家庭で暴力をふるう息子の素顔

ナレーション:次男は20歳。高校受験に失敗し、いわゆる三流高校に進学しましたがすぐに退学。それ以来自宅に引きこもったままです。

そしてここ数年、私たち夫婦に暴力をふるうようになりました。ほんのささいなことで逆上しては、家中のものをバットで殴りつけてメチャクチャにしたあげく、止めにはいった私たちにまでバットで襲いかかったり、首を絞めたりします。そのたびに殺されるのではないかと思います。

病院の心療内科にも通院させましたが、続きませんでした。カウンセラーから「両親とも家を出るべきだ」と忠告を受け、私たち夫婦が家を出てはや2ヵ月となりました。またあの暴力が始まるかと思うと、帰るに帰れません。私自身、もうノイローゼです。

瀬戸内寂聴さん(以下、寂聴):その人、そのお母さんね、本当にうちに見えて話を聞いたんですけど、すごく立派な方なのね。教養があって、美しくってですね、本当に立派な人なんですよ。それでも、とにかくお子さんの暴力が酷くて、もう、どうしていいかわかならいって言ってらしたんですね。

そのお子さんをね、うちに来させるようにしたんですよ、私が。そしてね、庭掃除させたんですよ。あなた、何にもしないでご飯食べるなんて、そんなことはダメよって言って。何かしなさいって言ってね、草むしりくらい出来るでしょって、させたんですよ。

そしたらちゃんと草むしりするんだけど、続かないんです。結局、とにかく集中力がないから。草だけむしっても、すぐ、ここに座ってもう何にもしない。「草むしって!」って言っても、「もう疲れた」って。そういう調子なんですよ。だから、もう本当に集中力の無い子になっちゃったの。何をしても集中力がない。どうせ僕はダメだからって投げやりになる。

それでもね、何かね、私がね、まあ、草むしりするからそんなもの着てないでって作務衣着させたらね、これは嫌だって着ないんですよ。どうしてって言ったらね、これは僕が好きで買った服だって言うの。なにかのブランドなんでしょ。

でもそれ、洗濯しないから臭いのよ。だから私ね、頼むから、臭いから、洗ってあげるからその間は作務衣を着てって、作務衣着せて、その間に洗濯をしたんですけど。でも、そういうこだわりがあるのね。

だから、あなた何も出来ないけどね、草もろくにむしれないけど、美意識があるのねって言ったんですよ。そしたらすごく喜んだの。それで、色彩感覚があって着るものにもこだわるのねって言ったらね、そうだって言うんですよ。それで、何になりたかったのって聞いたら、デザイナーだっていうんですよ。それはいいわねって。

なりたいものがあるって、とても良い事よ。デザイナーになるには、デザイナーになる学校があって、そこを出なければなかなかなれないのよって。だから三宅一生とかみたいになりたければ、やっぱりちょっと学校へ行って基礎を勉強しなきゃねって言ったら、だから僕は文化服装学園かなんかに入ろうと思って受験した、って言うんですよ。

それでどうだったのって言ったら、見事に落ちたっていうのね。それで、落ちたからもうそれっきりなの。だけどね、そんなの何度も挑戦したらって言ったんですよね。他に能力がなくっても、あなたはその美意識があるしね、この服だって洗濯してなかったから臭かったけど、洗ったらなかなか良いわねって言ったら、とてもニコニコする。

想像力の欠如が招く結果

寂聴:それでね、いろんな話を聞いたら、やっぱり原因があったのね。二人兄弟で、お兄ちゃんがいたんです。お兄ちゃんが非常に学力優秀だったの。お母さんはそのお兄ちゃんがとても良いから、自慢の息子だったのね。弟がやんちゃでね、学校が出来なかったの、そのときね。

その度にね、あなたはどうして、お兄ちゃんはこんなに良く出来る、どうしてあなたは出来ないのって、事あるごとにお兄ちゃんを引き合いに出して、弟を、まあ励ますつもりでしょう、お母さんは。それが彼のコンプレックスになったんですね。そして、自分はお兄ちゃんより劣った人間だ、だからお母さんに愛されてないって思ったんですよ。

だからたいていね、暴力的になる子供とかには、原因が必ずあるんですよ。いつからそうなったかっていう原因を見極める事が、一番大事ですね。

――親子でもそれを。

寂聴:ないの。もうだって、怖い怖いでしょ。だから一番最初に暴力ふるったときに、何でそれが始まったかってことがわからない。みんな忘れてるからね。わからないんだけど、結局、こっちを向いてもらいたいんですよ。

最初にお母さんが出ていって、お父さんはやはり家を守りたいっていうんで残ってたの。だけど、お医者さんに言われてお父さんも出て行ったんですよ。大きな家にその子ひとりになったのね。

それで、何かね、小火を起こしかけて、町に火をつけたって大騒ぎになった。ところが、横に消化器をちゃんと置いてあるんですよ。ですから、ぼうっと燃えて、それを一生懸命消化器で消して、だから火事にするつもりはないの。そういうことをすれば、みんなが自分のほうへ寄ってきてくれる。お父さんお母さん、帰ってきてくれる。そういうサインなんですよね。

ところが近所の人に聞くと、その子をみんな褒めるんですよ。優しい子だって。親御さんはお金持ちで威張ってて私たちを眼中に無いようだけど、あの子は優しくって、歩いてて咳をしてたら、おばさん、風邪引いたの? って言ってくれる。あの子はいい子ですよって、みんな言うの。

だから、ひとりで残されたっていうとね、気がついたら差し入れがはいったりするんですよね。だからそれは、お母さんは非常にインテリで立派な方だけれどもね、息子の心の中に入っていく努力が足りなかったと思いますね。

――今からどう向き合えばいいでしょう。

寂聴:やっぱり、その前に聞いてあげるべきね。何が不満なのか。要するに、暴力をふるいたいんじゃないんですよ。暴力をふるう前に、自分のほうに向いてもらいたいんですよ。それを逃げるでしょ、親は。怖いからね。それで、カウンセラーのお医者さんが逃げろって言うでしょ。それが余計、彼を凶暴にするんであってね。やっぱり命懸けで向き合って欲しいの、一回。

――命懸けで向かい合う。

寂聴:うん。そりゃ、迫力があって、あえてそんなことはしませんよ。でもあなたが産んだ子でしょ。殺されても側にいてあげなさいって言ったんです。

――たとえば今、不登校とか、引きこもりとか、内外にいろんな問題はあると思いますけれども、非常に、親として良かれとしてやってきたことが、なぜこんな結果になってしまうんだろう。

寂聴:想像力が足りないんです。

――親がですか。

寂聴:うん。だから子供が悪くなるのは、言い過ぎかもしれないけど、全部親が悪いんです。そういうとみんな、親御さんが怒るんですけどね。でもよく話してると、ああそうだったって、認めますよ。だからどっかでボタンの掛け違いがあるの、良かれと思ってても。

それは想像力がないので、相手が何を一番求めてるかってことが、わからない。スカタンのことを与えるからね。だからそれは治らない。

死刑囚へも見舞いに行く、母親の無償の愛

――そうすると、例え自分の子供に殺されるかもしれなくても、やっぱり食い下がって。

寂聴:私はそう思いますよ。食い下がってって言うよりね、憎んで食い下がるんじゃない。愛を持って、殺されてもいいってくらいの覚悟で向き合えばですね、それは相手に通じます。

――対するものが、逃げない。

寂聴:逃げないことですね。だって逃げたら、そりゃしようがないじゃない。逃げたら自分の身は安全かもしれないけど、自分の子供を、人ひとりをダメにしてしまうでしょう。

――親子の愛っていうのは、夫婦は切れてしまえばそれっきりってことがありますけど、親子ばかりは、たとえ勘当した、法律的には親でもない、子でもないという場合でも、やっぱりどこかで。

寂聴:それはね、情でもって向き合うんですよね。これは情だから仕方が無いですよ。例えば死刑宣告で(拘置所に)入ってくる人がいますよね。そのお母さんが、やはりずーっと見舞ってますよ。親しか会えないんです、死刑の宣告が決定すると。誰も会えない。弁護士と親しか会えないの。

そうすると、そのお母さんがずーっと見舞ってますよね。子がそういうことをして、親は肩身が狭いでしょう、世間にね。だけど、ずーっと支えてるのね。そうすると、その死刑囚が俳句を作って、お母さんに対する感謝の、とか詠んだりすることがあります。そういうのは、もしお母さんがいなければ、その死刑囚はそれはとても辛いんじゃないでしょうか。

――本当に突き放されたというか。

寂聴:親があればこそってのは、それですよね。世間がどんなに悪いと認めても、親だからすべてを許すんです。親だから、その場合はそのお母さんの愛こそ、本当の無償の愛ですよ。息子を見舞って、何も返って来ないのよ。それこそ屍骸しか返ってこないと思いますよ。しかし、見舞わずにいられない。これが愛ですよね。

だからそれが無償の愛。このお母さんの愛は、もう割愛じゃなくて慈悲の愛ですよね。何も返ってこないんだもの。最後は死刑か、でなければもう獄死でしょ。決まってる。だけど自分しか行かれないと思って行く。こういうのが無償の愛なんですよね。

――今、男女の愛、それから親子の愛っていう、とっても不確かな、不確かだけど何かすがりたい。愛情のあり方、あるいは肝に銘じるべきあり方って、愛し方って。

寂聴:私出家してね、もう、徹底して肝に銘じていることは、人間は孤独だということなんです。

寂聴:人間は孤独だから、本来孤独だからね、孤独がさみしいから、愛する人を求めるんですよ。そして、話を聞いてくれる人が欲しい。それから、愛したら抱擁したい、抱き合いたい、そうしてお互いが、お互いの体で温め合いたい。これがセックスになるわけですね。ですが、それは孤独だからなんです。

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