「経済成長しないと豊かになれない」という幻想

松島倫明氏(以下、松島):続けて、2つ目の問い「経済成長と地球持続性の両立という目標を個人個人が自分事として捉え、主体的に行動していくためには、どのようなアクション・枠組みが必要か?」に移ります。

まずは数百年にわたって資本主義というシステムのなかで生きてきた人間が、脱成長や新しい発展のあり方などこれまでと異なるマインドへとシフトできるのか考えていけたらと。資本主義に持続可能性がないことはわかりつつも、現実的には少なからぬ人が資本主義のゲームへと戻っていかなければ生活できない状況にあります。どうすれば一人ひとりが主体的にアクションを取りながらこの状況を変えていけるのか伺いたいです。

斎藤幸平氏(以下、斎藤):失業する人や家賃を払えない人も増えているなかで、私が「脱成長」を掲げると「あいつは大学教授だから現実を見ていないんだ」と必ず言われるのですが、むしろこれまでの「現実」こそがおかしかったのだと思います。多くの人が必死に働いているのに、少し仕事がなくなっただけで家がなくなったり子どもにご飯をあげられなくなったりするのはおかしいはずです。

資本主義のなかに浸かりきっていると、現実のおかしさに気づけなくなってしまう。気候変動やパンデミックなどさまざまな問題が起きているにもかかわらず、経済成長しないと豊かになれないという発想に囚われつづけていることの方がおかしいわけで。

松島:まずはオルタナティブな豊かさに一人ひとりが気づく必要がある、と。その点、ポートランドでは以前から多くの先進諸国とは異なる豊かさや幸せが追求されていると思うのですが、なぜ人々は新たな価値へと考え方をシフトしていけたんでしょうか。

山崎満広氏(以下、山崎):歴史を遡ると、ポートランドはもともと自分たちで土地を開拓してみずからの経済圏をつくる、自由を求めている人たちによってつくられた場所なんです。だからもともとオルタナティブな文化があって、特にニューヨークのような東海岸の大都市がつくってきた“ゲーム”とは違うゲームを始めようとしている。

僕たちはゲームチェンジャーで、これまでの大都市とは異なるサステナビリティや“マザーアース”のために生きるゲームを考えているんです。結局僕たちが地球によって生かされているのだとすれば、いつまで資本主義のゲームをプレイしつづけるのか考えなければいけない。ポートランドの人々は、むしろ地球にいいことをすればポイントが上がるようなシステムをつくったほうがいいと考えているわけです。

一人ひとりが豊かな生活を送っていけるような指標を考えていく

江村克己氏(以下、江村):ゲームチェンジというのはおもしろいですね。NECも最近パーパスを設定しなおして、利益や効率を追求するのではなく、持続可能社会をつくることを目的にしなおそうと議論し始めていて。本来企業はそれぞれの目的をもっているはずなのに、資本主義のなかでは利益を最大化する方向へとつい進んでしまうんですよね。だからパーパスを改めて定義しなおす必要があるし、それを大事にする企業は増えている気がします。本当はそのパーパスに共感できるかどうかで働く企業も選ぶべきでしょう。

街も同じだと思うんです。ポートランドの理念や特徴があって、そこに共感した人が住んでいる。日本はポートランドと違って、地方創生を掲げていても個々の街の特徴を挙げるところが少ないですよね。その街で何がしたいのか、何ができるのかを明らかにしないと、都会の人が移住するインセンティブが生まれづらい。

松島:都会と同じゲームを小さな規模で繰り返すだけになってしまう、と。

江村:そうですね。NECもスマートシティに向けた技術を提供してはいますが、本来はどう街を“スマート”にするのか考えなければ意味がない。異なる価値観の街がたくさんできることで、コモンみたいなものもつくりやすくなるのかもしれません。

松島:そうならないと人の移動も生まれないですね。

江村:もっとも、仕組みや技術だけではなくて、あくまでも人に寄り添うことが重要です。今年のNEC未来創造会議では経済成長と持続可能性を軸に議論を進めていましたが、もう1つ「人の意識」という軸をつくったほうがいいと思っていて。経済成長をよしとする価値観と、持続可能性の実現によって充足する価値観があるとすれば、単にその2つを両立させるだけではなくて、両立した上で人の意識=ウェルビーイングの軸を高めていけるような社会を本当はつくりたいんです。最終的にはちゃんと一人ひとりが豊かな生活を送っていけるような指標を考えなければいけないですよね。

新自由主義や資本主義は、ある種“ゾンビ”と化している

松島:経済的には成長しているけれど、人々のウェルビーイング度はまったく上がっていないという恐ろしい統計も出ていますよね。生活の充足度がまったく上がっていかない状態で幸せの価値観をずらしていくためには、人の考え方や社会の仕組みなどどこから変えていくのがよいのでしょうか。

斎藤:僕は今こそ哲学や思想が重要になると思っています。日本はこの数十年で物質的には豊かになりましたが、それ以外の幸せに対するイマジネーションが貧困になってしまった。今の日本は消費主義的なライフスタイルに浸っていて、便利さが豊かさとなってしまった。でも、24時間いつでも開いているコンビニでお酒を買ってストレス解消しなければいけない社会の方が実は貧しいですよね。

もちろん今はウェルビーイングなど別の幸せの概念がビジネスの世界でも議論されるようになっていますが、企業はこれまでの価値観をリセットして考えなおさないとやばいと思うんです。自由とは何か、人間とは何か、よき生とは何か……改めて考えていく必要がある。

松島:先ほどグレタさんの話もあがったように、若い世代の価値観も変わってきていますよね。

斎藤:彼女たちの世代はこれまでのような経済成長を前提としていないし、むしろ今の資本主義に対して怒っている。これからそんな考え方がマジョリティになっていきますから、企業も彼/彼女らの価値観を取り入れながら新陳代謝を繰り返さないといけません。でも、今の日本社会ってこれまでのモデルにひたすらしがみついている。

僕は新自由主義や資本主義はある種の“ゾンビ”になり始めていると思うんです。みんなでゾンビに必死にしがみついて、なんとか延命しようとがんばっている。でもそんなことをしていたら、20年後や30年後に世界から完全に取り残されてしまうのではという危機感を覚えますね。

哲学なきテクノロジーはありえない

松島:これまでのテクノロジーが資本主義というゲームのなかでイノベーションを追求してきたとすると、これからのイノベーションはどのように起こしていくべきなんでしょうか。人間とテクノロジーの関係性そのものを築きなおしていくのか考えなければいけなさそうですよね。

江村:私も斎藤さんがおっしゃっている哲学や思想は重要だと思っています。そのうえで、人のためにどう技術を使っていけるのか考えていく必要があります。NECがかつてC&C(Computer&Communication)という理念を提唱したときも、人を豊かにするためのソフトウェアを開発しようと考えていた。

だから、今の時代も持続可能性を担保したり人を豊かにしたりするために新しい技術があるべきで、その理念を考えるために哲学が必要となるのかもしれません。だからNECのような企業も人材のポートフォリオを変えていかなければいけないし、教育のシステムも変わらなければいけない。今年の第1回未来創造会議に登壇された中島さち子さんが取り組まれていたSTEAM教育のように、指導要領や単位に縛られずにやりたいことへアプローチできる仕組みは重要でしょう。

松島:哲学なきテクノロジーはありえないと以前から江村さんはおっしゃっていますよね。人間の想像以上にテクノロジーが進化している時代において、どうテクノロジーをコントロールしていくべきなのか考えなければいけないのだと思います。

斎藤:哲学なきテクノロジーはダメだと考える人が増えているからこそ、今日本でもマルクス・ガブリエルのような哲学者の人気が高まっているのかもしれません。技術はすごく発展していて、なんならAIは人間より賢くなるとも言われますが、実際は技術だけでは問題をぜんぜん解決できないわけです。現に今ウイルスによって私たちが当たり前だと思っていた生活の脆弱性が顕になっているし、これから起きる気候変動などさまざまな問題を技術だけで突破できると考えないほうがいいでしょう。技術の危険性や欺瞞を再認識しないといけないですね。

技術と共に必要となる倫理観と道徳

斎藤:技術って本来はよき生、よき社会、よきコミュニケーションのために開発されるべきですが、野放しの開発が進むとむしろ分断を生んでしまう。特定の人たちだけに役立つ技術があたかも人類全体に利益をもたらすと吹聴されて、そこにお金が注ぎ込まれる。格差をますます広げてしまうような技術は、「閉鎖的な技術」だと思うんです。分断を強めるための、支配を強めるための技術ですよね。

今必要とされているのは、もっと解放的なオープンテクノロジーでしょう。オンライン教育やシェアリングエコノミー、スマートグリッドによる再生可能エネルギーの効率利用とか、コモンを取り戻すためのテクノロジーが生まれてほしい。そこから新たなコミュニケーションやアイデアが生まれてイノベーションにつながっていくような循環が生まれるんじゃないかと。そのためには技術を野放しにせず社会的な規制も必要になるでしょうし、そのうえでは倫理や道徳の視点も取り入れなければいけないでしょう。

松島:なるほど、開かれているからこそ、倫理的なチェックも働くしコントロールできるようになっていくわけですね。一方で、技術の進化を考えるうえでは近年加速主義のような考え方も表れています。最先端の科学を使ってさまざまな問題を解こうとする人たちも、依然として多いのではないでしょうか。

斎藤:技術をもっとすごい速度で発展させないと気候変動のような問題を解決できないという話は、一見それっぽく聞こえますが、嘘なんですよね。大規模な技術なんて必要なくて、私たちがただ無駄な生活を止めていけばいい。加速主義に則ると、結局これまでどおりの生活を送るためにイノベーションを生もうとしてしまう。そうではなくて、今までの生活の愚かさに気づかなければいけないし、これまで見えていなかった世界を知らなければいけない。技術がすべて解決するというビジョンは革新的に思えるのですが、その実すごく保守的です。

民主導によるビジョンの実現

松島:斎藤さんがおっしゃっているオープンテクノロジーって、まさに山崎さんがポートランドで取り組まれてきたことなのかなと思います。テクノロジー至上主義に陥らずにコミュニティのなかで技術を活用していくにはどうしたらいいんでしょうか。

山崎:2015年ごろにポートランドの都市計画が注目されて、日本からも多くの方が視察に来られたのですが、そのときに強い違和感を覚えました。多くの企業がどこにどんなセンサーを使っているのかとか、自動運転の技術をどう開発しているのかとか、いろいろ聞いてくるんですが、そんなものポートランドにはぜんぜんないんですね。この街のスマートさや持続可能性は、住む人たちのなかにあるんです。土地に根づいた消費者の目線にあわせて都市計画を進めているのが素晴らしいのであって、プロダクトが重要なわけではない。プロダクトドリブンではなく、カスタマードリブンで都市計画を進めていたことがポートランドの特異性だったわけですから、先端的な技術がたくさん機能しているわけではないんですよね。

松島:なるほど、やはり人を中心にしながらオルタナティブな価値をつくっていくわけですね。今やWi-Fiのような通信技術も一種のライフラインですし、どうすれば人に寄り添うかたちで技術を生活のなかに位置づけていけるのか考えていくべきですね。

江村:技術と社会の関係性が変わっていきましたよね。ただ技術を開発するだけではもはや意味がなくて、ビジョンが先になければいけない。加えて、そのビジョンを実現していくためには、最初に市民を主体として想定しなければいけない。かつてはただ技術を発展させればよかったから産学連携で十分でしたが、「産官学民連携」と言われているように、市民を中心に企業や行政、アカデミアが動いて課題解決や技術の開発を進めていくようになってきた。

科学でアプローチできるけど科学だけでは解決できない問題が増えているわけで、市民のなかで議論して技術をどう使っていくのか決めていくことが大事でしょう。それはまさに斎藤さんがおっしゃっていたコモンの考え方ですよね。いいものをつくればなんとかなる時代は終わったので、われわれも早く変わらなければいけないのだと思います。