坂本龍馬のような「高い志」が必要な時代

孫正義氏:皆さん、ソフトバンクの孫です。今日はお忙しいところ、たくさんお集まりいただきまして本当にありがとうございます。今、オープニングのビデオを見ていただきました。今年はまさに龍馬伝があって、龍馬ブームと言ってもいいくらいの状況になっておりますが、このビデオはもう今から4、5年前に作ったものであります。

ソフトバンクのロゴマーク。皆さんの携帯だとか、いろいろなところに「=」サインのロゴマークが出ておりますが、あのロゴマークは、この海援隊の、龍馬の海援隊のあの2本線の旗のしるしから生まれたんですけども。そのぐらい私が坂本龍馬さんに憧れておったと、そういう経緯で決まったロゴマークであります。

今、日本はまさに、当時の幕末の状態ではないかなと思います。この20年間くらい、日本はもうほとんどGDPが成長してない。いろいろな政治的な問題、あるいは経済の問題、国全体が活力を失っているということであります。こういう時にこそ、日本をもう一度よみがえらせる、日本の夜明けをもう一度迎えると。そのためには、龍馬のような高い志、また高い志に多くの若者たちが結集して、この世の中をもう一度活性化させると、そういう想いが大切なんではないかなと思います。

我々ソフトバンクは少なくともそういう想いを持って事業を進めておるところですけども、もちろん我々ソフトバンクだけではありません。日本にはまだまだ素晴らしい人物、そして会社、組織、あることであろうと思います。そういう人たちが奮起して、また皆さんのように若い人たちが一念発起して、日本にもう一度夜明けを迎えさすと、そういう気概で頑張ってほしいもんだと思います。

今日は、新卒の学生の皆さん向けの講演会、会社説明会というのがそもそもの趣旨で、このようなイベントを催しておりますけれども、あわせてUstreamを使って、多くの人々に、ライブ配信で見れるようにということで同時に今流しております。また、それを見ながらTwitterで私が今話している内容が多くの人々に伝播しているという状況であります。ですから今日は学生の皆さんのためだけというよりは、少なくとも、そういう志ということに対して、なにがしか興味のある方々が同時に聴いておられる、見ておられる、という状況だと思います。

今日の一番のメインのテーマは、ソフトバンクの会社案内というよりは、そもそも私は何を思ってこのソフトバンクの事業を興したのかと、どんなことを成したいと思っているのか、どういう志を持っているのか、そのことをメインに話をさせていただきたいと思います。

「竜馬がゆく」が人生を変えた

それがソフトバンクの会社ひとつひとつの事業を細かく説明するよりも、もっとも我々の会社の特徴を説明することになるのではないか、と思うからであります。「志し高く」と、これは私が一番好きな言葉でありまして、もし人からサインを求められたり、「座右の銘は?」というようなことで聞かれたときに、必ず私がサインするのはこの言葉であります。志を高く持って人生を歩んでいきたいということであります。

それじゃあ私自身が、どういうきっかけで、この高い志を持って人生を歩みたいとなったかということですが、1冊の本でありました。15歳のときに読んだ「竜馬がゆく」であります。

司馬遼太郎さんが書いたこの「竜馬がゆく」。この本を読んで衝撃を受けたんですね。それまでどちらかというと、まあ明るい中学生、小学校時代過ごしましたけれども。サッカーとか野球とか、剣道だとか、そういうスポーツをしたり、友達と一緒に、夜まで走り回って遊んで、というような生活を過ごしてきましたけれども。

たまに本を読むといえば、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」とか、なんかちと暗い本でした。そこにそんな本を読むよりはもっと男らしい本を読んだらどうだ! ということを家庭教師の先生に言われて読んだのが、この「竜馬がゆく」でした。それが目からウロコといいますかね、やっぱり1回しかない人生です。

この中で、NHKの「龍馬伝」を見てるという方、ちょっと手を挙げてみていただけます? おお、すごい。7、8割。8割くらいね、みんな手を挙げてます。世の中一般の人々より、ここに来てる皆さんの龍馬伝を見てる視聴率が8割以上あるということは、そういうのが好きな人が、どっちかっていうと集まっているということだと思いますが。この龍馬伝を見てると、皆さん、昨日も私ボロボロ泣きました。

脱藩をして、そして家族にも迷惑がかかるかもしれない。でも乙女姉やんが、「龍馬、行ってこい。おまえは土佐に収まりきれる男じゃない、もっとなにやらでっかいことをやる、そのためなら自分たちのことは構わん。行って来い!」と、こうやって送り出した。もうあのシーンのところで涙がボロボロボロと出てしまいましたが。あのシーンで僕がボロボロに泣いたのは、あの自分の人生にちょっと重なってるところがありまして。

龍馬の”脱藩”のような志で渡米した

僕は16歳でアメリカに渡ったわけですけれども、そのときに私の父親は、血を吐いて病院に入院している時だったんです。だから家族も心配してる。家族の家計がどうなるのか、家がどうなるんだ、ということ含めて、もう不幸のどん底です。

そのときに、僕は1人アメリカに行くと。もうむちゃくちゃに言われました、親戚からも。「親が病気して倒れて入院してるときに、なんでお前はそんな1人、アメリカに行くなんてことを言えるんだ! 冷たいヤツだな」と言われました。担任の先生からも校長先生からもクラスメイトからも、「まだ高校1年生の1学期で、なんでそんな状況でアメリカに退学して行くんだ?」というようなことを言われましたけども、まあ、私は決意して、アメリカに行ったわけ。僕にとっての脱藩に相当するのが、病気の父親をおいてアメリカに行ってしまう、ということだったんです。

僕はそのとき言いました。お袋に、泣きながらしがみつくお袋に、「お袋、病院の先生に聞いたら、親父は死にはせん、と言うてる。血を吐いたけど、死にはせんと言うてる。ここ何年かの家庭のことを思えば、家にいて学校で勉強して、家族のために、それはそれで大事なことかもしれん。でも、これから何十年のことを思ったら、家族のためにも、そして家族をさらに超えて、自分が何か事を成すと、このことのために人生を捧げたい。だからわしゃ行ってくる!」ということで涙を振り切って行きました。

つまり私にとっての志、それにちょっと芽生えてしまったということ、あの本を読んで。志って何だ? そのときは何を成したいか、というところまでは、はっきり見えていませんでした。しかし何かでっかいことをやって、何か多くの人を助けたい、自分の、あるいは自分の家族のそういう私利私欲とかそういうことではなくて、何かもっとでっかい、人生を燃えたぎらせたいと、ひきちぎれるほど頑張ってみたいと。それを成したいと、その想いだけは強烈にめばえてしまったんですね。それがこの、私にとっての志。

人生で1つ目の勝負は、「15歳での渡米」

多くの人、百万の人々を助けたい。百万千万の人々を助けたい。人々に貢献したい。そういう何かでっかいことを、これを成したいと。金銭欲とかじゃありません。そんなことではなくて、何か本当に多くの人々に、あいつがいてよかったと思われるようなことをしてみたい、ということで決心したわけです。私にとって人生、5つの大きな勝負がありました。第1回目の人生にとっての勝負、それがこちらであります。

志を立てて、渡米、ということであります。15歳の時にアメリカに渡りました。

15歳の夏に、アメリカに1ヶ月間だけ夏休みの英語の研修ということで行きました。もう目からウロコ。本当にもうアメリカの広い、世界で一番大きな国、一番文明が発達してて、力があって、輝くばかりのアメリカ。龍馬が「海外に行ってみたい、アメリカを見てみたい、ヨーロッパを見てみたい」と、でも行けない。吉田松陰先生が「わしゃ、アメリカに行く、外国に行くんじゃーっ!」と言って、船に密航しようとして、見つかって、切腹させられましたね。あれほど命を賭けて見てみたいという人々が行けなかった外国を、自分は見ることができる。

そんなチャンスがあるから、見てみたい、ということで見てみたら、なんとびっくり。やっぱり日本とは比べ物にならんぐらい、何やらすごい、ということを感じて、これはもう居ても立ってもおられんと、「脱藩じゃーっ!」ということで、もうバシッと退学届けを出して、高校1年生の1学期で、もう退学届けですよ。

校長先生も担任の先生も、せめて休学にしたらどうだと。せめてアメリカに行くというのなら大学に行ってからでもいいじゃないかと。大学卒業してからでもいいじゃないかと。せめて、今どうしても行きたいというなら、休学にしたらどうだと。で、1、2年行って、様子みて帰ってくる、と。その辺でどうだ、手を打たんか……と、そういうような話でした。

で、私は校長先生に言いました。「先生! 僕は弱い男です。アメリカに行って、英語がようわからん。1人で行ってどんな生活になるかわからん。困難にぶちあたったら、くじけて、弱い気持ちになって、戻ってくる古巣があれば、そこに戻ってくるかもしれない。それじゃ腹が据わらん。退路を断たないと。退路を断たないと、困難に立ち向かえん。だから休学届けじゃなく、退学届けにさせてください。私はこの高校をすばらしいと思います。先生方も生徒も、僕には何も不満はない。だから不満があって退学するんじゃないんだ。皆すばらしい友達で、皆すばらしい先生で、こんなに一生懸命止めてくれる校長先生も、担任の先生も、僕は本当すばらしいと思う。だから嫌いで行くんじゃないんです。チャレンジのために行って、くじけて帰ってきたら、ええこと何もない。だから、退路を断つんだ」、ということで勝負してアメリカに行ったわけです。

物理的な限界を超えるくらいに猛勉強をした

行ったアメリカで、めちゃくちゃに勉強しました。自分で好きで行ったわけですから、自分で望んで行ったわけですから、言い訳いいとうない。ということで、もう死ぬほど勉強しました。皆さん今大学生で、皆さんが大学生の今の現在と、当時の僕の状況と、この中5000人近くの人がいますけど、絶対に言えることは、「僕より勉強しているヤツはいない」ということ。自信持って言えるよ。なぜ言えるか、と。

途中で肺炎になっても、肺炎になったことがわからないぐらい、風邪でゴホゴホ、ゼーゼー、頭ガンガンして、その状態でも一切休まずに、一度も授業を休まずに、いつも前列のど真ん中で座って、食い入るように先生を見て勉強して、トイレに行くときも絶対に教科書から手を離さない、読みながらトイレに入る。道歩く時も教科書を読む、運転する時もイヤホンで授業の内容をテープでもう一度復習しながら。もう寝る時間だけ、寝る時間も最小限の時間、朦朧としながら、寝てる時間以外はすべて勉強する。英語がようわからん、そんなこと、わしゃ言い訳に使いたくない、と。

それまで日本にいて、高校1年まではイヤイヤ勉強してましたよ。イヤイヤ勉強してるからいろいろな言い訳いうとった。したくないものをしてるから。何のために俺は勉強せにゃいかんのや、と。こうやって言ってましたから。「こんなもの世の中に出て役立つんかー!」とか言ってましたから。たいがい手抜きの勉強でしたよ。でもアメリカに行って、それこそ血を吐いてる父親を置いて、泣く母親を振り切って、アメリカに行ったわけですから。そういう状況の中で、わしがここで言い訳言って勉強さぼってどうすんや! と。

学生のわしにとっては勉強は本業や。本業中の本業に命燃やして、ちぎれるほど勉強しなくて罰が当たると思ってやったんですね。ですからここにいる皆さんより、少なくとも勉強の絶対時間では、一日当たりの勉強の時間数では、わしに勝つやつは誰もおらん。少なくとも同じくらいやってるやつはおるかもしれない。でも物理的な限界を超えるぐらい、僕は勉強した。そのくらい燃やして燃やして燃やしまくって、やった。退路を断ってアメリカに行ったからには。でもそれは僕にとっては人生の大きな勝負どころ、転機だったわけ。

アメリカで高校1年生に入った。1週間で校長先生にかけあって、「もうこりゃいい、2年生に変えてくれ」と。それで2年生に変えてもらった。教科書を全部取り寄せて、3日たったらまた、全部2年生の教科書は全教科読んで、斜め読みして、もう1回校長先生に言いに行って、「もう2年生もいらん! 3年生の教科書を全部くれ」言うて、3年生に変えてもらって、また3日で3年生の教科書を全部読んで、「もうこれもいい、わしゃ高校はいらん! そのまま大学に行きます。先生さようなら」と言って、そのまま大学に行ってしまった。

だから高校生は、日本で1年生の1学期の3か月間、アメリカで合計2週間。それで高校はもう終わりということで、そのまま大学に行ったんですね。大学では、今言ったように死ぬほど勉強しました。その大学の3年生の時、出会いは突然訪れました。19歳の時でしたね。