうと、でも身寄りのないそういう子たちって、結局は就職なんかできるわけもなくって、また同じそういう施設というか、体を売るような場所に戻っていくと。

戻っていった後の様子をたまたま聞くと、結局、罪悪感を植えつけて返すから、その後自殺をしてしまうとか、結局私たちって2年間かけて、私もすごいつらい思いをしながら社会福祉っていうのをやってたけど。

「その子たちに私、何ができたんだろう」みたいなことが、自分が直接やれてなくても、やれてもいないのに、そういうことを現実が突きつけられると、もともとじゃあ人間って、自分が思いどおりのことを頑張ってやるって教えられた日本の社会って、そもそも頑張ってやったことが人のためにもならないみたいな(笑)。

やればやるほど、「これって何も持ち帰れないな」っていう。なので2年間、ムンバイ大学社会福祉修士っていう名前をここに書いてますけど、「じゃあ何を持ち帰れたの?」って言ったら、本当に何も持ち帰れてない。

でも唯一今考えると、私がよかれと思ってあなたに勧めることが、あなたにとっていいものとは限らないという、その価値感だけは持ってきてるので。だからここの本の中の根底にある、親がよかれと思ってあなたを育てて、あなたはそれに従って一生懸命、期待に応えるような進路を進んでいこうとするけれども。

親の育った価値観のバックグラウンドは30年前に教えられた世の中の価値観だから、今のあなたがそれをやることが、必ずしも正解じゃないよっていう。

本には借り物の言葉は一切使っていない

奥田:それがまた文化が変わればそうだしっていう。そういうすごい深い部分のことを持って帰ってきて。日本ではだから、私は基本的に大島さんと話していても、大島さんが私が言っていることを全部、同じ思いでいるとはハナから思ってないわけですよね。

だから、まだ会って数カ月だから、この本を通して半年前ぐらいにちゃんとつき合い始めたぐらいだから、まだ私のことはきっとわからないから、わかってもらう努力をしなきゃっていうふうに思えるのがそういう経験だから。

でも日本人って、わかってもらう努力すらしないで、「なんでわかってくれないの?」って、「なんで上司、私のことわからないの?」って、「あなた上司とそんな毎日ご飯食べたりしてますか?」みたいな(笑)。

大島:ドキッとしますよね。

奥田:そんな感じです。

大島:なるほどですね。でも、それにしてもインドでのお話だったりですとか、かなり濃い部分をこちらに書いていただいたんですけど、私がバサバサ削った部分もありますよね。

奥田:インドの話は、ほとんど皆さんに汎用性がないから。つまり「こんな生活は普通できないから、そういうこと書かれても、みんな試せませんっ」とかって言われて。

大島:ちょっと別の言葉なんですよ。大体、そういうこと。

奥田:(笑)。大体、そういうことだよね。書けば書くほど、「いやあ、このインドの経験は、みんな経験できませんからねえ」とかって言って。

大島:そういう。皆さん、そういう伝え方はね、しないと思うんですけれどもね。

奥田:(笑)。バサバサ切られて、切られてって言っても私の中ではやっぱりこの本を書いた根底は、今娘が15歳になったんですけど、中3に。その彼女が、じゃあどうやって親が過ごしてきて、自分のヒントが何があるかみたいなものを1つ残したいなって思って書いたので、彼女が言うことも一理あっている。

かなり、あるというか。娘に、じゃあ私の道をたどるためにインドに行けって言うわけじゃないじゃないですか。

としたら、この日本で、もしかしたら海外に出るかもしれないけれども、何かすごく普遍的な、誰にでも経験できるようなこととかを交えながら書いていこうってことと、あと私、見聞きしたことで、例えば何とかの心理学みたいなのを書き写したものって一切ないと思うんですよ。

つまりほとんどが自分の経験の中とか、自分の向かい合った状況の中からしか、この本は書いてないので。例えばギブとテイクみたいなの、何か本を読んで、「やっぱりギブは大事だよね」っていうことを書いてるわけでもないし、「やっぱり嫌われることを恐れるな」みたいな心理で書いてるわけでもない。

そういう意味では結果的に書いたことが、いろんな人が読むとびっくりするのが、「奥田さんのこの本って、何とか心理学のあれですよね」とかって、かなり言われるんですよ。

それはすごいある意味嬉しくて、自分の経験の中から生まれたってことは、人間やっぱり経験に基づいた上に真理があるんだから、「あっ、普遍なんだ、それは」っていうのが、すごく逆に嬉しいですね。

かっこいいの裏側には「やりたい」が隠れてる

大島:本当にこの本は、100パーセント奥田さんジュースみたいな感じですもんね。

奥田:いえ、希釈、希釈(笑)。薄めてるってば(笑)。

大島:薄めてるんですけれどもね。ちなみにこのトークショーは、やっぱり本をたくさんの人に読んでほしいということですんで、ちょっと本のことについても触れていきたいなって思ってますけれども。

それでは、いくつかちょっと伺いたいなって思うんですけれども、この短い間でも、すごく読んでくださる方も多くて、ブログに上げてくださる方も、すごく多いんですね。

奥田:多いですね。

大島:ちょっと自慢ですよね。

奥田:それはね。

大島:中でも、結構私が「いいな」って言ってくださることが多いかなって思うのが、「かっこいいことをやろう」っていう、このキーワードにすごくピンと来る人が多いのかなと思うんですけど、これどういうことなのか教えていただけますか?

奥田:かっこいいって、人生、絶対かっこいいことだらけで生きられるわけがないので(笑)。ってことは、最初からかっこいいことをやろうと思わないかぎり、かっこよくはならないんですよ。どう考えても。

「この程度でいいや、この程度でいいや」って言ってたら、この程度のことにしかならないけど、でもかっこいいことをやろうと思って10個やったら、大体7個ぐらいはやっぱりかっこよくないけど。

最後1、2個かっこいいことになるっていうふうに思ってるのと、あとは私、その瞬間、瞬間は、そんな人間かっこよく生きられると思ってなくて、でもかっこいいっていう言葉の裏側って、すごくシンプルで、やっぱり自分が一番やりたいことなんじゃないかなと、そんなふうに。

やりたいことを探すと過去に縛られる

大島:なるほど。やりたいことを探せっていうんじゃなくて。

奥田:そうそう、「やりたいことを探しなさい」って言うと、みんながいろんなことを条件づけて「いや、こっちに行ったら将来性があるし」とか、「こっちに行ったら、お金がもらえそうだし」。だから「やりたい」っていうのは、みんなの希望とかも含めた「やりたい」になっちゃう。

自分が「やりたい」って言っても、親の希望だったり。「せっかく何とか大学の修士の理系の電子工学科まで出たんだったら、やりたいことは当然その線上にあるから、何かのエンジニアにならなきゃ」って思うのが人間なんだけど。

そのときに「えっ、あなたは、こっから先、何をやったらかっこいいの?」っていうときに、過去を見ないじゃないですか、やりたいことを考えるので。

だから言葉をただ頭に浮かべて、かっこいいって何だろうっていうふうに思うのがいいし、あと人間はかっこいいことしか他人は協力してくれません。

大島:どういうことか教えてください。

奥田:だから何か社会にとってかっこいいって思うことだったら、ほかの人は協力してくれるけど、誰かのためのお金になるとか、誰かのための権威になるとか、誰かのための利益になるみたいなことにほかの人は絶対協力しないけれども。

例えば私が「地域の高齢者が置かれている状況を変えたいと思うんです」っていうときに、こそばゆいぐらい自分でかっこいいなと思うんだけど、それを言葉にしてかっこいいことをひたすら動き始めると、みんなやっぱり協力してくれるんですよ。言葉だけじゃ動かなくて。

だからかっこいいことを考えようじゃなくて、かっこいいことをやろうなんですよ。

大島:考えるだけじゃなくてね。

奥田:うん。

人間は失敗している人が好き

奥田:そこに動き始めると、今度は人間っておもしろいもので失敗してる人が好きなんですよ、誰もが(笑)。

大島:誰もが。

奥田:だって成功した人、応援したくないでしょう、基本(笑)。

大島:はい。申しわけないけど、そうですね(笑)。

奥田:そうですよね(笑)。だから、かっこいいことを言って、かっこいいことをやりながら失敗を繰り返してる人って、ほとんどの人間が好きなんですよね。

だから「海賊王に俺はなる」って言って、何ら障害がないまんま、宝物いっぱいになりましたって人は誰も応援してくれないけど(笑)。

いろんな敵が現れて、ほかの章にも物語の主人公になろうみたいな章があったのは、まさに一緒で、物語って、あるところにきれいなお姫様がいました。翌朝、王子様に見初められてハッピーエンドっていう本は誰もおもしろくないわけで。

大島:確かに、そうですね。

奥田:これだけ困難があるけど、その人の思いが詰まってるみたいなことに対しては、周りはすごく協力的ですよね。

制作協力:VoXT