大企業をスピンアウトして気づいた「大きな勘違い」

廣岡伸那(以下、廣岡):ちなみに今、スモールスタートという話があったんですが、橋本さんは自分にとっての「これはスモールスタートだったな」とか、もしくは「スモール失敗」は何かありますか?

橋本玄樹(以下、橋本):事業まではいかなかったんですが、昔バンドをやっていて。曲を作って、集客、物販、PR、広報、すべてやらないといけない。バンドなんてベンチャーみたいなもんなんですよね。

廣岡:そうですよね。

橋本:それがうまくいかなくて、考えるじゃないですか。次に東京の青山で整体をやってたんですが、ビラを配ってもお客さんが来ない。さっきも「失敗していくのが一番大事だな」とおっしゃっていましたが、「どうやったら来るんだ」「尖らないといけない」とチャレンジしていった。

廣岡:なるほど。ベンチャー界隈では、失敗を「実験」と言う人もいますよね。スモールスタートの中での失敗はどういったものがありましたか?

平田勝則(以下、平田):大企業出身者で起業した場合だと、やはりそれが身に染みつき過ぎちゃっていて。聴衆のみなさん、偉そうで鼻についたらごめんなさいね。僕は30代後半でだいたい年間2,000億円ぐらいの予算を振り回して、1万人の兵を率いて、年6,000億円くらいの新事業を作っていたんですよ。

廣岡:うわー。

平田:その感覚の尺でスピンアウトしたんですが、「俺に金さえくれれば、人、物集めてバーっとやるよ」と。半導体のマーケットから見たらそういう感覚なのですが、いち個人になった時の自分の立ち位置を現実的に把握したり、投資家・金融界がどう見るかがわかりませんでした。

自分の志で辞めたんですけど、この話を大手町・丸の内でするとよく言われたのが、辞めた理由が「本当は辞めた理由、これかこれでしょ」とか言われたり。

(一同笑)

平田:「これがシャバなんだ」と。スモール失敗というか、やっと初めて普通の人間の目線になれて、最初の2年くらいは本当に大きな勘違いをしていたことに気付かされました。

ビジネスが軌道に乗り始めたきっかけは『下町ロケット』?

藤野英人(以下、藤野):同じ経験がありますよ。起業する前にゴールドマン・サックスというアメリカの超巨大企業で働いてて、年収5,000万円くらいもらっていたんです。

それで会社を辞めたら、ある僕の親友が言ったんですよ。「君、勘違いしちゃいけない。君の信用はゴールドマン・サックスにあって、君にはないんだ。だから、辞めたらみんな友だちや人がいなくなる」と、すごく現実的なアドバイスをしてくれたんですよね。それで、実際に辞めたらその人がいなくなったんですよ(笑)。

(一同笑)

藤野:「自分のことか」と思って(笑)。

平田:その方は自分に言い聞かせてはったんですね。あるあるですね。

廣岡:ちなみにお聞きしたいんですが、平田さんが起業されたご年齢は?

平田:45歳です。

廣岡:45歳なんですね。そこもけっこう(起業の大きな)テーマですよね。

平田:それなりの収入を得ていましたが、「あと何年、全力で全世界飛び回ってやれるのか」「このまま我慢して自分の夢捨ててやるのがいいかな」と思った時に、週刊ポストで『下町ロケット』の連載をやってたんですよね。

秘書さんがいつもそれを持ってきてくれて、「佃さんになりたい」と思った。2015年のドラマ『下町ロケット』、実は帝国重工をコネクテックジャパンで撮影をやっていますので、ぜひうちのHPを見てください。人の縁ってわからんなと思って。帝国重工の役で出た瞬間から、銀行がお金を貸してくれるようになった。

廣岡:なるほど。

(会場笑)

平田:人の風はわからないな、という。

廣岡:やはりメディア戦略ですかね。

平田:攻めていけば道は開けるんじゃないですか。

廣岡:ありがとうございます。

守るべき伝統と、新たにチャレンジする攻めの姿勢

廣岡:佐藤さん、どうでしょうか。

佐藤正樹(以下、佐藤):成功がない中で、ものづくりを守っていかなくちゃいけない。自分の作った仕事と、あとに残さなくちゃいけない仕事の両方がある。私は自分でブランド作ったりいろいろやっていますが、これも私の代でなくなっても別にかまわないかなと思うんです。

ただ、代々伝わってきたものづくりは正直(責任が)重くて。社員を抱えて、その人たちに給料を毎日払い続ける。一応グループ全部を合わせると450人ぐらいの社員がいるんですが、その人たちの給料を毎日稼ぐとなると、残さなくちゃいけない技術は正直かなり重くて。

うちも最初はすごく苦労したんですが、新しく展開をしているビジネスにおいては、発想とか新しい挑戦が大切です。ものづくりを守ることはものづくりを知ることから始まったので、かなり現場でものづくりをして実際のマーケットを知っていきました。ただ、よそと違っていたのは、どれだけマーケティングがどれだけできるか。

マーケティングの中で「売れる」と言われたものをやらずに、次の時代がどうなっていくのか。うちもセーターを作る会社でありながら、ランジェリーのワコールさんのニットをうちで新しくやったりとか、アウトドアのTHE NORTH FACEのニットも全部うちで作っていたりと、新たな分野をいろいろやっているんです。

そういうふうに、まったく新しいマーケットをゼロから生み出す。それをブランドとともに日本から世界に売っていく、新たな大きい分野のビジネス。大手と組むということは利益率が低いので、工場を回す仕事の両軸が必要ですね。

ビジネスは「どうやって夢を作るか」もポイント

佐藤:小さいビジネスはダイレクトに消費者につながるということで、非常に利益率が高い。それだけだとものづくりは維持できないので、小さいビジネスの中に幸福価値を作って、いかにものづくりをする人たちに高い給与や環境を作るか。背負ってきたものを守ろうと思うと、両方が必要です。

特に私は地方をビジネスのベースにしているので、地方はどんどん過疎化が進んでいるので、流通の改革をしないと。

廣岡:東京、大阪ね。

佐藤:どうやって人を集めるかとか、そういう人たちとどうやってビジネスをしていくか、どうやって夢を作るかが非常にポイントなのかなと思います。

藤野:佐藤さんのお洒落な髪型もマーケティングですか?

(一同笑)

橋本:そうなんですね。

佐藤:一番最初はこんなんじゃなかったんです。私の名刺は「糸作家」という名前になっているんですが、最初は糸作家としてテレビに出てたんですよ。(当時は金髪で)「インパクトがあるな」と思ったんです。

そのあとに普通に戻ったら「金髪にしてもらわないと」と言われて、どんどん派手になって、こんなに長くなっちゃった。パリコレの時期に金髪でパリを歩いていると、「佐藤繊維、佐藤繊維!」と声をかけられました。当時金髪のアジア人っていなかったもんですから、金髪にしていなかったら私はなかったかもと思うくらい。

(一同笑)

藤野:ですよね。

佐藤:インパクト。

平田:僕も金髪を目指してみようかな。

橋本:でも、金髪にするという行動力がある人はなかなかいないですよね。

(一同笑)

橋本:「人の目を気にしてしまう」とか。

藤野:僕らも金髪にしないとね。

廣岡:次、金髪でしあわせますか。

佐藤:緑の髪(別セッションに登壇した高木新平氏)もいましたけどね。

橋本:(笑)。

廣岡:いたいた(笑)。

藤野:変な奴。

平田:(金髪にしたら)たぶん、社員が僕のことを相手にしてくれなくなるかも(笑)。

「地域課題」のほとんどは、日本全体の課題でもある

廣岡:今「マーケティング」という言葉がありましたが、地方ならではの地域特性は切っても切り離せないところかなと思うんですが、藤野さんがさっきおっしゃられていた「どこに行っても」という話があったじゃないですか。あの話いいですか?

藤野:実は富山県では、「富山県で起業するのはけっこう難しいと思いますね」「富山県は特殊なんです」とよく言われるんですね。

橋本:(笑)。

藤野:「長老が支配しています」「非常にコンサバティブです」「新しいことを受け入れる文化がありません」「特殊な環境の中でどうやって生きたらいいでしょうか」と言われるんです。

私は全国津々浦々に行くんですが、山形県でも「山形県は特殊なところなんです」「長老が支配しています」「若い人を受け入れません」「新しい技術受け入れません」と言われるんですね(笑)。

(一同笑)

廣岡:どこに行ってもありますよね。

藤野:全部そうなんですよ。だから、実は「地域課題」と言われているもののほとんどが、日本の課題なんですよ。そうすると、この課題を解決した人は全国で勝てる可能性があるんですよね。

廣岡:そうですよね。

藤野:「地方課題ではなく、実はこれは全国の課題だ」と思って、その課題をどうやって埋めるのかをすごく考えるといいと思います。

「偏見」を逆手に取って利用する

藤野:あともう1つとても大事なのは、僕らってすごく偏見に満ちてた世界に生きているんです。

「若い人は」「男は」「女は」「日本人は」「富山県人は」とか、逆に偏見を使っちゃえばいいんですよ。逆利用です。「富山県なのに」「若い人なのに」「シニアなのに」というみんなの期待の逆をやると、すごく目立っちゃうところもあるから、偏見を利用することも考えるといいんじゃないかなと思いますね。

廣岡:なるほど。その点、橋本さんはどうでしょう。

橋本:僕、偏見を感じられないタイプなんです。

廣岡:感じ取ってないのか、感じていないのか。

橋本:感じられないです。そういう能力がないんですよ。

(一同笑)

橋本:3年前に東京から移住して北海道で事業を始めたんですが、敵がいるらしいんですよね。「お前のことを嫌いな奴がいる」とか、そんなんばっかりなので、敵に気付かないんですよね。

廣岡:特殊能力を手に入れていますね。

橋本:偏見を感じられる能力がないので、そういう人(敵)が多いということなんですかね。

藤野:それも強味じゃないですか。

橋本:そう思います。

藤野:それを活かしているんだと思うんですね。

北海道のある町が、数十年ぶりに人口増加したワケ

廣岡:橋本さんは移り住んだ起業だと思うんですが、なぜそこに行きついたんですか?

橋本:北海道大樹町はホリエモン(堀江貴文)がロケットを飛ばしているところなんですが、なぜロケットを飛ばしているのかをちゃんと自分で調べて、腑に落ちたんですよね。なので、ここだったらチャンスがあると思いました。

北海道大樹町にはロケットがあるから、ロケットに関わることで自分も飛躍できるんじゃないかなという可能性をすごく感じたんですよ。

廣岡:なるほど。

藤野:北海道の大樹町ってすごいんですよね。なんと、40数年ぶりに人口が増えたんですよ。

橋本:そう。下げ止まって、増えたんです。

藤野:その理由の2つは間違いなくロケットなんですが、実は小麦の奴隷(の影響)もあるんじゃないかという話もあって。この2つの要因で人口まで増やしたのだから、すごいベンチャーが出ると人口も増えるんですよね。

廣岡:間違いないですね。

平田:橋本さんは同じ京都伏見出身で、伏見の人口はご家族が減った分あちら(北海道の人口が)が増えた。

廣岡:なるほど、そういうことですね。

(一同笑)

平田:京都の星ですわ。

廣岡:(笑)。

平田:歴史に基づいたものづくりって日本全国にあります。僕らは最初京都の長岡天神というところでスタートしたんですが、どんどん技術の見極めができてくると「じゃあそれをどこでやるか」になる。

グローバルで勝つには、ローカルの強みを活用する

平田:なんで新潟県妙高市で(会社を)やったかというと、直江津は明治維新以降、貴金属の鉱物の輸入港で直江兼続が開いた港が今も使えて、深くて、鉱物が上がる。

直江津から諏訪(長野県)を経由して、上野までの間に中間加工工程が全部あって、最終的に東京で完全な鉄鉱石や金属ができる。ある意味半導体のシリコンバレーで、今も信越化学は直江津でシリコンウエハーを生産し、大きな世界シェアを持っています。

廣岡:すごいですよね。

平田:半導体直接というよりも、半導体に使われる材料を流すための搬送装置やセンサーやモーターなんて言い出すと、実は上越から諏訪までに2,000社を超えるインフラがあるんです。

廣岡:2,000社!

平田:ええ。それを京都から出張で行くのが正しいのか、そこに住んで車で1時間、2時間でやるのが正しいのかと考えていたら、ちょうど破綻した空き工場さまがあって、入るきっかけになりました。うちの社員の約半数が県外ナンバーで、日本全国のナンバーがあるんです。

言いたかったことは、グローバルに勝つというか、結局ローカルとはかけ離れられないんですね。ウクライナ(情勢)だって、僕らの地方にも影響があるんです。でも、グローバルに勝つには世界に打って出るという事だけじゃなくて、ローカルの地場の強さをうまく一緒に組み合わせるプロデュース、プロモートが大切だと考えます。

廣岡:すばらしいですね。

平田:そんなことを言い出したら、経産省の白書「グローカル成長戦略」に載るようになって。

廣岡:うわ~!

平田:「富山だから」とか「ここだから」という言い訳をいくらしても、自分の人生は切り開けないので、腹をくくりゃいいんじゃないかなと思って。そういう軍団でやっています。

廣岡:すばらしいです。「グローカル」というテーマがありましたね。先ほど僕の自己紹介が少しだけあったんですが、僕は世界的な起業家ネットワークのEOを北陸に持ってきたんですね。EO北陸のテーマは、ローカルの可能性をグローバルに展開しようというグローカルなんですよ。

平田:そうなの?

廣岡:そうなんですよ。「東京を経由しなくても世界に出ていこう」というテーマと、逆に僕たちが世界に動くことによって北陸に人を呼び込む。まさに同じだなと、今聞いていて思いましたね。ありがとうございます。

コロナ禍で製造したマスクが爆発的な売上に

廣岡:では、地域特性についてはどうでしょうか。

佐藤:日本の地方のほとんどは農業や製造業で成り立ってるわけなんですが、うちも糸を作ってるんですね。糸って原材料なので、ニットにおいても大手のアパレルの下請けとしてずっと作っていて、物作りの技術をすごく売りにしていたんですが、価格競争に巻き込まれてどんどん海外に移った。

富山も同じような環境だと思うんですが、マーケティングとものづくりの発想の中で一番大きく変わったのは、より最終消費者を見ること。透かし彫りとか彫り物も、お寺の需要があって作るものなのか、家の欄間があって作る需要なのか。

私たちも、糸を作って何を作るか。今月も新たなクラウドファンディングをやるんですが、今は誰も使っていない、コットンカシミヤの赤ちゃんのベビーのパンツを作ります。

今、うちの百貨店は20数店舗あるんですが、コロナで全部(お店が)閉まった時に、作ってるものも納品できないんですよね。半年前から作ってるから、毎日どんどん製品が上がってきて売上ゼロ。「どうしようか」という時に、すぐマスク作って。

洗ったら速乾性がある和紙を使って、銅媒染は菌を殺すのでマスクの菌を殺すシートを作って、すぐにネットで売って。結局、百貨店全部の売上をマスクの売上が超えちゃったんです。やっぱり、いかにすぐ行動に移してマーケティングするかですね。

開発と同時に、6割の状態でスタートする

佐藤:さっきもお話があったけど、開発と同時に6割でスタートする。すぐスタートして、販売に乗せて、最終消費者に売る。原料とか物作り、下請けの仕事もやりながらなぜすぐに行動できたかというと、物作りのベースがあるからなんですよね。

廣岡:もともと(製造できる環境が)あったんですよね。

佐藤:自分が今できるものづくりの中で、今まで与えられた環境じゃないものをどうやって発想するかは、もうマーケティングしかないんです。自分でマーケットを見ている中で何があるか、自分とどうやってつなげられるかを常に考えていく。

うちの娘が今日芸(日本大学芸術学部)で彫刻をやっていて、「彫刻で作ってもらいたいものがいっぱいある」と思っていたんですが、ここへ来たらすごいもんがいっぱいある。

(一同笑)

佐藤:何もないところから作るよりも、ベースがあるってすごく可能性があるのかなと思いますね。

廣岡:ベースがあることですね。マーケティングということで、生のマーケティングの意見なんですが、「本を読んでもすべて嘘」だとありますけども。

佐藤:(笑)。

廣岡:マーケティングの知識本っていっぱいあるじゃないですか。でも、すべての方がおっしゃられることですが、マーケティングってはマーケットがイングで「変化し続ける」ということですよね。生肌で(マーケットを)感じながら、変化していく市場をいかに自分たちでキャッチアップするかがすごくテーマだなと思いましたね。