全国シェアの90パーセントを占める「高岡銅器」

前田大介氏(以下、前田):続いて地元から、我らが世界の折井さんでございます。折井さん、取り組んでいらっしゃることをあらためてご紹介ください。

折井宏司氏(以下、折井):ごめんなさい、私は資料を送ってなかったのかな。インターネット等で調べてください、と言ったらおしまいですが(笑)。オンラインで見ている方は「モメンタムファクトリーOrii」と検索してみてください。

前田:「折井さんのパンフレットとても素敵です」と、オンラインの方から来てます。

折井:ありがとうございます。オンラインの方々は「BNL(ネスネットワークラボ)折井」と入力していただいたら、私がなんで後を継いだのかについて、端的に3分の読み物が書いてあります。

あとは「ブランドたまご 折井」で検索すると、博報堂さんの記事に、私がどういうふうにしてブランディングしていったのか、3分から5分の読み物で書いてあります。経歴についてはそこでほぼ完結しております。

前田:会場のみなさんもぜひ、折井さんのストーリーはそちらをご覧ください(笑)。

折井:ここにいらっしゃる会場の方々に少しご説明します。高岡銅器は、なんと全国の90パーセントのシェアを占めている産地です。なんでかというと、分業化を徹底していたからなんですね。鋳物の町は、決して高岡だけではありません。青森の南部鉄器もあるし、山形鋳物、それから京都が一番有名ですよね。ですが、そういう産地はすべて一品です。

分業化によって全国シェアを可能に

折井:京都だと仏像なら仏像だけを、型から鋳物・色付けまで1種類のものを作って、1社で代々やっておられる。仏具は仏具、南部鉄器は南部鉄器というかたちで、1社でメーカーとしてやってらっしゃるんですね。

高岡は問屋さんが仕切っていらして、いろんなものがあります。能作さんのような小さいものを作っている会社から、大型の大仏さんまで作っている会社もあり、鋳物工場も分かれてます。それを作る型屋さんもぜんぶ違うんですね。木型で型を作ったり、仏師さんは粘土で造形する人もいるし、型だけでもいろんな業者がいる。

それをすべてピストンのように問屋さんがオーダーをかけて、できたら取りに行って、次の工程の工場に持っていくわけですね。鋳物工場、溶接工場、研磨工場、最終的に私どもの色付け屋さんに持ってきてもらって、色を付けて出荷する。

他の産地では1社でぜんぶやってることを分業化してるので、生産能力はとてもあるわけですよ。なので、高岡銅器は全国の90パーセントほどのシェアがあると言われております。

今でも顕著に盛んなのは、アニメのキャラクターです。作家さんのゆかりの地、例えば境港(鳥取県)に行くと、「水木しげるロード」には妖怪の銅像がいっぱいあります。あれもぜんぶ高岡で制作されたもので、半分ぐらい私が着色を担当してます。

東京や福岡県にはサザエさんの記念館等がありますが、サザエさんの銅像もすべて高岡産。あとはキャプテン翼の銅像(東京都葛飾区)も、すべて私どもが着色を担当していたりと、高岡はそういう町なんですね。だから、非常に分業化していて全国シェアがある。

375億円あった市場が、2020年には4分の1まで減少

折井:ですが残念ながら、1995年のバブル崩壊後数年遅れてるんですが、タイムラグがあって。高岡銅器はどんどん右肩下がりになり、375億円あった市場が2020年の資料では95億9,000万円と、4分の1まで落ち込んでいる状況になりました。

バブル崩壊後に生活様式も変わりまして、仕事が激減していったんですね。私たち高岡銅器の職人分業なので、1つも自社の商品を持ってません。完成されたものを、いろんな業者、加工屋さん、溶接屋さんに依頼されて仕事をもらっている立場なので、仕事が激減していった時代が起きました。

先ほどお話ししたように、私は東京のコンピュータ会社から転職して、家業3代目で戻ってきたんですが、市場が約260億円と100億円ちょっと落ちている状況で家業に戻ったんです。

その時に「このままだったら生活できない、結婚もできない」と強く感じました。色付けは自社で勉強できますが、それ以前のことを学ぼうと思って高岡市にあるデザイン・工芸センターで鋳物の選び方を学びました。そこへ行った時に、「問屋さんってなんてすごいんだ」と思いました。

(問屋さんは)私たち職人たちに仕事をばらまいてくれてたわけです。毎年10品、20品の新作を作っても、ぜんぶヒット作になるわけじゃないじゃないですか。何十万円、何百万円を投資して作ったけどお蔵入りになっちゃうものもあるし、そういうことをやっていたんだなとも感じて。

問屋さんに頼っていないで、私たち下請けでも何かを作っていかなきゃいけないなと思いました。私の工場は鋳物はできませんので、色に特化して、銅板、板、圧延板という薄く伸ばされた板を工夫しながら、伝統的な技はそのまま転化できなかったんですが新しい技で色が出るようになりました。それで今は、インテリアや建築部材を作っている工場になります。

前田:ありがとうございます。この後、また深堀りしてお聞きしていきたいと思います。

“安くて良いもの”を求める若者にも届いた伝統文化

前田:高岡銅器のことや分業体制のことは知ってらっしゃる方もいると思うんですが、マーケットのシュリンクの激しい下がり方とか、その中での折井さんの戦い方は、みなさんも地元にいながらにして意外と知らない人も多いんじゃないかなと思います。

じゃあ、ここからいろいろ深掘りして聞いていきたいと思うんですが、呉さんは折井さんのことはご存知でしたか? あと、高岡銅器のことはどうですか?

呉琢磨(以下、呉):本当に初めてで、今回お話を一緒にできるということでいろいろ調べさせていただきました。商品を見たり、ウェブサイトを通じて「こういうものを取り扱われているんだな」と。

「じゃあ、マーケットの評判どうなのかな?」と思って、Twitterで商品名やブランド名、反応を調べていくと、けっこう若い方にちゃんと届いているのがすごいなと。伝統技術を使ったプロダクトで、しかも性別も男女問わずに届いているケースはなかなか珍しいので。

どの地域の人たちも、伝統工芸ってみんな大事にしたいんですよ。「これが自分たちの誇りだ」「俺たちの地域はずっとこれでやってきたんだ」と、それ自体はすばらしいことなんですが、たいていちょっと豊かなものなんです。

今の若者って、ぶっちゃけそんなにお金がないんですよ。特に都会に暮らしてる人たちは、100均だの300均だのコンビニだの、「安くて良い」の基準がめっちゃ低いんです。高級な豊かなものに対しては、あんまり自分たちと関係あるとは思えないのにも関わらず、折井さんのプロダクトは若者層に届いている。

「伝統工芸をかっこよく・カジュアルに」

:僕も吸っているんですが、最近電子タバコが流行っていて。電子タバコのカスタムパーツを折井さんのところでワンオフで作ってもらったりと、すごく凝ったことをやってる若者も出てきていて。「こんなマーケットの受け入れられ方をするってすごいな」と、すごく関心しましたね。

前田:折井さん、それは狙ってたわけじゃないんですよね?

折井:そうですね。そういうふうになってきたということです。今お話ししていただいたように、伝統工芸はすごく大事なもので、継承していかなきゃいけないものなんですが、私が家業に戻ってきたらそういった状況だったんです。

伝統工芸をかっこよく・カジュアルに持っていこうと、この20年ぐらいずっと取り組んでいて、ようやくそれが少しずつみなさんに浸透してきたなと思ってますね。

前田:ありがとうございます。先ほどの小原さんの三層構造のお話で、高岡の鋳物も歴史とか技術から完全とあったものを、折井さんが違うかたちで表現してるわけですが、小原さんのほうはお茶と温泉と肥前吉田焼。これも古くからあったものです。

この次はお二人のアイデアの源泉というか、第一層としてあったかなり歴史の長い価値を現代においてどうアレンジされているのか。そして今日はビジネスマンもいっぱい集まっていると思いますので、いかにビジネスとして価値を上げていくか、どういうアイデアや視点を持ってらっしゃるかを教えていただいてもよろしいですか。

地元を出て気づいた、日常の中にある豊かさ

小原嘉元(以下、小原):まず、けっこう「運」みたいなところもあって。私も18歳まで敷地に住んでいたので、毎日温泉に入っていて。温泉に入るのは日常なので、私が言うことじゃないですが、日帰り入浴に10円も払いたくないんですよ。水には100円とかぜんぜん払うんですが、日帰り入浴には10円も払いたくないっていう生活が日常なもんですから。

(一同笑)

前田:確かに。小原さんのところは(敷地が)2万坪でしたっけ?

小原:2万坪ですね。

前田:2万坪の敷地の温泉に、幼少期からずっと入ってるという日常ですよね。

小原:テニスコートとか、ゲームセンターとかもあったりします。

:貴族みたいな育ち方してますね(笑)。

小原:うちだけじゃなくて日本の47都道府県、一族でやっていて100室以上ある旅館の2代目や3代目は、そういう大きなぬくぬくとした生活感があるんですよ。

前田:温泉だけに(笑)。

小原:(笑)。それで18歳まで生きてきたので、そこからなかなか抜け出せない。外に出てから36歳でもう一回戻ってきて、四季折々通じて豊かさに気づけたということが、まずは一番大きくて。

背伸びするのではなく、日常にこそ価値がある

小原:「前田さん、嬉野ってお茶と温泉しかないじゃないですか」と今日45歳の私が言っていれば、ここに立ってることは絶対にないと思います。宿の作り方から、地域の関わり方から、たぶんすべての言動が変わってると思うんです。

いろいろな人生経験があって、36歳で戻ってきてから1年ぐらい経って、「これ(伝統文化)はすごくクールだし、これでこの町は大きくなって、自分も生活ができていたんだな」というのがすーっと入ってきて、自分で気づきがあったことは大きかったんだろうなと思います。

あと、旅館をオフィスにして10社が入っていたり、ティーツーリズムをやっているのは、一切背伸びしない日常にこそ価値があるということです。お茶、温泉、肥前は、背伸びした瞬間にイベントで息切れして、予算やスペック合戦になっていきます。

「去年は1,000人呼んだから、今年は2,000人呼ぶためにどうする?」「スポンサードつける?」「スポンサーは誰がいいの?」という話になるんですが、そうではなくて、今日の日常を大切にする。

今、スタッフは100人ほどなんですが、私が雇用主としてお給料を払う「A」という人種がスタッフです。今日もお客さんがたくさん来ていただいてますが、お金をいただくツーリストが「B」という、2つ目の人種。日本の旅館って、基本的にこの2人種にしか敷地を跨がせないんですよね。

「稼げないから、継がせたくない」という農家も多い

小原:それを私は2019年のコロナの前の年から、私が給料も払わないけど、365日うちで仕事をする「C」というワーカーを受け入れた。Cという方々に敷地を開放しただけなんですよ。衣食住で衣類のない国ではないので、食住のために最適化したのが旅館であるとすると、ワーカーにとっても(旅館が)国内最強インフラだった。

おそらく六本木ヒルズよりも、富山県庁よりも、美術館よりも、カフェよりも、ガソリンスタンドよりも、日本の2万軒ぐらいの宿のほうが確実にワーカーにとっては働きやすい。

:まさに今ある資源の価値の見方を変えて、「こういう使い方があるじゃん」「こういう価値があるじゃん」というふうに見つけて伝えたわけですね。

小原:そうですね。

:そうしたらいろんな会社が「温泉で働けるなら使いたい」と言って、オフィスにしたい10社が入ってきたという話ですね。

小原:契約すると、社員の方は温泉入り放題になってますし。

(一同笑)

小原:ティーツーリズムに関しても同じですね。今でもそうなんですが、「息子を苦労させたくないから、継がせたくない」という茶農家さんはいるんですよ。

:稼げないから、継がせたくない。

小原:それを否定するのは簡単なんですが、ぜんぜんそれでもいいんですよね。500年かけてそうなったのは、1つの答えなので。その人たちに無理くり「気合いを入れてがんばれ」と言うのも、シーンによってはやってもいいんですが、辞めてしまいたい人もいる有象無象の中にこそ価値がある。

私は茶農家じゃないから、お茶農家としての価値はないんですよ。それをお茶農家の若手の7人と一緒に、まずはトップラインをあげるためにこういうことをやってるので。

2つの「相対化」によって、今ある資源に価値を見出す

小原:我々のチームは口が悪くて、「嬉野市役所から同心円状に離れれば離れるほど評価が高い」というのを6年間ずっと言ってたら、めちゃくちゃ市内の市民圏を得るのが遅くて。

(一同笑)

小原:最近やっと市長とも仲良くなってきたんですが(笑)、今日もこんなことを言ってるんでよくないんですが。口を慎まないといけない(笑)。茶農家にこそ価値があるので、ヒントの見つけ方はまずはそこだと思います。

:小原さんのやられた価値の発掘について補足しておくと、36歳までは敷地から出ていって、外を経験してきた。そして(家業に)帰ってきて、相対化して見る。それまでだったら当たり前だったぬくぬく環境に対して、初めて「普通の人にとっては普通じゃないぞ」というのを相対化して見られた。

あとは茶農家さんもそうですし、オフィス賃貸業とか異業種とのクロスオーバーをしているところが、ここまでのお話の段階だと特徴だと思います。

外部視点を持ち込む相体化と、異業種とクロスオーバーする相体化。この2つの軸で、今までは「ここに価値があるんだぞ」と思ってたところに横串を通したのが、別の価値の発見の仕方、今ある資源の価値の発見の仕方として、共通して行われたことなんじゃないかなと認識してます。