帰国後、1年半で1億7000万円稼いだ

大学を卒業して、日本に帰ってきました。アメリカでは優秀な学生はたいてい大学院に行きます。大学院で博士号まで目指します。僕のクラスメイトも優秀な学生はそういう人が多かったです。僕が大学4年の時には、さきほど言ったようにめちゃくちゃ勉強してましたから、大学院の中でもハーバードだとか、スタンフォードだとか、バークレーだとか、MITだとか、そういういくつものところから、「月謝はいらない、学費も入学料もいらないから、うちの大学院の博士号課程に来ないか」と。そういう招待状がいくつもの大学院から来ました。そのくらいむちゃくちゃに勉強していてて、教授からも推薦状が出てました。

でも僕は全部お断りして、お袋と約束した、大学を卒業したら日本に帰ってくるということで、その約束どおり帰ってきました。もうすでにアメリカにいる時に会社を興してました。19歳で発明して特許を取って、実際は1年半で1億7000万円ほど稼ぎました。その最初にやった発明の、教授を巻き込んでやったやつをシャープに売り込みました。日本のシャープさんに、特許を売り込みました。1億8000万円もらった。

もう1つ、コンピューターのゲームのプロジェクトをやって、そちらでも1億5000万稼いじゃった。僕は19歳の学生の時に、1年半で当時のお金で3億以上、3億数千万円稼ぎました。ですから、最初に立てた目標、1日5分働いて1000万円ぐらい稼ぎたい、と。でも実際は1日5分働いて、1年半で3億数千万稼ぎました。今の貨幣価値でいえばもっと大きい。今の何倍かの価値があると思いますが、そのままずっと町の小さな発明家なんていう人生の選択肢もありました。でも僕はそうじゃなくて、もっとでかいことをやりたいということで会社を興そうと思ったわけです。

日本に帰ってきて、会社は売却しました。僕が学生の時に作った会社は売却しました。そして日本に帰ってきて、ソフトバンクを興すことになったわけですが、でも日本に戻ってきて1年半、悩みに悩み続けました。きっと今の皆さんも、大学卒業して、これから自分の人生どう過ごそう、色んな意味で悩んでるんだろうと思います。

就職難でもありますしね。ソフトバンクの孫正義の話を興味半分、野次馬半分で、今日は来たと思いますが、きっと悩んでると思います。自分の人生これからどう過ごそうかと。どういう人生にしようかと。色んな選択肢があるんだと思います。僕も悩みました。大学を卒業して日本に戻ってきて、1年半、悩み続けました。

「登りたい山を決める」と、人生の半分が決まる

でも、安易に決めたくない。たまたまぶちあたった、たまたま親がとか、たまたま何かのご縁で、そういう安易なことで決めたくない。なぜならば、自分が決めた自分の職業、自分が決めた自分の仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきませんから。だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高いので。その決めたことをフラフラするというのは効率悪いんで。その自分のエネルギーをどこに費やしたらいいのか、と。自分が登りたい山は何なのか。自分の志って何なのか。自分の成したい事って何だろうか。これを決めることが大切ということで、この1文を僕は思いつきました。

登りたい山を決める。これで人生の半分が決まるということであります。これはその当時僕が大学を卒業して日本に帰ってきて、1年半の間、このことを思い続けたわけ。自分が登りたい山、これを決めなきゃいけない。これを決めることで、人生半分決まってしまうということであります。自分のテーマ、人生のテーマ。人生の志、自分にとっての志のテーマ。

もう1度、龍馬のほうに戻りました。何を成すために自分は生まれてきたのか、と。事を成す、その事ってなんなのか。自分にとっては事業家になりたいことであります。自分の人生、一生をかけるのにふさわしい、そういう仕事って何なのかと悩み続けました、1年半。40ほど考えました。40、新しい事業を考えました。

人々がやってないこと、新しいこと、人の役に立てること、1番になれること、儲かること、自分が継続して好奇心を持ち続けられること、意欲を持ち続けられること、多くの人々に役立つこと。常に何か技術革新があって、というような業界じゃないと、自分の心が飽きてしまう。情熱が冷めてしまいますので。冷めない情熱を一生持ち続けられるテーマ、それって何だろうということで悩み続けました。出ました、結論が。私にとっての事を成す、その事って何だろう。私自身の結論は「デジタル情報革命」でありました。

「デジタル情報革命」を一生のテーマと決めた

事を成す。デジタル情報革命を通じて、多くの世の中の人々の、世界中の人々の、知恵と知識を共有できるような、そういう何かでっかいネットワーク、プラットフォーム、何かそういうサービス、そういう事業を作って、人々の知恵と知識が何か1つの大きなデータベース、ネットワーク、そういうものに収められて、それをみんなで共有することができて、人々がより幸せになれる、より幸福になれる、より仕事の生産性が高まる、楽しくなる、病気の人が助けられる、そういうような仕事、それであれば、人生をかけるにふさわしいと思ったんですね。

その志で、「よし、これだ! わしの人生をかけるのはこの志だ。この志だ。このためにわしは生まれたんだ。このために人生をかけるんだ」ということで、決意をし、会社を興しました。それがソフトバンクであります。

日本ソフトバンク。福岡の小さな町、雑餉隈(ざっしょのくま)というところで会社を興しました。資本金1000万円でした。アルバイトの社員を2人雇って、僕とアルバイトの社員2人で会社を興しました。で、その彼らに、「これからソフトバンクという会社を興して、立派な事業を興すぞ。情報革命だ! コンピューターを使って、コンピューターの力で、マイクロコンピューターで、デジタルの情報革命を起こすんだ」。こう1時間くらい、最初の朝礼でブチました。2人のアルバイト社員を前にして、みかん箱、当時みかん箱っていうのは木の箱でした。この箱の上に乗って、30年後の我が社の姿を見よ! ということで朝礼をブチました。

社員がすぐ辞めたけど、一瞬もひるまなかった

少なくともソフトバンクは、我が社は30年後には豆腐屋さんのように、数の単位を1兆(丁)、2兆(丁)と数えるぞと。まあ、半分シャレのつもりで。豆腐屋さんは朝から1丁、2丁と数えますね、1本、2本じゃなくて。1兆、2兆以下はものの数ではない。1000億とか、5000億とかそういう数字は、事業家を志してやってる以上は、もの数ではない。1兆2兆と数える単位で初めてものの数だと。そういう規模の会社にするぞと。世界中の人々に情報革命を提供するんだと、いうことで会社を興しました。

そしたら1週間経ったら2人とも辞めちゃいました。「この人おかしい、気が狂ってる」と。こんなちっちゃな福岡の、エアコンもない扇風機だけブーンと回ってるむさくるしいド熱いこの部屋で、また熱い話を聞かされて、「なんや、これは! ちょっと気がおかしいんちゃうか?」ということで2人とも辞めてしまいました。また僕1人に戻っちゃった。でも僕の志は一瞬もひるまない。1回も変えてない。創業してすぐに勝負に出ました。人生2発目の勝負であります。創業1か月後の大勝負。これです、ドーン。

創業1か月後の大勝負。資本金1000万円の会社です。私がアメリカで学生の時に作った会社は売却したと言いました。当時のナンバー2の副社長に売却したんですけれども。お金は後払いでいいとカッコつけて言ってしまった。だから手元には金がない。彼はまだ会社をアメリカでやってました。後払いということですから、現金がない。とりあえず1000万円くらいあるので、1000万円の資本金で作りました。その1000万の資本金を、1か月後、創業して1か月後に全額使っちゃったということであります。

当たるか外れるかの大博打に勝った

大阪でエレクトロニクスショーというのがあって、このエレクトロニクスショーで名乗りを上げた。資本金1000万円のうち800万円使って、「ソフトバンクという会社を興しました!」と。これからパソコンというものが世の中あふれかえる時代が来る。このパソコンにはソフトが必要です。ソフトは私んとこが販売します! この名乗りを上げるのに、800万円使っちゃった。あわせて、どんなソフトがあるんだ? ということでカタログ代わりの雑誌を一冊作った。ソフトのカタログ雑誌、これで200万円以上かけちゃった。

つまり会社を作って、1か月で全額使っちゃったということです。なんちゅう無謀な。でも名乗りを上げるというのはそういうこっちゃ、そのあとなんとかなるさ、というくらい、まあ、ちょっと若かった。全額使っちゃった。それでお客さん来なかったらそれで終わっちゃうということですが、実際、お客さん来なかった。

1週間たったら、電話が1本来ました。「孫さんですか?」「はい」「上新電機と申します。エレクトロニクスショーで、ソフトバンクの展示コーナーを見ました。驚きました。素晴らしい、ぜひ取引をしてください」ということで、そこから取引が始まりました。そこから一気にうなぎのぼりで、まったくゼロの売り上げから、1年ちょっとで30億円の年商になりました。博打の勝負が当たった、ということ。

お客さんがドーッと来て、社員2人のところから、1か月後には、15坪のところに引っ越して、15人くらいになって。また1か月したら、100人くらいにして、また100坪くらいに引っ越して。また2か月くらいしたら、300坪のところに引っ越して、150人、200人の社員にして。1年間で年商30億になっちゃった。そこから倍々ゲーム。でも最初の1か月目のところは、当たるか外れるかの大博打だった。でも最初の立ち上げからいきなりガーンと週刊誌とかでも特集組まれて、何か「彗星あらわる」みたいな、特集を組まれて、ちょっともてはやされました。