『左ききのエレン』は1発書きで描かれていた

小林琢磨氏(以下、小林):続きまして、次のテーマ「『左ききのエレン』のつくり方」に移っていきます。

この『左ききのエレン』って、いろんなインタビューで聞かれてると思うんですけど、1発書きで描いているって本当なんですか? 

かっぴー氏(以下、かっぴー):今は違いますが、最初の頃は1発書きでした。1発書きって意味がわからないと思うんですけど、本当に1発書き。要はネームを切らないという意味の1発書き。

小林:ネーム切らないんですか!? 

かっぴー:ネームも作画も1発書きだった。A4のコピー用紙でこう置いて、そこに線を引いて、コマ割りをして絵を描き始めるじゃないですか。でもその時に、次のページはおろか、次のコマすら決まってない……。

まぁ、さすがにそこは決まってるかな。でも、その話がどう終わるかはまだ決まってない。

けんすう氏(以下、けんすう):すごい。

かっぴー:だから本当に読者しかわからない話で申し訳ないんだけど、ファッションショーのシーンがあって。超スーパースターのファッションモデルがステージを歩くというシーンがあって。

それを主人公のエレンが見るっていうシーンがあるんだけれど、その時に最初描き始める時のなんとなくのイメージだと、ファッションショーを見終わった後に、次の話に普通に行こうと思ったんですよね。

でも、ファッションショーを描き終わった後に、エレンがすげえ反応をするってわかって。

これはネタバレだけど、そこからエレンが鼻血を出すシーンがあるんですけど、鼻血を出すって、前のページを描いている時に決まってなかったんですよ。

小林:えーっ! そのレベルっすか!? 

かっぴー:その次のページを描く時に、「あ、これは主人公は鼻血出るわ」と思って。

小林:もう、超リアルタイムで物語ができているわけですね。

かっぴー:だからもう、ライブペインティングです。第1部は。

けんすう氏が選ぶ『左ききのエレン』名セリフ1位は?

けんすう:けっこう『エレン』って話が時系列が飛ぶじゃないですか。5年後の話をやって、また戻って、次は2年後みたいな。そういう描き方をしていると、話が破綻したりしないんですか?

かっぴー:それが破綻しなかったんですよね。チェックポイントは決めてて。

美大に入るとか、美大を卒業する時にニューヨークに行くとか、年表レベルでは決まっていて。だからそういう意味だと決まっているんだけど。

でも、その年表と年表の間は決まっていないから、そこはアドリブ。ライブペインティング感覚で描いているというか。

だから全部決まってないは、ちょっとさすがに言い過ぎたんだけど(笑)。

小林:でもすごいっすよね。

けんすう:ね、すごい。

小林:そして『左ききのエレン』といえば、名セリフの多さも特徴的だと思うんですけど。今アルさんのほうで、 『左ききのエレン』の名セリフ総選挙 をやってますよね。

けんすう:はい。やらせていただいております。

小林:この企画の詳細を教えてもらってもいいですか? 

けんすう:そうですね。『左ききエレン』はやっぱり名セリフが非常に多いので、読者のみんなで「このシーンがよかった」という会話が最初になされている漫画なんですね。

アルにいるライターさんとも、よくそれで話したりして。これ1回投票して、何が1位になるか見たかったというのがまずあって。

かっぴー:なるほど。それ、俺も見たいわ。

けんすう:こんな感じで、僕がこれ、セリフを選ばせていただいて。

(https://alu.jp/series/%E5%B7%A6%E3%81%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%B3/BestLinesElection/より引用)

小林:けんすうさんが全部選んでくれたんですか? 

けんすう:そうですね。

かっぴー:ありがとうございます。

小林:ちなみに、けんすうさんが一番好きな名セリフって何になるんですか? 

けんすう:僕はこれだと一番下にある、「完成や」っていうあれが、僕の中では1番なんですけれども。

かっぴー:いや、絶対そうだと思った。絶対そうだと思ったよ。

(一同笑)

原作者が語る、リメイク版も読んでほしい理由

小林:これ、原作にはないですよね。リメイク版にしかないシーンですよね。

かっぴー:そう! だから、「原作版を読んだことあるけどリメイク読んだことないや」っていう人も多いと思うんですけど、本当にリメイク版マジで読んでほしい(笑)。

小林:『左ききのエレン』の正しい読み方は、原作を読んでリメイクを読んで第2部を読む。これが本当に正しいですよね。

副読本じゃないですけど、やっぱりリメイクを読んでないと、第2部100パーセント楽しめない、というとちょっと語弊はありますけど。

かっぴー:でも第2部はリメイクの続きとして書いてる。変な話だけど……。だから続きと言うか、リメイクの後に描いていることを強く意識しているものです。

かっぴー:というか、いいですよねこのシーン。僕も好きですね。

小林:ちょっとネタバレになっちゃうんですけど、背景を話して大丈夫ですかね? 

かっぴー:大丈夫です。

小林:これは柳というすごく怖い敏腕デザイナーがいまして。ちょっと性格に難ありの凄腕デザイナーと、主人公がずーっとやり取りをしてるんですけど、ずっとボツが出されて。

ずーっとボツを出されて。でも最後の最後にOKが出て、「完成や」みたいなシーンですよね。もう映画の『セッション』を見てるような感じでした。

けんすう:ここ、好きですね。

小林:というかたちで、ただいま『左ききのエレン』の名セリフ総選挙というのもやっていますので、ぜひみなさん参加していただければなと思います。

一同:お願いします! 

かっぴー:僕のTwitterの固定ツイートにちょうど入っているので、よかったらお願いします! (注:本企画は11/25を以って投票終了)

小林:そんな感じで、『エレン』って名セリフが多いなと思っていて。そこが読者を惹きつける理由の1つなのかなって思っています。

けんすう氏が分析するエレンがヒットした要因

さてここからは、けんすうさんに質問をしていきたいな思っています。

次のテーマは『左ききのエレン』が読者を惹きつける理由なんですが、ご自身も『エレン』の大ファンと公言するけんすうさんに、少し解説をしていただきたいなと思っております。

かっぴー:出た! 

けんすう:はい。ではちょっとめくっていただいて(笑)。

まず僕は漫画家じゃないので、コンテンツの中身について話しても説得力がないかなと思ったので、こんなのを持ってきました。

それはメディアの3Cというものです。“メディアは、コンテンツ”、“コンベア、コンテナ”の3つがあると言われることがあります。

“コンテンツ”は、いわゆる中身のことですね。

そして、”コンベア”がそれを届ける方法です。コンテナは、コンテンツが掲載される媒体、というような意味です。基本的に漫画というコンテンツは、今まで雑誌っていう媒体のコンテナに載っていて、それを本屋などへの流通に乗せてコンベアで読者に届けるみたいなかたちが一般的でした。

それで『エレン』の場合は、コンテンツは言うまでもなしですね。漫画として非常に優れています。違うところは、コンベアとコンテナです。コンベアはSNSを主に活用していて、そこで一部の熱狂的なファンを作って、『ジャンプ+』という王道の場所に持っていったところが非常に優れていると思っています。

コンテナは『cakes』という漫画を描くには選ばれなさそうな場所。基本的にテキスト情報のメディアですが、そこで連載を始めたことが特徴です。cakesの読者さんってスマホがメインなので、初めからスマホでやっていたのが非常に大きかったかなと思います。

SNSの活用についてですが、いろんな漫画家さんがすでにやられているので、やってるよって思う方も多いと思うんですけど。

やっぱり1話を載せてバズらせて認知を上げる、という感じの使われ方が非常に多いんですね。これはこれで効果があるんですけど、『エレン』の場合は、どちらかというとプロセスを楽しめるような感じで、じっくりと人気を獲得していったと僕は思っています。

“届け方”と“掲載場所”を変えた新しい戦い方

けんすう:さっきの年表を見て、けっこうあっという間だったよねというのは、みんな『エレン』を読み始めて4年とか追いかけている状態なのがすごい。漫画作品とSNSを組み合わせている漫画家はそんなにいないと思っているので、そこがすごいと思ってます。

また、コンテナに競合がいないというのもおもしろいなと。基本的にcakesは文章を読むサイトですし、従来のcakesの漫画とジャンルとも違うんです。

これが最初っから漫画アプリとか、雑誌に載っていると、いろんな漫画と戦い続けるんですけど、『エレン』の場合はcakesに載ってるので、先ほど言ったとおりベンチャー経営者など、cakesを読む層に刺さっていった。「普通の漫画雑誌は読んでないけどcakesだったら読んでる」とか。

小林:うーん、それはありますね! 

けんすう:SNSをよく使っているという人が初期に気付けたので、ゆっくり認知と人気を獲得していける環境だったんですね。というのがあって、ファンも増えて勝ち筋が見えたところで、アプリが非常に強い『ジャンプ+』にリメイク進出をするという。

やはり階段を2つに分けたことが、非常に頭のいいやり方だなと思っています。

なので、もちろんコンテンツ自体が素晴らしいんですけど、“届け方”と“掲載場所”まで含めて、このやり方をしたのって、たぶん『エレン』が初めてで。けっこうエポックメーキングな出来事かなと、僕は分析しております。

小林:プロセスを楽しむって感覚は、実際かなりありましたよね。 

けんすう:そうですね。少年ジャンプとかで、「次が楽しみだなぁ」と思う感覚とはぜんぜん違うような、プロセスの楽しみ方だったような気がしていますね。

漫画原作者と宣伝のリアル

かっぴー:たぶんね、今リアルタイムで読んでた人とそうじゃない人で、ちょっと差が出てる可能性があるなって。

俺ね、たまにエゴサするんですけど、僕に対してすごく怒ってる人がいたの。結果から話すと、すごくうれしかったし、「あーそこまで来たか」という感じだったんだけど。

僕はずっとインディーズでやってたから、自分でめちゃくちゃ宣伝するし、「もう宣伝なんかしたくない」とか言いながら宣伝するじゃないですか。そのメンヘラ感も含めて昔から知ってる人は知ってるというか。

小林:うんうん。

かっぴー:本当はもっと漫画家らしく、どんと構えて、自分で宣伝なんかしなくても漫画を読まれるようになりたいと思っていたのね。

でも、やらなきゃいけないから、やらなきゃ誰も読んでくれないし、誰もシェアしてくれないから、自分で何かある度にちゃんとツイートしてた。

そしたら、この前見た僕に対して怒ってる人が、「『左ききのエレン』があそこまで人気になったのは作画のnifuniさんと集英社のおかげだろ! なんで作者があんなに自分の手柄みたいに……」って言われてて。

けんすう:ははははは(笑)。

かっぴー:なんか『あれオレ詐欺』みたいになってて。原作者が「あれ、俺の仕事」みたいに言ってるのが気にくわねぇ! みたいで。   それは、完全に俺の仕事だと思うし、原作者が当事者じゃないんだとしたら、誰の作品なのよ……もう誰もだめじゃん! みたいな(笑)。

まぁ、そこは置いといても、前提として、「あそこまで人気になったのは」って言って見てくれている。でもね、「原作者ごときが騒ぐな!」って言ってる人がいたんですよ。

けんすう:うんうん(笑)。

かっぴー:確かになんかちょっと、「俺、あれ?」と思ったんだけど、俺が宣伝しなくても立派に自走してるんだなって思って。それは嬉しかったのね。

けんすう:確かに。ちょっと手が離れた感がありますもんね。

かっぴー:まさにそうで、手が離れた感。「もうお前のもんじゃないぞ」って言われた気がして。「あ、なんかエモいな」と思って。

ただ、ミュートしたけどね。

(一同笑)

漫画家はSNSをどう使うべきか

小林:でも、ここら辺はありますよね。SNS見過ぎると心に悪いというか。いい意見だけ出てくるならまだしも、悪い意見も出てきちゃって。個人的には悪い意見って作家さんは見なくてもいいんじゃないかなと思ってるんで。

かっぴー:ぜんぜんいいと思う。

小林:だから、あんまりSNSでの意見を気にせずにね。

かっぴー:そうだよね。ちょっと話脱線するけど、エゴサはしなくていいと思う。

漫画家さんが見ていらっしゃると思うんですけど、エゴサはぜんぜんしてもしなくてもいいし。やっぱりインディーズでTwitterとかを使ってやってるから、エゴサはしてたんだけど、最近しなくなって。

なんでかというと、褒められすぎてもなんかわけわかんなくなるというか。

小林:あぁ、なるほど。

かっぴー:俺ぐらいエゴサを極めちゃうと、褒められすぎてよくわかんなくなるのよ。 褒めてる部分が違ったりすると、それで嫌になっちゃったり。

(一同笑)

かっぴー:褒めりゃいいってもんじゃないの。

小林:厄介(笑)。

かっぴー:てなると、読者からすると、「じゃあ、見ないでください!」ってなるじゃん(笑)。

(一同笑)

かっぴー:読者はきっと好きに感想言いたいんだから、俺はもう見ないようにしています。なるべくね。

でも今日はいつもと違うぞという時は、見たりするんですよ。下手すると傷つく人がいるかもしれないなとか。そういう時はちょっと見て、確認はしています。でも、基本的にエゴサはマジで意味ないと思ってますかね。脱線しちゃったけど。

『左ききのエレン』ファンに多様な推しが生まれるわけ

小林:いえいえ。他にも『左ききのエレン』が読者を惹きつける理由って、けんすうさんがロジックで説明してくれましたけど、感情的にも揺さぶられるところってたくさんあるなと思ってて。

けんすう:ある! めちゃくちゃある!

小林:けんすうさんの好きなシーンとかってあったりしますか? 

けんすう:僕が好きなのは、会社の中の論理ですね。『エレン』ってどういう話かと言うと、やっぱり“天才と凡人の話”だと僕は理解していて。

会社の中の論理だと、社内政治も入ってくるし、競合とどう戦うのかとか、交渉とか調整をどうするのかっていう、めちゃくちゃリアリティな内容が存在する一方で、エレンの中では、天才たちの世界も描かれているんです。

その天才たちの世界は、もうふつうの人にはまったく理解できない世界なんですよ。例えば、2人のキャラが一緒に絵を描くみたいな時に、絵を描いていればお互いにすごい深いところまでわかり合えちゃうみたいな。

それが天才の見ている世界です。その一方で、凡人の見ている世界は、一生懸命社内政治をまとめて、競合と戦って、一生懸命ものを作ってプレゼンしてみたいな。そういう泥臭いところもあって、この対比の描かれ方がすごい。そこが好きですね。

かっぴー:いや、もう素晴らしいです。ありがとうございます。

でもそうですよね、もう本当に両極端。ビジネスマンの人は代理店編が好きだし、他の人はニューヨーク編が好きだし。けっこう2つの作品をがっちゃんこしたような作品なんで。

小林:それすごいわかります。「僕は朝倉光一がめちゃくちゃ好き」っていう人もいれば、「流川俊がいい」とか「エレンがいい」とか、「岸あかりがいい」みたいな。『エレン』本当に好きって分かれますよね。

ちなみにけんすうさんは誰が一番好きですかねぇ? 

けんすう:えぇ! 難しいなぁ……。岸アラタかな。

かっぴー:意外! アラタなんだ。でもアラタは意外と人気あって。

小林:僕はどう考えても光一が大好き。光一は俺だと思ってますから(笑)。

けんすう:確かにあれ、自分だって思えますよね。

小林:そうなんですよね! そこがまた『左ききのエレン』の魅力なんじゃないかなと思います。