「主人を殺したのは私です」

ナレーション:半年前、主人を亡くしました。自殺でした。主人は体がとても弱く働く意思はあるのですが、仕事に体がついていけず、不況のおり、失業してしまいました。毎晩のように主人の愚痴を聞きながら私は働き続け、子供たちを大学にやり、大企業と呼ばれる会社に就職させるところにまでこぎつけました。

しかし、ふと「私の人生って何だったんだろう?」と虚しい気持ちに襲われたのです。そんな時に主人がまた「体の調子が悪い」といってもどしてしまいました。私はイライラしてしまい思わず「いつまで私を働かせるつもりなの」と言いながら泣いてしまいました。

その翌日、主人は自殺してしまったのです。主人を殺したのは私です。この先、私は「主人を殺した」という自責の念を背負いながら生きながらえていかなくてはならないのでしょうか。

積もり積もっていたものが形になった

瀬戸内寂聴氏(以下、寂聴):まあ、よくそういうことがありますよね。今女が強くなりましたからね。ご主人が体も弱いし生活能力も低くて、奥様のほうが生活能力が強いって、そういうことよくあります。経済力があると。これは昔は反対でしたけど、今はもう男が弱くなってますね、女は強くなってますよ。ですから反対なんですよね。

ですから、この方はね、子供を、あんまり能力のないご主人と別れないで一生懸命自分が働いてですね、子供を大学までやりました。立派に就職までさせましたってね、何ていうのかしら、やっぱりね、うぬぼれがあったと思いますね。その、言い方があれでもね。

そこまでしましたって、私はちゃんとやってる。それなのに主人はまだグズグズグズグズして、ちゃんとしなくって、帰ってきてもどして、その場にもどしたりする。

体が悪いからもどすんですよ。体が良かったら誰ももどしませんよ。もどせって言ったって。そういう時にね、思わずそういう言葉を吐くってことはね、その瞬間じゃなくてずーっとね蓄積してたのね、奥さんの中で。だから、とっさに出たんじゃないんですよね。もう言いたくてたまらないんだけど我慢してたのが、そういうちょっとしたことでね、パッと出たの。

ご主人がその言葉に傷ついてね、衝動的に死んだんじゃなくて、ご主人のほうはまた、ずっとね、いつ死のうかと思ってたんですよ。気の毒でね。その、妻に苦労をかけてるってことがね。自分が不甲斐ないってことをね、わかってたと思いますね。

黒田あゆみ氏(以下、黒田):でも、自分がその、死に追いやったって自責の念で。

寂聴:でも、それは仕方が無い。誰だって、長い間ご主人が働いてくれなくて、身を粉にして働いて、そして何かだらしないと思えばね、それは起こしますよね。だけど、それで、自分が追いやったっていうんじゃないけれども、優しくはなかったでしょうね。だから、そのことを後悔なさったらですね、あとはご主人が安らかになるように、やはり、忘れないでね、供養してあげるしかないですわね。

そんなことをお子さんも責めはしないですし、誰もそうは思いませんよ。世間は口さがないからそういうことを言うかもしれない。でも、そんなことは世間が悪口言ったって、世間が慈英金払ってくれるわけじゃないんだからね、そんなこと、放っておいたらいいんです。

黒田:世間に養ってもらっているわけじゃない。

寂聴:そうそうそう。だからご自分がね、済まなかったっていう気持ちがあればね、仏教っていうのは懺悔ですから、完全な人間なんかいないんですよ。だから、この奥さんが気が弱くって、メソメソして、お父ちゃん一辺倒だったら、この家はもっと早くね、崩壊してますよね。

だけど、ふたりのお子さんをちゃんと教育して、一人前にしたんですから、この奥さん立派な人ですよ。だからね、それを、ご主人がありがとうとも言ってくれないですし、誰かに褒めてもらいたいと思っても誰も褒めてくれない。そういうのが積もり積もって、それがそういう形で出たんですけど、この奥さん、決して悪い人じゃない。

それで、自分を責めてますからね、この方は本当に根は優しいんですよ。ただ、優しいばっかりじゃ、そういう頼りないご主人の家を守っていけないから、ついつい、気の強いほうが表に出て、やってきたんだと思います。

ですから、これからはね、気を楽にしてですね、そしてご主人の菩提を弔って、もう働かなくていい、息子たちが一人前になったんだから、一生懸命やらないでですね、自分だけが楽しめる程度にしてね、余生をね。だから好きな事をして生きていって欲しいですね。

ご主人は決して恨んでない。決して恨んでない。迷惑かけたなって自殺していったんですよ。ですから、自分が能力がないことを恥じて。だから、そんな自分を責めることはないと思いますね。

懺悔と供養は自分のために

黒田:本当にね、そのご主人にしても体のことだとか考えるとお気の毒ではありますよね。

寂聴:誰が悪いとかじゃないのね。その組み合わせが、たまたま強いのと弱いのが一緒になった。だけど、だからこそね、その家庭が守られてる。お子さんがふたりも立派に育ったんですよ。ですから、その、優秀なお子さんを弱いご主人にしろね、与えてくれたんだからね、やっぱりそれは感謝してですね、その人と一緒にならなければもっと違う子供が出来てたかもしれないでしょ。

ですから、懺悔しながらね、懺悔はしなきゃならないわね。だから、懺悔しながら、そして、懺悔と自分を責めるってのは違うんですよね。懺悔するってことは、仏様あるいは神様に、私は至らない者です、って懺悔するんであってね、それは心から懺悔すれば許してくれるんです。

もう充分、この方は、もし罰があるならば受けてますからね、もういいんです。あとはね、ご主人の冥福を祈って、「定命」といって、定まった命がありますから、いつ死ぬかわからないけど、命召されるまでですね、楽しく生きたほうが、ご主人の霊が安心すると思いますね。

黒田:残ったものの思いは、懺悔だけでよろしいんでしょうか。

寂聴:だって、じゃあどうするの? それしかないじゃない。懺悔して、ごめんねって言って、でもその時は大抵ね、自分を責めるんですよ。ですから充分してるんですよ。だからそんなことをね、くよくよしないで、生きてる間は私としては一生懸命したんだけど、至らなかったわねっていうことで、ごめんねっていうくらいで。

お酒が好きだった人は、生きてる間充分飲ませてあげられなかったなと思えば、お酒を供えるとかですね、子供は虫歯が出来るとおもって甘いものを制限したけど、今はもう虫歯がないんだから、さあお食べって言って、好きなものを供えるとかしてね。

それも結局は、自分の慰めですけどね。仏様の前に、仏壇の前にお花を供えるじゃありませんか。みんな、仏様に供えるんだから、向こう向きにね、綺麗なほうを見せるけど、みんなこっち向きに綺麗なほうを見せてるじゃないですか。

それは私、考えたんですけど、仏様はね、お花を供えて、綺麗な花だねって、ありがとう。お前たちもご覧なさいってね、くるっと回してね、こっち側に見せてくれると思うんですよ。それはだんだん、わかってるから、始めから面倒くさいから、はいって、くるっとこちら側へ向けてるんじゃないかなと(笑)。

私の考え方はそうですけど。それは、仏様は許してくれててね、さあご覧なさいってことじゃないかなと。

結局ね、お墓参りすると自分の心が安らぐんですよ。そういう風でね、全部こっちの気持ちですよね。相手がそれを求めてるんじゃないと私は思います。だから、お墓を作ったり、法事をしたりしますよ。それは忘れないために、残されたものがね、欲しいんですよ。

だから亡くなった人がお墓を建てろ、とか言ってないんですよね。残された者が、亡くなった人のことを忘れたくないから、だからそうやって1周忌、3周忌と、ちょうど忘れるころですよね。じゃないかなと、私は思うの。

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