「支配的なチーム」は、リーダーの間違いを止める人がいない

浅見義治氏(以下、浅見):ぜひ小林さんにもおうかがいしたいんですが、この「支配的なチーム」の観点でお話をうかがえますでしょうか。

小林宏之氏(以下、小林):まず、この「支配的なチーム」が持つリスクについて一般的なことを申し上げて、次に航空界での事例を紹介してまいりたいと思います。

まず「支配的なチーム」というのは、いわゆる完璧なリーダーであったら大きな問題はないと思いますが、どんなに優れたリーダーであっても、やはり完璧な人間はいないと思います。完璧であっても、場合によっては年齢とともに完璧でなくなる。

一般的に「支配的なチーム」では、リーダーが間違った判断や勘違い、状況認識の不具合があった場合、メンバーは「ちょっとおかしい」「こうしたほうがいい」と思っても言えない。

リーダーの間違った判断や勘違い、状況認識の不具合でだんだんまずい方向に近づいてしまっても、それを止める人がほとんどいない。最悪の場合は危険な状態になってしまうという、重要な事態を招いてしまうことが考えられますので、やはり「支配的なチーム」はいろんなリスクを持っているかと思います。

昔だったら、もちろん「俺について来い」といった人が頼もしいと言われた時代もあったんです。「俺について来い」という「支配的なチーム」がうまくいくところもありますが、今の社会においてはかえっていろんなリスクや不具合が生じます。なので、「支配的なチーム」はないほうがいい、ということになるかと思います。

航空業界に見る「支配的なチーム」が招いた事故

小林:次に、航空界でもいろんなことがありました。特に「支配的なチーム」の場合、国内や海外でもそういった雰囲気のために、いろんな事故の事例がありました。特に欧米の航空会社は、軍出身のパイロットが民間航空に就職するケースがかなり多いんです。

民間航空に再就職したパイロットが気持ちや考え方を切り替えてくれればいいんですが、軍の厳しい階級制度による強い権威勾配の意識を持ったまま民間航空で働いた場合、他の乗員やメンバーがパイロットに物が言えない。

軍出身のパイロットの操作や判断でかなり危険に近づいた時でも、他の乗員が物を言えなくて事故に至ってしまったケースがかなりあります。

近くではグアムでもありますし、日本国内でも韓国の航空会社が広島で事故を起こしたこともあります。広く日本でも、1970年代にクアラルンプールで権威勾配があったのではないかと言われる事故もありました。

そういった教訓をもとに、航空会社ではいろいろな訓練をしています。あとでまた詳しく触れたいと思うんですが、抽象的な言葉ですが「適度な権威勾配」という言葉を使っております。もちろんリーダーは必要ですが、リーダーがいても強い権威勾配があると、他のメンバーが気がついたことや不審に思ったことが出なくなってしまいます。

リーダーとしての役割は必要ですが、気がついたことや不安に思ったこと、不思議に思ったことや「こうしたほうがいいんじゃないかな」ということを、誰でも気楽に・遠慮せずに物が言える雰囲気を作るようになってきました。今はまだまだ不十分ではありますが、かなり定着してきております。

間違いを指摘できないチームが、不祥事やトラブルを招く

小林:こういった取り組みのおかげで、大事故にならなかった事例を1つ紹介したいと思います。数年前に国内線の四国の徳島空港で、滑走路で地上の車両が工事をしていたんですが、それを管制官が失念して、航空機に着陸許可を出してしまった。

機長は着陸にずっと専念して、着陸寸前の時に副操縦士が「滑走路に何かがある」とゴーアラウンドをかけたんですね。

ゴーアラウンドというのは、安全に着陸できない場合は着陸を復行することなんですが、誰かが1人でも「ゴーアラウンド」という言葉を発声したら、即着陸を止めないといけないと規定化されております。そういったことで、大事故に至らなかったという例があります。

「支配的なチーム」という土壌のまま組織運営をして、強いリーダーシップをとって、リーダーが優秀な人だったらうまくいった時もいくつかあると思います。

だけど、何回かに1回にはいろんなトラブル、場合によっては大きな危機を招く事故とか、あるいは企業にとってもかなりの不祥事が起こってしまう。「支配的なチーム」は、こういったことが発生する危険性があると思います。

この数年来、日本の大きな有名な企業においてもいろんな不祥事が起こっていると思います。これも、社内で「誰かがおかしい」と気がついたと思います。「おかしい」と思った人が発言して、上層部が組織として取り入れて改善策をしていたら、今報道されているような不祥事が防げたのではないかと思います。

そういった意味でも、この「支配的なチーム」を改善していく。あるいは「支配的なチーム」の雰囲気や社内風土を改善していく。今日のメインテーマであり、何度かこれから出てくると思いますが、心理的安全性といった社内風土を構築していくことが非常に大切だと思います。

患者の人生のために「医療者の人生」がないがしろになっている

小林:大きな組織や伝統のある組織ほど、時間はかかります。農業で言うと、畑の土壌を変えるのにも1年、2年じゃなかなか変えられない。同じように、伝統のある組織や大きな組織ほど、変えていくには努力が必要だと思います。私たち航空界も、こういった社内風土や乗員の風土を変えていくことに1980年代から取り組んでいます。

まだまだ十分とは言えませんが、かなり定着はしてきております。ですから、ぜひ今日のセッションでお気づきの点、あるいは腑に落ちた点がありましたら、みなさま方の企業・会社・組織に持って行って、少しでも構築するようなきっかけを作っていただければと思っております。

浅見:ありがとうございます。𠮷岡さん、今のお話をお聞きいただいていかがでしたでしょうか。

𠮷岡秀人氏(以下、𠮷岡):そうですね。そのことに関係あるかもしれないのですが、なぜ僕が「支配的なチーム」を脱却したかをちょっとだけお話ししておくと、実は去年Twitterで届いたメッセージがありまして。

「海外では患者の人生はもちろん大切にされています。けれど、医療者の人生はもっと大切にされています」という、カナダの看護師さんからの僕へのメッセージだったんですね。日本は、患者の人生のために多くの医療者の人生がないがしろになっている。日本の「命至上主義」のために、みんな時間外でブラック労働している。

日本の外科医はアメリカ人の3分の1の給料ですし、看護師さんもアメリカの半分くらいの給料で働いているんです。なのにブラック労働をしていると、休みも取れないということがまかりとおる。

その理由は、患者の人生・患者の命のために、働く人たちの人生が犠牲になっているんです。だから、看護師さんは「子どもには弁当を作る時間もない」とか、「家へ帰ってもお母さんがいない」、保育園も「時間どおりに迎えに来てもらえない」とか、そんなことがざらにあって。それってどうなの? それはおかしいよね? と、僕は思っているわけです。

安定的な医療提供のためにも、医療者の「幸せ」を担保する

𠮷岡:だから、日本はそれを改善しないといけないと強く思っているわけですが、僕が(医療活動を)始めた時になぜ「支配的なチーム」が必要だったかというと、患者の命を守りたかったから「支配的なチーム」にしたんです。

「支配的なチーム」にしたら何が起こったかというと、例えば僕が厳しく看護師さんに当たると、その看護師さんが次の看護師さんに厳しく当たる。それは見ていても可哀想で、「そんな言い方しなくていいのに」と僕が思うくらい厳しく当たっていた。だから、チームの雰囲気は悪いわけですよ。労働が長いのもあるんですけど、お互いがお互いに冷たくなっていった。

「なんでこんなふうになっちゃったのかな」と思ったら、原因は1つしか思いつかなくて。それは、僕自身がそうやっているからなんですね。水面に石を投げたように、同心円状に幸せは広がらないといけないと思っています。同心円状に落とした点が僕だとしたら、まず幸せになってもらわないといけないのは、僕の周りの人たちだったんですね。

僕の家族であり、僕と一緒に働いてくれる仲間であり、その家族であり、そして最終的に患者たちがそれを利益として受けていく。当たり前のことだったんです。患者の利益のために周りの人たちを犠牲にしてきたのが、「支配的なチーム」を作った僕のあり方だったんですね。

だって、患者のために働く人たちが不幸になっていたら、持続性も何もないじゃないですか。いつも僕は全力で振り切らないといけないし、代わりの人なんか出るわけもなく、そしてみんなどんどんやめていくわけです。こんなチームは持続性もないし、いつもムラができます。

良い時は良いかもしれないけど、悪い時は落ちる。こういうことをやっている限り、安定的に医療は提供できないと思いだしたんです。

組織が「支配的なチーム」から抜け出すためのヒント

𠮷岡:でも、それは大きな前提があって・僕の医療者としてのレベルが上がらなければならなかった、ということなんですね。医療者としてのレベルがないと、やはり余裕なんかないですから。

僕が経験をたくさん積むに従って、医療者としてのレベルが上がる。企業で言うと、社長のレベルが上がれば社員に対しては優しくなっていくのが当たり前で、そのレベルが上がらない限り、社員に対しては厳しくなるだろうなと自分の経験から想像するわけです。

だから上の管理職の人たちは、自分の修養をしなければならない。いろんな方法で自分の能力を上げる。ビジネスの世界なので、外国の人たちが瞑想したり、いろんなことをするのと一緒だと思うんですが、そのものでは上がることは難しいことが多いんですね。

例えば、一流のアスリートたちが瞑想したりするのもそうです。そのものでは成長のスピードに限界があるので、別の要素やファクターを取り入れることによって、さらに成長を加速させる、レベルを上げることをやらないといけないと思うんです。それこそ、水泳の選手がランニングしたりするのも一緒ですね。

部下を持つようになったら、みんながそういうことをやっていったほうがいいんじゃないかなと思っていて。全体として、もちろん社長が一番率先してやらないといけないと思うんですが、組織が「支配的なチーム」から抜け出すための大きなヒントだと思っています。それは、僕がやってきたことですね。

何よりも自分の社員に幸せになってもらいたい。社員が幸せになったおこぼれを、と言ったら変ですが、お客さんたちが受け取っていくというか。

「お客さんのために」と社員を犠牲にしたり、一緒に働く医療者を犠牲にするような姿は、感覚的な言葉で一言で言うと醜く感じたんですよ。そして、初めてこのシーンを脱却する方向に舵を切り始めたのが僕の経過だったんです。

浅見:ありがとうございます。

家庭的なチームの問題点は、“仲良しクラブ”になってしまうこと

浅見:次のお話にもすごくつながるかなと思ったんですが、自他から利他に進化する時にこそ、「支配的なチーム」を脱却するヒントがあるということなのかなと、おうかがいしながら感じておりました。

先ほどのスライドの図でいきますと、横軸が「チーム内の関係性」なので、この関係性自体がどんどん良くなっていくことによって、支配を脱するとおっしゃっているのかなと思いました。

次に、右下の「家庭的なチーム」に関してうかがっていきたいなと思います。まず小林さんにおうかがいしたいんですが、関係性は良いけど仕事の要求レベルは低い、我々が名付けた「家族的なチーム」が航空業界ではどんなふうにあったのか、どういうふうに対処されてきたのでしょうか。

小林:「家庭的なチーム」はもちろん雰囲気も良いですし、何でも気楽に話せるということで、いわゆる「心理的に安心」というチームになるんじゃないかと思います。

そういった良い面もありますが、その反面緊張感が若干欠如してしまうことはあります。それから、何でも言える“仲良しクラブ的”ということで、業務とは関係ないことまでお話しするようになる。

業務と違ったほうに意識が行ってしまって、やるべき仕事の「抜け」が出てしまうことがあります。それから「家族的なチーム」だと、誰がその時にリーダーシップを持っているのかも曖昧になってしまいます。そうしますと、組織として向かうべき方向があやふやになってしまう。

気心の知れた者同士だからこそ、常に緊張感を持つ

小林:特に安全性に関しましては、危険に近づいてもなかなか気がつかなかったり、かなり不安要素が発生してしまうといったリスクがあるので、何でも気軽に物が遠慮なく言えるという面では良いのですが、やはり緊張感が薄れます。そして、リーダーが不明確になってしまうというデメリットもあります。

航空界では毎回違う人とフライトをするのが基本なのですが、スケジュールの加減で同期やそれに近い人同士、あるいは機長同士でフライトした場合は、「抜け」が出てしまった事例が時々あります。幸い事故には至らなかったんですが、「抜け」が出てしまったヒヤリハット事例が何件が発生しました。

いくら気心が知れた者同士で仕事をする場合でも、緊張感を持って、その時に誰がリーダーであって、メンバーは誰かという序列はしっかり明確にしていく。もちろん、その中では言うべきことは言う。ですから、何事もそうなんですが、プラスの面とマイナスの面があります。

「家族的なチーム」は非常に心理的安心性はあって、何でも物が言えるというプラスの面もありますし、もちろんそれによって救われることもあると思いますが、マイナスの面では「抜け」が落ちてしまう。

あるいはチームとしての方向性が曖昧になってしまって、危ない状況、トラブル、不祥事に近づくまでなかなか気がつかない、というデメリットもありますので、そこらへんはきっちり分けて考えていく必要があるんじゃないかと思います。航空界においても、抽象的な表現ですが「適度な権威勾配」によるチーム形成に取り組んでおります。

浅見:ありがとうございます。