2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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松村圭一郎氏(以下、松村):これは最後のスライドです。「なぜ文化人類学は役に立たないのか?」。まず、「役に立つ」というのが、どういうことなのかということです。
「役に立つ」というのは、「あるフレーム内で有意味なこと」を指しています。例えば、多くの方がこの連続シリーズに関心を持たれたのは「どうやったら就活に成功できるか」とか、「売上を上げるにはどうしたらいいのか」「昇進するにはどうしたらいいのか」という目的があって、その目的を達成するために役に立つことを話してくれるはずだと思うからですよね。
でもここで私の話を聞いた人は、がっかりするわけです。1つも役に立たない。就活にも役に立たない。売上にも関わらない。昇進もしない。つまり、今日は役に立たない話しかしなかったのですが、でも、ここで言う「役に立つ」というのは、つまりもうすでにそこに特定のフレームがあるわけです。フレームの中である価値・意味を持つことで、成功とか失敗に見えるわけですよね。
松村:でも、それは別のフレームや、フレームの外の人にとって見ると、ぜんぜん違うものになり得るわけです。例えば、売上を上げると言ったって、すごく詐欺的な商売をやっている人とか、あまり効果がないものを、効果があるようにして売上を上げるのは、そのフレームの中では成功でも、社会にとっては有害かもしれない。
フレームの中での成功は、別のフレームから見ると、まったくよくないことかもしれない。つまり、成功とか失敗が決まっているように見えるのは、固定したフレーム内でのできごとだからなんです。
人類学のようにフレームそのものを問い始めると、いったい何が成功で失敗なのかが定まらなくなる。だから、よくわからなくなるわけです。
なんでこんな話を聞かされているのか、だんだんみなさんも不安になって、わからなくなったと思うんですけれども。これは逆に言うと、私たちが役に立っているなと思うのは、フレームを問わないことで、あるできごとが役に立つとか役に立たないとか言っているに過ぎないわけです。
だから、人類学が役に立つフレームを想定することはできるんだけれども、一般的な世の中のよくあるフレームでは、まったく役に立たないということなんです。
松村:こういう役に立たない人類学なんですが、役に立たないからこそ役に立つこともあるという話を、いちおう最後にしておきます。これは学生にも時々話すんですけれども、私たちは人生のどこかで絶対不幸になるというか、10年後、幸せになっているかどうかは誰にもわからないですよね。
でも確実に言えるのは、10年以内に何か嫌なこととか、すごく落ち込んでしまうこととか、気分が暗くなってしまうようなできごとに出会う確率は、かなり高いわけです。
人間の最後は死ですから、誰もが死ぬわけで、幸福より不幸のほうが確実なわけです。でも問題に直面して自分のことを肯定できなくなるとか、出口が見えないとか、行き詰まって落ち込んでしまうみたいな時に、自分を追い詰めている固定的フレームを問うことは、実は私たちが生き延びるために必要な作業になるかもしれない。
フレームを問うと、例えば「仕事ができない」とか、「失敗してしまう」とか、「能力がないと言われる」みたいなできごとは、その会社の持っているフレームの中で起きていることであって、個人の問題というよりも、フレームの設定自体に問題があるのではないかと問うことができるわけです。
それは、私たちが生き延びるための別の隙間を見つけていくというか、フレームをずらすことで自分たちの身を守るみたいな、そういうふうに(人類学の考え方が)役に立つことがいつかあったらいいねと、学生には話しています。
森正樹氏(以下、森):ありがとうございます! 「なぜ文化人類学は役に立たないのか」ということで、今、視聴されている方の反応を見ていると、松村さんがおっしゃったように、「何の話だったんだ、今日は?」という部分と、今まで自分が働くとか仕事、何か役立てていこうかと考えていたものとかを思い返して、足元が揺らいでいる感じではないでしょうか。我々スタッフも、冷や冷やしながらも刺激的な時間でした。ありがとうございます(笑)。
森:では、ここからは、事前にお申し込みいただいた方の相談タイムに入っていきたいと思います。松村さんにご相談したいと、たくさんの方にご応募いただいたんですけれども、今回はお一人です。Oさん、こんにちは。
O氏(以下、O):こんにちは。
森:ありがとうございます。Oさん、20代というところだけプロフィールが出ているんですけれども、よければ簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか?
O:はい。私は現在、障害者福祉のNPOで働いています。旅をするのが好きです。松村先生の話を、「まさに私はそうです」と思いながら聞いておりました(笑)。ただの松村先生のファンの一人です。今日はよろしくお願いします。
森:よろしくお願いします。そんな松村さんのファンのOさんが、今日は聞きたいことがあるということで。1つずつ聞いていただけたらと思います。まず、質問の1つ目です。
O:1個目は、松村さんが人類学の道に進もうと決めた時に迷わなかったのか、「これでいいのかな?」と思わなかったのかというのが聞きたいです。
質問の意図としては、私は旅が好きで、スナフキンのように生きたいと思いながら仕事を始めたんです。でも、働き始めるとぜんぜん旅をしている暇がなく「好きなこと、何だったっけ?」と思います。海外に行きたいと思っていたけど、「行けるのかな」みたいな不安がすごく出てきて、ドキドキする感じがすごくあります。松村さんは今の道に進まれたときに、そういう迷いとかの経験があるのかなということをまず聞きたいです。
森:いかがでしょうか、松村さん?
松村:迷いだらけですよね。10代後半から大学に入る頃って、何をやって生きていけばいいのか、ぜんぜんわからない。なんとなく「研究者になりたい」みたいなのは、ちょっとあったんですよね。それは、「自分が得意なことって何だろう」と考えた時に、この間、久しぶりに思い出したんですけれども、私の特技って独り言だったんです。
O:ええっ?(笑)。
松村:さっきの、変な独り言の人みたいな感じですけど。(自分は)ずっと独り言を言いながら、何かブツブツ考えているなと、中学生か高校生くらいの時に、気づいて。
松村:自分が得意なことって何か。得意かわからないけれども、自分の特徴は「よく独り言を言っているな」「ブツブツ考えているな」みたいな。ブツブツ言いながら考えているみたいなことはあったなと、たぶん20年ぶりくらいに思い出したんですけれども。
だから、研究者はそうやって考えたりすることが仕事にできると思って大学に入った。でも、何の研究をしたらいいかぜんぜんわからないわけです。文化人類学も知らなかったし。でも国際関係論の授業を取ったり、文化はちょっとだけ興味あるなと思って、たまたま人類学の授業を取ったら、フィールドワークをする授業がおもしろかったんです。
そうなって、「じゃあ人類学を勉強しよう」というのはなんとなく固まってきたんですが、でも研究者になるって、本当にすごく時間がかかる。大学院に最低でも5年は行かなければいけないし、エチオピアにもたまたま行くことになった。その時に何を考えたかというと、大学に入ったのが1997年の時ですけれども、「1999年で世界は滅びるはず」だったんです(笑)。
O:ノストラダムスの(笑)。
松村:若い方は知らないと思うんですけれども、1999年で世界は滅びるはずだったので(笑)。だから、本当に好きなことをしようと。
松村:親とか周りからは「将来のことを考えて大学を選びなさい」とか言われるわけですけれども、「もう世界は滅びるから、好きなことをしよう」というので、自分の好きなことを仕事にできたらという思いで大学に入って、研究者を選んだら1999年が過ぎてしまうわけです。滅びなかったんです。「困ったな」と。また生きなければいけない。そこで自分に課したテーゼが、「Last 10 years」。
最後の10年。「10年で世界は滅びる」という。1999年は過ぎてしまったけれども、2009年には滅びるはずだとというか、自己暗示ですけれども(笑)、そこまでしか生きないと考えるなら、自分は何をしたいかと言ったら「今はこれをやりたい」と。
もちろん、そう考えながら、現実的にどうやったら生活できるか、奨学金を借りたりとか、結婚式の宴会バイトとかもいっぱいやって、働いたりもしたし、現実的には生活をどうするかとか、いろいろ戦略的に考える部分も出てくるわけですけれども。
でも今、先のことはどうなるかはわからない。研究者になれるかどうかはわからないけれども、好きなことをやろうと、自分が自由にできるような自己暗示をかけてきたところはあったかとは思います。すみません、長くなりました。
森:ありがとうございます。まさか、ノストラダムスが出てくるとは(笑)。ノストラダムスの延長線によって、今、結果的に。
松村:結果論なんですよね。たまたま、本当に仕事って巡り合わせとタイミングなので、能力が高い人から就職できるわけでもないわけで、たまたまマッチしたということですよね。
森:今、けっこう響いた方、いらっしゃるのではないかと思います。ちなみにOさん、まだ聞いてみたいことがあるんですよね?
O:そうですね。このイベントに参加している方で、松村先生の本を読んだ方、多いのではないかと思います。私も『うしろめたさの人類学』を読んで、表現とか世界観とか、そういう考え方とかにすごく「あっ、いいな」となりました。そこで日常生活で埋没しがちな考え方とか言葉とか価値観って、どう忘れずに生きていけるのかというのを聞きたくて。
どうしても目の前の仕事で、「これをやらなきゃ」とか、「締め切りがあるから間に合わせなきゃ」と思ってしまって、大事なことを大事にできていないのではないかと思いながら、でも放っておくという毎日になりつつあって、どうしたらいいんでしょうか(笑)。
松村:読んでいただいた『うしろめたさの人類学』の、「はじめに」のエピソードが、まさにフレームの話ですね。「北山のおっちゃん」という変に見えるおっちゃんが、カナダ人夫婦と普通に会話して普通に別れていったのは、今日の話に引き付けると、「彼をおかしくしていたのは、こちら側のフレームを作っている人間なのではないか」という。
『うしろめたさの人類学』でやろうとしたことは、自分がエチオピアと日本を往復しながら感じてきた違和感を、どう捉えたらいいかということ。
本当に些細なことですけれども、エチオピアに行ったら物乞いの人に「金をくれ」と言われて、その時に「あげていいのかな、駄目なのかな」とか「やめておこう」とか「どうしよう」とか、最初にエチオピアに行った時から、研究のテーマとぜんぜん関係ないところで、ずっと私にとっての小さな問いだった。北山のおっちゃんも、日常のバスの中で見かける気になるおっちゃんでしかなかったわけですよね。
それを出会ってから10年以上かけて言葉にしていく作業をしていて、それは私が研究する立場になって、そういうことを考える時間とか余裕をいただける幸福な職場にいることもあると思うんです。
松村:だから、『うしろめたさの人類学』で私がやったことを、たぶん誰もがそれと同じようにできることではない。そういうふうに言葉で表現したり考えたりというのは、みなさん一人ひとりが同じようにやる必要もないと思うんです。
みなさんがやる代わりに、私たち研究者は、いただいた時間とか余裕をそういうものに振り向けて、読んでくださった方が追体験できるとか、自分が感じている違和感に「こういう言葉があると、自分もすっきり物事が見えたな」みたいなことを考えてもらえたらいいなと思いながら、言葉を紡いできたところはあります。
自分がいつも気をつけているのは、一つひとつの自分が話している言葉とか、世の中で話されている言葉に、ちょっと立ち止まること。今日もちょうど、高校生がいろいろ自分で調べたことを発表する会を見に行ったんですけれども、「街の活性化」とか言うわけです。でも「活性化って何?」(笑)。面倒くさいおっさんですよね。せっかくがんばって調べてプレゼンしたのに。
「イベントをやって人が来たら、それは活性化しているんですか?」とか。「何をもって活性化している? 街が活性化するって何なんですか?」みたいなことから気になるわけです。何気なく使ってしまうんですけれども、少子高齢化とかでもいいですが、「少子と高齢化ってどういう関係なの?」とか、「具体的にどういうものとして表れているの?」みたいな。
具体的に考える。私自身がやっていることしかお話できないんですけれども、具体的に考える。使っている言葉とか概念が詰められていない、あまり考えずに使っている部分があるのではないかという疑いを自分自身に投げかけるとか。
でも、それはけっこうしんどいことかもしれない(笑)。だから、私はそれを、独り言が得意という特技を活かして、「活性化とか何やねん」とか、一人でブツブツ言っているみたいな。そういうのが好きな人は、そういうふうにやればいいと思いますけれども。
松村:日常に埋没するというのは、フレームの中にあることしか見えていないということだと思うので、この話の延長で言うと、時々外側のフレームを思い描いてみる。
海外に行く必要もなくて、例えば海外の本を読むだけでも、そこに描かれている生活は、現実の中、自分が囚われているフレームとは違うフレームで生きている人たちの姿がある。それを想像するだけでも私たちは自由になるし、たとえ海外に行っても、自分が日本で暮らしているフレームを引きずってそのまま行ったら、ぜんぜん自由ではないわけです。
よくアメリカとかに留学して帰ってきて、「やっぱり日本がいいと思いました」とか「日本人でよかったと思います」みたいな感想を言う学生がいるわけです。「それなら、行く必要なかったやん」と思うんです。「何してきたの?」と。つまり、自分が生まれ育ったフレームを持っていって、それを固めて帰ってくるんです。
O:なるほど。
松村:(自分のフレームを)揺さぶらないのでは、ぜんぜん行っている意味がないです。自分のフレームを壊して別のフレームを獲得していくことが、世界を広げていくことだし、ちょっと自由に、自由というのは難しいですけれども、囚われから離れる道かと思うんです。質問の中にも自由という概念に触れられている方がいましたけれども、それくらいしか言えないかな。
森:ありがとうございます。Oさんと一緒に、私も松村さんの講義を受けているみたいな気持ちです(笑)。貴重なお話、ありがとうございます。
O:ありがとうございました。
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