昔から「背中を示す」リーダー気質だった

アマテラス:はじめに、佐藤さんの生い立ちから教えて下さい。ご家族構成や学生時代のお話などをお聞かせいただけますか?

佐藤泰秀氏(以下、佐藤):生まれは山形県天童市です。家の外構工事などを請け負うエクステリアの会社を営む父と、専業主婦の母という家族構成で育ちました。非常に厳格な父で、勉強に関してはさほど言われませんでしたが、人に対しての仁義や礼儀などは徹底的に叩き込まれました。

中学卒業後は親元を離れ、仙台市の高専で寮生活を送りながら情報工学やプログラミングを学びました。当時、GoogleやYouTubeなどが台頭し、IT産業が大きな変革期を迎えつつありました。世の中の情報工学に対する感度はまだ高くありませんでしたが、私はITを専門的に学ぶ環境に身を置きたいと強く思い、自らの意思で情報工学系の高専への進学を決めました。

在学中には交換留学生としてフィンランドの大学で研究する機会に恵まれ、そこで体験した「個の価値観を最大限に尊重する教育」には非常に感銘を受けました。それぞれが好きなことに真っ直ぐ突き進むことを許容する社会の在り方は、現在の経営にも色濃く反映されていると思います。

また、小学校から20歳までずっと野球をやっていました。小学生以来ずっとキャプテンを務めており、性格的には昔からリーダー気質だったかもしれません。ただ、カリスマ性を持った絶対的なリーダーではなく、真面目にコツコツとやっている背中を示して皆に気付いてもらうというスタイルだった気がします。

身体があまり大きくなく、高専に入ってからはなかなか活躍の場にも恵まれませんでしたが、それでもサボらず真面目に練習を続けていたところ、高専最後の試合で柵越えのホームランを打ち、有終の美を飾ることができました。12年間続けてきた自分の努力を野球の神様が認めてくれたのだと、とても感動したことを今でも思い出します。

ターニングポイントは、同僚からの「なぜ挑戦しないんだ?」

アマテラス:日立製作所に就職された理由と業務内容を教えて下さい。

佐藤:高専卒業後に大学へ編入するという選択肢もありましたが、私は早めに社会に出て親に恩返ししたいと考えていました。日立製作所は部門ごとの採用を行っておりましたが、私は多くの市民やお年寄りの方にITを通じてより良い行政サービスを提供することで社会貢献をしたいと考え、公共システム部門への就職を決めました。

日立では個人番号系のシステムのプロトタイプ作成など、大きなプロジェクトに携わりました。1人当たりの業務量も多く厳しい職場ではありましたが、高専卒の自分がどこまで戦えるのか挑戦したいと、我ながらものすごくがんばっていたと思います。

そのがんばりが認められ、入社4年後に社内の海外教育プログラムのメンバーに選抜されます。社員を海外派遣してビジネスを学ばせるという制度で、私はシリコンバレーにあるAIスタートアップへの派遣が決まりました。

渡米はしたものの、当時の私は自分の働き方について悩んでいる真っ最中でした。「ITを通じて社会に価値貢献したい」と希望に燃えて入社しましたが、大手企業に勤める者の宿命で、自分はあくまでも歯車の1つでしかありません。お客様の喜ぶ姿を見ることもなく、自分のやっていることの価値や自身のキャリア形成に自信が持てず悶々としていました。

シリコンバレーは、言わずと知れた起業家の宝庫です。有名企業の名前などに囚われず、自分自身でマーケットに価値を提供しようという起業家たちは本当に輝いており、私も日立という看板を捨て、価値提供をする側に立ってみたいと思うようになります。

そんな折に中国人の同僚から掛けられた「ヤスはまだ失敗できる年齢で、こんなに野心もあるのに、なぜ挑戦しないんだ?」という言葉が大きなターニングポイントとなり、そのままシリコンバレーのスタートアップにジョインすることを決意しました。

アマテラス:派遣されたAIスタートアップにそのまま転職されたということですが、どのような会社だったのでしょうか。

佐藤:この会社はAIの他に求職者と求人情報をマッチングするHRのサービスも展開していました。求職者がチャットボットに自分の履歴書や職歴をアップロードするとAIマッチングアルゴリズムで自社の保有する求人データを照会し、最適な求人情報をレコメンドするといったサービスです。

AIが自然言語ベースで職務経歴書を読み取って情報を抽出するという概念や、その仕組みをレジュメだけでなくウェブのオープンデータなどから構造解析して抽出する技術などは当時まだ新しく、日本にはそういったサービスを提供する会社はなかったと思います。

慣れるのに苦労した「思考プロセスの違い」

アマテラス:急転直下の転職で、予想外の苦労もあったかと思います。印象に残っているご経験などがあれば教えてください。

佐藤:日立時代から変化への対応には強く、順調にアジャストできた方だとは思います。英語に関しては行動量でカバーするしかないと割り切って乗り切りましたが、思考プロセスの違いについては慣れるのに少し苦労しました。

例えば日立にいるときは「すでに完成した製品があり、その価値を提供する」というビジネスが当たり前でしたが、スタートアップは完成前からバンバン売り込むんですよね。「まだ無いものを売る」という考え方にはすごく面食らいましたが、有象無象が入り混じるシリコンバレーで資金調達をするにはこれが重要な生存戦略であり、面食らいつつも受け入れる以外の選択肢はありませんでした。

一方で、この経験を通じて「投資家にウケる見世物的なサービスを作ったところで、結局世の中にとって価値のあるサービスを作らなければ意味はない」とも感じました。世の中に新たな概念を提供することは当然重要ですが、実際にそれが世の中に認められ、受け入れられて初めて価値が生まれるわけです。世の中にとって価値あるものを提供する重要性に対する認識は、今の我々のフィロソフィーにも繋がっています。

思考プロセス以外のところでは、「資金が調達できても事業が成長するわけではない」という経験をしています。先ほど「無いものを売る」というお話をしましたが、資金調達に成功しても、その後の採用や事業展開は思うように行かないことがあり、資金を正しく使って、組織をグロースさせることの難しさを痛感しました。

現在私たちは第三者資本を入れず、自己資本のみで運営をしています。これは、シリコンバレーでの経験から「外部調達した資金を有効活用するためにも、自力でスケールできる組織を作るためにも、まずは自己資金でしっかり土台を作り込むことが大切だ」という意識が根底にあるからです。

アマテラス:シリコンバレーのAIスタートアップにはどの位在籍されていたのでしょうか。

佐藤:約2年です。事業開発や資金調達などの業務に携わった後、日本市場開拓責任者を経て日本子会社設立を経験し、その後XAION DATAを起業しました。

「幸福度」が低い日本の、ビジネスモデルの課題

アマテラス:XAION DATA社起業に至るまでのストーリーをうかがえますか?

佐藤:日本に子会社を設立してCEOとして仕事をする中で、本国側の事業方針や投資家に要望される事業と、日本が現実に抱えるビジネスやマーケットの課題の間には違いがあることに気が付きました。どちらを取るかと考えたとき、日本で目の前にある課題を解決できるサービスを作りたいと感じたのがXAION DATA設立のきっかけです。

また、日米の文化の違いを感じたことも背景にあります。例えば、採用システムを比較すると、アメリカではいわゆるジョブ型採用が一般的です。応募者は「自分にはこういう強みがある」というキャリア価値を前面に出すアピールがごく普通に行われています。

他方、日本では新卒一括採用や終身雇用の概念がまだ根強く、自分のキャリア価値を認識できる機会は多くありません。転職エージェントの「あなたにはこんな価値があるから、こういう企業が良いのではないか」とマッチングするビジネスモデルがうまく行くのも、日本の実情が反映されていると感じます。

先進国であるにも関わらず、日本人の幸福度が国際比較的に低いことがよく話題になります。これは、自身の価値を認識できていないために自己肯定感が低く、幸福感が得られていない日本人が多いためではないかと私は考えています。

そこで、自分の価値を理解し、それを発信して認められることで幸福感を得られる世界観を作っていきたい。そういったところで日本には大いにポテンシャルがあるはずだと思い、起業の決断に至りました。

アマテラス:共同創業者の石崎さんについても教えていただけますか?

佐藤:石崎(優人・取締役/CTO)は元々日立製作所の同僚で、シリコンバレーのスタートアップでも一緒に働く仲間でした。お互いが抱く問題意識や目指す世界観が同じであったことや、彼が私にないものをたくさん持った、信頼できる人間であったことなどから一緒にやりたいと思うようになりました。向いている方向は同じでも考え方が違うことで、ベクトルの総和としてカバーできる範囲がぐんと広がるのではないかと考えたのです。

彼は日立でも大変活躍しており、起業はかなり大きな意思決定だったと思います。データサイエンティストという職業柄もあり、非常に細かなところまでしっかり見る慎重なタイプなのですが、私を信頼してくれ、「ヤスさんを担いで行きたい」と言ってくれたのは本当に嬉しかったです。

コロナ禍で生まれた新たなニーズが、会社の現状の本質だった

アマテラス:2020年1月、コロナの真っ只中での起業でしたが、この特殊な状況を佐藤さんはどのように受け止めましたか?

佐藤:大流行の最中、ワクチンもまだなく出口が全く見えていないタイミングでの船出でした。コロナ禍で企業の採用がどんどんストップするのを見て、戦々恐々としていました。

一方で、リモートという業務形態の導入が進んだことにより、組織体制を見直す企業が増えたというポジティブな側面もありました。対面では通じていた非言語的コミュニケーションがオンラインでは使えなくなり、組織としてのルールや必要な人材の再定義が進みました。

実は、そこで生まれた新たなニーズは会社の現状にとって本質的なものであり、ニーズの高まりは我々の持つ「すでに転職活動を行っている顕在層だけでなく、転職活動を行っていないが転職に対する意欲はあるという潜在層にもアプローチして組織に必要とされる人材を見付ける」という技術が受け入れられる土壌の醸成に繋がっているのではないかと思っています。

アマテラス:創業初期は仲間集めと資金繰りに苦労をされる経営者が多いですが、佐藤さんは仲間集めは順調でしたか?

佐藤:アメリカから帰国したばかりでコネクションは皆無、右も左も分からない状態からのスタートでしたから、仲間集めには大変苦労しました。事業をドライブさせなければいけない状況の中で、そこに共感してもらえる人を探すは至難の業でした。

1人目の正社員はシェアオフィスで知り合ってスカウトし、2人目はYentaで知り合って業務委託から正社員化しました。それ以降もインターンや大学時代の先輩など、細い細い人的コネクションを絞り出して何とか採用してきたというのが実情です。

スタートアップで重要なのは競合との差別化

アマテラス:資金面ではどんなご苦労があり、どのように解決されたのでしょうか。

佐藤:起業直後は売上が上がらないのに支払いだけはあり、預金残高がどんどん減っていく焦燥感は半端ではありませんでした。全て自己資金でやり繰りしていたので、自分たちの給料を極限まで下げて何とか食い繋いでいました。

預金残高がゼロになればおしまいですから「そこまでに何が何でも売り上げなければ」という気合と、あとはキャッシュフローを理解することでいつまでにどういう状態であることが必要かを逆算し、その状態を何とか作り込むという形で何とか最悪の状態を凌いだという感じです。

創業して半年ほど経った頃から、少しずつ我々のビジネスを理解し、契約してくださるお客様が増え始めました。私たちがようやくビジネスというものを理解し始めたという側面もあるとは思いますが、お客様との関係性をしっかり築き、そこに価値提供ができるようになって来たというのが大きな要因ではないかと思っています。

アマテラス:どんな部分がお客様に評価され、契約に繋がったのだと思われますか?

佐藤:他の人材エージェントや採用サービスとの違いがお客様に認識され始めたことが大きかったです。我々のプロダクトは、簡単に言えばダイレクトリクルーティングサービスのオープンデータ版のようなものです。オープンデータを利用した採用スタイルは日本ではまだ珍しく、結果的にはこれが奏功しました。

宇宙領域など、ニッチ過ぎて他のエージェントがマッチングできなかった企業で我々の紹介した人が決まるようになったことを機に、プロダクトの価値が認識され始め、お客様との関係性もぐっと深まって行った気がします。

アマテラス:事業の立ち上げで最も大変だったのはどんなところでしたか?

佐藤:スタートアップで重要なのは競合との差別化です。大手から簡単に真似されるようなプロダクトでは負けは見えていますから、「いかに技術特異点などモート(競合から事業を守る「堀」。ユーザーが選び続ける理由)のある事業を初期に作り込むか」という部分に最も腐心しました。

日本と海外の市場から情報収集をしながら仮説を立て、ビジネスを立ち上げ、売上も上げる。新しい技術でも価値を感じてもらえなければ売上は上がりません。1つでも間違えば会社は終わるという難しさがありました。

次に出てきた問題は、先ほども少し触れた「資金を入れたらちゃんとグロースする」という体制を作ることでした。スタートアップは、初めは組織というより個の力で0→1にする場面が多く、個人として能力の高い人が集まる傾向にありますが、長い将来を見据えると組織としてブーストできる体制づくりが必要になって来ます。事業づくりから組織づくり、私自身が経営者として向き合うポイントが少しずつ変わって来ていると感じます。

意識しているのは「それぞれの社員に対し誠実に向き合うこと」

アマテラス:佐藤さんは、それらの問題をどのように乗り越え、会社を拡大の波に乗せて行ったのでしょうか。

佐藤:まずはプロダクトの方向性が間違っていなかったこと、そして、既存のメンバーがしっかり育ち、組織として戦えるようになって来たことが初期の難所を乗り越えられた最大の要因だと思っています。個としても組織としても伸びてきたことで任せられることが増え、私は経営や新たな事業づくりに専念できるようになって行きました。

私自身はプレイヤーから経営側に立ち位置が変わって来ましたが、それぞれの社員に対し誠実に向き合うことに意識を置いています。成長には時間がかかるものですし、短期的に結果が出るものではありませんが、その人を信じて成長を待つ姿勢を大切にしています。

当社のバリューにも「Integrity」という言葉がありますが、メンバーがお互いに誠実性をもって向き合い、何でも言い合えるような心理的安全性のある職場環境を作ることで成長を加速させて行きたいという思いから着想したものです。

バリューだけでなく、ミッションやビジョンも常に意識しています。当初は環境の変化に伴い「自分が変わらなきゃ」という思いが強かったのですが、業務や肩書が定義する役割に縛られず、会社が目指す方向性を意識し、自分のベクトルではなく組織のベクトルの中に自分を置いてみようと考え方を変え始めてからは、案外すんなりと順応できて来た気がします。

アマテラス:現在XAION DATA社が描いている未来像や、それを実現するための現在の課題を教えて下さい。

佐藤:事業部分と人的な部分に分けてお話ししたいと思います。

まず事業については、現在のHR主軸から、中長期的にはより幅広い分野で事業利益に利活用できるデータプラットフォームを基盤としたサービスへ発展させて行きたいと考えています。そして、サービスを通じて我々のデータ基盤が拡張し、さらに新しい価値を生み出すというサイクルの実現を目指しています。

その実現に向け、短期的には足元の事業を1つ1つしっかり固める必要があります。また、ChatGPTをはじめとする新しいAI技術が発展しスピーディに変遷する世の中で、データ基盤というコアの部分はセンターピンとして持ちつつ、時代の潮流に合わせた価値提供ができるビジネスモデルを組んで行きたいと考えています。

そのためには課題を見極めて必要な情報収集をし、技術の変遷に対しアジリティの高い経営が可能な事業体制を作って行くことが重要になって来ると認識しています。

経営で最も大切にしているのは「誠実性」

佐藤:組織に関しては、成長著しいとはいえまだ個の能力に頼ってしまっている部分もあり、それぞれがベクトルを組織に向けて共に成長できるような組織成長性の高い体制づくりが急務だと考えています。中長期的には会社として目指すゴールやミッション、ビジョンなどを明確化し、文化としてしっかり浸透させることで、組織が大きくなってもみんなが同じマインドを維持できるような組織に進化させたいと思っています。

また、先ほど「アジリティの高い経営を」というお話をしましたが人材も同じで、今後は経営環境の変化に迅速に対応できる人材の重要性が増して来ると思います。誠実性を持って自分と向き合い、足りないものを理解して変容できる人材、そして、常に学び続ける姿勢を忘れない人材は時代のスピーディな変化にも対応できるはずです。

アマテラス:佐藤さんが考える理想の組織像についても教えて下さい。

佐藤氏:私自身が経営する中で最も大切にしているのは「誠実性」という言葉です。

誠実な人間は自分の持つ弱みや至らぬ部分、課題を受け入れて改善しようというマインドがあり、ビジネスパーソンとして成長するために必要なことへ真摯に取り組むことができます。誠実に事業へ向き合い、目の前のお客様へ向き合い、自分と向き合う。そういう姿勢を常に持っている人間が集まる組織にしたいと思っています。

アマテラス:佐藤さんが考える、このタイミングで御社に参画する魅力を教えて下さい。

佐藤:我々のサービスは市場から見てもまだまだ新しい概念で、現在はこの概念を切り口に新たなマーケットを開拓して行こうというフェーズです。これは正にスタートアップの醍醐味を思い切り味わってもらえるタイミングで、何よりも大きな魅力だと思います。

それから、我々は現在個の戦いから組織での戦いへと変貌を遂げている真っ最中です。そういったタイミングで組織の変化を間近で感じ、皆で一緒に成長させていく面白さを経験できるというのも魅力に感じていただければ嬉しいです。

アマテラス:本日は貴重なお話をたくさん伺えました。どうもありがとうございました。