悪い本=確認しようがないデータを元に書かれたもの

出口治明氏(以下、出口):はい、次の方。どうぞ。

質問者2:今日はありがとうございました。

出口:はい。

質問者2:最初のところであった話で「世の中には良い本と悪い本しかない」というお話がすごく引っかかってるんです。いい本についてというのは、いろいろとお話があったかと思います。もちろん一概には決められないとは思いますが、悪い本というのはどんな切り口から始まるのかを、おうかがいできればと思います。よろしくお願いします。

出口:僕は、人の話も同じだと思っているんですが、人間と人間のコミュニケーションでいうと、大人の場合は3つぐらいルールがあると思うんですよ。

1つは相互に検証可能なきちんとしたエビデンスを使うということですよね。次は、どんなデータ、エビデンスを使っているのかを机の上に出すことですよね。3つ目はその材料をベースに自分でロジックを組んで、自分の考えを整理していくこと。

これ、人と人の話でも、とくに会社の話なんかそうですよね。「こういうデータとこういうデータを使ったらこういうものが見えてくるけれど、こうした方がええんやないか」と。そういうデータを使わなければ、議論って好き嫌いの話になっちゃいますよね。あるいは思い込みの話になります。つまり、トンデモ本というのは、この3つのルールを全部外している本だということになります。

例えば陰謀論の類はほとんどそうです。ある人と知り合いになって、ものすごい機密文書を見せてもらった。そして、そこには驚くべきことが書かれていた。でも、その人との約束があって、その文書を表に出すことはできないけれど……というものです。

そういったかたちで書いてあるタイプの本って、そのベースが本当かどうか確認のしようがありませんよね。こういう本は、明らかに悪い本だと思いますね。だって、おもしろいかもしれませんが普通に議論ができないでしょ。だから悪い本というのは、要するにアジテーションの本だと思います。

もちろん文学とか詩とかで自分の思いの丈を述べるのは、それはそれでいいと思います。僕の好きな歴史で言えば、自分の言いたいことに都合のいいデータだけを引っ張ってくるような本はトンデモ本だと思っていて、こういう本は悪い本だと思います。やっぱり歴史を歪めますよね。うまく言えないんですけれど、それでいいですか?

質問者2:はい。先生のお好きな歴史の話だとか、サイエンティフィックに物事を考えるという部分と最後がものすごく繋がったようで、すごくうれしいです。ありがとうございました。

歴史とは、何百、何千億人が生きた人生の集合体

出口:はい。じゃあ次の方、どうぞ。

質問者3:おもしろい話をありがとうございます。

出口:「ありがとうございました」は、省略しませんか?

質問者3:すいません、失礼いたしました。

出口さんにちょっとおうかがいしたいのが「歴史ってなんでおもしろいのかな」をおうかがいしたくて。僕は実は理系で、学生の頃ずっと数学と理科ばっかりやっていたんです。

出口さんの本に出会って、歴史がおもしろいなって思ったんです。本当におもしろくて、僕、学生の頃に留学に行っていたんですけれども、出口さんの本を読みすぎて勉強ができなくなるぐらい、本当に歴史はおもしろいなと思ったんですけれども。

出口:申しわけありません(笑)。

質問者3:いえいえ(笑)。でも、なぜ歴史がおもしろいのかながぜんぜん言葉になってないというか、かたちになっていなくてですね。ちょっと……。

出口:なんで歴史がおもしろいのかと言えば、ものすごく簡単やと思うんです。歴史ってなんやって言えば、昔生きた人を中心とした出来事の集積ですよね。だから、歴史を数学的に説明したら、今まで地球上に生きてきた何百、何千億人の、人生の集合体だと思うんですよ。

でも、中にはおもしろくない人もいますよね。生まれて畑を耕して、大酒を飲んで死んでしまったとか。おもしろくない人の歴史って残らないでしょ? おもしろくないから。

(会場笑)

だって、そんなの読みたいと思わないでしょ。「どこどこの村に生まれた何々さんは、毎日田畑を耕して毎晩お酒を飲んで、50歳で死にました」とか、1回読んだらわかるからあまり増刷できそうにないじゃないじゃですか。

おもしろい人の話しか残っていないから、歴史はおもしろい

だから結局、歴史に残っているのはものすごくおもしろい人の話なんですよ。例を言えば、「リーダーは我慢強くなければいけない」というのはわかります? 昔、ムアーウィヤというカエサルのような立派なアラブの指導者がいたんですよ。ムアーウィヤが閣議を取材していました。今の内閣の閣議みたいなものですよね。

建前上は、アラブってすごい民主主義社会ですから、だれが発言してもいいんですよ。民主主義ですから。でも実際はちゃんと大臣が根回ししてあって、大臣が話をしてみんなが拍手をしてシャンシャンで終わるというものなんですけれど。

ある時ムアーウィヤが閣議を主催していたら、薄汚い身なりをした無精ひげを生やした青年が「話があります」と手を上げたわけです。大臣は目配せをして、「この変な若者はどけましょうか」と。でもムアーウィヤは、「ええやんか話してもらえ」と。そうしたら、その青年はこんなことを言い出した。「私は独身です」と。

「ムアーウィヤさまのお母さまも独身だと聞きました」「私とムアーウィヤさまのお母さまが結婚をしたら不幸な独身な2人が消えて、幸せなカップル1組ができます」「ムアーウィヤさま、ぜひ仲人をしてください」と、こう言うわけですね。

その段階でもう大臣たちは激怒して、早く連れ出せとか合図をするんですが、ムアーウィヤが止めて、「なんでお前は私の母を見初めたんだね?」「私の母は歯が1本も残っていない老婆なんだが」と。そうしたらその青年が、「私は風の便りに、ムアーウィヤさまのお母さまはおしりが大きいと聞きました。私はおしりが大きい女性が好きなんです」と。

ムアーウィヤはにっこり笑って、「なるほど。じゃあ私の父もおしりに惹かれて、母をめとり私が誕生したのだな」「よろしい。私がたぶん仲人の適任者だと思うので、今度母に会ったら聞いておくから下がりなさい」と言って、その青年を下がらせたと。

聞いていた大臣たちはみんな、「やっぱりムアーウィヤさまは天性の指導者だ」「私たちはこれほど我慢強くできない」というオチがあるんですけれど、こんなおもしろい話を聞いたら忘れへんでしょ? 

僕だけかもしれませんが。だから歴史はおもしろいんだと思うんです。おもしろい人の話しか残らなかったから。それでいいでしょうか?

質問者3:そうですね(笑)。

(会場笑)

ありがとうございます。

子ども時代に衝撃を受けた『サイボーグ009』

出口:じゃあ次の人。どうぞ、どなたでもけっこうです。(手を挙げた参加者を見て)はい、ありがとうございます。

質問者4:簡単におうかがいさせていただきたいのですが、出口さんは漫画とかお読みになるんでしょうか?

出口:はい。

質問者4:なにか印象にある漫画とか教えていただきたいんですけど。

出口:最近では、ヤマザキマリさんととり・みきさんが書いている『プリニウス』がすごく好きですし、それから『キングダム』も好きです。それから昔は、『日出処の天子』とか、『天上の虹』とか、いろいろありますよね。『風雲児たち』もおもしろいです。

子どものころは、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』が好きでしたね。あれは今思い出しても、すごい傑作だと思っています。

あれはサイボーグたちが、ブラックゴーストという悪人と戦う物語でしょ。最後にブラックゴーストを倒した後、009が彗星となって消える前に「ブラックゴーストの正体を見せてやろう」とか言われて見たら、それは3つの大脳なんですよね。

だから、脳が人間のすべてで、脳がすべての悪の根源だということと今のAIブームなどを考えたら、もうあの時点で人間の脳がすべての悪の根源だと見切っていた漫画は、今思い出してもすごいなと思って。少年サンデーや少年マガジンは、50年以上前ですけどずっと愛読していました。

質問者4:恐れ入ります。

出口:いえいえ(笑)。漫画っておもしろいじゃないですか。

親と子どもの人格は別物である

出口:はい、次の方。じゃあ順番に。

質問者5:子育てについて、大切にしてきたっていうことを教えてください。

出口:子育てについては、クレヨンハウスから最近出た『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』という、池谷裕二さんの本がめちゃくちゃ良くて。

読売新聞の書評にも書いたんですけれど、やっぱり一番大事なことは、子どもは別の人格だと思うことです。僕は親権という親の権利という言葉が嫌いで、あれは親義務と改称すべきだと思っているんですが。親の権利って、たぶん名前をつけることぐらいしかないんじゃないんですかね。

子どもは、経験はありませんがまったく親とは別の人格なんで。人間は全部違うっていうのが僕のベースなので、この池谷先生の『パパは脳研究者』も本当にいいのは、子どもって全部違うので、成長のスピードも違うということです。

「普通の子が言葉を話した、ハイハイした」「それがうちの子は遅いんじゃないか」などと気にする必要はまったくありませんと。「むしろ、ちょっと遅かったら大器晩成で楽しみやな」というぐらいで、ゆったり育ててくださいというその考え方がすごく好きです。

人間はみんな違うんで、平均なんかあらへんということですよね。そのぐらいのんびり育てるのが、一番いいんじゃないんですか。人は人、自分は自分で。それでいいですか?

質問者5:はい、ありがとうございました。

AIについてそこまで心配していない理由

出口:はい、どうぞ。

質問者6:子どもの本の魅力は、活字または本の大きさや挿絵などだと思うのですが、これから先の時代、電子書籍でそれを補っていくことができるのでしょうか?

出口:AIの進み具合ってすごく速いので。僕はKindleを1回読んでみたんですが、僕は本の方がいいので紙派なんですが、技術はどんどん進んでいくと思いますから、それは子どもたちに任せればいいと思うんです。

今の段階では、僕は本の方が色とか手触りとかいいような気がするんですが、今の子どもたちはなんかスマホの扱い方がすごいですよね。僕は不器用なんで片手打ちしかできなくて、僕の秘書と比べたら10倍ぐらい時間がかかるんですが、紙の本も電子書籍もどちらでもいいような気がします。

技術が進んだら、いろんなことができるようになるかもしれませんね。先のことはあんまりよくわかりません。

(会場笑)

質問者6:ありがとうございました。

出口:実は、僕はAIはあまりたいしたことはないと思っていて、そんなに心配していないんです。技術は進むと思いますが。

なんで心配していないかというと、アルファ碁が強くなった理由はすごく簡単です。囲碁のルールを教えて過去の名人戦を全部映像で覚えさせて、ルールと過去の名人戦を全部写真のように覚えてしまったら、後はアルファ碁同士で対局するんですよ。

人間が対局すると脳が疲れますから、たぶん一生かかっても一万回対局できるかどうかわからないぐらいですが、アルファ碁同士は軽く1,000万回ぐらい対局できるんですよね。AIは疲れませんから。

そうしたら強くなるのは当たり前なんですが、実はこれはみなさんご存知だと思いますけれど、囲碁の対戦譜ってファジーなところがなにもないでしょ? つまり、こう打ってあったら、それは絶対に変わりませんよね。

人間の脳はファジーだから優秀

出口:モズの早贄(はやにえ)って、これも池谷先生が書かれているんですが、みなさんご存知ですか?

モズはカエルを2匹捕まえたら、1匹は食べちゃって、1匹は明日食べようと思って柿の枝に刺しておいたりするんですよ。これ、モズの早贄って呼んだりするんです。

ところが、モズはせっかくのご馳走を忘れるんですよ。木の枝に刺したことを忘れるんですね。昔の人は「やっぱりモズの脳みそってアホやな」と思っていたんですよ。自分でご馳走を刺しておいたのを忘れるんですから。

ところが、実はそうではないんですよ。モズの脳みそは、AIと同じなんですよ。写真のように覚えるんで、例えば木の葉が風で1枚落ちたら、もう認識できないんですよ。つまり、違うものになっちゃうんですよ。わかりますよね。

しかし、人間の脳みそはポンコツなんですよ。ファジーなんで、写真のように覚えることができないんで。例えば、みなさんに1週間後に会って、無精ひげを生やしていてもなんで認識できるのかって言えば、ファジーに覚えているからですよね。

そうすると、AIにバラの花を教えようと思ったら、たぶん写真を何千枚も覚えさせなければ識別できないんですよね。いろんなバラがあり、形も違うので。ところが人間は4つや5つバラを見れば、それでわかってしまう。

だから、この脳のファジーな能力というのは桁が違う優秀さだと思うんで、シンギュラリティなんて起こるはずがないって僕は思っています。これはまあどうでもいい話ですね。すみません。次の方、今日は男性の方が多いようですが、女性のみなさんもぜひ手を挙げてください。