会社の倒産、やくざの追い込み…起業家らが振り返る、若き日の苦労体験

アントレプレナー人生論 #2/5

IVS 2015 Fall Kyoto
に開催

2015年12月10日、「IVS 2015 Fall Kyoto」が開催されました。Session9A「アントレプレナー人生論」では、モデレーターを務めるライフネット生命・岩瀬大輔氏の進行のもと、クラウドワークス・吉田浩一郎氏、KLab・真田哲弥氏、メルカリ・山田進太郎氏の3名が、現在の会社で社長になる前の苦労体験を振り返りました。

上場後に役員を降ろされた経験

岩瀬大輔氏(以下、岩瀬):ありがとうございます。次に、みなさんの苦労話……いろいろあると思うんですけど、ご披露いただこうかなと思います。

まずは吉田さん、今までやってきて一番しんどかった時期と、その頃を今振り返って、今の自分がアドバイスしてあげるとどうするか。お話をうかがっていいですか?

吉田浩一郎氏(以下、吉田):たぶん、この話をIVSでするのは初めてです。私のなかで、ようやく話せるかなという話があるんですけど。

私はドリコムの営業担当役員で、ある意味、上場後に役員を降ろされてるんですよね。降りたというよりは、降ろされたという感じでして。

私自身がトップ営業マンで、プレイヤーとしてガンガンやってたと。上場までの数字は内藤さんと2人で作ってきた自負があったというなかで。

ただやっぱり、組織のフェーズが変わって、組織を作らなきゃいけないというなかで、私自身は「以前のやり方のままでこれでいいんだ」みたいな主張を続けてた結果、会社のなかで組織の成長を阻害する立場になっていて。気づいたら事実上「降りる」という決定がされてたというようなことですね。

岩瀬:その頃、会社は何人ぐらいだったんですか?

吉田:もう上場後だったので、たぶん100〜150人ぐらいになってたと思うんですけれども。

この話は本当に正直……実は、先週の金曜日に京都大学で公演があって、内藤さんと対談するときに公で話せて、自分のなかでだいぶ腹落ちしてきたんですけれど。

あのときはめちゃくちゃ悔しくて。自分自身が営業のトップとして数字を作ってきて、上場までやって。

たしかにいろんな迷惑をかけたかもしれないけど、「俺は役に立った部分もあるはずじゃないか」みたいな感じのなかで、役員を降りたというのはめちゃくちゃショックでしたね。今だと冷静に見れますけどね。

クラウドワークスで社長を務めて思うこと

岩瀬:そのあとはどうされたんですか?

吉田:いわゆる経営企画、あるいは新規事業を立案する部門の部門長みたいな感じで、事実上部下は1人か2人みたいな感じで、新規事業を担当するという。

一方で、ご存知のように、ドリコム自体はその後赤字になったり下方修正したり、「継続の疑義」みたいなところまでいってますので。本当に誰が悪いとかいうのもしっちゃかめっちゃかな状態だったんですけど。

そのなかでも、たぶん当時真田さんにもいろいろ相談したような覚えがあるんですけど、ぜんぜん腹落ちしてなかったんです。

ただ、あれがあったから、今非常にフラットにいられるというか。人はやっぱり1人では生きられないですし。会社が大きくなっていくなかで、会社の成長は自分よりも超えたスピードで絶対成長しますので。

それについていけないときというのは、経営陣はリストラクチャリングされるべきだというフラットな気持ちを自分自身が持てています。

今社長をやっていても、もし自分が会社の速度に遅れを取ったとしたら、私は社長を降りるべきだと。でも、今まっすぐ前に先を走っているから社長であり続けられる、というようなフラットな気持ちを持てるので。今は非常にポジティブなんですけど。

岩瀬:当時はおいくつぐらいだったんですか?

吉田:当時は31歳とか32歳とかでしたね。

岩瀬:そうすると、けっこう仲間の社員の目とかも気になって、精神的に相当しんどそうですね。

吉田:その頃からご存知の方もいると思いますけど、当時ドリコムっていったらけっこう目立ってましたし。営業役員で上場してちょっと目立ってもいたので、一気に叩かれるし。

あと、当時は内藤さんを憎む気持ちもありましたよね。「なんでだよ、俺はやったじゃないか」みたいな感じもあって。急性胃腸炎とかやったり、胃炎にもなって。今は内藤さんと笑って話せますけど、当時はそういうのはありましたけどね。

10数億の借金、やくざに拉致監禁

岩瀬:ありがとうございます。真田さんはいろいろなご苦労をされてると方々でうかがっておりますが。今の吉田さんの話もふまえて、とくにあの頃しんどかったなというのはいつ頃ですか?

真田哲弥氏(以下、真田):「あの頃はしんどかった」という時期はいくつもあって。僕の場合はそれこそ本当に経済的に追い込まれて、やくざに監禁されたり、夜逃げしたり。

岩瀬:オンレコでいいんですか?(笑)。

真田:これはぜんぜん、もういろんなところに載ってますから(笑)。2回やくざに拉致監禁されてるのは、たぶんこのなかで僕しかいないという。そういう時期もあったんですけれども。そういう話は学生向きにはよくするんですけども。

せっかく吉田さんが話してくれたので、その流れを継いで言うんであれば、僕もサイバードという会社が上場しましたと。そのときは、取締役副社長CTOという名前で上場して。堀という人間が社長でした。

実際、事業ビジネスアイデアからなにから全部僕が考えて。それで、ドコモとの仕切りも僕が自分でやってきて。そのうえで堀が社長で。

僕はそのときまだ、前の会社を一度大倒産させて10数億の借金背負って。国金から保証協会からクレジットカードから、全部ぶっとばして倒産してという。

自分の履歴が全部ブラックだったので、僕が社長をやるわけにはいかないという状況のなかで、サイバードを立ち上げたので、僕は社長じゃなくて。

僕が社長だったら、たぶん上場できてないんですけど(笑)。一応ホワイトなやつが社長になったほうがいいということで、堀が社長で上場しました。

上場してうまく行き始めると不安になるんですよね。上場させるまでうまくいかせるまでは、みんな歯を食いしばってやるわけですけど。

いったん軌道に乗ってくると、そこまでは「どっちが上だ、どっちがリーダーシップ取るんだ問題」というのは、苦労してるときに外に敵がいると、薩長連合じゃないですけど、わりとなんとかなって。

外の敵がいなくなっていったんうまくいくと、中でいろいろ確執が表面化すると。そういう事態が起きるわけですね。

そのときは自分のなかで、「どうしようかな、これ?」というのがどうしてもできますよね。結果僕は自分から身を引いて「俺、辞めるわ」って言って辞めたわけですけれども。

成長がぐっといって、止まりかけてきたときに問題が一気に噴出しますよね。僕にもやっぱりそういう時期がありました。

吉田:私が1回目の起業ですったもんだしてるときなので、たぶん2009年ぐらいだと思うんですけど。真田さんぜんぜんその後覚えてなかったんですけど。

飲んだときに「吉田、やっぱりお前すっげえおもしろいやつだ。俺は今からもう1回上場するから、お前も上場しろ」って、お互い2回目上場しようって言ってくれてたんですけど、翌日には覚えてなかった(笑)。

真田:覚えてませんでした。すいません(笑)。

吉田:東京の丸ビルで飲んだんですけど(笑)。それで宣言通り2人とも。真田さんは思ったより早くいきましたけどね。

メルカリ山田氏の苦労体験

岩瀬:なるほど。じゃあ、進太郎さんのしんどかった時期はいつ頃ですか?

山田:一番しんどかったのは、2005年ぐらいにWeb2.0ブームとかがあって、調達をしてベンチャー的な感じで人を増やしてとかやってたんですけど。そんなに儲からないんですよね。映画のサイトとか、写真共有サイトとかやったんですけど。

どんどんキャッシュがなくなってくるみたいなところで、社内でも「これでいいのかな?」「この人の言うこと聞いていいのかな?」みたいな雰囲気も出てきて。本当になにもかも空回りしているような時期があって、そのときが一番辛かったです。

岩瀬:その期間ってどれぐらい続きました?

山田:たぶん1年ぐらいはあったような気はします。

そのときに、買収話があったりなかったりして、このまま売却したらけっこう楽というか、ある意味イグジットみたいな感じでエンディングとしてはいいかな、みたいなことがあって。でも、その話はなくなって。

そういうときに、結局「自分が悪いじゃん」と思ったんですよね。結局、会社の業績って全部社長のせいだから。「みんなも働いてくれない」という気持ちはたぶん少しあったんだけど、「これどう考えても、自分悪いな」と思って。「なんとかしなければいけない」と。

それで、ミーティングをやったときに、けっこう覚えてるんですけど、「今そんなにいい状態じゃないのはわかってる」という話をして。「でも、僕は絶対にこの会社をなんとかしようと思ってるから、本当について来れる人だけついて来てほしい」という話をしました。

そのとき15人ぐらいだったんですけど、結果的に辞めた人はいなかったです。ただ、わりと悲壮感漂うスピーチをしたのをよく覚えてますね。

岩瀬:ありがとうございます。

会社の成長が横ばいの時期をどう乗り越えるか

吉田:でも、その「自分が悪かった」というのは究極の解決法ですよね。ドリコム辞めたあともなんでもそうですけど、「結局自分が悪いんじゃん」と。「自分が変わらなきゃいけないんだ」という。そこに尽きますよね。

真田:会社って成長するときに、斜めには成長しなくて。横ばいの時期があって、ぐっと成長する時期があって、またしばらく努力してても成果がでなくて、横ばいの時期が続いて、またぐっと伸びてという。階段的に成長するじゃないですか。人もそうだと思うんです。

ぐっと伸びたあとにいったん横ばいの時期が来て、ぐっと伸びた時期の記憶があるから、横ばいの時期というのがすごい……。

伸びることを前提にいろんな組織とか制度を設計してると、横ばいの時期ってすごいつらいんですよね。たいていの会社はみんなそれを1回は経験しますよね。

岩瀬:「成長し続けないと、みんながハッピーになれない」って本当にそうだなって思ったりします。でも、IVSにずっと来てると、やはり流行り廃れというか栄枯盛衰というか、みんながスポットライトを浴びる時期が交互に変わっていくじゃないですか。

今の吉田さんのお話にも通じるのですが、そういうなかで、しんどいときにどれだけ仲間で支え合えるかってすごい大事だなと思うんです。みなさんも、辛いときって経営者仲間に相談したり、されますよね。

吉田:逆に今、そういう意味では内藤さんが心のメンターの1人なんですよね。最近、時々内藤さんに悩みを話すと、もう手に取るように私のことをわかってるわけですよね。だって、上司だったから(笑)。

かつ、内藤さんと一緒にあのときの上場を経験しているので、上場1年目の姿もすごくリアルタイムに共有できるので。今はすごいいい相談相手であり、先輩でありという感じですよね。

起業家を支えるメンターの存在

岩瀬:山田さんはメンターみたいな人とか、そういう相談する仲間ってどういう方ですか?

山田:僕にとってはもう本当に、松山太河さんがメンターですね。一番最初ウノウのときに投資してくれてたのもそうだし、取締役もずっとやってもらってたし。メルカリも会社作ったときからずっと株主でもあり取締役でもあるので。

「ちょっとご飯どうですか?」って言うとほぼ来てくれるというか。おそらくいろいろ断って来てくれてるんじゃないかと思うんですけど。それでいろいろ相談したりして。僕にとってのお守りみたいな感じですかね。

プロダクトができる前で、誰もうまくいくかわからないというときに、5000万円投資してくれて。けっこうハイバリュエーションの投資をしてもらえたんですけど。それも本当にパッと決めて。

一番最初の1000万円のときもパッと決めてくれたので。やっぱり、僕にとってもすごい頼りになるというか。そういう感じですね。

岩瀬:真田さんは今はメンターになるほうが多いと思うんですけど。真田さんにとってそういう師匠とか心の支えになる人っていらっしゃるんですか。

真田:ぼくは学生時代、もう10代のときに起業してしまったので、先輩とか教えてくれる人というのは誰もいなくて、常に部下がいるだけでした。

だから、やり方もなにもかも誰かに教えてもらったことがなくて、全部自分で試行錯誤しながらやってきましたね。

心のなかで勝手にジョブズの本を読んで、「ああ、この人カッコいい」とかね。そういうのはありましたけど、実際に会ったこともないですし。

一方で、僕は1回ダイヤルキューネットワークという会社を倒産させて、10数億円の借金を背負って。そうなると、どん底のどん底でどんどん落ちていくわけですね。それこそ本当やくざに付け回されたりみたいな。

吉田:またやくざ出てきた(笑)。

真田:そういうときから、もう1回、一からインターネットのプログラムを勉強して、インターネット業界に復帰するぞと言って、それで復帰していくわけですけど。

そのときに、相談相手でもなんでもないんですけど、その頃元部下だった人がどんどん追い越して上場していくんですよ。僕からしたら、自分が教えた側のつもりだったやつがどんどん上場していくわけですね。

それを見てると、やっぱり「くっそー」って思うわけですよ。でも、「あいつらがそんなふうにできるようになったんだったら、俺はもっとなれるはずだ」というところがけっこう心の支えになって。

変な話ですけど、「俺もできるはずだ。あいつらができるんだったら」という、そこがけっこう負けん気で踏ん張れたポイントですかね。

今でも別にゆっくり安住して進歩を止めたら、別にそれでも楽にいけるわけですけど。でも、元部下とか元後輩の連中がどんどん伸びていくと、「これゆっくりしてられへんな」という感じですかね。

90年代は起業家にとってブラックな時代

岩瀬:よく、アメリカは失敗してもまたチャレンジできるとか、失敗してることが勲章で、ベンチャーキャピタルからお金が集まるけど、日本は失敗に対して非常に不寛容な社会だみたいなことを言われます。

そのことについては、当事者としてはやはりそう思われますか? 今回は真田さんだからまた復活できたのか、それともそういう立場でも意外とどうにかなるものですか?

真田:この10年ぐらいで劇的に変わりました。2000年から2010年の間に劇的に変化したと思うんですね。僕は1990年代に起業したときというのは、VCなんて存在がなくて。

どうやって事業を始めるかというと、親に頼み込んで親が住んでる家、土地を担保に入れてもらって。それで銀行から資金を引っ張って、それでサーバーとか買って、事業を始めたんですね。

会社が倒産しそうになって。自己破産とか出せば楽になれるんですけど、親の土地が担保に入ってるから、僕が自己破産したら親の土地がなくなるから、自己破産できず。もう高利で金を借り入れてってずるずる悪循環に入るという。

起業って、昔はそういう世界だったんですよ。だから、それで最後に蒸発して消えて。東京湾の海底から引き上げられて発見される、みたいな。

吉田:ちょっと別の国みたいですね(笑)。

真田:そう思うでしょう? でも、日本も1990年代まではそういう国だったんですって。

昔はクレジットトラブル、要は信用が黒になると、銀行も一切金を貸してくれなくなるし、銀行が口座を作ってくれない。会社の設立さえしてくれないんです。1回黒になって、ブラックリストに載ってしまうと、設立のときの預け入れを拒否されるんです。会社設立すらもできなくなるんです。

これ1990年代まではそうだったんです。それがそういう世界でなくなった。今、若い経営者の人たちは担保を入れるとか連帯保証人をすることすら知らないし。ひょっとして、debtで資金調達をしたことがない人もいるかもわからないですけど。

昔、日本に社会資本が少なかった頃に、みんなdebtでやってたから、いかに銀行さんの調査に通るか。そのためには銀行さんの内部にある資料に一度×(ばつ)を書かれた人は二度と起業ができないという時代だから。

吉田:それから進んで、さらに証券市場でちょっとご質問したいんです。 2回ぐらいやくざに絡まれて失踪気味になってるなかで、今回ちゃんと上場できてるじゃないですか。それは問題ないんですか? 普通に考えたら、反市場とかそういう言葉ってあるじゃないですか。

真田:ぼくはやくざを追い込んだんじゃなくて、やくざに追い込まれた側ですから。やくざを追い込んでたら、反社勢力で。やくざに追い込まれたかわいそうな一般市民ですから。

吉田:その方は普通に上場できるという。なるほど。

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