「エリート」とは、いったいどんな人なのか?

堀内勉氏(以下、堀内):ちょっと駆け足になってしまいました。縷々申し上げてきたんですけど、最後にみなさんへの問いとして「君たちはどう生きるか?」ということを考えていただきたいと思って、スライドを用意しました。今回聴講されてる方は6割ぐらいがグロービスの関係者ということで、みなさんMBAも持たれていて、いわゆる社会のエリートだと自認されてる方も多いと思います。

「エリートとは何か?」ということなんですね。国会で総務省の幹部が答弁してるのを聞いて、「情けないな」と思った人も多いと思うんです。それから、コロナの関係で政治家が自民党を離党する話とか。なんとなく「エリートっていったいなんなんだろう」と。

『読書大全』にも書きましたが、オスカー・ワイルドというアイルランドの小説家が、謂れのない罪で訴えられ、裁判の中で「ドブさらいめ!」というふうに相手側に罵られます。その時に、「俺たちはみんなドブの中を這っている。しかし、そこから星を見上げているやつだっているんだ」というふうに言い返しているということなんです。

ただきれいなところで制度の上に乗っかって、なんとなくいい思いをしてる人のことをエリートというのか。それとも、本当に理想を追い求めてる人のことをエリートというのか。そのへんを考えていただきたいなと。

これは小説なので、『読書大全』には載せませんでしたが、吉野源三郎さんという人が書いた、『君たちはどう生きるか』という小説があります。日中戦争が始まるのが1937年ですから、もう軍国主義で第2次世界大戦に突入する直前の話ですね。

これが今でも読み継がれているんです。漫画にもなっています。表紙には累計で55万部も売れていると書いてありますが、すでに200万部以上売れているようです。叔父さんとコペル君という主人公の対話形式になっていて、例えば「クラスのいじめにどう対応するか?」。見て見ぬふりをするのか、助けるのかという問いが延々と続いていきます。

最後に「どう生きるのか?」という問題について、対話の相手になっていた叔父さんは「それは、君は自分で考えることしかできないよ」と答えます。そしてコペル君は、自分で考えて決断して生きていくことを決意するという小説です。

著名人の名言から考える「どう生きるか?」という問い

堀内:それに絡んで、ちょっと問題提起としてみなさんに知っておいていただきたいのが、マルティン・ニーメラーという牧師が書いた、『彼らが最初共産主義を攻撃したとき』という詩です。

読み上げますと、「ナチスが最初共産主義者を攻撃した時、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会民主主義者が牢獄に入れられた時、私は声をあげなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。彼らが労働組合員たちを攻撃した時、私は声をあげなかった。私は労働組合員ではなかったから。そして、彼らが私を攻撃した時、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」。

まさに、「どう生きるか?」ということを問いかけるような詩だと思います。

それからマリリン・モンローがけっこう名言を残しています。みなさんもネットで見ていただくと、マリリン・モンローの名言集っていっぱいあるんですけど、私はこの言葉が一番好きなんです。「Wanting to be someone else is a waste of the person you are.」。それを日本語に訳すと、「私が私でなくなってしまうのであれば、何になっても意味がない」。

それからスティーブ・ジョブズの、スタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチ。「他人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない」ということを言っていますね。

差別を受けても、人を助けた「善きサマリア人」

堀内:あと新約聖書のルカ福音書の中に、「善きサマリア人」という説教話があります。これもすごく考えさせられる話なのでピックアップすると、サマリア人というのはユダヤ人の中で差別されていた一群なんですね。ユダヤ人が差別されているのはまさに歴史的な現象ですけど、かつてはユダヤ人の中でも差別されている人たちがいた。

道に人が倒れていました。その人は強盗に襲われて瀕死の状態だった。そこへユダヤ人の中で一番位の高い司祭が通りかかったけど、助けないで通り過ぎていった。レビ人というユダヤ人の中で上流にいる人たちが横を通りかかったけど、助けなかった。それでサマリア人というユダヤ人の中で差別されてる人たちがその人を助けて、宿に連れて行って看病してあげたというお話を、イエスがしたんですね。

その説教の中で「では、あなたの隣人は(この三者のうち)誰なのか?」と問いかけるわけです。そうするとその話を聞いていた人は「サマリア人です」と答える。するとイエスは「あなたもそのように生きなさい」と説教をする、という話なんです。

人を罰する人は、罪を犯したことがないと言えるのか

堀内:もう1つ、ヨハネの福音書の「姦淫の女」という話です。昔はいわゆる不倫というか、不義をすると罰せられた。みんなに石を投げられて、当たりどころが悪いと死ぬということだったんですね。

それで、ある女が不義をして、みんなの晒し者になっている。「ここから石を投げてやれ」と言って、みんなが囲んでいるところにイエスが来る。そして「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、この女にまず石を投げなさい」と言うんですね。

するとみんなは持っていた石を落として、とぼとぼとその場から去っていく。そして、その女が救われるという話なんです。これも短い話なんですけど、非常に考えさせられる話だと思います。

これで最後になりますけど、教養というのはこういう一つひとつの問題に対して「自分はどうするのか」ということなんだと思います。つまり、自分はどう対応するのか、自分はどう生きるのかということを、きちんと自分なりに答えを出していく。そのための心構えや知識、思想や哲学なんだろうなというのが、私が今考えていることになります。

すみません。短く説明しようと思ったんですけど、資料がとても多くて(笑)。1時間近くかかってしまいました。ご清聴ありがとうございました。

田久保善彦氏(以下、田久保):堀内さん、私がお願いをして今日ご登壇をいただいて、本当にすばらしい話をありがとうございました。今チャットにも堀内さんの人生の振り返りの部分で、銀行などにお勤めの方たちから「本当に赤裸々に語っていただいてありがとうございます」というようなコメントがたくさん入っていました。

堀内:ありがとうございます。

正解がひとつではない問いに、自分なりの答えを出す「手引き」

田久保:少し時間が短めになったので、私からおうかがいしたいことと、みなさんからお寄せいただいている質問も少し取り混ぜながら、進めていければと思っております。

今回は「ビジネスリーダーとしての羅針盤を持つために」というタイトルでお話をいただきました。最後の最後に、やはり「何のために本を読むのか」「何のために教養を身につけるのか」ということで、タイトルと最後の5分くらいのお話が本当に全部、ビタッとつながったなという感じが、私の中ではすごくしていました。

「教養は正解がひとつではない問いに自分なりの答えを出し生きていく」。そのための指南書が読書大全だと。まさにそれをやろうと思われたこと自体が、堀内さんの銀行時代からのいろいろなご経験に基づいており、本当に、流れとともに多くのことを感じさせていただきました。ありがとうございます。

まず1つ目にぜひうかがいたいことがあります。質問にも上がってきていて、ちょっと即物的な質問になってしまうかもしれませんが(笑)。「300選んで200にした」というお話があったと思います。

堀内:(笑)。はい。

田久保:たぶん堀内さんがこれまでに読まれた本って、万の単位じゃないかなという気もするんですが、まずどうやって300に絞って、そこから200に絞ったのかということ。そこがまさに堀内さんの価値観とか、大切にされていること、そして堀内さんの人生の羅針盤みたいなものが、反映されるんじゃないかという気がしたんですけど。どんな選定基準だったんですか。

堀内:なるほど。これで話し出すとまた1時間ぐらいになってしまうんですけど。

田久保:(笑)。

人間を理解するために選び抜いた、ビジネスパーソン必読の200冊

堀内:簡単にご説明すると、ビジネスリーダー向けにこの本を書いたので、資本主義・経済・経営に関する本を最初にピックアップしたんですね。ただ縷々語ってきたように、結局人間という部分を除いて経済とか経営を語っても、ぜんぜん意味がないと思って、そのベースにある哲学と思想を、その下にくっつけました。

そうすると人間という要素がくっつくんですけど、単に個人の哲学とか思想じゃなくて、やはり国家とか文明とか社会が塊として、人間のあり方としてくっついてくるので。そこにそれをくっつけざるを得ないと。

そして自然科学。さっきの学問の進化でわかっていただけるように、自然科学は今、世の中や人間を説明する上ですごく大きな部分を占めている。私はちょっと大きすぎると思っているんですけど。その自然科学を無視して人間の群は語れない。特にシンギュラリティの話とか遺伝子操作という議論もされているし、「地球環境の問題で限界が来るから火星に移住しよう」なんて言っている人もいる。

そうすると今の環境的な制約を前提にして人間を語っても、ちょっとモノ足りない。科学の進歩と人間そのものの変化、人間社会の変化というのを合わせないと、どうしても説明しきれない。資本主義・経済・経営を説明するために必要なものを下にどんどんくっつけていって、それで300冊にしたっていうイメージです。

ただ300冊の書評を書くと本が分厚くなりすぎるのと、私の体力がもたないというのがあって(笑)。それで200冊に絞らせていただいた感じです。

田久保:ありがとうございます。今の話で本当にピンときたんですけど、以前私はこれを拝読した時に、「人間理解学」というものがもしあるならば、この本の場合『人間理解学大全』とかいう名前でもよかったのかな、と勝手にちょっと思って。Facebookに書いたこともあったんです。

堀内:まさにそういう感じです。人間を理解するのが最も重要なポイントで、その重要な前提の上で経済や資本主義というのをビジネスマン向けに書いたという感じなんです。

本を読むことは、人に出会うことと同じくらい刺激的

田久保:では次にいってみたいと思います。この堀内さんの本のおかげで、我々はどういう本から読んでいくといいのかというのは、少なくとも200冊ぶんは手に入ったわけですが。今度は「どう読んだらいいのか」ということについて、みなさん興味をお持ちなんじゃないかなと思うんですね。

例えば堀内さんは本を読まれる時は、どんなふうに読まれるのでしょうか。線を引くのか引かないのか、書き込むのか書き込まないのか、繰り返し読むのか、メモを取りながら読むのか。なんて言うんでしょうね……どうやるとまさに、自分の知恵のベースを作っていくことになるんだろう、ということですね。

私も少なからず本と向き合うんですけど、やっぱり本との向き合い方は難しい課題だなと、50歳を過ぎてもまだいろいろ考えるところがあります。堀内さんの本との向き合い方みたいなことを、教えていただけたらありがたいなと。

堀内:さっきスライドで「私が本を読む理由」みたいなものが、1枚ありましたけど、要は人と出会いたいんですね。ですから田久保さんみたいに刺激的な方と会話させていただくのと、ニュートンが書いた本を読むというのは、私にとっては同じことで。

田久保:いやいや、ぜんぜん違うと思いますけど(笑)。

堀内:(笑)。いやいや。要は自分が強く感じられることがすべてだと思っています。私のさっきの経歴の話に戻ると、誤解されるかもしれないですけど、私は学校の勉強とかがすごく嫌いで。嫌で嫌でしょうがなくて、どうやったら必要最小限の勉強で大学に受かるかしか考えてなかった。

押し付けられるものに、とにかくすごいアレルギーがあって、自分の内側に入ってこないんですね(笑)。だけど生きていくためにはしょうがないから、大学受験に通るために何がミニマムで効率的か、みたいなことをやっていたんですけど(笑)。でも、さっきの自分の人生経験とかを踏まえて、自分が「どうしても知る必要がある」と強く思うことって、あると思うんですよ。

「知りたい」という自分の思いに応えてくれる本

堀内:それは趣味の問題でもいいし、なんでもいいんですね。私はやっぱり自分の人生に悩んだので、それに対して少しでも引っ掛かりや取っ掛かりがあるものを探し求めていたんです。

ですから、さっきの「教養とは何か」に関係するんですけど、「一人前の大人としてこれぐらいの古典は読んでいないと恥ずかしいから」という思いで本を読んだことは一度もなくて。自分の問いに答えてくれそうな本をひたすら探し求めてさまよっているんです。

ですから、一冊の本を頭から後ろまで全部読むこともほとんどないし。頭からお尻まで全部読まなければ、その人の言ってることがわからなければ読むし。部分だけ読んでわかるなら、そしてそれが私の問いに対するなんらかの答えになっているなら、その部分しか読まないし。

自分が非常に強く関心を持って「知りたい」という強いパッションを持てるものに呼応してくれる本を、ただピックアップすればいい。学校で「この本を読め」と言われたから読みましたとか、「君、そんな本も読んでないの?」と友だちにバカにされると恥ずかしいから読みましたとか、そういうのはやりたければやればいいとは思うのですが、私はぜんぜん興味がなくて。

自分の強い思いに応えてくれる本をただひたすら探し求めて生きている感じなんですね(笑)。

田久保:なるほど、ありがとうございます。