本に親しんでいれば、子どもと本の距離も縮まる

出口治明氏(以下、出口):僕は単に趣味で本が好きなんで、一番好きなのは眠ること、食べることなんですが。眠ること、食べることの次に本が好きなんです。

この前、若いお母さんの会に呼ばれて、「本好きの子どもにしたい」「でも、私たちは本が大嫌いや」と。

(会場笑)

「でも自分たちが本が嫌いなんで(笑)」「読んでこなかったので」という反省もあってですね、「子どもには本を読ませたいけれど、なにかいい方法ありません?」と聞かれたのです。僕は「簡単ですよ」と答えて、「図書館で、タイトルはなんでもええんで、分厚くて難しそうな本を5冊ぐらい借りてきてください」と申し上げたんですよね。

それで、子どもが幼稚園から帰ってきたら、どこでもいいから適当にページを開いて、ゲラゲラ笑えばいいですと。そうしたら、子どもはまだ大人のことはよくわかりませんから、「本というものはおもしろいんやな」という気づきが生じますよね。

だから、読まんでもいい。厚い本を開いてゲラゲラ笑ってるだけでいいと。そうしたら、子どもが本を手に取るようになる。あとはその子ども次第ですよね。その子どもが本を好きになるかどうか、もう子どもは別の人格ですから。

お父さんお母さんが本を好きでなくてもいいので、本に親しんでさえいれば、子どもも親しむようになると思うんですよね。だから、そういう意味では本当に無理に本を読ませる必要はない。無理しなくても別にいいと思うのですけれど。

やっぱり、親が格好だけでもでけへんことは、子どもに押しつけても無理ですよね。お父さんお母さんがビールを飲んで、テレビを見てて、「本読みぃや」と言っても、子どもは怒りますよね(笑)。だから、格好だけでも本を読む。そういうことってすごく大事です。

これは半分は冗談なんですが、人ってわりとかたちに弱いところがありますよね。かたちを作ってしまったら、わりとやっちゃうんですよね。

仕掛けを作れば、大人も子どもも本を読む

すごくおもしろい話があって。地方のある大学へ講演に行ったときに、「学生の間は時間があるんだから、1週間に1冊とか、1ヶ月に1冊ぐらいはちゃんとした本を読んだほうがいいですよ」という話をしたら、「そう思っているんですが読めません」という学生がいました。「ついつい遊んでしまいます」と。

「どうやったら本が読めますか?」と言われたんです。男子の学生だったんですが、「君、ガールフレンドいる?」とか聞いたら、「はい、かわいい子をゲットしたばかりです」と言ったので、「今すぐ彼女のとこへ行って、『僕は今日から毎月1冊は難しい本を読むで』『読まなかったらすぐに僕を捨ててくれ』って言ってこい」と言ったんですけれど(笑)。

(会場笑)

それはがんばりますよね。そうしたら、横の学生が「僕はガールフレンドがいないんですが、どうしたらいいでしょうか?」という話になったんで(笑)。

(会場笑)

「じゃあ僕の名刺をあげるから、毎月読書感想文を送ってもらっていいよ」と言ったら、本当に1年ぐらい送ってきているんですよ(笑)。でもこれも、型というかちょっとしたきっかけですよね。「ちゃんと読むで」と言ったら、カッコ悪いから読むんですよね。それでもぜんぜんいいと思うんですけれど。

そういう、自分を上手にごまかすというか、本を読むような仕掛けをつくることは大人にとっても大事ですし、子どもにとっても大事なような気がします。

よく大学の先生が、「学生に本を読まそうと思うんだけれど、ぜんぜん読みません」とおっしゃるので、「そんなん簡単ですよ」と。例えば経済学であれば、「この科目の次の試験はアダム・スミスの『国富論』から必ず出すから、ちゃんと読んどいてや」「(読まなければ)3割は落とすで」とか脅かしておけば、たぶん学生は読みますよね。落ちるのは嫌ですから。

この前もその話をしたら、先生が「でもそんな問題を出したら、僕ももう1回読まきゃならんのでしんどいですわ」とおっしゃるんで、「いや、それは先生甘いですよ」「先生には特権があります」「先生は適当にページを開いて、そこだけ読んで問題を出せばいいんです」と。そうですよね?

でも、学生は全部読まないと答えられない。先生は、全部読まなくても3回ぐらいページを開いて、おもしろいと思ったらそこから問題を出せばいいんですよと言ったら、「あっ、やってみようかな」と言っておられたんですが(笑)。

まあそれは冗談としても、やっぱりそういう仕掛けを社会全体で作っていく仕組み化が、すごく大事な気がします。

だから、「本は読まへん」「本離れ」「若い人はあかん」とか言ってても仕方がないので、どういう工夫をしたらみんなが本に親しむだろうかと、そういう仕掛けとか仕組みを作っていくのが大人の責任かなと思ったりしています。

人間が賢くなるのは「人・本・旅」しかない

本一般の話で言えば、よく「いつ本を読んでいるんですか?」とか聞かれるんですが、僕は大事なものから先に取っていって、断捨離をしているので。まず眠る時間を真っ先に取って、ごはんを食べる時間も、お酒を飲む時間もだいたい取って、その次は本を取りますよね。

そうすると時間がなくなります。30代のときにちょっとゴルフをやってみて、「これ、土日1日は絶対に潰れるな」と思って、ゴルフは捨てました。テレビも去年の10月まではずーっと捨てていました。だから、テレビとゴルフを捨てたらけっこう時間は作れます。

それから、昔から癖があって、僕は朝起きたら新聞を3紙読んでいるんですよね。これはもう癖になってて。世の中でどんなことが起こっているのかを知りたいんで、朝1時間、新聞を3紙読む。それから眠る前に本を1時間読む。この2つがもう癖になっています。

昔はおもしろい本だったらよく徹夜したんですが、最近はもう体力がなくなっているので、1時間ぐらい読むと、ちょうどいい気持ちになって眠たくなります。だから、移動時間と寝る前の1時間と、それから週末で講演とかパネルがない時は、だいたい本を読んでいますね。

でもまあ、ライフネット生命を創業してからはベンチャー経営で忙しくなったんで、本を読む量は半減して、今は週に3冊か4冊ぐらいがやっとという感じですね。昔はその倍とか、もうちょっと読めたと思いますが。だから、もうちょっと暇になったらもうちょっとたくさん本を読みたいなとか思っているんですが、まあ仕方ないですよね。

それから、「本はどのように選んでいますか」とよく聞かれます。僕は人間が賢くなるのは、「人・本・旅」しかないと言っていて。いろんな人に会って教えてもらうとか、本を読んで自分で学ぶとか。旅というのは現場へ行くことですね。

「おいしいパン屋ができたで」と。「あっ、そう」ではわかったことにならない。行って、買って、食べて、おいしいと思って初めてわかるわけですから。これを旅と呼んでいるんですが、旅って体験ということですよね。だから人間は、「人・本・旅」で賢くなる。というか、他に勉強の方法がないので、「人・本・旅」と言っているのです。

人間の出会いは「イエス」から始まる

僕がなにで作られているかといえば、本のウェイトが50パーセントぐらいあって、人と旅が25パーセントずつぐらいかなと思ったりしているんです。人は難しいですよね。なんでかといえば、人間には好き嫌いがあり、相性もありますから。

例えば職場の上司でも、「ええ上司やで」という人もいれば、「たいしたことないで」という人もいるでしょ? もちろんみんなが「すごい上司や」と言う人も、みんなが「しょうもないで」と言う人もいると思いますが(笑)。

これ、なんで評価がわかれるかといえば、好みとか好き嫌いが入るからですよね。人間は感情の動物ですから。だから人はすごく、ロールモデルのようないい人に出会うって、僕はすごく難しいと思っているんです。

いろんな人に会おうと思ったら、まずイエスしかないですよね。なにかきっかけがあったり、誘われたら行ってみて、しょうもない話やったら「ちょっと体調が悪いんで」とか言って帰ればいいだけなんで(笑)。まずイエスという気持ちがないと、人には巡り会えないと思うのです。人間の出会いは、まずイエスから始まると思うのです。

人に比べれば、本はすごく選びやすいと思っています。なぜかといえば、本を選ぶ簡単な方法が3つあるからです。1つは、古典は無条件にいいですよね。『西遊記』『アンデルセン』もそうですが、何十年、何百年も残ってきて翻訳されているものは、価値があるからみんなが一所懸命に翻訳しているんで、ええに決まっていますよね。だから古典は、無条件でいいと思います。

それから、僕は毎朝新聞を読んでいることもあってか、新聞の書評欄が絶対確度は高いと思いますね。これには明確な理由があります。新聞ってだいたい格好をつけるので、全国紙でしたら慶應の先生とか、東大の先生とか、超一流の先生方を書評委員にしていますよね。間違って変な僕が選ばれたりするのもたまにはありますが(笑)。

今、読売の書評委員をやっていますが、20人いるんですが、素人は僕だけであとの19人は全部超有名な先生方。芥川賞作家や直木賞作家とか、その道のプロばかりなので、素人の僕はかえって気楽なんです。そういう人が本名で自分の専門分野を書いてるということは、自然に力が入って、レピュテーションがかかっているわけです。だから、一所懸命に書くということがわかるでしょう?

例えば大学の有名な先生が、忙しいからと手を抜いてしょうもない本をしょうもない文章で紹介したら、読んでいる人はどう思うかといえば、「この先生は名前は有名やけど、本当はアホなんやな」と思うわけですよね。大学の先生って、そう思われることがなによりも嫌な人が選ぶ職業でしょ? そうですよね。「俺、けっこう賢いで」とかいう人が選ぶ職業なので。

そうすると、大新聞に本名で書くということは、自動的にインセンティブが働いて一所懸命書いているに決まっている。しかもそれを読んでおもしろいとみなさんが思ったら、フィーリングも合っているわけですから、いい本に当たる確率はものすごく高いですよね。

だから僕は、昔からわりと新聞の書評で本を選んできましたが、だいたい外れたことはありませんね。

本文の最初の10ページを読んで楽しめるか判断する

それから、本屋に行って本を探す時は、すごくミーハーで恥ずかしいんですが最初はジャケ買いしますね。やっぱり表紙がかっこいいというのは、たぶん出版社がお金をかけて売ってやろうと思っているわけです。まあトンデモ本もありますが、いい本が多いと思いますね。

すごくかっこいい本とか、なんか本屋をブラブラしていたら向こうのほうから「手に取ってよ」と言っているような感じがするんですよ。だからまずジャケ買いで……買わないんですが、本を手に取ります。

それから、これも昔からの癖ですが、まえがき・あとがきではなくて、本文の最初の10ページぐらいを読みます。僕も本を書いているからわかるんですが、本って、まえがきから始めないんですよね。本文から始めて、本ができあがって、やれやれできたと安堵してから、安堵してちょっと気が緩んだあとで、まえがきとかあとがきとかをだいたい書いている。

いや、一所懸命に書いていますが(笑)。まえがき・あとがきを読むよりは、本文の最初の10ページ、20ページのほうが、僕は昔から確度が高いと思っています。だって書く人は読んでほしいと思って書くわけですから、最初はやっぱりすごい力が入っていますよね。そこがおもしろければ、きっとおもしろい本だと思うのです。

本については今申し上げたように、古典、新聞、本文の最初の10ないし20ページで、いい本は選びやすいと思います。